聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第1章

第9話 理由

 レイナートが国内の食糧問題にまつわる貴族らの贈賄沙汰に呆れ返っていた時、ナーキアスはヴェーアとともにレリエルに向かう準備を進めていた。ヴェーアはレイナートの即位をレリエルの国王と教皇に伝える勅使として、ナーキアスはリンデンマルス公爵家の使者としてレリエルまで行くからである。

 本来であればナーキアスの方が元の身分は上だが、イステラにおいてはナーキアスは陪臣、ヴェーアは準直臣である。よってヴェーアの方が貴族としての格が上とされるからである。
 レイナートとすればナーキアスもイステラの爵位を与え直臣としたかったが、襲爵させる適当な理由が思いつかなかった。勲爵士であればそれでも波風は立たないだろうが、実家と同じ子爵位ということになると簡単にはいかない。「いくら国王とはいえあまりに身勝手な振る舞い」と他の貴族に受け取られたら後々面倒なことになるからである。
 その点ナーキアスもあまりこだわりは無いようで、いずれにせよ「レイナート様の家臣には違いない」と割りきって考えているようだった。

 一方のヴェーアはレリエルとは因縁深きアガスタ人である。したがってレリエル入国では一悶着あるかもしれない。だがレリエル国王シャスターニスと関係深きイステラのレイナートからの勅使ということであれば、レリエルも無碍にヴェーアを追い返せまい。それにレリエルとアガスタは今、関係改善に一致協力しているはずである。したがってこの事はそのいい試金石ともなるだろう。
 それにヴェーアも国を離れて以来一度もアガスタには帰っていない。亡妻の墓参りに行きたいと口にしたこともあった。それらを踏まえた上でのレイナートの人選である。



 ところでこの使節にはロルニィ曹長以下のレリエル軍兵士達も同行するので、彼女らもその準備に余念がなかった。
 もっとも、レリエル兵にナーキアスらが同行する、と言えなくもなく、いずれにせよロルニィ曹長もシャレル一等兵も、帰国することにあたり複雑な思いであった。

 旅の途中はともかく旅の終わり、レリエルに到着すれば思いを寄せる相手と離れ離れなってしまう。今はまだ相手に思いを打ち明けるところまではいっていない。否、レリエルの女が自分から男に思いの内を明かすなどありえない。彼女らはただ待つだけの女である。
 鍛えられ男勝りの動きを見せる、兵としては一線級の彼女らも、殊《こと》、女としては至極消極的になってしまうのである。只々、熱い視線を密かに送るだけである。
 だがもしかしたら旅の途中で、と思わないでもない。うまくすれば祖国で家族に「自分の夫」として紹介出来るかもしれない。そんな妄想まで抱いたのである。

 でもそうならなかったら?

 そうなれば二度と会うこともない、まさに永遠《とわ》の別れとなってしまうかもしれない。それを思うと嬉しさ半分、悲しさ半分なのであった。

 そうして残りの八人はと言えば、いまだそういう相手は見つかっていない。もしこのまま帰国の途に着いたら、もう二度とイステラ人と巡り会うことはないだろう。
 彼女らにしてみれば帰国が嬉しくない訳ではない。だが一方でレリエルに帰ったら今のような自由を味わうことも、ましてや誰かの妻となる機会さえないだろう。軍役に就いて後、誰かに見初められて嫁入るなどということはほとんどない。したがって一生独身のままか、はたまた他の「女」と結婚するしか道はないと言っていい。
 それを思うと悄然とし、焦りにも似た思いに捕らわれていたのである。



 ところで、この時期にレリエルに向かうというのは、夏の暑い時期故、楽な旅とは成り得ない。それでもあえてこの時期なのは諸国の交通事情がいまだ万全とは言いがたく、必要以上に時間がかかるだろうという予想からである。
 この冬は異常に暖かく冬期であっても移動に全く支障はなかった。だが次の冬もそうだという保証はない。となると帰国が遅くなれば雪のために足止めということもあり得る。それを慮ってのことであった。

 レイナートとしては、先の勅使の一件で家臣らが中々帰国しないことに痛痒を感じていた。腹心の部下がいるといないとではやはり指示を出すにしても、何かを考えるにしてもこれほど心強いことはないからである。故にどれほど遅くなってもナーキアスとヴェーアには、冬が来る前に戻ってきて欲しいレイナートであった。



 そうして、この使節団に随行する小者として選ばれた三人の男、ファグリオ、カッゼ、トニエリも真剣な面持ちで黙々と準備を行っていた。
 エレノアとともにレリエルに残ったトニエリはともかく、ファグリオとカッゼは前回のレイナートのレリエル行きに同行して大失態を起こしている。アガスタからクラムステンへと向かう途中、レイナートが谷底へ転落するのを黙って見ていたということである。
 その名誉挽回、とばかりに決死の覚悟とも言える意気込みを見せていたのである。

 レイナートが記憶を取り戻しクラムステンのディステニア暗部の潜伏先からイステラに送った書状。そこにはレイナートと離れ離れになって帰国した後、奴隷身分に落とされ鉱山送りとなったファグリオとカッゼの処遇についての嘆願も書き記しておいた。アレンデルはそれを認め二人を鉱山からリンデンマルス公爵家へ戻すべく指示を出していた。だが二人が平民だったせいかはともかく手続きが遅れ、レイナートが帰国した時もまだ鉱山から解放されることはなく、奴隷のまま作業に従事させられていたのであった。
 帰国後フォスタニア館で皆との再会を果たした後、レイナートは二人の所在について徹底的に調べさせた。そうして二人が王都から北西方向にある直轄鉱山で働いていることを知ると、自ら出迎えるべく馬を走らせたのであった。

 坑道の入り口近くまで行き馬を降りたレイナート。あたりは最早日が沈みかける頃合いであった。やがて奴隷達がとぼとぼと足を引きずりながら坑道から出てきた時である。その中にファグリオとカッゼの姿を認めたレイナートは大きな声で名を呼んだ。

「ファグリオ!
 カッゼ!」

 その声に顔を上げた二人。疲れきった生気のない顔がみるみると驚愕へと変わった。

「殿下……」

「レイナート様……」

 二人は我が目を疑い、そうして目の前にいるのが本当にレイナートだと悟ると、まるで子犬が如くに駆け出しレイナートの前で跪いた。そうして額を地面にこすりつけてレイナートに詫たのであった。

「申し訳ございませんでした!」

 二人は声が枯れるかと思うような大声で何度も何度も謝罪の言葉を口にした。
 レイナートは二人にゆっくりと近づくと腰を落とし二人の肩に手を置いた。

「生きていてくれたか……」

 レイナートも声を震わせている。
 自分が谷底へ落ちたのは誰のせいでもない、己の失態である。だが厳しい身分社会ではそれでは済まない。結果、カッゼとファグリオは罪に問われ奴隷身分とされて鉱山送りとなったのである。
 二人にすればそのような処分を受けても仕方がないと諦めていた。目の前で主人が谷底へ転落するのを指を咥えて見ていたのである。死罪になっても文句は言えないところだったのである。

 しばし感涙にむせび言葉を失っていた三人だが、レイナートが静かに言った。

「また、私のために働いてくれるか?」

「はい……」

 二人は驚きつつも頷く。

「そうか……、ならば一緒に屋敷に戻ろう」

 そう言ってレイナートが立ち上がる。
 だが奴隷の監督官が異を唱えた。

「待って下さいまし。いくら貴族様とは申せ、国王陛下の許可無く奴隷を連れ去ることは出来ませぬ」

 レイナートはその監督官に向き直ると相変わらず静かな口調で言った。

「この者達は我が家の者である。その当主たる私が連れて帰ることになんの不都合がある?」

 だが監督官は首を振る。

「以前はどうであれ、今は国の奴隷です。陛下のお許しがなければ……」

「無礼者! こちらのお方を誰方と心得る!」

 その時横から口を挟んだ者がいた。レイナートに対して失礼になるからと我慢していたのだが、奴隷監督官の物言いに耐え切れなくなったシュラーヴィ侯爵家家人のロステオ子爵である。

「畏れ多くも国王アレンデル陛下のお血筋、リンデンマルス公爵レイナート殿下にあらせられる。
 アレンデル陛下がお隠れとなった今、殿下が次の国王陛下となるべく現在国を挙げてその準備の最中である。
 貴様は新国王陛下の命令に従えぬと申すか!」

「ええっ!?」

 奴隷監督官は肝をつぶしてその場に突っ伏した。

 国民全ての身分に関することは内務省の管轄で奴隷の管理もその中に含まれている。シュラーヴィ侯爵は現在宰相に内務卿を兼ねており、国の所有する奴隷管理の最高責任者である。その腹心の部下のロステオ子爵はシュラーヴィ侯爵の命を受け、内務省を代表する者としてレイナートに随行してきたのであった。

 そのロステオ子爵の言葉にカッゼとファグリオも目を丸くした。自分達の主君が国王になるなど夢想だもしないことだったからである。

「まあ、そういう訳で私にはこの者達が必要なのだ。それに父上にはこの者達の赦免を願い出ており、それは承認されていることが内務省に記録として残っている。したがって手続き上も何も問題はないはずだ」

 レイナートの言葉に監督官は唖然とし、カッゼとファグリオの顔が喜色に充ちた。同時に成り行きを見ていた奴隷達の表情は一様に暗くなると同時に、中には怒りを露わにする者さえもいた。二人が奴隷から元の身分に還れることに羨ましさ、妬ましさを感じたからだろう。

 奴隷達の突き刺さるような視線を感じつつ、レイナートが監督官に尋ねた。

「その方、名はなんと申す?」

「……手前はラグロートと申します……」

 弱々しい声で監督官が答えた。奴隷達が何を考えているかなどラグロートにはどうでもいいことだった。だがここでレイナートに自分の名前を覚えられるということは後に何らかの処罰を受けるからに違いない。そう考えたのである。
 だがレイナートの意図は違った。

「ではラグロート、その方に命じる。奴隷に対する扱い、着る物、食事、寝床を改善し彼らが元気に働けるように留意せよ。徒に酷使すればその生命を失うのみで、それは逆に損失でしかない。
 そうして彼らも人である。畜生が如き扱いをしてはならぬ。よいな?」

 レイナートの口調は穏やかではあったが有無を言わせぬものがあった。

「畏まりてございます!」

 ラグロートは自分が咎められないということに安堵しつつ、そう言いながら再び頭を深々と下げた。
 その光景を見てロステオ子爵も頷いている。だがこれはカッゼ、ファグリオのリンデンマルス公爵家への復帰を喜んでいるのではなく、レイナートが他の奴隷を解放しないという約束を守ったからである。

 レイナートが奴隷に対し一般とは違う考えを持っているようだというのは内務省内では有名であった。何故なら父王から賜った百人の奴隷に対し、民籍登録を行って平民身分に戻すということをしていることが知られているからである。
 それに対しレイナートは「彼らは先代の怠慢と家を私しようとした元の家宰の企みの被害者である。よって自分は当代として、彼らを元の身分に戻すことが責務であると考えている」と説明している。

 だがそれでも人々の目には奇異に映っていることは否めない。故にレイナートがカッゼとファグリオを取り戻したいと言った時、ドリアン大公やシュラーヴィ侯爵は一抹の不安を覚えた。もしかしてそれを機に全ての奴隷を解放してしまうのではないか、と。
 それを恐れたドリアン大公はレイナートに約束を迫ったのである。

「他の奴隷はそのままですぞ?」

 レイナートにすれば心苦しさを感じるものの首肯せざるを得なかった。
 レイナートも奴隷を解放したいのはやまやまだが、それが社会に想像以上の混乱を及ぼすであろうことは十分に承知していた。それは「この社会は奴隷という存在によって支えられている」ということを理解しているからであった。
 奴隷は社会の中に欠くべからざる存在として組み込まれ、奴隷が存在することが前提で国家が運営されているという事実は否定出来ない。それ故、奴隷解放など打ち出したら、ただでさえ混乱しているイステラがさらに収拾の付かない状態になりかねないということがわかっていたのである。

 この辺り、レイナートは即位することでイステラにおける最高権力を手にしても、己一人の独善的考えで施策を行うというつもりがなかったことが窺い知れる。



 時に人は力を得るとその力に溺れてしまうということがある。その力が絶大であればあるほどそうなる危険性が高いことは否めない。
 それからするとレイナートは十分に正気を保っているということが言えるだろう。

 もっともレイナート自身は腹の底では、余人が知れば仰天するようなことを考えていた。

―― 今は焦る必要はない。まずは国を立て直し、それから奴隷を必要としない社会に変えればいいのだ。いや、立て直す途中でそう出来るところはそうしていこう。そのためには奴隷の人達にはしばらく我慢してもらわなければならない。その間に酷使され、命を落とすことが無いよう待遇改善だけは行わなければならない……。

 レイナートが理想とする世界。それは身分や性別などで差別されることのない社会。誰もが等しく権利を享受出来、同時に等しく義務を果たす。
 極く一部の人間だけがいい思いをする、もしくは不利益を被る。そういうことのない社会を作り上げたい。
 それはリンデンマルス公爵では領内だけでしか実現出来ないが、国王となればイステラ全土で可能となるだろう。

 確かにこの未曾有の混乱は自分に責任がある。だがそんなことよりも、そのことこそがレイナートが即位を受け入れた最大の理由なのであった。

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