聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第1章

第6話 足りないもの……

 レイナートが即位して早くも半年が過ぎた。勅使として各国へと向かった家臣らも役目を果たし無事に帰国している。

 家臣らが訪れレイナート即位を知らされた各国の王と重臣達は一様に驚愕し言葉を失った。それは国王アレンデルの行方不明ということにもだが、やはりレイナートの即位ということにである。
 周辺国はイステラの国法に全く疎い、などということはなく、それもあって当然ながらレイナートの即位はあり得ないことだと考えていた。否、それは全く意識の埒外にあったと言っていいだろう。
 庶子であるレイナートが貴族家を継ぐということが本来有り得ないことだった。まして王として即位するなど、まかり間違っても有り得ないという考えである。したがって各国の王はレイナートの即位を聞いて、初めはレイナートがその剣の力を行使して王位を簒奪したのかと疑ったほどである。王位継承権を持つ者が皆、アレンデルとともに行方不明となり、皇太子も不予となったなど直ぐには信じられない話であったからである。

 だがそれぞれの国でも一方ならぬ被害を受けていたのは同様であるから、全く有り得ないということでもないと思われた。それにレイナートが即位したということはイステラの国内問題。したがって驚きつつも使者の口上を受け入れるしかなかった。まさか異を唱えるなど出来る訳もなく、それは完全な内政干渉であり戦争を前提とした話だからである。

 とは言うものの、レイナートの即位は少なからず周辺国に強い圧力、圧迫感を感じさせたのは当然である。何せレイナートは古イシュテリアの聖剣を持つ者。その絶大な力を知らない訳ではない。この力を背景に迫られたら首を縦に振るしか出来ない。そうとしか思えなかったからである。
 まさかレイナートの剣がその力を失っていたなど夢にも思わなかったのである。したがって各国の王と重臣達は今後のイステラの動向に今まで以上に注目することを余儀なくされたのであった。


 さて、レイナートが即位して最初の事業は各省に大量の平民 ― しかも多くの女性 ― を登用したこととトニエスティエ城の外側の大濠に橋を架ける工事であった。
 まずこれがイステラ復興の鍵とレイナートは目していたからである。

 この大濠は幅も深さもかなりある。そこで震災後しばらくは艀《はしけ》を使って渡っていたのだが、艀では一度に運べる馬車の数がしれている。それに小麦やとうもろこしの種などを満載した馬車はかなりの重量になるので、艀を動かすのにも大変な労力を必要とする。そこで艀を並べて浮橋のようにしたのであったが、それでもやはり一度に通れる馬車の数は大して増やせなかった。やはり重量のせいである。かと言って浮橋をいくつも掛けるということも出来なかった。そこまでの余力はなかったのである。

 自然の形状を利用し王都防衛に一役買っていた窪地。そこに水門が決壊して流れ込んだ大量のレギーネ川の水。レイナートにはこれは無駄以外の何物にも思えなかった。とは言ってもこれに水路を設けて川に水を戻すなど、とてもではないが時間がかかり過ぎる。なので埋め立てようというのがレイナートの発想であった。
 しかしながら全部を埋め立てることなどやはり無理である。そこで街道の通る部分だけを埋め立てることにしたのであった。これであれば深い水の中に橋脚を建てるなどという困難な工事をしなくて済むからである。

 ただしこれは王都防衛という観点からすればとんでもないことである。橋であれば破壊すれば外敵の侵入を遮断出来る。しかし埋め立ててしまってはそれは出来ない。したがってレイナートの決定は重臣らにとっては当初首肯しかねるものであったのは確かである。
 だが、国を立て直すにはまず経済活動を元のように活発にさせなければならない。
レイナートにそのように言われて首を縦に振ったのであった。

 イステラは王都とミベルノの街が経済の中心を担っていた。したがってこの間の通信、物流が確保出来ないということは、深刻な物不足を国内各所で引き起こすことになるし、事実それは起きていたのである。
 イステラにおいて全ての道はミベルノに通ず ― 実際には西街道はミベルノを通らないが ― ということであり、必ずと言っていいほど品物はミベルノを経由して各地に運ばれていく。そうして物品の流通を管理するのは王都の商会と商務省である。それ故この間の連絡を密にすることが何よりも優先されたのであった。

 と同時にミベルノ、ロッセルテの復興も着手された。国軍兵士が王都、ミベルノ、ロッセルテから瓦礫を運び、集められた人足がそれを大濠に投げ込んでいく。瓦礫の収集が一段落したところで国軍兵士は各街道に派遣され、整備作業に従事することになった。イステラ東部はそれほどの被害はなかったが西部は街道が隆起したり陥没したりしていた。それにミベルノの街やロッセルテの街の被害も甚大であった。これの復旧作業を命じられたのである。ミベルノは国内流通の要衝。そうしてロッセルテは対ディステニア貿易、端的に言えば塩の確保のためである。
 そうしてこれらを支えたのが建設国債による資金である。

 各貴族家から国に収められた物品。緊急時であるから本来であれば供出ではなく徴用とされてもおかしくはなかった。だが国にもそこまで貴族を強制する力はなく、あったとしても今度はそんなことをされたら貴族家自体が大打撃を受け傾くどころでは済まなくなる。そこで対価をきちんと払うという約束のもとに貴族家から国に納品されたのである。これによって王国直轄地の住人や広い領地を持たぬ貴族 ― 五大公家や勲爵士など ― に支給することが出来たのであった。
 だがその支払額はあっという間に膨れ上がり、ただでさえ混乱している国家財政を大きく圧迫した。このままでは財政が破綻することは目に見えていた。かと言って支払いを踏み倒せば貴族の離反、もしくは最悪の場合内乱が起きる。
 そこで建設国債を発行しそれを貴族に引き受けてもらうことで支払いとし、併せて新たな資金調達を可能にしたのである。

 この橋の建設は新たな事業であるから特別予算を組まなければならない。国家財政が混乱している状況下でそれを推進するのであるから、その建造費の確保は単なる通貨の新規発行だけでは済まされない。そんなことをすれば極端な通貨膨張を促し物価がうなぎのぼりに上がっていくことだろう。第一鉱山の落盤、人員の減少で貨幣の鋳造自体が不可能な話であった。
 そこで紙幣の発行が併せて打ち出されたのである。もちろんこれも限度を弁えぬ発行は財政を破綻させる。したがって発行には慎重な検討がなされたのは言うまでもない。また国債にしろ紙幣にしろ一から作らなければならないのである。
 もっとも国債の方はいわば額面の記入された契約書のような体裁で済ませることも不可能ではなかった。
 だが紙の金など見たことも聞いたこともない、というのが当時のイステラの人々である。したがってどのような体裁とするのか、額面ごとの意匠はどうするか等々、財務省の役人らを大いに悩ませた。
 また国内全域にそれを触れとして周知させたのは当然であるが、この時代にそれを素直に受け入れる事の出来る人がどれほどいただろうか? 大陸広しといえどもいなかったに違いない。
 それほど紙幣の発行は常識外のことなのであった。

 そうしてこれを実現することが出来たのが、レイナートの人材登用令によって集められた新たに役人となった平民達の働きによってである。
 彼ら・彼女らは、特にリンデンマルス公爵家から各省に出向いた者達はレイナートの命を忠実に実行した。それは時に直属の上司よりも優先していたかもしれない。
 したがって紙幣発行は財務省に勤めるこの者達なしには実現出来なかったといえるだろう。

 それ以外にも彼らは古い記録の再現とともに現状の把握のために文字通り奮迅した。
 そうしてそれがあったからこそ、シュルムンドやグレリオナスらが対策を考えることが出来、レイナートに様々な策を諮問出来たのである。

 またそれを側面から支えたのは衛士隊である。国軍兵士が各地に復旧作業に派遣されたと同時に、衛士隊は各貴族家に向かいその被害状況の聞き取り作業に充てられたのである。

 衛士隊は警察機能を兼ねているため心無い人達からは「犬」と呼ばれている。だが一方で準貴族身分が与えられ、貴族屋敷に出向くことも認められている。平民であれば門前払いとなるところでも正々堂々と乗り込めるのである。
 そこで商会との取引を含めた様々な被害状況の把握に努め、それを関係各省に持ち帰って報告したのである。これによって各貴族家は記録が失われ最早受け取ることの出来ないと思われた商会との取引や、国との間で相殺されるべき税金や売掛金が明確になっていったのであった。
 当初、衛士による調査に眉をひそめていた貴族達もその後随分とその心証を良くした。当然であろう。
 奇しくもこれによって衛士隊はイステラにおける地位を随分と向上させたのである。

 かつてレイナートが巻き込まれたアレモネル商会事件。その何倍もの混乱がイステラ全土を襲ったのであるからどれほど多くの人々が不安に思い、将来に希望を見出せないでいたか。それを解消すべくレイナートは衛士隊を用い、これが見事に功を奏したと言えよう。


 ただしこれだけでは済まなかったというのが頭痛の種であった。
 非常時であるから、全てをそれまでと同じに ということは当然ながら無理であった。どこかで線を引かなければならない。
 例えばアレンデルとともに出征し生還出来なかった兵士達。彼らはつまるところ戦時における行方不明・戦死扱いである。それ故本来であれば階級に応じ、平民であっても国からは弔慰金が遺族に支給されることになっていた。
 だがこれを満額支払えば国家財政を圧迫するし国庫に今は余剰金はない。したがってわずかといえ直ぐに支給することも出来ない。だが払わなければ国民の不満が蓄積されいずれ爆発する。そうならないように対策を取らなければならない。

 また、物品の不足にも対策を立てなければならない。だが隣国も同じような状況であるから輸入で賄うということが出来ない。だがそれではいずれ人々は食べる物にも事欠き飢えることになる。リンデンマルス公爵家を始め被害の少なかった貴族領から多くの食料品が供出されているが、農業生産物というのは種を播いてから収穫までに時日を要するし季節によって出来るものも異なる。したがって無尽蔵に供給出来る訳ではないのである。
 食品以外にも道具、工具の類、鍋釜から食器に至るまで破壊されれば新しいものを手に入れなければならない。だが供給されなければ入手出来ないのは当然である。
 したがって後継者の育成と同時に大量生産を可能としなければならない。だがそれは口で言うほど簡単なことではない。そのための方策も考えなければならないのであった。

 そういう意味ではレイナートはおちおち休んでいるヒマはなかったのである。


 ヴェーアによって王宮北宮の瓦礫撤去は順調に進んだ。そうして大工や職人が入り復旧工事が進められ、レイナートとエレノア、そうして長女のアニスの三人は北宮に入った。
 そうしてサイラが女官長に任命されこちらも王宮内に居を移した。昼夜を分かたずレイナートとその家族に仕えるためである。
 この時イェーシャも一緒であった。イェーシャはアニスの子守り、兼、エレノア・アニス母娘の護衛役としてである。
 何せレイナート自身が庶子の出。エレノアに至っては元は外国人の平民である。これに対して反感を抱く者がいないとは限らない。それを慮ってのことである。

 レイナートも、特にエレノアも最初はこの重臣達の懸念を一笑に付した。だがレイナートの復興計画とその実施には、貴族・平民の別なく多くの我慢を強いることは明白であった。いくらなんでも全ての人に不満を抱かせないで実現など不可能である。それ故不心得者が現れないとも限らない。
 そのように指摘されると渋々ながら首肯せざるを得なかったのである。

 王宮北宮内部は国王と元服の済んでない王子以外は男子禁制である。したがって警護の近衛兵もその外部を守るのみで内部には一兵たりともいない。もちろん北宮内にいる侍女や女官は武術の心得はない。したがって、実のところ、内部に外敵の侵入を許すと対処のしようがなくなりかねない。
 この点ガラヴァリもアレンデルも暗部の者を使っていた。両性具有者が多いイステラ暗部の者達は陰の者として諜報や暗殺などの仕事に従事していたが、北宮内部の警護も担当していたのであった。
 但しガラヴァリに比べてアレンデルの方は北宮は完全に寝床としてしか考えておらず、端的に言えば王妃との生活の場とは考えていなところがあった。それ故、王妃や王子に万が一のことがあったらイステラ王家の沽券に関わるという程度の認識しかなかった。それでも暗部を数十人は置いていたのである。

 そうしてレイナートの場合、事情が事情だけにあまり安穏としていることは出来ない。このような状況だからこそ即位出来た。だがそれを快く思わない者が本当にいないとは限らない。ドリアン大公らはそう言うのである。
 人の善意を信じるレイナートである。だが同時に「悪意」が全くないとは言えないとも思っている。悲しいことではあるが、過去の様々な経験がレイナートをしてそのように考えさせ頷かせたのである。

 ところがいざ北宮警備を充実させようとすると困った問題が起きた。全くの人手不足で警備の者を置くことが出来なかったのである。

 レイナートは朝早くから起きだし深夜に及ぶまで執務している。したがってわずかな睡眠時間にしっかり休まないと体が保たない。ところがアニスはいまだ乳飲み子。やれオシメだ、やれオッパイだと夜中でも平気で泣き出す。これではレイナートが休めない。
 それでレイナートはエレノアとアニスと寝所を分かった。それは寂しいことであるがそうせざるを得なかったのである。となると警備すべき所も二箇所になるからその分人手が必要になる。
 現在は余剰人員などない状況である。暗部の者達も、否、身体能力に長けた暗部だからこそ別のところで活用したいレイナートであった。といって北宮に男の警備兵を入れるのは絶対に重臣らが首肯しない。
 それで結局エレノアは自身で己の身を守るということになり、それを助けるためにイェーシャが付くということになったのである。そうしてレイナートには暗部の者数人が寝ず番をするという、何ともお粗末な警備体制となってしまったのである。

 何事も己のことを後回しにするレイナートであるから、本来であればこれでも何も思わなかったろう。だが今は国王という立場にある。その身に何かあれば国内の復興は頓挫し、また、多くの人間が処断されるような事態を招くことになるだろう。それに対する保険という意味も含めて警備は充実させるべきだとレイナートは考えるに至った。
 各国を回っている時に見知った暗部の者達。彼らの能力に驚いたとともに、もし万が一そういう者達に虚を突かれ襲われたら自分で対処出来るとは正直なところ思えなかった。まして今の自分に破邪の剣の加護がないのだから。

 だが例えばいくら人手不足だと言っても、未だイステラに残っているレリエル兵達を起用する訳にはいかない。レイナートは彼女らをリンデンマルス公爵家の勲爵士とはしたが、本来はレイナートの支配下にはない外国人であり、これを後宮警備に当てるなど論外である。
 結局レイナート自身が警備の必要を認めたのに、人手不足でそれがなされないという皮肉な結果になったのである。これには重臣らも申し訳無さに頭が上げられなかったが致し方なかった。



―― 何時でも何処でも人手が足りない……。

 嘆きともぼやきともつかない呟きを漏らしたレイナートであった。

inserted by FC2 system