聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第1章

第4話 逞しい男

 レイナートが即位して早ひと月。その間、物事は確実に動き始めており様々なことがあったが、それはまだ結果を生むところには至っていなかった。

 まずリンデンマルス公爵家及び王都、各貴族領から集められた新規の事務職員達。彼ら彼女らが各省に配置され業務を始めた。だがまずは仕事に慣れるところから始めなければならないのはもちろんである。
 例えば式務省なら有職故実に長じた長老ともいうべき人物から聞き取ったものをきちんと記録にまとめ上げる。
 例えば工務省なら各建造物に必要な修理の材料の一覧をまとめ上げる。
 例えば財務省なら各方面から上がってくる数字をまとめる等々、各省によって業務内容も異なれば必要とされる能力・技術も違う。単にイステラ語の読み書きで事足りるところ、古イシュテリア語も出来なければ用の足りないところ、古イシュテリア語は出来なくとも四則演算に長けている者でなければならないところ等様々である。
 各省においても初めは一度に大量の採用、しかも多くが普通の平民ということに当惑し、「本当に使い物になるのか?」と半信半疑ながら指導したのである。そうして新人らが仕事を覚え、業務をこなしていくのをありがたく思い始めているところである。

 特にリンデンマルス公爵家からの者達は年も若く、かなり女性の比率が高かったが、素直に言われた通りに仕事をするということで重宝がられた。
 これにはシュルムンド、グレリオナス兄弟の面目躍如であった。手塩にかけて育てた生徒が高く評価されたのであるから、教育者とすれば当然であろう。
 もっとも彼らが選抜した生徒らは最優秀という訳ではなかった。なぜなら最も優秀な生徒達は自分らの代わりの教師とすべく領地に残したのである。ここで気を良くして一気に優秀な者を全部各省に送り込んでしまったら今後の領地での教育が続けにくくなる。リンデンマルス公爵家は若年層の人口増加が著しい。彼らに十分な教育を与えるとなると教師の数は出来る限り多い方がいいに決まっている。
 それに教育に理解のあるレイナートが国王になった以上、今度は国民に対する教育についても考えるのは間違いないだろう。今は復興途中だから直ぐには無理でも近い将来であればそれは必ずや動き出すに違いない。そう考えてのことである。

 その一方でグレリオナスはレイナートによる橋の建設に関して頭を悩ませていた。数学者として設計に協力することとなったのである。
 橋の構造に関して耐荷重、強度等様々な項目において数学者らしい意見を出すことは出来た。
 そうしてそれらを元に工務省の設計者とともに検討を重ね木製の橋ということで基本設計は固まった。だがそれをいかにして作るかという点で行き詰まってしまったのである。それは水の幅・深さ共に簡単に工事を進められるものではなかったからであった。

 元々この窪地は自然の地形に手を入れ、水門を設けてからレギーネ川とつなげたのである。したがって窪地からの排水ということに関しては全く考慮されていなかった。それ故水門を修理して川からの新たな水の流入を止めることが出来たとしても水はそのままそこに残ってしまう。したがって橋脚を建てる工事が行えないのであった。
 とは言え排水のための水路を作るとなるとそれだけで一大工事となってしまう。どうにも手詰まりであった。

 そのことを報告しにきた工務大臣とグレリオナスに対しレイナートは事も無げに言った。

「だったらその部分だけ埋め立てればいいのではないですか?」

「何ですと!?」

「集められた王都の瓦礫が四の郭に積まれています。これでその橋の基礎部分に当たるところを埋め立てればいいのではありませんか?」

「しかしそれでは……」

「王都防衛ですか? 橋を架ける時点でそれは諦めることになる、ということで合意したはずですが?」

 工務大臣の反論にレイナートは言う。

「元々あの窪地は主に対ディステニア戦略上必要だったものでしょう? それならば、現在の両国の関係からして必要ないと思いますが」

「しかし、今後共大丈夫という保証は……」

「ええ、ありません。ですがそれを維持するのが王の、国政を与る大臣の務めではないでしょうか? 違いますか?」

「仰られることはごもっともですが……」

 ドリアン大公も懸念を口にし、シュラーヴィ侯爵もシュピトゥルス男爵も頷いている。

「とにかく復興第一。もし心配だというのなら国軍を警戒に当たらせましょう。もっとも国軍には他にも働いてもらいところは多々ありますが……」

 結局レイナートの意見が通ることになった。それは国王の発案である以上当然といえば当然である。だがレイナートは他に有無を言わさず、ということはしない。異見があるなそれを聞き、その上で相手を説得する。そうなると臣下の大臣達もそれを受け入れざるを得なくなる、といった具合であった。


 埋め立てに使われる瓦礫を運ぶのは国軍が行うことになった。それは頑丈な馬車を多数保有しているからである。
 だが国軍兵士からすれば「なんでオレたちが?」という思いが強い。こんなのは工務省の奴隷の仕事ではないか、と言うのである。だが大地震で奴隷も少なからず死んでおり、しかも彼らには王都の排泄物の搬出・廃棄という仕事がある。それ故レイナートは国軍に命じたのである。

 やる気のない兵士が多かった中で、わずかだが黙々と真面目に作業に徹する若い兵士らがいた。それを見る古参兵などは半ば誂い半ば冷めた目で見ていた。

「点数稼ぎに熱心だな、お前」

 言われた若い兵士は首を振る。

「いいえ、自分はそうではありません」

「じゃあ、何だ?」

「ただ自分は、お館様、いえ、陛下が恐ろしいからです」

 そこで古参兵が気付く。

「ああ、お前はリンデンマルス公爵家の領民か」

「はい、そうです」

「じゃあ、なおさら点数稼ぎじゃないか」

「いいえ。自分はご領主様の恐ろしさを身に沁みて知ってます。そのためです」

「陛下はそんなに恐ろしいお方なのか?」

 古参兵もそこで不安げな顔になった。

「はい。お館様の……、陛下の剣は『古イシュテリアの聖剣』です。自分は、それが人を燃やし尽くすのをこの目で見たことがあります」

「剣が人を燃やす? そんなバカな!」

 古参兵の顔が今度は呆れたものになる。

「でもそれは事実です。
 アレモネル商会事件の後、移り住んできたドリニッチ子爵家の貴族達がお館様に逆らって叛乱を起こしたことがあります。その時お館様は自ら出張り、首謀者をお討ちになりました。その時首謀者は青白い炎の包まれ、肉を焼かれ骨だけになりながらも助けを求めて苦しんでました。
 あの光景、あの声とあの気持ち悪い吐き気を催す臭いはいまだに忘れられません」

 リンデンマルス公爵家から兵役に来ている若い兵士の言葉に周囲が静まり返った。

「それに冬、お城でそのドリニッチ子爵家から移り住んだ子供をいじめている奴らにお館様は厳しい声で仰りました。『不服があるなら掛かって来い。自分が相手をする』と。あの時の冷たい声はいまだに覚えてます。
 だからお館様の、いえ、陛下の命令には絶対逆らいません。逆らえません。そんなことすれば……」

 青ざめた顔でそう言いながら兵士は微かに震えていた。

 レイナートは領主として領民に対しては「公明・公正・公平」を旨として接している。
 領民の作ったものを商会に売却する際、その時の相場によって価格が若干ながらも上下する。それをきちんと領民に開示し、売上の半分を公爵家の収入とし残りの半分を領民の取り分として渡している。そこには1イラの誤魔化しもない。
 そうしてその収入から人頭税を国庫に納め、塩を始めとする領内では手に入らないものや冬を乗り切るための物資を商会から購入・調達し、また領内開発のための公共工事を行っている。その収支の全てを領民に開示している訳ではないが、求められれば何時でも見せられるようにはしているし、見せることにやぶさかではない。
 であるからレイナートは多くの領民からは「公明正大」と評価されてはいるものの、反面やはり恐れられているのである。


 そういったこともあって国軍兵士らの瓦礫運搬作業に対する態度が改まり、王都の瓦礫の搬出作業は目に見えて順調に進んだ。
 王都の大小様々な瓦礫は一旦四の郭に集められていた。これを国軍が運び出し、新たに集められた建設要員らがその大きな濠の中に投げ入れていく。だがこのように瓦礫を水に沈めていくと意外と直ぐに瓦礫が不足してしまった。そこで今度はミベルノとロッセルテにまで国軍は瓦礫を集めに行ったのであった。行く時には何らかの物資を積み、瓦礫を載せて帰ってくるのである。

 このことはミベルノやロッセルテの町の住人にとっては大歓迎であった。

「自分達は国に忘れ去られているのではないか?」

 彼らにしてみれば瓦礫は山積み、物資は滞りがち、王都から使者が来ることもあまりない状態であった。それが多少なりとも物資を積んでやってきて、瓦礫を撤去していってくれるのである。これほど喜ばしいことはないではないか。ミベルノは特に国内有数の商業都市であり交通の要衝である。これの早い復興は絶対に不可欠であったし、ロッセルテは対ディステニア政策において重要な拠点であり、どちらも周辺国との関係から重要都市なのである。
 もちろん現状では他国との交易は滞っているイステラである。だがル・エメスタやアレルトメイアからは援助要請が矢継ぎ早である。イステラも今のところ、はっきり言って他国にかまけている余裕はない。だが塩を算出しないイステラでは塩の供給元の確保は喫緊の最優先課題である。
 アネモネル商会事件以降、国も貴族も塩の備蓄は積極的に進めていた。したがってすぐに塩不足になる心配はない。だが楽観していい状況ではないのである。そういう意味からもミベルノ、ロッセルテの復興を王都の外側の埋め立てに絡めて始めたレイナートであった。


 ところでレイナートの即位後ひと月経って、ようやく各国へそれを知らせる使者が立てられることになった。
 曲がりなりにも色々と動き出したイステラである。何もかも手付かず、何をしていいのか皆目見当の付かない状態から、はっきりと「復興」に対する明確な先見が示されたのである。
 貴族も平民達も、初めはレイナートの独創的というか、あまりに貴族らしからぬ発想と行動に面食らっていたが、私事を後回しにして国を立て直す姿に従い始めたのであるから、これはそろそろ十分な機会だろうということで各国に使者が立てられたのである。

 そうしてここでもレイナートの家臣らが活躍した。
 ディステニアにはクレリオル、ル・エメスタにはエネシエル、エベンスにはギャヌース、アレルトメイアにはアロン、そうしてリューメールにはナーキアス、ロズトリンのフィグレブなどにはキャニアンがそれぞれ正使として出発したのである。
 当然ながら妻のいる者はその妻を伴っていく。したがってそれなりの隊列にならざるを得ないが、それでもかつてのような大人数ということはない。故に妻子の身の回りの世話をする者を除けば護衛の兵など驚くほど少ない供揃えであったが、状況を鑑みればそれも致し方のないところ。それだけの人数を揃える余裕も、そのための食料や物資にも余裕などないからである。
 ただ震災後何処も国情は不安定であろうから油断は出来ない。したがって護衛の者は国軍の中から精鋭が集められたのは当然であろう。こうして家臣らはそれぞれ各国を目指して旅立ったのである。


 ところで家臣らの中で一人残ったヴェーアは何をしていたかというと、これは王宮北宮の瓦礫の撤去作業であった。リンデンマルス公爵家のフォスタニア館でも黙々と瓦礫撤去に従事していたヴェーアだが、それをレイナートは今度は王宮でやらせることにしたのである。
 というのは王宮北宮は基本、王と元服前の王子以外は入れないという、男子禁制の謂わば後宮だからであった。それ故少しでも大きく重い瓦礫は女官・侍女の手に余り、撤去は全くなされていなかったのである。
 この点、非常の時なのだから幾らかでも融通を利かせればいいようなものだが、いわゆる責任を取れる者が軒並み死亡または怪我のために不在であったがために、皆、後で責められるのを嫌がって何もしなかったのであった。
 したがって東宮は元々被害が少なかったために、そういううるさいことがないのでもっとも早くに片付けられたということもあって、先王妃エーレネが移り住んだということも背景にあったのである。
 自らの居所となる北宮だけに、余計に後回しにしてきたレイナートである。夜遅くなって帰れない時などは王宮で朝を迎えているレイナートだが、そういうことで本格的に移り住んでいる訳ではなく、いくらリンデンマルス公爵の立場も持ち続けてるとはいえ、いつまでもフォスタニア館から通うという訳にもいかない。だが作業は進んでいない。そこでヴェーアの登場となったのである。

 ヴェーアを伴ってきた宮に足を踏み入れたレイナートに、女官と侍女らは目を丸くした。侍従ですら入れない場所に、浅黒い肌の外国人の大男が現れたからである。

「陛下……」

「何か問題かな?」

「北宮へ殿方が入られるのは……」

 女官の一人が訴えた。

「だが内部の片付けが終わっていないだろう? 女性のお前たちに無理やらせる訳にもいかないからヴェーアにやらせるのだ。このままでは王妃も王女も引っ越してこれないだろう?」

 レイナートは言う。王の命令とあれば女官も侍女も必死にやろうとはするだろうが無理なものは無理である。それに 北宮が男子禁制なのは王妃や王女がそこにいるからである。それがまだいない以上何も問題はないだろうとレイナートは言うのである。

「ですが……」

「これは私が命じてやらせるのだ。したがって責任は私にある。文句を言う者があれば私が相手をする」

 当惑する女官にレイナートはそう言って納得させた。
 いずれはサイラを女官長として北宮の管理を一任する予定のレイナートだが、今はフォスタニア館でエレノアとアニスの面倒を見させている。サイラの女官長就任はレイナートらが完全に王宮へ移り住んでからということにするつもりであった。

 それと、ヴェーアを北宮の作業に従事させるのはネイリとのこともあった。
 ネイリを妻にと言ったヴェーアに、ネイリはそれをきっぱりと断った。それはヴェーアが相手だからということではなく、どころかネイリは相手が誰かも知らず、とにかく誰かに嫁すことを望まなかった。一生レイナートの側に仕えるつもりであったのである。
 自分を不幸のどん底から救ってくれた男《ひと》。それに恋心を抱くことに不思議はあるまい。だが身分制度の確立された社会、まして側室を認めぬイステラではそれは決してかなわぬ願いである。それでもネイリは一途にレイナートのことしか考えていなかった。そのことがわからないではないレイナートは、ネイリの思いに半ば気重なものを感じながらも、ヴェーアとネイリが同じ屋敷内で働くことは気まずかろうという配慮もしたのである。



 北宮でのヴェーアは剣も提げず、上半身裸となって大きな瓦礫を黙々と運び出していた。
 レイナートも長身だが、ヴェーアはさらなる大男で筋肉隆々の逞しい体つきである。たちまち北宮の女官や侍女達の話題になった。

「ほんに立派な体のお方ですね」

「ええ。あんなに大きい石や材木を軽々と持ちあげられて……」

「何でも以前の武術大会で優勝された方のお一人とか」

「先の陛下から男爵位を賜っておられますし……」

「あの逞しい腕で抱きしめられたら……」

「あら、はしたないですわよ」

「でも、あの厚い胸板は魅力的ではなくて?」

「確かに……」

「それに、あのお肌の色も得も言われぬ趣がありますね

 などと、影で噂をしてはチラチラと盗み見ているのであった。
 当のヴェーアはそれを知ってか知らずか黙々と作業に徹している。

 イステラにおいて、仕事そのものに大きな差はないが女官は貴族の娘、侍女は平民の娘という違いがある。さすがに高位の貴族の娘だとヴェーアを成り上がり者と見做し、また平民の娘だと身分違いだとしてあり得ないが、男爵の娘ならば多くの貴族家で適齢期の男性が減っているということもあってヴェーアは輿入れの相手に十分成り得る。しかも陛下の覚えめでたき直臣の一人である。何かにつけてヴェーアに擦り寄ってくるようになっていた。

「クロナシアス卿、お水《ひや》はいかがですか?」

「手布をどうぞ。汗をお拭いなさいませ」

等々、少々煩わしくなるほどであった。


 妻帯の経験もあり、いわば失恋中のヴェーアには嬉しい半面、度重なると迷惑でもあった。それ故余計に黙々と作業に徹するヴェーアであった。

 その甲斐もあって北宮の片付けは着実に進み、大工ら職人が工事が入れるようになり、即位二ヶ月経ってレイナートとエレノアそれにアニスは、イステラの王城トニエスティエ城一の郭、王宮の一部、北宮に正式に移り住んだのであった。

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