聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

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プロローグ

新たなる始まり

 大陸の北東部に位置するイステラ王国。その王城トニエスティエ城。その一の郭の北宮に王の寝所がある。

「お目覚めでございますか、陛下?」

 侍従長に声を掛けられ、イステラ王国の新しき王レイナートは身体をムクリと起こした。天蓋付きの豪勢な寝台は寝心地はよいが未だに少し違和感がある。リンデンマルス公爵家で使っていた粗末、というほど酷くはないが、固い寝床の寝台の方が余程慣れていて寝やすかった。
 もっともここで生活を始めてからまだ三日目。慣れないのは当然かもしれない。

 レイナートはボリボリと頭を掻きながら侍従長に声を掛けた。

「ああ、レック、お早う」

「お早うございます、陛下。よくお休みになられましたか?」

 レックの言葉にレイナートが吹き出した。

「レック、やはりお前にはその言葉遣いは似合わない……」

「ちぇ、ひでえなあ! 人が一生懸命やってるのに!」

 レイナートの言葉にレックが食って掛かる。身分・立場は互いに随分と変わってしまったが、そこはそれ、長い付き合いの二人である。互いに半ば本気で、半ば冗談でもある。

「ゴメン、ゴメン……。だが……」

 レイナートは笑いが堪えられない。

 そこに背筋の凍えるような声がした。

「陛下!」

 その声にレイナートが振り返ると、寝室の入り口に女性が立っていた。中肉中背、長い黒髪を小さくまとめたその女は、眉の端をほんの少しだけ釣り上げている。だがそれだけでレイナートには十分怖いものを感じさせた。

「お早う、サイラ……」

 レイナートの言葉にサイラの表情が余計に険しくなった。リンデンマルス公爵家侍女総取締役の頃「鉄壁の無表情」と呼ばれたサイラである。その表情が変化する時、それは世にも恐ろしい出来事が……。

「陛下! サイラ、ではありません! 何故女官長とお呼びになりませぬ? 陛下はもはやイステラの国王陛下。一貴族とは身分・お立場が違います。下々の者は名ではなく官名でお呼び下さいとあれほど……」

「わかったよサイ……、いや女官長。以後気をつける」

「先日もそう仰っておられましたね、陛下?」

「いや、だから……」

「よろしいですか? 陛下。
 陛下はこの国の頂点。この国の誰もが陛下にかしずき頭《こうべ》を垂れます。それは陛下に対する畏怖、尊敬《そんぎょう》からでございます。ですから親 しくその名を呼ぶ、などということがあってはなりません。お名前で呼んでいいのは王妃陛下と王女殿下のお二人のみ。何度も申し上げておりますのに!」

 レイナートもレックも縮み上がっている。サイラが厳しいのは何時もの事だが、今日はさらに一段とうるさい。

「第一、人々に範を垂れる、それが疎かになれば臣民の侮りを受けます……」

「もうそのくらいでいいんじゃないか、女官長?」

 サイラの背後から声がした。
 レイナートが身体を動かしサイラの影になっていた人物に声を掛けた。

「お早う、エレノア。アニスも一緒かい?」

「お早うございます、陛下。ええ、アニスも起きてます」

 サイラは腰をかがめたまますっと横に移動した。アニスを抱いたエレノアがレイナートの寝台に近づく。寝台からもぞもぞと出て立ち上がったレイナート。エレノアに軽く口付けをした。そうしてエレノアの抱いているアニスに目を向ける。

「お早う、アニス。どうやらご機嫌だね」

 にこやかな笑顔を見せる娘に顔を近づけたレイナート。だがアニスはぷいと顔を背ける。

「どうしてこの子はいつもこうするんだろうか?」

 悲しげな表情を見せるレイナート。

「きっとまだあなたに……、陛下に慣れてないんでしょうね」

 エレノアがそう言う。

「だけどもう一ヶ月以上は顔を合わせているんだ。もうそろそろ慣れてくれてもいいんじゃないか?」

 レイナートが口を尖らせる。

「そうですね」

 エレノアも顔をしかめる。
 確かに娘が父親に懐かないのでは困る。だがレイナートはもはや一貴族、ただの父親とは言えない。それに確かに毎日顔を合わせてはいるものの共に過ごせる時間などごく僅か。しかもアニスはまだ生後四ヶ月足らず。レイナートの手隙の時に起きているとは限らなかった。


 帰国早々即位することを受け入れたレイナートは多忙であった。
 領地に使いを送り自らの生還を伝えるとともに主だった家臣を急遽王都に呼び寄せた。その際、妻子のいる者は妻子も連れてくるように命じたから一行の到着には少々時間が掛かった。
 それを待つ間に王都留守居役のコリトモスからリンデンマルス公爵家の報告を聞き、その一方で王宮に向かい各省大臣から現状の報告を受けた。
 さらに自らは新たに王宮の住人となるから、そのための準備もしなければならない。とは言うものの王宮も少なくない被害を受けておりそう簡単な話ではなかった。
 まず第一に北宮に住まう、今は亡き父王の妃エーレネに西宮に移ってもらわなければならないが、西宮も被害が酷く直ぐに移動が出来かねた。
 一方、東宮は王宮の中では一番被害が少なかった。それ故皇太子アレグザンドやその婚約者クローデラ、さらにエーレネもその時偶々皇太子の元を訪れていたから無事であったのである。

 そこでレイナートは先王妃に東宮に移ってもらいアレグザンドとともに生活してもらうことにした。それはアレグザンドにとっても良いことに思えたからである。
 イステラでは東宮は皇太子の居所と定められている。だが今は非常時、細かい規則に拘っている時ではない。そう言ってレイナートは周囲を納得させた。
 その決定に恐縮したのは先王妃エーレネである。北宮の方が東宮よりも被害が大きい。その被害の少ない方に自分達が住み、新国王が被害の大きい方に住むと いうのは不敬であるというのである。イステラにおいては国王が頂点。先王妃すなわち王太后もその下に位置づけられるからである。
 だが即位はまだとは言え実質レイナートが国の頂点。その決定には誰も逆らえない。それを受け入れるしかなかったのである。

 そうしてレイナートは生き残っていたおよそ九千の国軍兵士を王都及びミベルノの街に送り込みその復興を再優先とした。
 と同時に同じく生き残っていた各地の総勢二千の衛士を水源地から王都までの上水道の修理に当たらせた。
 巨大地震によって寸断された上水道は本格的な修理が行われておらず、したがって王都では慢性的な水不足に悩まされていた。
 俗に衣食住というがまず何よりも飲料水と食料の確保が最優先である。これが放置されていた訳ではないが、多方面であまりにも被害が大きく、またその把握 も不十分であったがために全てが付け焼き刃、もしくは行き当たりばったりの対応でしかなかった。深刻な人手不足で工務省が機能していなかったということも ある。
 そこでレイナートは強力な指導力を発揮したのである。

 とにかく復興には多くの人員、資材が必要でありそれを支える潤沢な資金が必要である。しかもそれを効率よく投入しなければならない。
 王都に登ってきた家臣とその家族との再会を喜んだのも束の間、直ちに領民の徴用を指示した。とにかく現在のイステラの状況を正確に把握しなければならない。各貴族領は独自に自領の状態を把握しているであろう。だがその全てが国に報告されている訳ではない。
 直轄地の鉱山や山林から産出する地下資源や材木だけでは全然足りていない。したがって協力できる貴族からの資材の提供は不可欠である。だがこれも無償という訳にはいかない。
 そこでレイナートはまず兌換紙幣の発行を行った。

 イステラは大金貨を頂点とする金本位制であった。だが鉱山での落盤や人手不足から金銀銅の算出が減っており、新たな通貨の鋳造が追いつかない。そこで羊 皮紙に額面を記入した紙幣の発行を行いこれを流通させたのである。これを両替商に持ち込めば金貨や銀貨と交換することができるものとした。ただし現状では 十分な貨幣の供給量に足りない。そこで交換に制限をつけた。すなわち紙幣に記された発行日より一年以降での兌換を認めるというものである。
 この誰もが初めて見聞きする制度には正直戸惑いを隠せない者が多かった。だがレイナートは己の名をこれに使った。
 すなわち「新国王たるレイナートは古イシュテリアにまで遡るイステラ王家の血を引く者であり、古イシュテリアの聖剣の持ち主である。したがって己が剣にかけて約束は履行される」と。
「剣の国」イステラ。その国王が剣にかけて国民と約束した。これによって紙幣はようやく流通し始めたのである。

 この時レイナートは密かに人を使い「破邪」の模造品を作らせている。古イシュテリアの聖剣を謳い文句にした以上、常にそれは人に見せられる状態でなければならない。その時あのボロボロの朽ち果てた剣では人々の不信を煽ることになる。その対策のためである。
 結局この模造品 ― とは言ってももちろん真剣である ― はレイナートの腰間の秋水となり、儀式の時以外、王の証の剣を提げることはなかった。
 家臣ら七名、クレリオル、ギャヌース、アロン、エネシエル、ナーキアス、キャニアン、ヴェーアは皆レイナートの使いとして各貴族家を回りその状況を把握するとともに、少しでも余力のある貴族からはこの兌換紙幣での支払いで復興に必要な物資を買い入れた。
 また徴用された領民は各省の臨時職員として採用され、復興に必要のみならず各省本来の業務を滞り無く遂行させるべく配置された。
 彼・彼女らはイステラ語及び古イシュテリア語の読み書きと計算が出来る。これだけで重宝がられた。しかもイステラは本来女性が省勤めの役人となるなどなかった国であるから、如何に政府が人手不足に陥っていたかが理解出来るだろう。

 己の即位までにこれだけの準備を整えたレイナートであった。


 一方で帰国後直ぐにレイナートの即位が決定となり泡を食ったのはエレノアである。

「えっ!? 私が王妃、ですか。悪い冗談はやめて下さい!」

 レリエル出身の平民。その先祖にも貴族身分がいないエレノアである。王宮から戻ってきたレイナートの言葉は質の悪い冗談以上に酷いものにしか聞こえなかった。

 だがレイナートは申し訳無さそうにしながらもエレノアに言った。

「いや、冗談なんかではなく本当のことだよ。
 ドリアン大公殿下もシュラーヴィ閣下を始め諸卿の皆様方も条件を受け入れ、他の貴族も説得して下さるということだ。
 それに今のこの状況は私が招いたもの。となればその復興に一番働かなければならないのはこの私だ。そうして私にはお前の助けが必要なんだ、エレノア」

「でも私には王妃なんて無理ですよ。社交とか儀礼とか全然疎いし……」

「この際それはどうでもいい。今この国に一番必要なことは一日も早い復興、国民の全てが元の生活に戻れることだ。
 呑気にダンスをしたり、談笑しながら腹の探り合いなんかをしている時じゃない」

 そう言ってレイナートは社交の場としての夜会や晩餐会を切って捨てる。

「それに即位したらできる限り国内を回り復興の陣頭指揮を取るつもりでいる。アニスがまだ小さいから無理はさせられないが、のんびり馬車での行幸をするつもりはない」

 そこでレイナートは一旦言葉を切った。そうしてエレノアを抱き寄せて優しく言う。

「それに私には誰よりも君が必要なんだ。その君が直ぐに手の届く側にいてくれないと困る……」

「レイナート……」

 そうして唇を重ね合う二人。
 アニスを抱いて脇に控えていたイェーシャは目のやり場に困り後ろを向いている。

 しばらくして唇を離したレイナートがエレノアに改めて言った。

「とにかくこれから忙しくなる。その覚悟だけはしておいて欲しい」

「わかりました」

 エレノアの顔にもう迷いはなかった。レイナートのために生き、レイナートために死ぬ。そこにアニスは加わったものの基本的な考えは変わらないからである。


 ところでレイナートが帰国後しばらくしてから二人の寝所は別々になった。それはエレノアがアニスを自分の脇に寝かせ、自分の乳で育てているからであった。
 通常であれば身分ある者の子は乳母に育てられる。だがリンデンマルス公爵家王都屋敷には適任者がいなかったし、簡単に人を雇える状況でもない。第一、エレノアのレリエルではそれが普通のことである。
 そこでレイナートも一緒に寝台に入り三人、川の字になって寝ていたがアニスが夜中におっぱいだ、おしめだといって泣く。これではレイナートの身体が保た なかった。朝日の出前から起き出し、夜遅くまで働くレイナート。睡眠をしっかりと摂ることが必要だった。それが妨げられてしまうからであった。

「別に恨む訳じゃないが、早く大ききなってお母さんを返しておくれ?」

 困った顔をしてアニスに言うレイナート。そう言われたアニス、別にレイナートの言葉がわかった訳ではないだろうが盛大に泣き出した。

「もう、何してるの、レイナート! せっかくおとなしくなったばかりなのに!」

 エレノアにまで怒られる始末である。


 いずれにせよ、そういった訳で公私ともに多忙を極めたレイナートであった。

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