イステラに戻ったその日に即位することが半ば決まってしまったレイナートであるが、現実にはそう簡単な話ではない。
もちろんイステラにも王位の継承に関しての決まりがあるから、本来はそれに従い粛々と進めればよいはずだが、現在のような状況は全くの想定外であった。
国王が親征中に行方不明もしくは戦死するということもあり得ないことではない。
だがその跡を継ぐべき皇太子が不予でその任を全うし得ないというのは本来ならあり得ない。そうなった時点で廃太子され代わりの者が立太子するからである。
まして、それ以外に王位を継承出来る資格のある者が、かたや六十を過ぎた片足の老人でその任に堪え得ず、もう一人は本来貴族にもなれなかったはずの庶子という状況をイステラの国内法は想定していなかった。したがってレイナートに即位を打診、というか強制したドリアン大公も国内貴族に対する説得工作をしなければならないことは自覚していた。
「少々軽率に過ぎたかの?」
「いえ、閣下の決断は何も間違ってはいないと愚考しますが」
ドリアン大公のボヤキにも似た述懐にシュラーヴィ侯爵が異を唱えた。
「閣下が即位なされないとなれば、他に王位継承権を持つ人物はリンデンマルス公爵ただお一人。となれば何もおかしなことではありますまい?」
「そうは申すが、よくよく考えて見ればリンデンマルス公爵、いやさ、あの者は本来であれば貴族にすらなれなかったはず。それ故我らは陛下の願いを叶えるべく、早くにわかっていたリンデンマルス公爵家の窮状を見過ごし、色々と画策してあの者に継がせたのだ……。
そう言えばロムロシウス、お前はあの時色々と口を挟んでおったの?」
ドリアン大公はシュピトゥルス男爵に目を向けた。男爵がおどけてみせた。
「これは古いことをよく覚えておいでですな?」
「貴様、儂が耄碌したとでも?」
「いえいえ、とんでもござらん!」
シュピトゥルス男爵は慌てて首を振る。
「まあ、よいわ……。
それよりもリンデンマルス公爵の即位を実現すべく貴族共を説得せねばならんな」
ドリアン大公の言葉にシュラーヴィ侯爵が頷いた。
「御意。まあ、各大臣はもう納得してますから、あとは各領地に引っ込んでいる者達ですな」
「いかにも……。とは言え総登城を命じ全貴族に諮るというのは現状では無理であろう。大体シュズリエリ男爵家やドストレスト子爵家などは当主が四歳に三歳。来たところで話にもならんだろう。
となると書状を送るか……」
ドリアン大公が思案顔になる。
「ですがそれで納得しますかな? 『このような大事を手紙で済ますのか!』と言い出す輩は必ずやおりましょう。第一、逓信士がそれほど残っておりませんぞ」
シュピトゥルス男爵が懸念を口にする。
「と言うが全貴族に登城を命ずるにしても使いは送らねばならん。それに全員が集まるのにどれほど掛かるやら」
「ええ、そこが問題ですな。ですからこうしてはいかがでしょうか?」
シュラーヴィ侯爵が提案した。
「当主の急逝に伴い、急ぎ惣領を元服させ家督を継がせた家の新当主は皆十三にも満たない者達ばかり。これには書状でリンデンマルス公爵の即位決定を通知する。要するに国の決定だから文句を言うな、ということです。
そうしてその他の貴族に関しては即位決定の通知とそれに対する異議の申し立てを一応認める。但しリンデンマルス公爵の即位に反対する場合は、当主本人が登城し直接我々の前で適任と思われる代わりの人物を推挙せよ、とするのです。もちろん国の決定に反対を表明する以上、相当の覚悟を以って臨め、と釘は刺します」
「脅しを掛けるのか?」
「ええ。今は悠長なことを言っておれる場合ではありません。一刻も早い国家再建が必要なのです。それに対し国はリンデンマルス公爵を資格・人物の両面から適任と判断した。にも関わらず反対するなら武力を背景にしてでも意見を言え、ということです。それならばその意見に耳を傾けるぞ、と……」
「これはこれはシュラーヴィ閣下とも思えん強硬な策ですな?」
その沈着冷静・堅実な用兵術で知られるかつての上官に対し、シュピトゥルス男爵が驚きの声を上げた。
「そうは言うがロムロシウス、私は宰相に内務大臣を兼任しているのだぞ? とにかく一刻も早い王の即位がなされんとこちらが潰されてしまうわ!
それにリンデンマルス公爵殿下はあの傾いた家の再生にも成功しているし、今では逆に国がその支援物資を当てにしているほどだ。これより相応しい人物を私は他に思いつかない」
シュラーヴィ侯爵は真顔でそう言ったのである。
「確かにそうじゃな。アレンデル殿のたっての願いを聞き入れ、我らもあの子供のリンデンマルス公爵家相続を画策した。だが反面どうなるものかと心配であったのも事実。それをあの子供は随分と気概を見せたものよ。庶子というのは確かに我が国では汚点ではあるが、王家の血筋であることには変わりはない。
となればコウレルロスの言う通り、あの子供は資格・人物に問題はないのだ。だとすれば国が正々堂々、貴族らを従わせればよいのだ」
ドリアン大公はそのように述べ、シュラーヴィ侯爵の案を採用したのである。
こうして王宮内で重臣達がレイナート即位の基礎固めに取り掛かった一方、レイナートの命を受けて領地へと向かったレック。馬に悪態を吐いている。
「なんでぇ! もうへたばったのか? 情けねえ馬だな!」
その言葉が理解出来たのかどうかは別として馬は速度を上げた。
「出来るんなら最初からそうしやがれ!」
逸る気持ちから手綱を取る手に力が入ったレックである。
いくら自慢のとは言えレックの脚は馬の速度には及ばない。だが馬は何時迄も全速では走れない。一方のレックは速度はともかく馬よりも長い時間走り続けられる。結局馬に乗った方が早いのか、それとも自分の脚で走ったほうが良かったのか。結局は試してみないことには正確なことはわからなかったろうが、レックは馬上ひたすら領地を目指していた。
レイナートはレックに覚え書き程度の羊皮紙の紙片をもたせた。そこには領地での指示を書き綴ってある。のんびりと推敲しつつ長々とした触書など書いているヒマはなかったからである。
そこには
・自分が無事にイステラに帰国したこと
・イステラ王に即位することになったこと
・それを踏まえクレリオル、ギャヌース、アロン、エネシエル、キャニアンは妻子を伴い、ヴェーアはネイリを連れ、直ちに王都屋敷に登ること
・ゴストンはキャニアン、ヴェーアの後任の代官を選出し、オイリエ、各支城留守居役、郡長らと共に領地経営に専心すべきこと
・サイラには別途、新たな役目を仰せ付けるによって、侍女総取締の役を現在イーデルシアの屋敷の管理を任せているライリエリに引き継ぎ、その後出来るだけ早く王都屋敷に登ること。その際ナーキアスがその供をすること
ということが書き記されていた。
そうして息も絶え絶えになりながらシャトリュニエの街に到達したレック、大急ぎで代官所に駆け込んだ。
「どうした、レック? 何事だ?」
「レ、レイナート様が!」
そう言って懐からレイナートの書いた紙片を取り出して代官のキャニアンに手渡した。
一読して目を見開き、レックに詰め寄るキャニアンである。
「何だと!! これは本当か!? 本当に殿下がお戻りになったのか!?」
「ああ、本当でさぁ! 髪は真っ白になっちまってやしたが、本物のレイナート様でさぁ!」
「そうか!! よしすぐに準備だ!」
「あっしはこれから各お城へ……」
「待て! 一人で回ったいたら時間が無駄だ。
おい、誰かある!」
キャニアンは大声で部下を呼びつけ、大急ぎでレイナートの指示書きの複製を作らせた。
「良いかお前達? 主城のクレリオル、各支城の城代達、代官に確実に届けよ! 馬に乗れる者は馬を使え! 乗れぬ者は二頭立ての馬車を全速で走らせよ! 男を上げよ、よいか!」
キャニアンはそう激励して代官所に勤める若者達を送り出したのである。
そうして自らは妻のシェスナに命じ王都へ登る準備をさせた。二人目の子、女児のセネーレはまだ幼い。これに気を遣ってやらねばならないが、さりとてレイナートの召し出しにのんびりと時間を懸けて応えるなど臣下としての矜持が許さぬ。強面なキャニアンがいっそう険しい顔で準備を急がせたのである。
これはキャニアンの作らせた複写を受け取った他の家臣らも同様である。
「殿下が!」
「まさか、本当か!」
口々に叫びながら使いに現れたキャニアンの部下に迫る。その半ば殺気立った形相におののきながらも、使いの者達はレックの下向を報告したのである。
城代、代官らは矢継ぎ早に指示を飛ばした。すると郡長らは村長にその命令を伝える。村長らは村民に、となって結局レイナートの帰国・即位は忽ち全領民の知るところとなった。
こうなるとリンデンマルス公爵領は天地をひっくり返したような大騒ぎになった。
長らく不在、最後には行方不明にまでなってしまったご領主様が王都に生還されていた。しかも今度は即位されて王様になる! びっくり仰天の知らせであったからである。
そうしてレックはその喧騒の中、主城カリエンセス城に赴いた。そこでサイラに会い別の指示を伝えるためである。
「して、旦那様の他の御用というのはなんでございましょうか?」
レックも元は平民だが、現在は一代限りとはいえ爵位を持つ貴族である。レックに対するサイラの言葉遣いは、しっかりと身分の差を意識した随分と硬いものである。
だが相変わらずの鉄壁の無表情は、それでもレイナートの帰国の報に幾分明るく見えた。
「そいつなんだが、レイナート様が仰るには、王宮内も被害が多くて人手不足が深刻らしい。
そこで屋敷の侍女を何人か王宮でお使いなさるおつもりらしい。その人選をして欲しいってことなんだが……」
そこでサイラの顔がキョトンとしたものになった。
「何でございますって? あの、もう一度お聞かせ願えますでしょうか?」
目をパチクリさせながらサイラが言う。
「いや、だから侍女の何人かを王宮で……」
そこでレックは、サイラの顔が見る見る驚きに満ちるのを見て言葉が出なくなってしまった。それは未だかつて見たこともないほどのサイラの表情の変化だったのである。
「あ、あ、あ、ありえません! た、確かに手塩にかけた娘達ですが、お、王宮でなど……」
サイラの狼狽は目を覆わんばかりであった。
「?」
どうしてこんなに、と今度はレックが驚きの表情でサイラを見つめる。
だがサイラにしてみれば無理もなかったのである。
厳しい中にも相手に対する愛情を以って侍女の育成に努めてきたサイラである。だが自分が育てた娘らは所詮は領民の娘。すなわち平民なのである。
やはりアロンやギャヌース、エネシエルに従って生国から派遣された侍女らとは生まれも育ちも違う。よって生来身についているものが違うのである。ましてギャヌースに仕えるエベンス出身の者達は、サイラですらものが言えなくなるほど洗練された動きを見せる。それに比べたら自分の育てた娘らはどうしても田舎臭さが拭えない。
それでもレイナートの、リンデンマルス公爵家の領民であるから一応の言い訳がたつし、レイナートも細かい失敗を一々咎め立てたりはしないから大きな問題は起きていない。
だが王宮勤めとなるとそういう訳にはいかない。
いくら王宮が人手不足とは言っても専属の侍従や女官の全てがいなくなった訳ではあるまい。となれば田舎娘が彼ら彼女らとともに働くのである。しかもレイナートが玉座に就けば、ちょっとの失敗でも場合によっては「不敬罪」として処断されかねない。いくらレイナートが鷹揚でも他への手前、今までよりも厳格に処罰しなければならなくなるだろうことは目に見えている。
そんなところに大事な娘達を行かせることなど出来ないと思うのである。
これが虚栄に満ちた女であれば、「自分の育てた者が王宮勤め? なんと名誉な!」と小躍りするところであろうが、サイラは他人に厳しい以上に己に厳しい。
侍女達を要らぬ苦しみに放り込むことなど天地がひっくり返っても許せることではないのである。
「こればかりはいくら旦那様のご命令であっても聞くことは出来ませぬ!」
「いや、だって、サイラ……」
今度はレックが狼狽した。
レイナートに対し厳しいことは言っても、その命を拒否したことなどないサイラがそういうことを言い出したのである。レックも子供の使いではあるまいし、「無理でした」と言ってレイナートの元に帰ることは出来ない。
「そんなこと言ったって、じゃあどうするんだよ? お前さん一人じゃあ、レイナート様のお世話なんて出来ないだろうし……」
「わたくし? わたくし一人、とはどういうことでございましょうか?」
ここへ来てサイラが急速に冷静さを取り戻した。その顔が無表情に変わったのである。
「どういうことって、お前さんはレイナート様の女官長になるらしいぜ?」
「わたくしがでございますか? またとんだお戯れを……」
「お戯れも何も……、エレノア様は王妃になりなさるし、アニス様もいらっしゃる。奥向きの女官長はサイラ以外にはありえないって、レインサート様が……」
「あり得ません!!!!」
突然サイラが目を吊り上げて城中に響き渡る、というと大袈裟だが、大声を上げて絶叫したのであった。
その頃レイナートはエレノアを相手に即位後のことについて話をしていた。
「……なんでも『敵を知り己を知れば百戦危うからず』とか。
レリエルにおいてもアガスタの侵攻があった時は、敵の戦力・狙いを正確に読み取り対策を立て応戦していました」
「そうか、やはりそうだろうな。まずは状況を正確に把握し、それによって対策を講じる。それしかないだろうな」
「ええ、そうだと思います」
「だがそれをどうやって行うかだ。とにかく各省に人が足りないそうだ。それ故、結局、大局的な見地から判断を下すことも出来ず、行き当たりばったりのことしか出来ていないらしい」
「人手不足ですか……。ご領地もそれで随分と苦しみましたからね」
「そうなんだ。だがこれはイステラ全域でのことだから各貴族家から人を集めるということも出来かねる。全くどうしたもんだか……」
「そうでしょうね。各省で働くとなるとそれなりに家柄も要求されるでしょうし、今のこの状況ではどこも男子を手放さないでしょうし……」
「そうだな……、待てよ! 何も男でなくても、貴族でなくてもいいんじゃないか?
もともと各省の官吏が全て爵位を持っている訳ではないんだし、とにかく非常時だ。能力があって同じだけの仕事が出来るのであれば女性であっても構わないはずだ。そうじゃないか?」
「えっ? ええ、そうは思いますけど……。さすがにそれは……」
さすがにエレノアもレイナートの意見には直ぐには首肯しかねた。それほどレイナートの考えはこの当時の常識からは掛け離れていたのである。
だがレイナートのこの常識外れというか、古い因習に囚われない考え方こそがイステラ再生の鍵となったのである。
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