聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

序章

第5話 御大登場

 レイナートの命によって馳せ参じてきた家臣達。その中で最も早かったのはアロン夫妻とエネシエル夫妻である。やはりエネシエルとネーリアの兄妹は誰よりもレイナートに対する恩義を感じている。そのためからである。

 そうして彼らはフォスタニア館でレイナートを見た瞬間喜んだのも束の間、一様に絶句した。それはレイナートのかつての赤みがかった金髪は見る影もなく、白とも銀とも言えない色に変わっていたからである。

「殿下……」

 アロンもエネシエルも跪き、無言のまま頭を垂れていた。レイナートの帰還を心底喜んだと同時に、自分達は無傷で戻ったにもかかわらずレイナートは変わった姿になっていたからである。

 だがレイナートは自らの前で肩を落としている者達に優しい言葉を掛けた。

「お前達が何も気にすることはない。私はこうして無事に帰ってきた。それで十分ではないか?」

「しかし……」

 ビューデトニア城地下での攻防戦。あの時もっと働けたら、戦えていたら。そうであったなら。そう思わずにはいられなかったエネシエルとアロンである。

「過去のことは悔やんでも始まらない。それよりはこれからのことだ」

 レイナートは言う。

「私自身、今回の被害の引き金は己であるということに恐れ慄き、我が身を許せない気持ちで押しつぶされそうになることもある。だがそこで逃げてはならない、負けてはならない、そう思って私は帰ってきたのだ。己の手で壊してしまったものは、己の手で作り直したい。そう思ったからだ。
 そうしてそれには皆の協力が必要だ。ぜひとも私にまた力を貸してほしい」

「もちろんです」

「ああ、当然だ」

 そこでようやくエネシエルもアロンも顔をあげた。

「如何にでも仰せの通りに働きます」

「何でもやるさ、決まってるだろう?」

「うむ、頼むぞ」

 そう頷いてレイナートは背後に控えるアニエッタとネーリアにも声をかける。

「貴女達にもご苦労はかけますが、ぜひともよろしくお願いしたい」

「畏まりてございます」

 アニエッタもネーリアも声を揃えて返事をする。

「ところで他の者は? まだ時間がかかりそうか?」

 レイナートは再びアロンらに問う。

「いや、もうおっつけ来るだろう。クレリオルんとこが少々もめたがね」

 アロンが答えた。

「もめた? 何故?」

「なあに奴さんの女房が、殿下が即位するってことにビビっちまったらしい」

「私の即位に? 何故アメンデ殿が? 別に怯えることでもなかろう?」

 レイナートが訝しむ。だがそこでアニエッタが、お畏れながらと口を挟んだ。

「アメンデ様は元からの貴族ではいらっしゃいませんので……。レイナート様が即位されると聞いてどのようにお相手すればいいのか不安なのだと思います」

 アニエッタはそう言う。日頃の付き合いから、アメンデの気持ちは多少なりともわかっているつもりのアニエッタである。

 そこでレックが同意の言葉を口にした。

「それはそうでしょうや。だってあっしはレイナート様に子供の頃からくっついてるから気にはしやせんけど、それでもいきなり身近な人が王様になるって聞いたら、大抵の人間は肝をつぶして普通じゃいられやせんよ」

 皆にレイナートの命を告げる使いの後、一人さっさと帰ってきたレックである。

「だがお前、それはそれでスゴイな!」

 アロンが目を丸くしている。

「お前から『殿下が即位することになった』って聞いた時、オレでさえもかなり驚いたぜ?」

「そうだ。殿下が戻られたって聞いただけでも驚きだったのに、即位されると聞いてどれほど唖然としたことか」

 エネシエルも頷いている。
 だがレックは平然と言った。

「だってレイナート様ですよ? 何が起きても不思議じゃねえでしょう?」

 それを聞いてレイナートが憮然とした。

「どういう意味だ、レック? また私をバケモノか何かみたいに言うのか?」

「違いやすよ。そこまでは言いやせんよ……」

「じゃあ何だ?」

「だってあっしはレイナート様の側で、一番レイナート様の変化を目の当たりにしてきたんだから、もう何が起きてもちっとばっかのことじゃあ驚きやせん」

「おいおい、即位して王となられることが少しばかりのことか?」

 エネシエルが呆れた。

「だってたかだかイステラ一国の王様ですよ? あっしが驚くとしたらレイナート様が大陸全部の王様になる時くらいですぜ」

「おいレック、たかが一国とはいくらなんでも口が過ぎるぞ? それはありえない物言いだぞ?」

 レイナートも呆れた。だが、後にそれが実現することになろうとは、この時、この場にいる誰もが想像もしていないことであった。


 その後、日を置かずして家臣らが続々と王都屋敷に集まってきた。一様にレイナートの無事の帰還を喜び、と同時にその変わった髪の色に驚いき言葉を失った。だがレイナートはアロンやエネシエルに対応したのと同じように言い、皆の気持ちをこれからのことに向けさせたのであった。

 そうして一番最後に王都屋敷に現れたのがクレリオル夫妻である。
 クレリオルとしては自分が一番先に到着すべきなのにと、忸怩たる思いでレイナートに頭を下げた。

「もう、そう気にするな、クレリオル。いつまでも引きずることはない」

「ですが……」

「それよりアメンデ殿、よくぞ来て下さいました」

 レイナートに言われてアメンデは身体が震えている。

「こ、国王陛下の、ご、ご尊顔を排し……」

 緊張しまくりのアメンデ、かなり変なことを口走る。

「いや、アメンデ殿、それは少し気が早過ぎる……」

 レイナートが苦笑した。だがクレリオルは顔を真赤にしてアメンデを咎めた。

「バカモノ! 何が、ご尊顔を排し、だ! ご尊顔を拝し、だろう!」

「も、申し訳ございません!」

 アメンデが余計に萎縮した。それをレイナートが気遣った。

「いや、いいから。さして気にすることではないさ。それよりアメンデ殿、無理につくろう必要はありませんよ。私だって半分は平民の血だ。だからそう構える必要はない……」

「ですが……」

 クレリオルが言う。

「それでは家中の秩序が……」

「まあ、そう気にすることはない。私に言わせれば身分が何ほどのことがある」

「殿下!」

「人は要は人物だ。どれほどの身分を持っていようと、人として尊敬するに値しない人物などそれこそ話にならん」

 レイナートが言う。

「とはいえ、他人の前でそういうことを言うと危険な思想の持ち主と言われかねないのも事実。だからまあ、皆もそのことだけ気をつけてくれればいい」

 そう言ってその場は打ち切ったレイナートである。


 ところで、ヴェーアがネイリを伴って現れた時、レイナートはヴェーアに確認した。

「ところでヴェーア、ネイリにはもう伝えたのか?」

「いえ、それが、まだ……」

 身体の大きなヴェーアが身を小さくして答えた。その後ろに控えるネイリには顔に明らかに「?」という表情が浮かんでいる。

「どうした? 何か問題でも? ああ、そうか! サイラか?」

 レイナートが気づいた。

「はい……。でも殿下もお戻りになられていなかったので……」

 自分らは帰還を済ませたとはいえ、レイナートが戻ってきていなかったし、しかも生死不明であった。レイナートは必ず帰ってくる。そうエレノアは言っていたし自分らもそれを信じて疑わなかった。だが、だからといって私事を優先する気にはとてもなれなかったし、それを許す領地の状況でもなかった。

「そうか……。ならば私も戻ったから安心して進めればいいとは思うが、こればかりはな……」

 レイナートにしてみれば結婚は本人同士の気持ち次第と思わぬでもない。
 だが身分社会において、身分違いは本来結婚出来ぬし恋愛もご法度である。しかしながら父王が死に国も混乱している現在、諸貴族の間でも家督相続などでかなりの慣例破りが増えている。だがそれを厳しく咎めるとイステラの社会そのものが今以上に混乱する可能性が高い。それ故摂政であるドリアン大公も宰相兼内務大臣のシュラーヴィ侯爵もあえてそこには目をつぶっているということがある。
 ただ、そういった身分のこともだが、ネイリはサイラが預かりまるで我が子のように側に置いて仕込んでいる。そのサイラの了解を得ずして好き勝手にさせるというのはレイナートもどうにも気が引けた。

「まあ、数日のうちにサイラも登ってくるようだから、その時に話をすればいいだろう」

 そう言ったレイナートである。


 さて、そのサイラがいよいよ到着という先触れがあった時、レイナートは侍女らを集めて言った。

「ようやくサイラが来る。サイラが来た後はしばらく今後のことで打ち合わせをし、人の移動があるやもしれん。そのことは含んでおいてくれ」

 レイナートの言葉に侍女達の顔に緊張が走った。
 確かに今の自分達があるのはサイラのお陰、そうは思っているものの、やはりあの怖い鉄壁の無表情が来るとなると緊張せざるを得なくなるからであった。
 それは先代の頃から育てられていた王都屋敷侍女頭のマリッセアでさえそうなのだから他の若い侍女たちは輪を掛けてであったのは当然である。

 そのサイラがナーキアスとともにフォスタニア館に到着した時、馬車の音を聞きつけてレイナートが玄関に姿を表した。
 そうしてナーキアスと言葉を交わし、サイラにも出迎えの言葉を掛けた瞬間に雷が落ちた。

「旦那様! どこの世界に使用人をそのように出迎える貴族のご当主様がいらっしゃいますか!!」

「いや、それは……」

 レイナートとしては長い不在の間のこと思って、皆へのと同じような労いを掛けたのだがそれがサイラの逆鱗に触れたようだった。

「旦那様がそのように自ら則《のり》を破られては家中の示しが付きませぬ!」

「いや、その、済まない……」

「なんと! 今度は使用人に頭まで下げられて!」

「いや、あの……」

「よろしいですか、旦那様! 使用人はご主人様に仕えその日々の暮らしを快適に過ごしていただくのが務め。そのために自ら気を回し与えられた御役目を万全にするのが本分。それに対して感謝する必要などありませぬ! どころか、例えご自分に誤りありと申されども、使用人になど謝る必要などまったくありませぬ!」

「い、いや、誤りがあればそれを指摘することはおかしくないだろう? 諫言ということで……」

 レイナートは抵抗を試みた。言われっ放しではさすがに面白く無い。

「いいえ!! 旦那様に誤りがございましたらそれを正すのはご家臣方のお務め。使用人のものではございませぬ!」

 サイラが凄まじい剣幕でまくし立てるのに、いつしか他の家臣とその夫人達もが集まっていた。

「旦那様! 旦那様が白と仰っしゃればそれは何色であっても白! 使用人の分際で口答えなどもってのほか!」

 そこまで言ったところでサイラがレイナートの前でようやく膝をついた。

「よって、わたくしをお手打ちなされませ」

「おい、ちょっと待て、サイラ……」

「使用人の分際で過ぎたことを申し上げました。これは使用人にあるまじき振る舞い。それ故、何卒お手打ちに……」

 そう言ってサイラが頭を差し出した。

「いや、待て、お前の言葉はもっともなことだし……。それにジジさ……、いや、ユーディン亡き後、家中において私に厳しいことを言ってくれる者もいなくなってしまった今、お前は貴重な存在なのだ。それを咎める気は私にはない」

 レイナートはそう言う。だがサイラも簡単には引かなかった。

「いいえ、人にはそれぞれ分というものがございます。わたくしはそれを超えました。ですからお手打ちに……」

「いや、絶対にそれはしない。私以外の者にもさせん! 私が許のだ、咎める理由はない!」

「しかしながら旦那様、それでは家中の秩序が……」

「構わん!」

 そこで周囲に皆が集まっていることに気づいたレイナートが周囲を見回して言った。

「皆にも申し聞かせる。
 もしも私に誤りあると思える時は、何時なりともそう申し出るように。それは家臣のみならず使用人であろうともだ。
 私は暴君になるつもりも独裁者になるつもりもない!」

「本当によろしいのですか?」

 静かにそう言って顔をあげたサイラの、鉄壁の無表情の口元に微かな笑みが浮かび、目がキラリと輝いた。

「う、うむ。構わない……」

 その表情にたじろいだレイナート、わずかに後退りしながらも言ったのである。

「私も男だ! 二言はない!」

「さようでございますか、なれば……」

 そこでサイラは居住まいを正した。

「リンデンマルス公爵家侍女総取締役サイラ・レアリルス、旦那様のお召により参上いたしました。
 旦那様の無事のご帰国に心よりお慶び申し上げ、また、ご尊顔に拝し何よりも嬉しう存じあげます」

とサイラはいけしゃあしゃあと言ってのけ、再び頭を下げたのであった。

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