聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第1章

第18話 弔問外交 (1)

 国葬の日の朝、王都には重苦しい鐘の音が響いた。日の出に鳴らされる(とき)の鐘。通常鳴らされるものとは異なり緊急時に鳴らされる、より大きく低い音の鐘が鳴らされたのである。
 それはもちろん国葬の故にである。

 その鐘の音が鳴り始めると、王都の住人はそれぞれ住んでいる地区ごとにまとまって二の郭を目指す。
 通常、二の郭には平民が自由に出入りすることは許されない。だが今回は王の国葬であるし、先の王太后の国葬も併せて行われる。したがって格別の温情により、望む者全ては葬儀に参加して良いという通達がなされたのである。

 会場となったのはレイナートが即位演説を行ったのと同じ場所で十分な広さがある。屋外ながらここに祭壇が設けられたのである。そうしてこの大広場の周囲は国軍兵士がびっしりと取り囲み警戒に当たっている。

 国葬には王都の市民のみならず、貴族領からの領民も来ている。それはもちろん領主の許可を得てである。先の国王アレンデルや王太后セーリアに恩義を感じていたり、遺徳を偲んだりという貴族は、領民にも国葬への参列を許可したのである。
 とは言うものの遠方の場合はそれも無理な話で、集まったのはせいぜい何とか日帰りが可能な近場の貴族の領民達に限られていた。


 もっともイステラでは国葬とは言うものの取り立てて何か儀式が行われる訳ではない。人々は順々に祭壇の前に進み、跪き頭を垂れるのみである。中には花を手向ける者もいるが、それも全員という訳ではない。

 平民の参拝は午前の中の刻の鐘までと定められていた。中の刻の鐘が鳴ると今度は王族、貴族、さらには外国からの弔問団が祭壇に祈りを捧げる。この時には一応レイナートが弔辞を読み上げることになっているが、何せ死者の霊魂の存在などというものをほとんど信じていないイステラ人である。したがって弔辞もさして長いものではない。

 それが済むと全イステラ貴族が馬に跨がり葬列を形成する。現在の貴族家当主の中には五~六歳の子供もいる。しかしながらさすがに「剣の国」「武の国」と呼ばれるイステラである。従者は伴うものの子供であってもちゃんと馬の背に一人で跨がり粛々と馬を進めていく。

 大手門を出て外堀を越えると直ぐに右に折れる。そのまま堀に添ってしばらく進んでいくとやがてトニエスティエ城背後の墓地にと至る。ここが王都の墓地で王都で亡くなった者が皆埋葬されている。
 区画は王族と貴族、平民、さらに罪人や奴隷とに分けられている。なだらかな斜面に無数の墓が並んでいる。目につく大きな墓は初代イステラ王、イステラ中興の祖、第二十三代レイナート王、さらに先々代王のガラヴァリのものの他いくつかあるだけである。
 そのガラヴァリの墓の直ぐ隣にはセーリアのが、ちょっと離れた所にアレンデルの墓が作られたのである。

 墓地においても取り立てて特別なことは行われない。喪服を着た近衛兵が馬車から石棺を降ろし墓石の中にと収める。そうして分厚い石を置いて墓に蓋をして埋葬は終了である。
 これがレリエルや、宗教のある国ならば祭官が祈りの言葉を捧げたり参列者にお説教をするところだがそういうものもない。
 埋葬が終了すると参列した貴族達は三々五々解散する。中の刻の鐘からそれまで半刻足らず。他国の者が見れば呆気に取られるほどあっさりとした、イステラの葬儀がこれで終了するのである。

 だがこの、儀式とも呼べぬ葬儀に顔を出すためだけに各国使節は遠路遥々イステラまでやって来た訳ではない。重要なのはその後に行われる弔問外交である。


 レイナートの家臣らが使者に立って各国にレイナートの即位を通達した。その時点で各国はレイナートの即位に対する祝賀と先王への弔問使節を派遣することを検討した。
 だが、当のイステラにおいて国葬を行うかどうかがその時はまだ不明であった。なのに使者を送っては先走りの感が否めない。それに後に正式な国葬が営まれるとなったら再び使者を送らなければならない。それでは二重の手間になるので直ぐに使者を送ることは控えたのである。

 だが強い結びつきのあるイステラの王が変わったとなれば、当然今後の関係からも直接新王との会談を持つことは必須である。
 それ故各国では一応準備だけは怠ることなく進めていた。新王レイナートと何を話すか? 両国の関係を今後どのようにしていくか? 当然それらについて事前に打ち合わせをしておいたのである。
 また各国の王も重臣達もレイナートとは面識がある。だがレイナートは以前会った時のレイナートのままなのか? 王となってもその為人に変化はないのか? これは直接会って確かめるしかない。
 今回国葬の実施を告げる使者の来訪からその日取りまでに時間の余裕がなかった。そこに驚きこそすれ、各国がすぐに使者を送り込めたのはそれが理由であったのである。


 墓地から戻った貴族らはそれぞれの屋敷に入る。レイナートはもちろんエレノアとアニスを伴って王宮へである。
 外国からの弔問使節は宿となる五大公家の屋敷へ入り、そこで喪服から礼服に改め王宮へ上る。

 王宮内、王の執務室の隣には王の居間がある。ここが弔問使節との会談の場である。
 一番手はル・エメスタ。イステラとは長く同盟関係にあることから最初とされたのである。使者は何度もイステラを訪れている国王の弟公爵夫妻。当然レイナートとも旧知の間柄である。
 ただしイステラにおいて女性は公式会談には列席しない。したがって会談を持つのはレイナートと弟公爵で、その婦人たちは別室で別個に会っている。

「遠路遥々ありがとうございました」

 レイナートはそう言って頭を下げる。

「いえいえ、亡き両陛下には随分とお世話になりましたからな」

 弟公爵はそう言って首を横に振る。

「しかし貴方様がご即位され、イステラの新たな王となられるとは全くの予想外でしたな」

 レイナートの出自、そうしてリンデンマルス公爵時代のことを知っているからだろう、弟公爵の口調は幾分親し過ぎる感がないでもない。

 だがレイナートはそのようなことはあまり気にしない。
 元々重臣らとの会合でもぞんざい、もしくは傲慢な上からの物言いをすることはなく、目上と言うか年上には丁寧な言葉遣いを心掛けているレイナートである。本当に気さくな口調で話をする相手はエレノアや家臣らとだけであり、また他人の自分に対する言葉遣いなど全く意に介さないところがある。したがって会話は滞り無く進んでいく。

「ええ。私も帰国して、まさかこういうことになろうとは思ってもいませんでした」

「でしょうな」

 弟公爵が頷く。

「ところで貴国はその後いかがですか? 高原の上と下を結ぶ街道にかなりの被害が出たと伺っておりますが?」

「ええ。頭の痛いことにこれが中々簡単には解決せんのでしてな」

 弟公爵の顔が曇る。

 ル・エメスタは国土の大半はエメスタ高原上であるが、西部から南部にかけては高原の下の平野部にも存在する。この部分に領地を持つ貴族らは高原の崩落によって少なからず被害を被った。だがそれよりも深刻な問題は、その崩落によって高原の上と下を結ぶ峠道が寸断されたことである。

 高原の上は冷涼な気候に狭い面積ということもあって農業生産に限りがある。したがって国内産であれ外国からの輸入品であれ食料の大半は高原の下から移送されてくるのである。
 したがってル・エメスタの特に高原上においては食料不足が起きているのであった。

 元々高原の上下を結ぶ峠道は国土防衛上の理由から幅広くは作られていない。故に崖が崩れて道が更に狭く、もしくはなくなってしまった所は壁を切り崩して道を拡げなくてはならず、その崩した土砂は延々と運び出さなければならない。その間食料などの荷を運ぶ馬車を止めなくてはならない。
 これが高原上に十分な食料を運び込めない理由であった。

「それは大変ですね」

 レイナートも心配気な顔となった。
 イステラも国土のほとんどは丘陵地だが崖のようになっている所はない。したがってル・エメスタのような状況になっている箇所はなかった。

「ええ、まあ。ですがこれは我等の手でどうにかせんとならんですからな」

 弟公爵が言う。この件ではイステラの援助はあてにしていないと暗に言っているのである。

「でしょうね」

 レイナートも頷いた。
 実のところあてにされても資金や労働力の提供など出来ない。したがって自分のことは自分でやってもらうしかない。

「いずれにせよこれが解決したなら、またイステラにご厄介になると思いますな」

 弟公爵はそう言って口をつぐんだ。それはイステラからの食糧支援ということである。

―― だが、いつまでもあてにされてもな……。

 そう思うレイナートだったが、それは口にしなかった。


 元々ル・エメスタは深井戸掘りの技術や揚水風車の開発など、自分達はイステラに比べて技術先進国だという自負がある。実際には製鉄や鍛冶の技術はイステラの方が進んでいるのだが井戸や風車は大掛かりなだけに目につきやすいのである。
 したがってル・エメスタにとってイステラはあくまでも食料の供給国という位置づけなのである。

 ところでレイナートの力添えによって現在はロズトリンのフィグレブの地にも揚水風車が設置され大規模な農耕が推進されている。これはイステラに代わる新たな食料供給国たらしめんというル・エメスタの思惑からである。
 だが用水路に塗るはずの石灰はビューデトニア・シェリオール問題の影響で十分な量が確保出来ていない。なので思うような潅水が未だ実現していなかった。
 しかも長い間の塩害で土中に塩の層が出来ており、これが作物の生育に影響して中々思うような成果が上がっていなかった。故に食料供給元としていまだロズトリンは確実性に欠いていたのである。


「いずれにせよ互いに未曾有の国難を迎えておる。よって今後共イステラとは友好関係を維持して行きたいと考えておる。これは我が国の総意と捉えていただいて構わない」

「それは我が国も同様です。互いに力を合わせましょう」

 両者はそう言い、会談は締めくくられたのである。


 次の会談はアレルトメイアである。
 レイナートの伯母メリネス王女が輿入れしたアレルトメイア公王家は、したがってレイナートにとっては血族に当たる。
 そのレイナートに爵位を与えた上、現公王夫妻の長女エメネリア姫を嫁がせるというアレルトメイアの目論見は、レイナートのあまりに常人離れした特異性の故に一旦は頓挫した形である。イステラ貴族の反発も強い。それ故両国の関係は一頃に比べるとかなりギクシャクしていた。
 これを何とか改善したいというのが今回のアレルトメイアの弔問外交の一番の目的である。

「ようこそお出で下さいました、グランバル皇太子殿下」

 レイナートは立ち上がってグランバル皇太子を出迎えた。

「いえ、陛下。そのように御自らお立ちになってのお出迎えなど……」

 グランバル皇太子が慌てる。

「まあ、いいではありませんか、従兄弟(いとこ)同士ですし……」

「そう仰られても……」

 恐縮するグランバル皇太子である。

 アレルトメイアの使者は再びエメネリア姫ではなくその兄で皇太子のグランバルであった。もっとも先の国王弔問と新国王即位の祝賀の使者である。王位継承権第一位の皇太子でないという方がおかしいことでもある。

「さて貴国の様子はいかがですか?」

 レイナートはグランバル皇太子に椅子を勧めつつ聞いた。

「それが中々……」

 グランバル皇太子も顔を曇らせる。


 レギーネ川、ノテル川に囲まれた巨大な三角州といった形状のアレルトメイアは先の大地震による水害が酷かった。増水した川の水が内陸部にまで押し寄せ、一切を汚泥で覆ってしまったのである。
 確かに上流からもたらされ堆積した土は沖積(ちゅうせき)土と呼ばれ、粘土分や有機質を多く含み保水性や保肥力に優れる一方で排水性に劣る。すなわち肥えた土だが水はけが悪いということである。そのためアレルトメイアでは中々土地から水が引かず、排水のための用水路を整備する必要に迫られ思うような耕作が出来なくなっているのである。
 また大地震の震源が大陸西部のビューデトニアであったということで東部海岸には津波こそなかったものの、やはり海岸線にも被害が出ており、主要産業の一つの製塩業が芳しくない状況に陥っていた。
 これは本来であれば近隣諸国に大きな影響を及ぼす事態なのだが、実は替わってリューメールが塩の供給元としての地位を確立しつつあり、アレルトメイアにとっては憂慮すべき事態なのであった。

「それは何と申せばよいのか……」

 レイナートは文字通り掛ける言葉を失った。人智がどれほど進み誇ったところで自然の力の前には微力である、と言うのとは異なり、あの大地震のきっかけはレイナートとライトネル王子の戦い、否、魔との戦いの結果である。そう考えると己にも責任の一端があるどころか多くの部分であると改めて思えてならない。

「ただし不幸中の幸いということでもありませんが、国全体が難儀している中で、今まで中々一致協力することのなかった北部と南部の貴族が手を携える兆しが見えてきまして……」

「それは素晴らしい!」

 南北に細長いアレルトメイアは北部と南部の人種が異なる多民族国家である。これは様々な面で確執を生み国内がうまく収まらないということにつながってきた。そうして歴代公王家はこの国内融和に腐心し続けてきたという歴史がある。イステラから王女を迎えたということもその一つであった。
 それが災害からの復興という点で協力し合う機運が見えてきたということである。

「先はどうなるかわかりませんが、今はこの協調意識の高まりを歓迎する声も多くなっています」

「そうでしたか」

 グランバル皇太子の言葉にレイナートは少し肩の荷が下りたような気がした。

「我が国も色々と難儀することが多いので中々お力になれず申し訳ないと思っています……」

「いいえ! そのお志だけで十分です。
そうして今後とも変わらぬご厚誼を賜れれば、というのが我がアレルトメイアの偽らざる本心です」

 このように最後は、今後とも協力体制を維持するということで会談は終了した。
 レイナートの襲爵とエメネリアとの結婚問題のこじれから関係がギクシャクしていたとは思えないほど、両国は、少なくともレイナートとグランバル皇太子の間は、和やかなものであった。

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