聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

序章

第1話 お小言

 大陸の北東部に位置するイステラ王国。そのイステラ人は総じてせっかちだと言われている。それは長い冬の間は雪に閉ざされ何も出来ないから、夏の間に出来るだけのことをやってしまおうとするからだという。
 そうしてリンデンマルス公爵家当主で、親征後行方不明となっている先の国王アレンデルの子レイナートも例外ではなく、どころか、それに輪をかけてせっかちである。
 元服が許されるまでに十七年間、焦りつつも己では何も為し得ず、諦めにもも似た境地で日を送っていた。それが元服と同時にリンデンマルス公爵家を継ぎ、待ったなしの領地再生に向き合うこととなった。一日も早く金を稼ぎ領民を食わせる。それが出来なければ餓死者か奴隷を生むことになる。その切迫した状況がレイナートに与えた影響のためでもある。

 そうしてその煽りを食ったのが家臣らと使用人達である。
 レイナート自身は他人を急かしてまで何かをさせるということはあまりない。だが己自身はといえば、考えをまとめるには時間をかけるがこうと決めたら直ぐに動き出す。時には周囲に何も言わずにさっさとやり始めてしまう。お陰でレイナートの側近くに侍る執事や侍女が泡を食う。何せ気が付くと主人の姿が見えないのである。顔を青くして屋敷や城の中を駆けまわることになる。
 この点、家宰だった祖父のユーディンからは生前常々厳しく戒められていた。もっと周りに声を掛けろ、何でも自分でやろうとしないで人を使え、と。
 主人の用に役立たない使用人など、リンデンマルス公爵家でレイナートだから咎め立てされないが、他家であれば厳罰ものである。下手をすれば一族郎党がその責めを受ける。当然使用人達は戦々恐々となって萎縮してしまい、余計な失敗までするようになるからだということであった。

 ところがこの点に関して侍女総取締役のサイラはレイナートに抗議したことはなかった。
 レイナートが身勝手な暴君であるならともかく、責任感が強く真面目な少年、否、青年と看做していた。したがってそれについていけないなど侍女として失格、その矜持が許さない。だからサイラの侍女への指導は大変厳しかった。
 侍女達はそれでもそれに耐えた。認められれば王都屋敷に勤めることが出来る。イステラ一の豪邸 ― と言ってもその規模だけだが ― とも言われるフォスタニア館、あこがれの大都会イステラ王都。些か動機は不純だが、若い侍女達はそれを励みに努力してきたのである。
 したがって熟練の年のいった侍女に比べ見劣りはするものの、王都屋敷の侍女達はその動きは生半のものではなく、また、滅多なことは動じないだけのものは持っていた。


 だが、その侍女達もレイナートが帰国して直ぐの登城から戻り、今後のことについてを聞かされた時は仰天した。

「故あって私が父王陛下の後を継いで即位することになった。ついては王宮内にも被害が多く人も足りていないため使用人の一部を連れて行くこととする。そのまとめ役にはサイラを呼び寄せ充てるつもりである。
 したがってマリッセア……」

 レイナートが王都屋敷侍女頭のマリッセアに声を掛けた。

「はい……」

 マリッセアが顔を強ばらせて返事をする。

「サイラが抜ける分、王都屋敷のお前と領地のビーチェスの責任はより重くなる。そのことは含んでおいてくれ」

 レイナートがそう言うとマリッセアの顔がいっそう青ざめた。自分にサイラ様と同じ働きが出来るだろうか、と。

 すると、王都屋敷留守居役のコリトモスがレイナートに尋ねた。

「そうなりますと、当家のご当主様は誰方になられるのでしょうか?」

「それはまだ決定ではないが、私のままになると思う」

「えっ!?
 ということは御領地は直轄地になるのでしょうか?」

 コリトモスの質問はもっともなことである。
 王の支配地は国土全体というのが建前だが、実際には貴族領は貴族のもので、王の領地は直轄地のみということになっているからである。

「いや、リンデンマルス公爵家は存続する事になるだろう」

「ええっ!?」

 コリトモスが目を見開いて唖然とする。
 否、その場に居合わせる者全員が驚きの表情を隠せないが絶句している。即位して王となっても貴族の当主であるなどイステラではかつて聞いたことがないことだからである。
 レイナートが続けた。

「私に子はない……、いや娘はいるが……」

 レイナートが慌てて言い直す。「子はない」 と言った瞬間エレノアに憤怒の形相で睨まれたからである。
 エレノアの妊娠はわかっていたレイナートだが、帰国してアニスが生まれていたというのは実は予想外の事だったのである。したがってどうも子を持ったということにいまだ実感が無いレイナートであった。

「……いずれにせよ、生まれたばかりの赤ん坊ではどうにもならない。
 他家も被害は深刻のようで養子は期待出来ないし、家臣の誰かを養子に迎えてというのもおかしい気がする。第一、彼らには側近として私の直ぐ側にいて手足となって動いてもらわねばならない。
 よってリンデンマルス公爵家の運営はコリトモス、お前と領地のゴストンの双肩にかかることになる」

「はい……」

 コリトモスの顔も青ざめる。
 レイナートの言っていることは理解は出来る。言わんとすることがわからないほど馬鹿ではない。だがそれはあり得ないことである。否、イステラにおいてあってはならないとされてきたことである。
 確かに当主が無能でも家臣団がしっかりしていれば領地経営はなんとかなるものである。だがレイナートが王となり主だった家臣もそれに伴って不在となるというのは話が別である。
 確かにレイナートのレリエル行き以降、当主不在のまま領地は運営され、最後には主だった家臣まで出掛けてしまい結果として同じ状況になった。だが今後はそれがずっと続くということである。
 ということは、家宰や王都留守居役が今まで以上に自由裁量で家と領地の経営をするということになるのは目に見えている。だがそれは、そこまで許されていいはずがない、というのがコリトモスの、というより当時のイステラの貴族家に仕える者の当然の考えであった。


「まあ、心配するな。私がレリエルへ行った時と違い、今度はつい目と鼻の先の王宮にいるんだ。困った時には直ぐに訪ねてくればいい」

「そうは仰いますが……」

 いとも簡単に言うレイナートであるが、コリトモスとしては「はい、そうですか」と気楽には頷けない。
 一臣下が国王に拝謁するだけでも相当の手順を踏まなければならないのである。まして貴族とは言っても陪臣であったら拝謁すら許されないのが普通である。

「私の立場がどのようになろうともお前は私の家臣である。したがって遠慮無く王宮に参ればいい。
 お前が私を見限って出て行くのでなければ、そのことは変わらない」

「旦那様!!」

 コリトモスが今度は怒りに顔を赤くした。
 自分は当のレイナートに悪行を振る舞ったドリニッチ子爵の家臣であった。それをレイナートに拾われ一時は平民の立場に落とされはしたものの、今では昔のように男爵位を賜り要職にも就かせてもらっている。なのにレイナートを見限って出て行くなど絶対にあり得ない。己はそこまで厚顔無恥でも恩知らずでもない。

 レイナートもコリトモスの表情からそれが読み取れて謝罪を口にした。

「済まぬ、言葉が過ぎた……。
 だが、とにかく心配は要らぬ。オイリエも含め、お前達の手腕には満足している。だから安心して任せられる」

「旦那様……」

 コリトモスが複雑な表情をしていた。


 そこでレイナートはようやくエレノアに向き直った。

「ところでエレノア……」

「はい。何でしょうか?」

「お前と私のことについてだが……」

「はい、それなら大丈夫、ご安心下さい。決して貴方の迷惑になるようなことはありませんから……」

 レイナートの一連の言葉から、即位するレイナートの足手まといになってはならない。だから身を引こうと心に決めたエレノアである。王となるレイナートの正妻となるなどというだいそれた考えはエレノアにはなかったのである。まして愛人・側室を認めぬイステラ。それなのに王が外国の平民を愛妾にしているなど許されないことである。したがってリンデンマルス公爵家に残るか否かは別として、レイナートと別れる覚悟をしたのである。

「そうか、なら良かった……」

 だがエレノアの思いに全く気づいていないレイナートは安堵の言葉を漏らした。全く逆に捉えていたのである。

「レイナート様!!」

「旦那様!?」

 レックとアニスを抱いたイェーシャが相次いで非難の声を上げた。それに不得要領のレイナート。

「何か?」

「何かじゃないですよ! 何ですかそれは!?」

「何ですかって何がだ?」

 食って掛かるレックにレイナートは未だ訳がわかっていない。

「何がじゃねえですよ! 散々待たせた挙句、いざとなったらあっさり捨てるんですか!?」

「あっさり捨てる? 何のことだ?」

「エレノア様のことですよ!」

「おい、レック! 馬鹿なことを言うな! 何で私がエレノアを捨てるんだ?」

「何でって、今の会話じゃそうでしょうが!?」

「どこが!?」

「全部です!!」

「もういい、レック。私はとにかくレイナート様の邪魔にさえならなければ……」

 エレノアが口を挟んだ。そこでレイナートが訝しむ。

「皆一体何を言ってるんだ? どうしてエレノアが邪魔なんだ? 彼女は私の妻だぞ? イステラでの手続きも直ぐに済むはずだし……」

「手続きって?」

 怪訝な顔でエレノアが尋ねた。それを受けてレイナートが言う。

「そのことだが、私は玉座に就く条件としてエレノアとアニスのことを持ち出した。エレノアを正妻と認め、アニスを私の正式な子と認めよ、と……。
 それが認められないのなら即位の話はなしだと言ったのだ」

「ええと、それは……?」

 エレノアの顔に不安が広がる。もしやとんでもないことをレイナートは言い出すのではないかと心配になったのである。そうしてその予想は当たってしまった。

「つまり私が即位すればエレノアは王妃となりアニスは王女となる。それが認められないというのなら一切はご破算だということだ」

 レイナートの言葉にエレノアの顔が引き攣《つ》る。

「何を言ってるのレイナート? 私が王妃? 悪い冗談は……」

「冗談? おいおい、私は大真面目だぞ? やっとの思いでイステラに帰ってきたのもお前に……、いや、お前達に会いたかったからだ。
 そうして帰ってきてみれば、なし崩し的に即位することになってしまった。だが私の結婚については、この一点だけは決して譲れないから、これを認めてもらえない限り即位は受け入れられない。そうドリアン大公に申し上げたのだ」

「そんなのって……。だってあり得ないでしょう! 私は外国の平民ですよ!?」

「バカを言うな! 君はイステラの貴族シャッセ男爵だろう? 誰に遠慮がいるんだ!?」

「それだって身分が違いすぎます!」

「今までは確かにそうだった。だが今は非常時。そのような古い伝統だの常識に縛られていてはならん時だと思う」

「レイナート……」

「頼む、エレノア、わかってくれ。今回のあの大災害は私が引き起こしたこと。そこからの復興には誰よりも私に責任がある。だから即位を飲む気になったのだ。王として出来る限りのことをする。一貴族では出来ぬことも王ならば出来る。そう思ったからだ。
 そうしてそのためには誰よりも君の協力が必要なんだ。だから王妃として私を支えて欲しい」

「でも私には王妃なんて無理です! 社交とか儀礼とか全然疎いし……」

「そんなことなんてどうでもいいさ。今この国に一番必要なことは一日も早い復興、国民の全てが元の生活に戻れることだ。呑気にダンスをしたり、飲み食いしながら談笑して腹の探り合いなんかをしている時じゃない」

「それはそうでしょうけど……」

「エレノア、もしかして……私の妻になることに何か問題とか抵抗があるのか?」

「ある訳無いでしょう!! と言うか、私は既に貴方の妻です!」

「だろう? ただリンデンマルス公爵夫人から王妃に変わるだけだ……」

「変わるだけって……それが問題なんです!」

「そうか……。そうまで言うなら今からでも断るか……。ただその方が働けると思ったまでのこと。別に王になどなりたい訳ではない……」

 レイナートが呟くように言うとエレノアは顔色を変えた。

「いいえ! 貴方に王になるなと言っているのではありません!」

 レイナート不在の間、王都屋敷にあって無事の出産だけを心掛けていたエレノア。そうしてアニスを産んだ矢先に起こった巨大地震。エレノアやアニス、イェーシャらは屋外にいたから無事だったものの、邸内では崩れた天井や壁に命を落とした者や怪我人も出た。
 エレノアはレイナートの妻として陣頭指揮に当たり屋敷内の瓦礫の撤去、怪我人の救出を行わせた。これには自らの警護に携わったレリエル兵達も加わったのである。
 彼女らにすればエレノアは君主と抱く女王シャスターニスの内縁の夫の第一夫人である。命令系統云々色々あるが非常時でもあってその指示に従ったのである。

 そうして地震が収まり国から矢継ぎ早に寄せられた問い合わせ。被害状況の確認はもちろん支援物資の供出に関する要請。これらに対応しつつ領地へも連絡を取り指示を出した。
 さらに家臣らが帰国してからはこれに命じて領地の安定とともに供出品の準備もさせ、まさにリンデンマルス公爵夫人として八面六臂の働きをしたエレノアである。
 当然イステラの状況も理解しているから、直ちに強力な指導力を発揮出来る王の即位が必要なのはわかっているし、レイナートがそれに相応しいとも思っている。だが自分が王妃になるというのは話が違う、無理だと思うのである。

「ではエレノアはどうしたいのだ? リンデンマルス公爵夫人として屋敷に留まり、私一人に王宮暮らしをしろと? そんな寂しいを暮らしを強いるのか? まさか私は屋敷から通うという訳にはいかないぞ?」

「ええ、わかってます! でも……」

「王妃になどなれないという気持ちはわかる。しかし納得してもらえないか? こういう言い方は何だが、今のこの状況下であるから君との結婚を周囲に認めさせ易い。
 レリエルで挙式したとはいえ、いまだイステラでは正式な手続きが済んでいない。このままではお前は側室でアニスは側室の子ということになってしまう。
 もちろん王になれば色々と変えることは出来るだろう。だが今はそんなことよりもまず復興が最優先だ。私事を優先するような真似は出来ない。
 それに即位したら出来る限り国内を回り復興の陣頭指揮を取るつもりでいる。アニスがまだ小さいから無理はさせられないが、のんびり馬車での行幸をするつもりはない」

 レイナートはエレノアに納得してもらおうと言葉を尽くす。

「それに私には誰よりも君が必要なんだ。その君が直ぐに手の届く側にいてくれないと困る……」

「レイナート……」

 ここに至ってようやくエレノアも覚悟を決めた。

「わかりました、仰る通りにします」

「ありがとう」

 そう言うとエレノアを抱き寄せるレイナート。周囲には使用人始めレックもイェーシャもいる。だが二人はお構いなしに唇を重ね合う。
 周囲が目のやり場に困るのもなんのその。こうしてレイナートの即位に向けてリンデンマルス公爵家においても本格的に動き始めることになったのである。


 だが実のところレイナートは心中複雑であった。これではまるで自分が即位したいからあの大地震を起こしたようにしか見えないと思ったからである。
 そもそもあの大地震は何故起きたのか?  それはまさしくレイナートとライトネル王子、否、「魔」との戦いによって引き起こされたことであるのは間違いない。
 古イシュテリアの聖剣。それを持つ者として「魔」と戦うには己の剣に掛けられていた封印を解く必要があるだろう。その思いからレリエルを訪れたことから一連の出来事は始まった。
 人の心の闇に巣食い、悪事をするに躊躇うことをなくさせる「魔」というものをレイナートは許せなかった。そうして運命のイタズラかはたまた仕組まれていたことなのか。いずれにせよレイナートは戦い、そうして多くを破壊し傷つけてしまったのである。破邪が最後の力を振り絞りレイナートを復活させたが、レイナート自身は生への執着はなかった。それよりも己のしでかした所業に慄き、深く心を傷めたのである。
 だがレイナートは生を取り戻した。ならば己の為すべきを為さねばならない。したがってレイナートが王位を継ぐ気になったのも、単に他に人がいないからという理由ではない。己の犯した罪を贖う。その気持が強かったのである。
 そこにはかつて砂漠で出遭った魔導師の言葉も作用している。

―― 二つの血を併せ持つ者が現れその剣を手にした時、世は乱れ破壊が始まると言われておる。そうしてこの世の全てではないが破壊され新たに建設される。その引き金となるのが、聖剣『破邪の剣』を持つ者……。

 この言葉が事実なら、あの大地震も起こるべくして起きたということなのかもしれない。だがそれで己を正当化することはレイナートには出来なかった。 己のしたことは決して許されるものではない。その思いが強かったのである。
 多くの人々のために己の生ある限り働こう、破邪が自分を生き返らせたのもそれが理由だろう。そう考えたレイナートであって、それが即位を受け入れた最大の理由であった。
 レイナートはビューデトニアの城から復活した時以来、重い十字架を背負っていたのである。


 さて理由はともかく、こうなると屋敷内が急遽慌ただしくなったのは当然である。
 まずはレイナートの帰国を領地に知らさなければならない。現状では逓信士を頼むことも出来ないから誰かに書状を届けさせねばならぬ。ところが使用人には馬に乗れる者がいない。冬期学校では教えられず、夏はそれぞれ家業を手伝うかそのまま城勤めである。その間乗馬を覚えることがないのである。せいぜい扱えるのは荷馬車。だがそれでは時間が掛り過ぎるし、城外の大濠は馬はかろうじて渡れるものの馬車では艀に載らないので不可である。
 そこでレイナートは領地までの使いをレックに命じた。レイナートの従者として欠くこと能わざるレックであるが他に人がいないから仕方がなかった。
 だがこれは使用人達にとって大きな負担となったのである。何せレイナートのことを一番良くわかっているレックがいなのである。それは何かにつけて後手を踏む事になる。サイラ直伝のマリッセアでさえ時には顔を青くし、冷や汗を流しながら全力疾走させられる。
 この点レイナートはどうも家臣や使用人に甘えているきらいがある。
 これが他家の者であればそれなりに気を使うくせに、自家の者だと斟酌しない。
 自分は人々のために働く。これはいい。だが、他家の使用人と自家の使用人と何が違うのか? そう聞かれたらレイナートに答える術はない。それはあまりに不公平な扱いに過ぎるだろ


 これに苦言を呈したのがエレノアである。

「レイナート様、よろしいでしょうか?」

「何だい、改まって?」

 レイナートは至極呑気に答えた。相手がエレノアであるということは想像に難くない。
 だがエレノアの口調は決して優しくもなければ甘いものでもなかった。

「レイナート様、貴方は使用人を奴隷だとお考えですか?」

 それを聞いてレイナートの額に一瞬にして青筋が立つ。

「いくらなんでも、言っていいことと悪いことがあるぞ!」

「では、ならば何故、使用人達を酷使なされるのですか? 置き去りにして全てをご自分でなされるのですか?」

「いや、それは……」

 かつて祖父のユーディンから指摘されていたことがちっとも直っていないレイナートである。

「自分一人でさっさと動いて、遅れてくる使用人を苛むためですか?」

「そんなことはない!」

「では何故、お一人で動かれるのですか?」

「うっ……、それは……」

「考えなしの行動ですか? ならば私の夫は深く考えることなしに動き出す粗忽者なのですか?」

「エレノア!」

「腹が立ちますか? ならば私を手打ちになさるがいい。貴方の手にかかるのなら本望です。何も言いません。
 ですがレイナート、貴方は王になるのです。何時迄も一貴族のままでいていいはずがありません」

「そんなことはわかっている……」

「ならば、もっと周囲に気をお配りなさいませ……」

「わかったよ……」

「本当にわかっているのですか? 前から少しも改まっていませんよ?」

「わかったと言っているだろう!」

「わかりました。そう仰るのなら結構です。しっかりと見届けさせていただきますから」

 臆することなくそう言うエレノアである。
 レイナート不在の間、家を取り仕切ってきた自信からか、それとも知らず知らずサイラの影響を受けていたのか。いずれにせよその態度は堂々とした風格を備えていたのである。


 そうしてエレノアは使用人達を集めてこうも言ったのである。

「もし、レイナート様が一人でお動きになられたら直ぐに私に知らせなさい。後でタップリとお小言を聞かせてあげますから」


 平民であれ貴族であれ、各家において影の支配者はその家の当主夫人、という動かしがたい事実はリンデンマルス公爵家においても同様であったのである。

inserted by FC2 system