聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第1章

第10話 侍従長レック

 ナーキアスとヴェーアがいよいよ出立するという時、レイナートは王宮謁見の間に二人を引見した。

「両名とも頼むぞ。今回の使者は周辺国へのものと等しく重要なものである」

 玉座のレイナートの前に跪いた二人は、神妙な面持ちでその言葉に頷いた。

「一命に代えましても必ずや……」

 ナーキアスがそう言って深々と頭を下げた。

「知っての通りシャスターニス陛下のお陰で私は聖剣の術式を得られたのだ。それがなければ先の戦いに勝つことは出来なかったろう。
 よって陛下は私の、否、この大陸に暮らす人々の、いわば恩人と言っても良い」

 レイナートが言う。
 もっとも自分の恩人というだけでなく「愛人」とも言えるシャスターニスであるが、そのことにはレイナートは触れない。周囲には重臣らが控えている。それらの者にシャスターニスを抱いたことを知られるのはまずいからである。
 何故ならイステラの男は妻以外の女と関係を持たぬ。たとえそれが古イシュテリア大王の身勝手とも言える聖剣の呪縛の故であっても、レイナートがシャスターニスと関係を持ったとなると、貴族らのレイナートに対する見方が悪い方へ変わるおそれがある。それ故のことである。

「存じ上げております」

 ナーキアスもしたがって余計なことは言わず、ただ頷くのみである。

「頼むぞ」

「御意」

 レイナートに念を押され、改めて頷く二人である。
 本来であれば国王の正使であるヴェーアが発言すべきなのだが、ヴェーアは寡黙な上に元は平民ということで、このような場所では特に発言しようとしない。なのでナーキアスが返答しているのである。

 また二人の背後には十名のレリエル兵も控えている。本来なら彼女らは外国の一兵士故、謁見の間にはそう簡単に入れないはずだが、レイナートが簡単にはフォスタニア館へ下向出来ないことを理由に再び呼び出されていた。
 それで神妙に控えていたのである。

「ロルニィ曹長以下レリエル兵士諸君、諸君らには長い間苦労をかけた。改めて謝罪するとともに、諸君らの活躍に対し心からの礼を言う」

 レイナートにそう言われ面映いロルニィ曹長らである。
 身重のエレノアとモーナの護衛としてイステラまでやってきた彼女らである。それは国王シャスターニスの命令であり、本来レイナートに礼を言われるようなことではない。

「わずかばかりではあるが諸君らにはイステラの剣と謝礼を下賜する」

 レイナートの言葉に侍従の装いのレックが配下を従えて謁見の間に姿を現す。侍従達は長剣と砂金の入った小さな革袋を載せた銀盆を手にしている。

「このような折故、最高級の逸品とは言い難いが、それでも我が国の名だたる鍛冶師の打った剣である。道中の守りとして存分の働きをするものと信じる」

 侍従達から長剣と革袋を受け取ったロルニィ曹長以下は喜びを隠せない。特に剣に関しては折に触れてモーナから話を聞いていたから尚更である。

 レックから求婚の印として短剣を受け取ったモーナ。イステラの一級鍛冶師が打ったというそれは、レリエルのものとは明らかに違う冴えた切れ味を有していた。別段それを見せびらかすというのでもないが、同じレリエル人としてロルニィ曹長らに、自分が見知ったイステラのことを話す一環の中でである。

 この剣を得てレックの妻となってからのモーナは袖に棒手離剣を隠し持つということはしなくなったが、短剣は妊娠中はもちろん、出産後も常に太腿に括りつけ隠し持っている。レリエル暗部諜報部門の長としてシャスターニスのために、危険な仕事、汚れた仕事にも手を染めていたモーナである。したがって日常、武器を身につけないということは考えられなかったのである。

 レックにしてみればそれは興冷めではあったが、モーナは決してそれを外さない。時には事に至ってもである。

「おいおい、勘弁してくんねえかな……」

 寝台の上、モーナを剥いて、さあこれからと思いきや、太腿に括りつけられた黒い河鞘。レックがうんざりといった表情で文句を言う。
 だがモーナはどこ吹く風といった顔。

「何をだ?」

「何をって、その鞘だよ」

 破邪の剣の力ですっかり痣が消えた美しい裸形に革鞘のみというのは、それはそれで「そそる」ものがあるのだが、何せ中身は刃物である。事の最中にブスリとでもやられたら……。まさかそんなことをモーナがするはずはなかろうが、時にモーナの表情は本当にやりかねないと思わせるほど鋭いことがある。それでつい外せと言いたくなるレックである。

「外せと言うのか? 自分だと思って片時も離すなと言っていたくせに……」

 モーナの釣り上がった目が冷たく光る。

「だから! 一緒の時は外せよ!」

「嫌だな。イステラの男が女に短剣を贈るのは、それで貞操を守れということだろう? ならば外せる訳がない。何せ毎夜毎夜忍び込んでくる盛りのついたオスがいるからな」

 モーナはそう言うと不敵な笑みを見せた。無事に女の子を産んだモーナの寝所を毎夜訪れるレックを揶揄しているのである。

「何だよ、いけねえってのか?」

 さすがに妊娠中と出産直後は我慢していたレックだが、今ではモーナを抱こうと足繁く寝室にに向かっている。
 モーナもエレノアと同様、自らの乳で娘を育てている。故にレックとは寝所を別にしているのであった。

「お前は少し我慢ということを覚えろ」

 そう冷たく言い放つモーナである。

 そう言われて苦虫を噛み潰したような表情になるレックである。だがレックにも言い分はある。

 レイナートの即位後、侍従となったレックはひと月もしないうちに侍従長となった。他の侍従ではレイナートの行動の早さ、というか、周りを無視して勝手に動き出すことについていけなかったのである。そこで皆がレックにに責任をおっ被せたということである。
 そのためレックは一日中レイナートの世話のし通しとなったが、それはもちろん苦労でも何でもないし今までもずっとそうであった。
 だが、他人に神経を使うのは、はっきり言えば苦痛だったのである。


 王宮内で侍従職にあった者達は、レイナートのあまりの腰の軽さに面食らった。
 レイナートは父王から王室参謀長の役職を与えられ、王宮に父王を訪ねたことも数えきれないほどである。それ故侍従達もレイナートのことを見知っているが、その時のレイナートはそういう気振りも見せなかった。
 大体、父王に謁見する時には会って話をするということが中心で、そんなに急ぎ立ち回る必要などなかったのである。

 だがリンデンマルス公爵時代と異なり、国王となってからのレイナートはもう歯止めが効かなかった。とにかくさっさと動き出し、自分で何もかもやろうとしたのである。

 王宮正殿には各大臣の控室があり、各省の役人が常時控えている。大臣が王宮での御前会議の合間の休憩に利用したり、王の急な呼び出しに対応するためである。侍従らは王とこの大臣控室に詰める役人達との連絡役も担っている。
 レイナートが大臣に「これこれのことで報告を受けたい」と言えば、侍従がそれを控室に伝える。大抵の場合、大臣は各省の大臣執務室で職務を遂行しているから、控室から各省に使いが走るのである。それ故レイナートが命令を出しても直ぐに大臣が現れるということは少ない。

 ところが往々にして一々各省まで使いを走らせ大臣を呼び寄せなくても、控室に保管されている書類で事足りることもある。そうなるとわざわざ呼び出された大臣は無駄足を踏むことになる。
 それを避けるためには出すべき指示がより具体的で細かくないとならない。それも時に一度で済まないことがある。ところがそうなると侍従にくどくどと説明しなければならないし、侍従の方で取り違えたり勘違いしたり抜け落ちたりということが無きにしもあらずである。となると時間ばかりかかって、中々所期の目的が達せられないということも出てきてしまう。
 それに命令を達成出来なかった侍従は処罰を与えられるということにもなる。

 それでレイナートはそれを避けるために自分で各省控室まで足を運んでしまうのである。それでもそのためだけに席を立つというのなら侍従らがレイナートを押し留め、自分で控室に走るということも出来る。

 ところがレイナートは厠に立ったついでとか、気分転換にちょっと部屋を出て、という時にも足を伸ばすのである。こうなると侍従らは泡を食ってレイナートの後を追いかけなければならない。リンデンマルス公爵家主城カリエンセス城やフォスタニア館でビーチェスやマリッセアが青ざめた顔で走り回ったのと同様である。

 ところが長年レイナートに仕えているレックは、レイナートの表情や雰囲気で直ぐに執務室に戻ってくるか、それとも自分で出向いてしまうか、という見極めが簡単に出来る。
 それ故レイナートが席を立っても同行せずに執務室で待っていたり、逆にしっかりと後についていくということがある。後について行った時は必ずレイナートはどこかに寄り道するし、執務室で待つ時はレイナートは本当に直ぐに帰ってくる。それが決して外れないのである。
 侍従らは感心してその見極め方をレックに尋ねるのだが、レックにすればそれを言葉で説明するのは難しい。それはやはり長年の経験と勘から来るからである。

 そうこうしていうちに元は平民でありながら、レックは王宮侍従の責任者とされたのである。
 と言っても要するにレイナート付きの従者のようなものである。レック自身、侍従長などという職責の何たるかはわからないし、レイナートの行動に合わせて動いているだけである。だがそれでもそれは結果として己の上司や先輩に指図することになる。それ故レックを侍従長にということになったのであった。
 だがそれは侍従長とは名ばかり、と言えなくもない。それでも肩書は肩書、役職は役職である。恨まれたり妬まれたりということがないでもない。それで常日頃他の侍従との人間関係に神経をすり減らしているのである。

 王宮を辞し、夜更けにとぼとぼとフォスタニア館に向かって歩いている時のレックは疲労困憊している。
 イステラにおいて貴族家における執事や侍女の結婚が認められていないように、侍従や女官も基本的には皆独身である。したがって王宮内に侍従らの私室はあっても、それは妻帯者が家族とともに暮らせるようにはなっていない。それでレックはフォスタニア館から毎日通っているのである。
 まさかつい目と鼻の先に家族が住んでいながら単身で王宮内暮らしというのは寂しいものだし、レイナートがそうはさせないからである。したがって疲れた体で夜半に歩いて行くというのも余計にくたびれるものである。

 だがフォスタニア館に戻り娘の顔を見てモーナの憎まれ口を聞いているだけで心が和んでくる。
 そうして更なる憩いというか癒やしを求めてモーナの寝所に向かうのだが、何せモーナは表面はかなりつっけんどんで冷たく接してくる。ところがいざとなると素直に甘えてくるところがあって、レックはそこにぞっこんである。
 まあ、要するに手玉に取られているのだが、余程のことがなければ完全に拒絶ということもないので、夜な夜なレックは疲れた体もものかは、せっせとモーナの寝所に向かっているのである。


 さて、話は戻って謁見の間、剣と金を受け取り恐縮しつつも喜びを隠せないロルニィ曹長達にレイナートがさらに言う。

「また諸君らには教皇陛下とシャスターニス陛下への献上の品の護衛を頼みたい。必ずや無事にレリエルまで運んで欲しい」

 その言葉にロルニィ曹長達の顔が引き締まった。
 両陛下への献上品の護衛など、一介の兵士などでは中々命じられることなどない大役である。責任の重さと栄誉に、我知らず武者震いが起きる。

「ははっ! 必ずやご命令を完遂いたします!」

「うむ、頼んだぞ」

 レイナートの言葉に全員が再び深々と頭を下げた。


 それを見ていた重臣達は中々複雑な思いであった。
 外国からの使者であっても、余程のことがなければ国王が自ら引見するというのは少ないことである。ましてヴェーアはともかく、ナーキアスもレリエル兵達もレイナートのリンデンマルス公爵としての私事における使いであり、本来であれば国王としてのレイナートとの謁見は筋違いである。
 だが即位して以来のレイナートは多忙に過ぎて、リンデンマルス公爵としてなすべきことを出来る状況ではない。したがって規則にこだわっていてはリンデンマルス公爵家が立ちゆかなくなりかねない。
 そこでレイナートに関することは諸事大幅な緩和が図られている。そうしないとレイナートがへそを曲げかねないからである。


 いずれにせよこうしてヴェーアとナーキアス、それにレリエル兵達はイステラを出立したのであった。

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