聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第1章

第19話 弔問外交 (2)

 今回各国との個別会談にイステラ側はそれぞれ十分な時間を取っていた。それ故会談も二日間、最悪三日になっても良いという日程を組んでいたのである。
 ところがル・エメスタ、アレルトメイアとの会談は予想以上に短い時間で終了した。それは両国に「自分たちはイステラと対等」という意識があるからであり、援助を当てにして変に己を卑下したり(へりくだ) ったりする必要はない、と思っているからであった。それ故つけ込まれることを恐れてレイナートに対し、あまり細かい内情を説明するということがなかったからである。
 一方のイステラ側もそれは同様で、あれこれと状況を説明したところで他国にすれば「だから何?」と言われて終わりになりかねない。互いに被害の大きさ自慢をし合ったところで何の益はないのである。

 またレイナートの人物にも以前に比べ取り立てて大きな変化があるとも思えなかった。これが全く見知らぬ人物であればいわば腹の探り合いのようなことがあったかもしれないがそれもなかった。
 したがって両国との会談があまりに早く終わってしまったため、予定を繰り上げてその日のうちにエベンスとの会談も行われることになったのであった。


「急に予定を変更しまして大変申し訳ありません」

 使者に頭を下げるレイナートである。

「いいえ、どうぞお気になさらぬようお願い致します。わたくしにとっては少しでも早く陛下とお話出来る方がかえって喜びですわ」

 そう言ったのは、エベンスの使者としてレイナートとの会談に臨む第一公女のミュリュニエラである。

「お久しゅうございます、陛下。
 いつぞやは大変失礼いたしました。」

 優雅に腰を屈め頭を下げるミュリュニエラ、イステラ一どころか大陸一の美女とも評されるコスタンティアに比べても遜色ないのでは、と思えるほどの美貌と成熟した大人の色香を漂わせていた。
 もっとも二人が初めて出会った時レイナートは十七歳、ミュリュニエラは十四歳である。それから七年も経っているのであるから当然のことであろう。

「遠路遥々ご苦労様でした、ミュリュニエラ王女殿下。
 どうぞお掛け下さい」

「ありがとうございます、陛下」

 ミュリュニエラの態度はどこまでも落ち着いていて、以前のように挑むような勝ち気な態度ではなかった。

「改めまして陛下のご即位に、心よりのお祝いを述べさせていただきます」

 ミュリュニエラはレイナートの向かい側、体を少し斜めに、顔だけは正面に向けて座り、柔らかな笑みと共にそう言った。歯に衣着せず言いたいことをズケズケと言うかつての姿はなく、まさに貴婦人という言葉が相応しい佇まいである。

「ご丁寧に恐れ入ります」

 レイナートが軽く頭を下げた。
 だが内心は強い警戒感を抱いている。

 ミュリュニエラの弟、第一王子は既に元服し立太子も済ませている。にも関わらずミュリュニエラが使者としてやって来た理由は那辺に有りや?

―― もしかして結婚の話を蒸し返すつもりか?

 レイナートは密かに危惧している。猫を被った? 態度もそのせいなのではないだろうか?


 北部五カ国連合の合意に基づく各国駐在館設置協議。その時にはなんとしてもレイナートに輿入れするべく重大な決意を秘めてイステラに乗り込んできたミュリュニエラ。だがレイナートの持つ破邪の剣の威力の凄まじさ故に、かえって輿入れは不可能ということで一旦は引き下がったエベンスである。
 だが新国王の即位の祝賀と先王の弔問の使者として、王位継承権第二位は決して低いものではないが、皇太子がいる以上礼を欠いていると非難されても文句は言えない人選である。それでもあえてミュリュニエラを送り込んできた以上、そこには然るべき理由があるはずである。
 レイナートはそのように考えたのであった。

 そうしてこの惧れは半ば的中していた。ただしそれはミュリュニエラの輿入れではなく、ある意味で人質としてレイナートに「提供」される目的でである。

 ル・エメスタの属国と化しているエベンスも大地震で大きな被害を受けていた。だがル・エメスタは自国の復旧に専念しエベンスはないがしろにされていた。
 ではと言ってディステニアに援助を頼もうにも国王は重症で寝たきり、とても依頼出来る状況下にないのは明白である。
 さらにディステニアとイステラの間の橋は流され直接行き来出来なくなっている。したがってイステラに援助を依頼しようにも延々とル・エメスタ国内を移動していかなければならない。果たしてそれが可能か? イステラからエベンスへの使者であれば融通を利かせてくれるかもしれないが逆の場合はどうか? 後回しにされてそれっきりということが現実に起きかねない。
 エベンスにとって状況は最悪としか思えなかった。そこで今回の機会を最大活用しようというのであった。


 レイナートが即位したという勅書には当然ながら王妃となったエレノアと王女となった娘のアニスのことも記されていた。そうしてイステラは側室を認めぬ国。だから国王レイナートの側女になることは叶わない。
 一方でレイナートは「リンデンマルス公爵としては独身」である。とは言うものの通常複数爵位を持つ貴族であっても正妻は一人である。そうしてレイナートはこの問題には人一倍「硬い」考えを持っている。だからこちらも目はないだろう。
 だがそんなことはこの際どうでもいい。これを機会に何としてもレイナートに取り入る。そうでなければエベンスに先はない。

 もちろんミュリュニエラにしても、たとえイステラ有数の大貴族の妻となれたとしても、平民上がりの王妃の下につくことには虫酸が走るほどの嫌悪を感じる。一国の王女としては当然であろう。だがこのままではエベンスは滅びかねない。座してそれを待つことは出来ない。
 所詮王族・貴族の娘は政略の道具と割りきって考えているミュリュニエラである。祖国のためならば甘んじて道具になろうという覚悟は元々出来ていた。ならば祖国の為に己を殺してでも事を成就させねばならぬ。

 それでもやはり可能ならば、とつい思うもがなのことを考えてしまう。だがたとえどれほど望んでもリンデンマルス公爵家に妻として迎え入れられるということはないだろう。それが無理なら側室でもいいがそれもやはりありえないとしか思えない。
 であれば人質としてでも構わない。それで祖国が救われるなら本望である。だからなんとしてもそれをレイナートに認めさせなければならない。
 それが今回の使者にミュリュニエラが選ばれた一番の理由であり、祖国の期待を一身に集めてのイステラ入りであった。


 ミュリュニエラはエベンスの状況を淡々と説明し、イステラの援助が必要なことを訴えた。だが見返りにエベンスが提供出来るものは何もない。そこで自分が人質となる覚悟があることをやんわりとオブラートに包んでレイナートに告げたのである。

「そうですか……、それは中々大変な状況ですね」

 レイナートは極めて平静を装い、そう述べるに留まった。

―― これは安易に返答は出来んな……。

 どのような形であれ他国の公女を迎え入れるとなると、それはもう高度な政治問題である。いくら王とはいえ己の一存で決定出来ることではない。

―― エベンスの人々のためにも力にはなりたいが……。

 だが今ここでそれを考えている暇はない。
 それにレイナートには逆にエベンスに依頼したいことがあった。

「ところで実はこちらも貴国にお願いしたい義がありまして……」

「それはどのようなことでございましょう?」

 ミュリュニエラが小首を傾げて尋ねた。なんとも魅惑的な笑顔とともに……。

「実は我がリンデンマルス公爵家で雇い入れいている貴国のシュルムンド、グレリオナスのグラモニオ子爵兄弟を我が国へ帰化させたいのです」

「まあ、それはいかなる理由からでしょうか?」

「ええ、実は来春を目処に我が国においても教育省を発足させようと考えております。彼らにはその中心人物として我が国における教育行政の整備をしてもらいたいと考えております」

 いくらなんでも外国籍の人間を大臣に任命する訳にはいかぬ。したがって教育行政を始めるにあたってはまずそこから始めなければならなかった。

「それは素晴らしいお考えですね、陛下」

 ミュリュニエラが満面の笑みを見せた。教育先進国の人間として、自国の者が他国において高い評価を得ることに素直に喜んでいるのである。

「それで具体的にはどのようなことを?」

「そうですね……、今考えているのは、全国民のうち六歳から十二歳までの子供に等しく教育を施そうと考えています。そのためには教育体制を整えなければなりません。そこでエベンス出身の二人に働いてもらいたい、我が領地においての経験を活かしてもらおうということです」

「そうですか……。それは重ね重ねも素晴らしいことと存じます。ですがこれは今わたくしの一存では確約出来かねますので、国に帰りましたら前向きに対処するよう父上に諮ってみます」

 そこでミュリュニエラは出された茶を優雅に口に運んだ。
 やはりエベンスの王女。その美しい正統イシュテリア語以上に所作は優れたものである。

「それにしても全国民にですか? それは平民にも教育を施すということなのですか?」

 茶碗を戻しながらミュリュニエラが尋ねる。

「もちろんそうです」

 レイナートは当然といった顔でそう答えたのである。

 リンデンマルス公爵家の冬期学校。それは当初、物好きなことを始めたと貴族達から白い目で見られていた。だが大地震の後、各省において事務官が足りなくなった時に、リンデンマルス公爵家の領民達が遺憾なくその能力を発揮したことで俄然認識が改まった。
 そうしてレイナートの打ち出した全国民への義務教育制度。だがこれは中々周囲の理解を得られないでいた。
 確かに新国王の言う通り、日頃から人材の育成を図っておくということの重要さはわかる。だが全国民対象というとその規模が大き過ぎるのではないか? 大体貴族と平民を共に学ばせるのか? 女子に教育は本当に必要なのか? 予算はどうするのか? さらに言えば施す教育の質にバラつきは出ないのか?
 様々な点で異論、異見が噴出したのである。

 だが未だ各省においては人材不足は解消されていないし、官吏達の能力にバラツキもある。これをなくし将来の優秀な人材を確保したいというのがレイナートの考えであり、それが最後には基本的に受け入れられ、それを実現すべく動き出そうとしているところであった。

 ただ領地の学校では十五歳まで教えたが、今度の義務教育制度構想で十二歳までとしたのは、平民のどの家庭においても十二、三歳になると家業を手伝い始めるからである。
 十五歳まで学校なるものに縛られては子供にきちんと仕込むことが出来ない。そういう意見が領地にもあったのである。ただ領地の場合、冬期に限られていたからそれでもまだ不満は小さかった。
 だが年間を通してとなると国民や貴族の理解が得難いのではというのがシュルムンドを始め、家臣や重臣らの意見だった。
 第一、全国民ということは当然貴族領の領民の子供も含まれる。これらに対しても協力と理解を得なければならない。頭ごなしに命令することは簡単だが、面従腹背では何にもならないのである。


 元々「武の国」と呼ばれるイステラにおいては、学問よりも武術の方が重要視される傾向がある。したがって貴族領の平民の次男、三男は国軍に志願し職業軍人となるものが多いし、直轄領の場合なら衛士隊を志す。

 ところで各省の官吏、役人は貴族、平民の別なく存在する。だがそれは兵役で兵士よりも事務職の方が向いているとされた者が多い。自分から官吏を目指す者というのは多くないのである。
 また各省大臣は基本的には五大公と、由緒ありしかも有能な貴族によってその席が占められる。その際五大公らは自分の腹心を連れて大臣職に就く。その時に自家の使用人や領民を役所内に配するということも珍しくない。仕事をさせるなら、よくその人物を知っている者に任せた方が何かと安心だからである。

 そうしてイステラの場合は大臣に任期がない。余程の不祥事を起こさぬ限り、老齢を理由に引退するまでその職を辞すことはない。ということは大臣の職に十年以上、時には数十年就いているということもあるのである。
 イステラでは公職に関して、世襲ということは基本的にないが長らく省勤めをしていればその子が親と同じ省に入るということも珍しくない。親がそのように教育しているということもある。
 そういうこともあって広く門戸を一般に開いているとは言い難い状況があった。そうして今まではそれで何も問題はなかった。だがそれが結果として、急場に必要な人材の確保が出来ないということにもつながっていると痛感させられたのである。

 レイナートが続ける。

「さらに言えば、これだけではやはり十分とは言えないでしょう。よってより高度で専門的なことを学べる上部学校も後々は考えないとならないと思っています。もっとも貴国の高等大学院のようなものが必要になるまでは長年月を要するでしょうし、今はそこまでは考えていません。
 ただご承知の通りイステラの男子には兵役義務があります。これとどう整合を取るかについては課題となってますが……」

「そうですか……、それはとても素晴らしいことだと思いますけれど、色々と大変なことでもありそうですわね?」

「ええ。ですが愚民政策など何の益もないでしょう。それに民に教育を施すということには、貴族らへの、より以上の研鑽を求めるということもあります。
 上に立つ者、王族や貴族が民に輪をかけて愚かだったら、それこそ国が滅びかねませんから……」

「……」

 レイナートのこの意見にはさすがのミュリュニエラも直ぐには首肯しかねた。別にその意見に賛同出来ないというのではない。言っている内容が身分制度の根幹 ― 貴族は平民よりも賢いものだという考え ― に関わるためである。

 ここでしばし無言となった二人である。
 その沈黙を破ったのはレイナートである。

「それから貴国には、もう一つお願いしたいことがあります」

「何でしょう?」

 ミュリュニエラが訝しげに尋ねる。

「全国民に教育を施すとなると当然必要な教師の数も半端なものではないと思われます。数百か、もしくは千人単位か……。
 それに教材も必要ですし、これらはイステラでは賄いきれません。ですから貴国の協力を仰ぎたいと考えています」

 レイナートの言葉にミュリュニエラの顔がみるみる喜色に満ちていく。

 レイナートがイステラで義務教育制度を発足させるとして、一体どれほどの生徒数がいるのだろうか。おそらくは数万単位に及ぶのではないだろうか? となればまさに教師も数千人単位で必要であろうし、生徒の数だけは教材が必要なのである。その全てと言わぬまでも大半をエベンスが用意するだけで、一体どれだけの収入がイステラから得られるのであろうか。
「捕らぬ狸の……」と言うが、これがもし実現し軌道に乗れば、一体どれほどの経済波及効果がエベンスにもたらされるのか?  これは是非とも実現してもらわなければならない。

「この件に関しても国に持ち帰り、最大限のご協力が出来るよう善処することをお約束いたしますわ。
 そしてレイナート様、わたくしにも是非そのお手伝いをさせて下さいませんか?」

 気が付くと、いつの間にかレイナートを名で呼び、艶かしく媚びるような笑みを見せていたミュリュニエラであった。

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