聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第1章

第15話 王都巡幸

 即位の演説を行った後、レイナートはエレノア、アニスと同じ馬車に乗り王都を巡回した。これは屋根のない儀装馬車で、文字通り瀟洒な装飾の施された国王専用のものである。
 質実剛健と言えば聞こえはいいが、要するに「野暮臭いイステラ」にもこんな立派なものがあったのか! と目を瞠るほどのものだが、実を言うとかつてル・エメスタから友好の証として寄贈されたものであり、間違ってもイステラ製ではないので少しも自慢出来るものではない。

「イステラの男子たるもの馬に乗れ!」

 という気風の国であるから、馬車は女子供、老人の乗り物という考え方がある。したがって馬車そのものがほとんど発達せず、国王がこの馬車に乗るのも即位の時だけである。
 そうしてこれに親子三人乗って王都内を縦横無尽に巡ったのである。


 とにかく市民に新国王の顔を見せるのがその目的、ということで巡幸するのだが、その際王都の平民は馬車が目の前を通過するまで跪いて頭を垂れていなければならないことになっている。結局のところそれは、多分に形式的な儀礼でしかないという側面がある。

 そこでレイナートは馬車の通過の際「市民は立ったまま頭を下げずにいて良い」という旨の通達を出せと、即位演説と王都巡幸の詳細を決定する御前会議の時に言ったのである。


 だが最初にこれに異を唱えたのが式務大臣である。
 式務省の役割といえば有職故実を管理し、儀式・典礼を司るもの。すなわち杓子定規ということでは右に出るものがないという役所である。となればその責任者である大臣が噛み付くのは当然であると言えよう。

「いくらなんでも平民が立ったまま陛下のご尊顔を直接見るなど不敬千万! 決して許されることではありません!」

 式務卿シャンテス伯爵は顔を真赤にしてそう訴えたのである。
 シャンテス伯爵は、過去に一度、先祖の一人が式務大臣を拝命したことがあるということで式務大臣を仰せつかった壮年の人物である。
 古き伝統を金科玉条のごとく守るのが己の務め、と言わんばかりの頭の硬さの持ち主でもある。

「いやいや、私の顔などご尊顔と呼べるほどのものではないぞ?」

 レイナートは半ば冗談めかしてそう言った。

「陛下!」

 シャンテス伯爵はますます頭から湯気を昇らせている。

「陛下……」

 こちらも当惑気味の折衝ドリアン大公が仲裁に入った。

「民を大事にし、慈しんでいらっしゃるのはわかりますが、あまり度が過ぎましても……」

「度が過ぎますか?」

 レイナートが聞き返す。

「いえ、そういう訳では……」

 ドリアン大公は狼狽えつつ手布で額の汗を拭う。
 先日、何故か四の郭にいたレイナートに呼び出され厳しく叱責されたばかりである。また怒らせて責められては叶わない。

「ですが摂政閣下の仰ることも間違いではありません。国王があまり臣民に親し過ぎるのは問題です」

 クレリオルが言葉を挟んだ。

「王室参謀長殿……」

 ドリアン大公はクレリオルの言を聞いて安堵の表情を見せた。レイナートの側近中の側近の同意を得られたからである。


 レイナートが即位したことによってレイナートの王室参謀長の肩書は自然消滅した。当然であろう。そこでレイナートはその職をクレリオルに与えたのである。
 いつでも好きな時に自由に国王に会える、というのはまさに参謀たるクレリオルにとって必要なことであるし、そういう意味で非常にありがたい職である。
 だがガラヴァリはアレンデルに、アレンデルはレイナートにと、今まで王の非常に近い血縁者にしか与えられなかった職である。故にこの時も一悶着があった。擦った揉んだの挙句、クレリオルが、やはり庶子とはいえ、名門エテンセル公爵家に連なる者であるということで解決を見、ようやく王室参謀長になったのであった。


「王は貴族、国民から畏怖されるべき存在。親しまれるよりも恐れられる方が重要です」

「おいクレリオル、それはそうかもしれんが……。」

 クレリオルの言葉にレイナートが声を高くする。
 だがクレリオルはそれを無視して続ける。実は事前にレイナートと打ち合わせが出来ているのである。

「ですが陛下の場合、その恐ろしさはアレモネル商会事件の時に知れ渡っていらっしゃいます。これ以上恐れられては民心は萎縮し、かえって良くないのではないでしょうか?」

 クレリオルが言う。

「それは確かに……」

 衛士総長が頷きつつ呟いた。この衛士総長はアレモネル商会事件の時は副総長だったが、前任者の引退に伴い昇格した人物である。

「あの事件はなんともおぞましい事件でしたな。特に首を切られてもしゃべり続けるなど普通ではありませんからな。
 まさに古イシュテリアの聖剣ならでは、ということではないでしょうか?」

 予期せぬところからの援護もものかは、シャンテス伯爵は譲らなかった。

「だが現実はどうか? 紙幣に関しては勅命を無視する者がおったではないか?
 大体、国王ともあろうお方がこっそり王宮を抜け出すことからして言語道断……」

 変な方に話が飛び火しそうな雰囲気になってきた。そこですかさずクレリオルが口を挟んだ。

「それは確かにその通りですね。
 ですがこれ以上締め付けると、確かに、陛下の勅命への服従率は恐ろしく高いものとはなるでしょうが、下手をすると国民全てが奴隷化しかねないのではないでしょうか?
 政《まつりごと》を司る者からすれば、確かにそれは非常に御しやすくなりますから歓迎すべきことなのかもしれませんが、それでは目覚ましい発展ということに関しては期待出来なくなるのでは? 過度に萎縮させてしまっては、嫌々やることはあっても自ら積極的に事を成そうとしなくなると思われますが……」

「王室参謀長の言うことももっともではあるな」

 先日叱責された件での萎縮から少し立ち直った宰相シュラーヴィ侯爵も頷く。

「ですからこの際逆に、レイナート陛下の親しみやすさを全面に打ち出した方が良いのではないかと思うのです。
 親しみやすく身近に感じられる王。だが一皮むけばその恐ろしさは筆舌に尽くしがたい。となれば民が陛下を侮ることなど有りようはずがありません。
 演説では恐ろしさを、巡幸では親しみを打ち出す、としてはいかがですか?」

 クレリオルはそんなことまで言う。

「親しみやすさというが具体的には? まあ、確かに跪いて頭を垂れなくていいというだけで民にとっては親しみやすいだろうが、それだけで良いものなのか?」

 軍務卿シュピトゥルス男爵が尋ねた。

「そうですね……、それではこういうのはいかがですか?
 例えば王妃陛下の尻に敷かれているところとか、女官長にやり込められているところとか、そういうのを見せるというのはどうでしょうか……。そうすればぐっと親しみやすさが増しませんか?」

「おい、クレリオル!」

 レイナートとクレリオルの事前打ち合わせでは、とにかく巡幸の際、市民を立たせたままでいさせるのを重臣達にどう納得させるか、というものである。そんな情けない姿を晒すなどというのは打ち合わせにない。

 だがこれは重臣らの興味を大いに惹いたようだった。

「ほう? 陛下も恐妻家でしたか?」

 関心したようにシュピトゥルス男爵が聞く。

「それではお前もそうだと言ってるようなものだぞ、ロムロシウス?」

 シュラーヴィ侯爵がニヤニヤ顔で言う。

「うちは閣下のところほどではありませんから……」

 シュピトゥルス男爵はすまし顔である。

「こんなところで恐妻自慢をして何になる! 大体そういうのに限って半ば惚気けているに過ぎないということに相場が決まっておる! そういうのは他所の機会にやっていただきたいものですな!」

 シャンテス伯爵は声を荒らげる。その上鋭い視線で睨まれてバツの悪そうな顔をする二人である。

 そこでクレリオルが言葉を挟んだ。

「まあ冗談はさておき、とにかく陛下にこれ以上強面になられては後々面倒なのは確かでしょう。
 民が萎縮するのみならず、下手をすれば貴族達までも陛下の顔色を窺うようになります。陛下を『裸の王様』にしないためにもそれは避けねばなりません。
 どうでしょうか、ここはひとつ、市民らを立たせたまま陛下の馬車を見送らせるというのは?」

「しかしそれでは……」

「どうせ後にも先にも一度きりのことです。
 それにこれしきのことで陛下を軽んじる者などおりますまい。よしんばいたとしても、その時は己が後悔するだけです。もっとも、後悔だけで済めばの話ですが……」

 平民が聞けば縮み上がるような言葉で締めくくったクレリオルである。

 ただし「一度きり」と言いながら、後にレイナートの行幸の折、平民が跪いて出迎えることは一度としてなかった。
 それにこの時は、演説は更なる畏怖心を喚起させるまでいかなくとも、レイナートが何者であるかを思い出させる内容とすることで合意したが、実際の内容はそれからは程遠かったと言わざるをえないものであった。
 だが一度決定し通達を出してしまえばこちらのもの。ということでレイナートの王都巡幸の際、沿道の市民達は跪かずに馬車を見送ったのであった。


 そうしてレイナート、エレノア、アニスを乗せた馬車は、前後を馬上のクレリオル、ギャヌース、アロン、エネシエル、キャニアンらと近衛兵の一隊に守られて王都内の隅々を巡回した。
 ところが沿道を埋め尽くした市民達は跪かなくて良い、頭を下げなくて良い、と言われて実のところ困った。では他にどうすればいいのか、過去に経験のないことだけにわからなかったのである。
 沿道にはもちろん市民だけでなく国軍兵士や衛士も警戒に当っている。したがって下手なことをしたら捕らえられるかもしれない。その虞があったからである。それ故市民達は押し黙ったまま身動きせずに馬車を見送るということになりかけた。
 そこで初めからそれを見越したクレリオルがレックに命じ、レックは平民姿で市民に紛れ込み、馬車が近づくと声高に叫んだのである。

「国王陛下バンザイ! 王妃陛下バンザイ! 王女殿下バンザイ!」

 大声でそう言いながら両手を目一杯上げるレックを兵士らは咎めなかった。そのような通達が初めから出されていたのである。
 何度かレックがそのように叫んでいるうち、市民らも少しずつ同調し始めた。

「国王陛下バンザイ! 王妃陛下バンザイ! 王女殿下バンザイ!」

 初めは小さく遠慮がちに、だが段々と大きな声で皆が声を出したのである。
 一度そうなれば後はもうレックが煽る必要もない。沿道の市民は途切れることなく並んでいる。馬車が差し掛かると次から次へと大声を出したのである。

「国王陛下バンザイ! 王妃陛下バンザイ! 王女殿下バンザイ!」

 それはやがて熱狂的な市民の歓迎という様相を呈した。そうしてそれはかつてのイステラでは一度もなかった光景であった。
 王の即位に伴う王都巡幸に王妃や王子王女が伴うということは今までにもあった。皇太子時代に結婚し子をなしてから即位、ということがないではないからである。だが市民が跪かずに馬車を見送るというのは初めてなのであった。

 ところが、熱狂的な市民の歓迎を受けたレイナート達だが、赤子のアニスはびっくりして目を見開いて市民らを眺めていたがやがて怯えて泣き出してしまった。エレノアにしがみつきわんわんと泣き出したのである。

「大丈夫よ、アニス。何も心配ないから……」

 エレノアがそう言ってなだめるがアニスは泣き止まない。
 もう市民らは馬車の進路の先の方まで大声で「バンザイ」と唱えている。今さらそれを中止させるのも難しそうであった。
 困り果てたエレノア。きっかけとなったレックは顔を青くしてあたふたしている。
 そこでレイナートはエレノアからアニスを受け取って優しく抱きしめて言ったのである。

「大丈夫だ、アニス。お前には私が、私達がついている。それに彼らはお前に害を与えようというのではない。お前のことを喜んでくれているのだ」

 レイナートの言葉をアニスが理解出来たかどうかは怪しい。
 だがレイナートの力強い腕の中で恐る恐るその顔を窺ったアニスである。レイナートよりも若干濃い色の肌、黒いつぶらな瞳でレイナートを見つめた。
 レイナートは毅然とした中にも優しい笑みを湛えながらアニスを見つめた。

 アニスはレイナートに抱かれたことで安心したのか、やがて泣き止んでチラチラと周囲に視線を巡らせた。そうしてレイナートを見る。レイナートは無言のまま頷く。そうしてアニスはその後怯えることなくレイナートに抱かれたまま馬車での巡幸を無事に終えたのである。
 ここに来てようやくレイナートはアニスを抱くことと、目を合わせるということが出来たのである。

 いつの間にかレイナートの顔には満面の笑みが浮かんでいた。

―― こんなことなら、さっさと王都巡幸をしておけばよかったな……。

 そんなことを考えながら、馬車に揺られていたレイナートであった。


 その日はよほど嬉しかったのだろう。レイナートの記録には珍しく感想が書き記されていた。
 それはもちろん三人で馬車に乗ったことに関してもだが、今ひとつ古イシュテリアの聖剣「破邪の剣」に関するものもあった。

 曰く『「破邪」の刃のひび割れが減っているような気がする。どういうことだろうか? 呼び掛けても一切応じないし、完全に死んでいるのではなかったのか? 鞘の方は修復したがこちらも呼び掛けても応じない。よくわからないことだ。あの絶大な力を再び欲しいとまでは思わないが、最後に「魔」が残した言葉も気にかかる……』

 鞘に関しては見た目は元の姿に完全に戻っている。だが剣そのものはひび割れたままである。だがそのひびが減っているような気がしてならないレイナートであった。

 演説と巡幸には破邪と元の鞘を提げて臨んだレイナートである。初めから剣を抜く気がなかったからこれでいいだろうと考えてのことであったし、やはり複製というのは何か違うと感じたからである。


 ところでレイナートがビューデトニア城の地下でライトネル王子と戦った後、その場に現れたドス黒い霧のようなもの。それが発した言葉「我は人の心の闇から生まれ、人の心の闇に巣食うもの……。人がこの世にあるかぎり、我もこの世はからは消え去らぬ……」

 あの信じられないような出来事。あれからすれば「魔」は消滅した訳ではない。となればいずれ再び「魔」と相見えることがあるかもしれない。その時「破邪」なくして自分は戦えるのだろうか?
 だが一方で、人が魔を呼び込まないようにすることが出来れば、そのような心配は必要なくなるとも思える。しかしながら、それは可能なことなのだろうか? 「知足安分」は理想かもしれないが、果たして全ての人がそうなれるのだろうか?
 事実、レイナートがコゥジストス国内を巡り、ビューデトニア・シェリオール連合軍と刃を交えた時、連合軍に寝返ったコゥジストスの人々は結局のところ改心出来ず「破邪」の露と消えた。レイナートが体力を削り、人々を思い心を改める機会を残しても、心を入れ替え立ち直った者のなんと少なかったことか。

 それがあるから、レイナートは即位して王となってから、一貫して人々のことを考えて行動していた。
 人の心に巣食う闇。それは人の悪しき感情、すなわち不平、不満から呪い、妬み、憎しみ、恨み、復讐心といったものから生まれるという。
 そうして心の闇が「魔」を呼び込むという。
 もし再び魔が地上を支配しようと、否、それだけでなく魔の力を利用して己の野望を遂げんとする者が現れた時、自分はその者に勝てるのか? 勝つ手段はあるのか?
 それを考えるとレイナートは戦慄せざるを得なかった。

 レイナートが他国の王と根本的に異なっている点は、重臣達に甘いと思われ、自ら消極的な策であると知りつつも、常にそのことを念頭に置いて政務を取っていたということに他ならない。

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