聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

序章

第7話 レリエルの女達

 即位の話が出て、それを受け入れたレイナートは直ぐにレックを領地に走らせた。その後一番最初にしたことは何か?
 それは身重のエレノアと、レックとその妻でやはり身重のモーナを護衛してきたレリエル兵に謝意を表したことである。

「総員、気をつけーーっ!
 リンデンマルス公爵レイナート殿下に敬礼っ!」

 先頭のレリエル軍下士官の号令に、背後一列横隊のレリエル兵が背筋を伸ばし剣を捧げた。
 レイナートはそれを受け腰に下げたリンデンマルス公爵当主の剣を引き抜くと眼前に立てた。そうしてそれを斜め下に振り下げると鞘に戻した。

「総員、直れーーっ!」

 下士官が号令をかけ、それを受けてレリエル兵達も捧げていた剣を鞘に戻した。

「各自、楽にし給え」

「総員、休め!」

 レイナートの言葉に下士官が号令をかけ、レリエル兵が休めの姿勢を取る。
 身なりは道中、その本来の姿を誤魔化すために身につけたままのみすぼらしい端女の格好であるが、その動きだけで十分に訓練された兵士であることが見て取れる。

「ロルニィ・イェデーン曹長」

「はっ!」

 レイナートが声をかけると先頭の下士官が背筋を伸ばしたまま大声で返答した。それに頷きレイナートが続けた。

「諸君らのお陰で我妻エレノアも、私にとって掛け替えの無い男レックとそのやはり身重の妻モーナも無事に帰国出来た。私はリンデンマルス公爵として、諸君らに心より感謝する」

「勿体ないお言葉、ありがとうございます、閣下! ですが小官達はシャスターニス陛下の命を実行したまでであります! したがいまして過分なお褒めはご無用でございます!」

 ロルニィ曹長はそう声を張り上げる。

 だがそこでレイナートは苦笑した。レイナートは殿下と呼ばれているが閣下と呼ばれたことはいまだ一度もない。
 もちろん父王アレンデルの行方不明後も王室参謀長という、名前だけは大層立派だが実態は殆ど無い役職を解任された訳ではないから、閣下と呼ばれることは決しておかしいことでもない。だがイステラ貴族の誰一人としてレイナートを閣下と呼んだことなど一度もない。それはまさにレイナートがアレンデルの実子であり、王位継承権も持つリンデンマルス公爵であったからである。
 だが今ここでそれを指摘しても仕方ないだろうと思うレイナートは言葉を続けた。

「いや、諸君らの警護がなければ色々と難儀したであろうことはエレノア始め皆が口を揃えて言っている。よって諸君らに謝意を表するのは当然である」

 レイナートはそう言った。言葉遣いは形式張った硬いものだが、その端正な顔立ちにこれでもかというほどの優しさに満ちた笑みを浮かべている。

 そこでレリエル兵は一斉に顔を赤らめた。
 何せレイナートはちょっとどころかかなり「いい男」である。父親以外の男に接する機会が殆ど無いレリエルの女にしてみれば、ただでさえ男に免疫がないのに、そういう男にニッコリと微笑みかけられたのである。それはもう内心ドキドキ、心臓バクバクになってもおかしくはないだろう。

 だが当のレイナートはそれを知ってか知らずか、顔をきりりと引き締めて言葉をつなげた。

「しかしながら諸君らも承知の通り現在イステラは混乱した状況にある」

 その言葉にレリエル兵達の顔つきも真剣なものに戻った。

「また私は一介の貴族である。したがって諸君らの功に対し国を代表する者として謝することは出来ぬ。
 したがって諸君らには不満もあろうが我がリンデンマルス公爵家の勲爵士に叙し、その功に報いたいと思う」

 レイナートの言葉にレリエル兵達の顔がキョトンとなった。実は「勲爵士」なる言葉を初めて聞き意味がよくわからなかったのである。
 既に身分制度が亡くなって百数十年経つレリエルである。だがその実態や様子はわからずとも「貴族」という存在を知らない訳ではない。過去の歴史やお伽話、それらの知識からしても、貴族というのは簡単になれるものではないとも知っている。
 だが勲爵士がイステラにおいては一代限りではあっても貴族であるということを知らないがため、どうにも言われていることが理解出来ないでいたのである。

「だがこれは諸君らをつまらぬ規則に縛り付けたり、制限を与えたりするものではない。単にイステラ国内の自由通行権を得た程度に考えてほしい」

 レイナートの言葉に訳がわからないまま神妙にしているレリエル兵達であった。

 レイナート自身は身分制度をバカバカしい無用のものと思っているきらいがある。だが、だからといってそれに異を唱えて自分勝手に身分制度を無視した言動を公的にすることはしない。それでは単なる狂人であり異端者扱いしかされなくなるからである。だが逆にそれだから気安く爵位を授けるということをするところがある。その方が当人にとって便利だと思えば尚更である。

「本来であれば形式張った作法に則りそれなりのことをする必要もあるが、それは不要のことと考える。また金品の授与とも考えたが、今のイステラは混乱が激しく通貨が正しく通用しているかについても怪しいところがある。
 よって各自にマメ、麦、トウモロコシ粉をそれぞれ一袋ずつ報奨として与える。それを街で換金するなり、物々交換するなりして身の回りの必需品を得てほしい。
 以上である」

 レイナートがそう言い終わるとロルニィ曹長が号令をかけた。

「総員、気をつけ! 敬礼!」

 レリエル兵が剣を捧げ、レイナートがそれに答礼する。そうしてレイナートは再び笑顔を見せその場を去り解散となった。



 結局自分達が曲がりなりにもイステラの貴族になったということに気づかないまま、大袋に入ったマメ、麦、トウモロコシ粉を受け取り、それを小袋に分けて彼女らは早速街へと出掛けることにした。

 地震が起きる前はエレノアの気遣いで王都観光をしたが、地震以降屋敷内の怪我人の救出やら片付けやらに手を貸し、混乱の激しい状況から帰国も出来なかった。多忙となったエレノアも他のことに気が回らなくなり、モーナも出産したばかりで気を煩わせるようなことは控えねばならなかったのである。したがって何とはなしに日を過ごしていた彼女らであったから、自由に街歩きが出来るとなって喜んだのである。

 見るもの聞くもの触れるもの、その全てが違う北国イステラ。訓練された兵士とはいえ、そこはうら若き乙女達である。興味津々で街へと繰り出した。
 だがそこは到着したばかりの時とは違って瓦礫がいまだ散乱し、天幕を所狭しと張って暮らす人々の姿が目に飛び込んできた。その光景に彼女らは言葉を失い身を固くした。
 邸内でもあれほどの被害があったのだ。街がそのようになっていたとしてもおかしくないことに気づいても良かったはずである。なのに浮かれて出てきた自分らが恥ずかしくなってしまった。

 そんなレリエルの女達に声をかけてきた中年のイステラ女がいた。

「お前さん達は、どこのお人かね? この国の人じゃないだろ?」

 肌の色を見れば一目瞭然。白人のイステラ人と異なりレリエル人は濃い色の肌をしている。

「我らはレリエルの者じゃ」

 ロルニィ曹長が返事をした。レリエル軍で習う古イシュテリア語は相当訛りの強いものであった。

「レリエル? ああ、リンデンマルス公爵様のところの人かね?」

「よく存じておるの?」

「だって、リンデンマルス公爵様のところは色々な国のお人が集まってるって言うからね」

「なるほど……」

 ロルニィ曹長が納得する。
 ビューデトニア城崩落から、シュピトゥルス男爵率いるイステラ軍とともに帰国したアロンら家臣達とも一度は顔を合わせている。その時憎き仇敵のアガスタ人ヴェーアがいることにも驚いた彼女達である。
 そのヴェーアがエレノアの前で跪き深々と頭を下げ、レイナートを救出出来なかったことを詫びた時には唖然として言葉さえ失った。
 祖国を侵し踏みにじろうとしている敵国人がレリエルの女に頭を下げている! 
 それは溜飲を下げるに十分な光景であったが、エレノアはそのヴェーアを責めるでなく、逆に無事の帰国に労いの言葉をかけていたことには感動すら覚えたものである。

「それで何かお探しかね、お嬢さん方?」

 中年の女がレリエルの女達に尋ねた。
 中年のイステラ女の言葉に彼女らは苦笑した。確かに彼女らは未婚ではあるが、女王シャスターニスによって選ばれた優秀な兵士であり既に三十路に近い。お嬢さんと呼ばれるには自分でもいささか抵抗があった。

「あ、ああ、身の回りのものを少々欲しておる」

「そうかね。今は中々物不足で欲しいんもんが手に入るかどうか……。中には大分吹っ掛ける人もいるって言うからね……」

「なるほどの……」

「でももしお嬢さん方の手にしてるのが食べ物だったらなんとかなると思うよ。それに腰の剣は飾りじゃないんだろ?」

 異国風ながら極々普通の平民女性の装いに剣を提げているのだから、これはかなり異様な姿に見えなくもない。

「我らは兵士じゃ」

「あれま、兵隊さんかね? それは女の身で大変だねえ」

 イステラは「剣の国」と呼ばれるだけあって剣に関する規則がうるさい。にも関わらず正々堂々女の身で腰に長剣を提げて歩いているのである。中年女も何者かと思っていたがそれで納得したようだった。

「ならばお嬢さん方のために一肌脱ごうかね。ついてらっしゃいな、町を案内してあげるよ」

 そう言って女はレリエルの女達を先導して歩き始めた。



 確かに街は震災前に比べれば雑然としており、いまだ復興の兆しすら見えない。にも関わらずそこに暮らす人々には逞しさすら感じられるほどであった。
 レリエル兵を案内する女はゼーナと名乗り、かつて男鹿亭という名の宿屋で働いていたと言う。これはロルニィ曹長以下は知らぬことであったが、その男鹿亭の亡くなった女将がレイナートの実の伯母であり、したがってゼーナが彼女らのために動いているのもそれが理由なのであった。

 天幕を張って細々と商いしている店を幾つか回った後、レリエル兵の一人が屋台に目をつけた。

「何か、いい匂いがする」

 その言葉に全員が足を止めその匂いのもとを見つめた。

「ああ、あれかね。あれは腸詰めを焼いて売ってるのさ」

「腸詰め?」

「ああ、知らないかね? 細かく叩いた肉を羊の腸に詰めて燻したものさ。要するに冬場の保存食さ」

「保存食……」

「ああ、そうさ。今年は違うけど、イステラの冬は雪が多くって簡単に外が出歩けなくなっちまうのさ。だから冬になる前に腸詰めとか干し肉を一杯作っておいて春になるまで食べるんだよ」

 ゼーナが説明する。
 その説明を半ば上の空に聞きながら、レリエルの女達は肉の焼ける香ばしい匂いに引き寄せられていた。
 海に囲まれたレリエルは魚介類が豊富で、したがって肉類よりも魚介類の方が一般的な食べ物である。年中温暖なレリエルでは家畜を屠殺して肉にしても保存が難しいということもある。乾燥させる前に腐ってしまうのである。腸詰や燻製肉などは作るのに手間暇かかるし、それならば魚の方が手っ取り早いという事もあった。だから住む地域によっては肉は滅多にありつけないご馳走ということも当然ながらあったのである。

 レリエルの女達が食い入る様に見つめているのでゼーナが腸詰めを焼いている屋台の男に声を掛けた。

「ねえ、ロンザ、そいつは一本いくらだい?」

「一本五百イラだ」

 ロンザと呼ばれた男は無愛想に言った。

「何だって! いくらなんでもそいつはボッタクリじゃないか!」

「何言ってやがる。腸詰めなんて今じゃとんでもねえ貴重品だ。そんだけ貰わなきゃ売れねえよ!」

 震災前なら高くても精々二百イラくらいで売られていたものである。要するに二倍以上の値がつけられているということである。
 だが当然ながらレリエルの者達にはイステラ通貨の価値も物価もわからない。ただゼーナの言葉からかなり法外な値段なのであろうということは想像出来た。

 そこで男は彼女らが手にしている小袋に目ざとく眼をつけて言った。

「そいつはマメか? 麦か? だったら一袋で二本にしてやってもいいぜ?」

「何言ってるんだい! アンタ恥ずかしくないのかい!」

「何が恥ずかしいもんか! どうせ等級の低い安もんか何かだろう? 十分に見合った取引だぜ?」

 会話を聞いていたロルニィ曹長は考え込んでいた。
 古イシュテリア語に近いイステラ語は意味は十分に理解出来ているので問題ない。だが手にしているのはレイナート殿下から下賜された貴重な食料である。たとえその一部でも無駄に使うことは気が引けた。
 だが国へ帰れず、不慣れな生活を強いられている今、部下達を少しでも何らかの形で慰めてやりたかった。目の前で焼かれている腸詰めは太さ長さともそこそこの大きさで、二本あれば十人でも一口づつくらいは味わうことが出来そうだった。

「よし。いただくとする」

 ロルニィ曹長はそう言って手にしていたマメの小袋を持ち上げた。

「リンデンマルス公爵殿下より勲爵士となった祝いとしていただいたものじゃが、それが言い値ならば仕方あるまいて」

 そう言って男に差し出したが、それを聞いてロンザもゼーナも目をひん剥いた。

「勲爵士……様?」

 唖然とする二人を訝しみながらロルニィ曹長が頷いた。

「いかにも。先ほどレイナート殿下よりそのように言われた」

「これはご無礼仕りました!」

 ゼーナが跪いて頭を下げた。唖然としていたロンザもそれを見て慌てて跪く。

「何じゃ? どうしたのじゃ?」

 ロルニィ曹長以下、レリエルの女達も不得要領で訝しんでいる。

「貴族様とはつゆ知らずご無礼の段、平にご容赦を!」

 言われたレリエル兵が今度は目を丸くする。

「貴族様? 我らがか?」

「はい!」

「済まぬが説明してくれ。実は我ら『勲爵士』とはなんだか一向にわかっておらぬのじゃ」

「はい? それならばご説明申し上げますが、勲爵士とはその御方に特別の功ありと認められた時に授けられる、一代限りの爵位にございます」

「何じゃと!?」

 さすがにかつてロクリアン大公家で侍女をしていた女将のエミネ仕込み。ゼーナの口調はすっかりただの町の者のものとは違っていた。

「わたくしもよくは存じ上げませんが、勲章によるものよりもいっそう高い褒章とのことにございます」

 勲章と聞いてロルニィ曹長もようやくわかった。
 レリエル軍も戦場で武功を挙げれば勲章を授けられることがある。だがその場合階級はそのままである。武功による昇進というのは、死んで二階級特進でもなければ、そう簡単に行われることではない。

―― 殿下はそこまでのことをしてくだされたのか……。

 レイナートの端正な顔立ちを脳裏に思い浮かべ、思わず顔を赤らめたレリエルの女達である。

 その後恐縮したロンザは、半袋で腸詰め十本と大幅な値引きをして、レリエルの女達を大層喜ばせた。
 だが若い女が太い肉棒、失礼、腸詰めを嬉々として頬張りつつ歩く姿は、あまり見た目がいいものではなく、どころか見る者に妙なことを連想させてしまっていた。


 その頃フォスタニア館ではレイナートがエレノアに嫌味を言われていた。

「レイナート様、先程は随分とにこやかにされていましたね?」

「何のことだ?」

「あのレリエル兵達にです」

「にこやかって、彼女らに謝意を表していたんだ、しかめっ面ですることも出来ないだろう?」

「ふ~ん? ならいいですけど……」

「何だよ? 言いたいことがあるならはっきり……」

「なんでもありません!」

「おい、エレノア?」

「レイナート様の女ったらし」

「おい!」

 何でそんなことを言われなければならないのか、さっぱりわかっていなかったレイナートであった。

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