聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第1章

第20話 弔問外交 (3)

 エベンスのミュリュニエラ王女との会談は、レイナートが今後のイステラの具体的な教育行政に言及したことからそこそこの長さとなり、終わる頃には燭台に火を灯す必要となる時刻となっていた。
 秋の日はつるべ落とし。
 陽は西の山並みに懸かって雲の隙間から茜色の姿を覗かせており、陽が沈むのは時間の問題であった。


 本来であれば外国使節との会談の残りは翌日に回されるはずだったが、ディステニアの使節から申し出があった。

「陛下のご不興を買うのをあえて承知で、我らとの時間を取って下さいませんか?」

 ディステニアの使者、ディステニア王国首席摂政補佐官は恭しくそう願い出たのである。

 レイナートに否やはなかったが、そこまで焦って何がしたいのか、という疑問は当然ながらイステラ側に巻き起こった。そこでそれまで以上の緊張を伴って会談が始められたのであった。


 元々、ディステニアから首席摂政補佐官という、今までイステラの誰一人として聞いたこともない役職の者が使者として派遣されて来ると聞いて、イステラ側では首を捻った。

―― 字面からすれば、摂政を補佐する筆頭者ということだが、具体的には何をする者なのだ?

 誰もがそう考えたのである。

 しかしやって来たのはレイナートの旧知の人物であったから、レイナートは不快に思うこともなく使者と会うことにしたのであった。


「改めてようこそ、ガンドゥリゥス殿。お久しぶりですね」

 使者がイステラに到着した時に一度引見しているからのレイナートの言葉である。

「陛下にはご無理をお願いし、誠に恐悦……」

「固いのはやめましょう、ガンドゥリゥス殿」

 ディステニアの使者はそう、現国王スピルレアモスの皇太子時代にディステニアに起きた政変でスピルレアモスのために働き、その時亡くなった兄の代わりに家督を継ぎ、後に近衛連隊長に抜擢されたガンドゥリゥス・ユディーレン子爵であった。

「重ね重ねも恐悦至極に存じ……」

「ガンドゥリゥス殿……」

 半ば呆れたようなレイナートにガンドゥリゥスも困り顔。二人だけならまだしも、周囲にはイステラの近衛兵、侍従らもいる。そこであまりに国王に気さくな態度を取っては我が身に危険が迫るだろうし、両国の関係にまで影響を及ぼしかねないだろう。そう思うからである。

 だがレイナートは嗤う。

「そういう心配は無用です。それにお互い気兼ねなく自由に意見交換が出来ないのでは、わざわざこのような時間を設けることに意味が無いとは思いませんか?」

「仰ることはそうですが……」

 ガンドゥリゥスは未だに困惑顔である。
 そこでレイナートが真顔になった。

「そんなことより、スピルレアモス殿の容態はいかがですか?」

 その言葉にガンドゥリゥスの表情も険しくなった。

「思わしくありません」


 レイナートとライトネル王子との戦いから起きた巨大地震。それはビューデトニアに近いシェリオール、イステラ、そうしてディステニアに多大な被害をもたらした。
 スピルレアモスはその避難の際、崩れ落ちてきた天井に背中を強打し、重症を負ったのである。

 これに関しては王妃コスタンティアが大いに責任を感じていた。
 スピルレアモスが逃げ遅れたのは自分と幼い王子を助けようとしたため。自分達を見殺しにしていればスピルレアモスは助かっていたかもしれない。どの国でも極端な話「王妃や王子の代わりは居ても王の代わりは存在しない」と考えている処が無きにしもあらずである。それからすれば、外国出身の王妃を助けるために重症を負ったなど、王としては決して褒められたものではない、というのがディステニア貴族達の考えにある。

 負傷直後の医師の所見では、スピルレアモスはおそらく背骨が折れており長くは保たない、ということであった。だが実のところ、確かに寝たきりの状態で少しでも体を動かそうとすれば激痛に苦悶の表情を見せるし、糞尿は垂れ流しである。それでも意識はあるし、わずかずつだが流動食も喉を通っていて生き長らえている。今ではすっかり骨と皮だけになっているものの存命で、重要案件に関しては指示も出せているのである。

 コスタンティアはスピルレアモスに献身的に仕えていた。だがそれを止めさせたのは誰あろうスピルレアモスである。

「奥の仕事は他にある」

 スピルレアモスはそう言ったのである。


 ディステニア王国宰相グラマンシャル侯爵は突然のことに対応に苦慮していた。
 以前からスピルレアモスに何かあった場合には王子が元服し即位出来るようになるまで、コスタンティアをその後に据えるという秘策が練られていた。
 しかしながらコスタンティアはかつての仇敵イステラの出身。両国の友好を目的に輿入れしてきた訳だが、いくらなんでもその者に王位を継がせるなど貴族らの反発は必至だろう。
 したがって慎重に計画は推められていたのである。
 ところがその計画途上での突然のスピルレアモスの不予。待ったなしの状況になってしまったのである。

―― さすがに陛下はご存命であるし、コスタンティア様のご即位というのはありえんだろう。だがどうする? このような状態では陛下はご政務には就くことは間違いなく無理。となれば摂政を立てるか、それとも現在の大臣達だけで何とかしていくかしかないが……。

 グラマンシャル侯爵が頭を抱えている時、スピルレアモスはコスタンティアを摂政とするよう命じたのである。
 それでも迷いを隠せないグラマンシャル侯爵にスピルレアモスは重ねて言った。

「奥なら大丈夫だ。それに貴族達には私が直接説得する」


 事実、なんと王の寝室に全貴族を集め、スピルレアモスは王妃コスタンティアを摂政とすることを宣言したのである。
 貴族らは唖然とし直ぐには首肯しかねた。だが目の前で苦悶の表情を必死にこらえている王に逆らおうという気にもなれなかった。結局は緊急、非常時であるということで王の言葉を受け入れ、コスタンティアの摂政が決定したのである。
 もしこれが以前のディステニアように王の中央集権が強く、力で押さえつけるようであったらかえって強い反発を招いたかもしれない。だがスピルレアモスは父の独裁振りを見てその反省から、より公平で透明性の高い政治を心掛けた。これがかえって功を奏したのであった。

 その後のスピルレアモスは余程のことがない限り国政には口を出さずコスタンティアと重臣達に全てを任せていた。任されたコスタンティアはスピルレアモスに対する申し訳無さと責任の重大さに、押し潰されそうになりながらも遺憾なくその才と能力を発揮し、国の復興に努めている。それは何よりも腹を痛めて産んだ我が子に跡を継がせるためでもある。

 だがそれも貴族らがその命を聞けばという前提である。
 スピルレアモスに従いコスタンティアの摂政就任を一度は受け入れた貴族達ではある。だがそれでなくとも貴族というものは気位が高い。したがって女の言うことに素直に耳を傾けて言う通りにする、などということは稀である。しかもコスタンティアはイステラ出身である。ものの見事に面従腹背をしてのけるのである。
 しかもそれが大臣の中にもいるから始末に悪い。何とか国を立て直したいと願いつつも何事も先へ進まず、余計に求心力が失われていったのである。
 だがこのことをスピルレアモスの耳に入れることは間違っても出来ない。スピルレアモスを不安にさせるだけのみならず、己の無能をさらけ出すことにもなる。

 コスタンティアは事態を隠した上でスピルレアモスと相談し、ガンドゥリゥスを近衛連隊長から摂政の補佐官へと抜擢した。
 やらなければならないことは多岐に渡り、しかもそれがちっとも進捗しない。これでは摂政など有名無実。そこで数名の補佐官を置き、これらの者に政策を立案させそれを重臣達に諮るという手順にし、何とか事態の改善を図ったのである。
 要するにディステニアにおける首席摂政補佐官というのは、イステラにおける王室参謀長と何ら変わるものではなかったのである。


 スピルレアモスの状態が芳しくないと聞いてレイナートは心を痛める。

―― 私のせいで……。

 だがやはりここで思い悩んでいる(いとま)はない。

「ですが現在、王妃コスタンティア陛下を摂政に戴き、挙国一致体制を以って復興に励んでおります」

 ガンドゥリゥスは現実とは全く正反対の事を言った。周囲には様々な目、耳がある。ディステニアの現況をありのまま伝えることは得策ではないとの判断である。

 ディステニア貴族がイステラに対し腹に一物持っているように、イステラ貴族もディステニアに対しては怨讐を捨てきれていない。
 レイナートとスピルレアモスの厚誼、コスタンティアの輿入れによって、それでもかなり改善されては来たが、未だ決して手放しの友好関係とは言い難いのである。
 したがって自国に不利となるようなことを言うことは憚られるのである。

「そうですか。それならばいいですね」

 レイナートはそのように言った。だがディステニアの現実を知ってのことかどうかは余人にはわからない。

「ええ。ですから早い時期に両国を結ぶ橋と駐在館の建造再開に漕ぎ着けられればと考えております」

「そうですね。それは今後の二国間の友好という点でも是が非にでも推めなければ……」

 レイナートも同意する。
 この点、特に橋に関してはエベンスのミュリュニエラ王女もレイナートに訴えた。
 現状ル・エメスタ経由でのエベンスとイステラの行き来は不可能に近い。したがってディステニアとイステラの間の橋の再建はエベンスにとっても最重要事の一つなのである。

「ところで陛下に個人的に見ていただきたいものがあります」

 ガンドゥリゥスがレイナートの顔を見据えてそう言った。

「個人的に? 何でしょう?」

 ガンドゥリゥスのこわばった表情にレイナートは訝しみつつ尋ねた。

「いえ、なに、大したものではないのですが……」

 ガンドゥリゥスは笑顔を見せつついかにも何でもない風を装う。だが緊張していることはひと目で見ととれた。それに「大したものではない」という割には中々それを出そうとしなかった。
 ガンドゥリゥスは役者としては「大根」だった。

「大したものでないならば、そう勿体つけずに……」

 レイナートが笑顔で言う。ただしその目は笑っていない。真剣そのものの眼差しである。何故ならガンドゥリゥスの雰囲気から可能な限り秘密にしたいことなのでは、とレイナートは気付いたのである。
 旧知の間柄であることが幸いしたのであった。


 国王が外国からの使者と会う場合、それが勅使であろうが何であろうが決して人払いは行われない。必ず複数の人間の前で会い、話をする。
 そうして今回レイナートは、各国との使者と公式な個別会談をすることはあっても、私的な会合を持つ予定はなかった。すなわち余人を交えず二人きりで、ということは全く行われないことになっていたのである。


 レイナートの言葉にガンドゥリゥスはようやく懐から小さく折り畳まれた羊皮紙を取り出した。だが何かまだ逡巡しているようだった。
 侍従の一人が近づいてきてそれを受け取ろうとする。他国であれ自国であれ、使者が国王に直接何かを渡すなどありえないからである。だがレイナートはそれを手で制し、腰を浮かせ手を伸ばし直接ガンドゥリゥスから受け取ろうとする。
 ガンドゥリゥスも腰を浮かせ、レイナートの前で跪き羊皮紙を捧げた。

「そこまでされずとも……」

 そう言いながらレイナートが羊皮紙を受け取った。

―― 大袈裟にすると台無しだぞ?

 もっとも、ガンドゥリゥスにすれば礼を欠いて渡せなくなる方が大事(おおごと)である。


 レイナートは体を元に戻し、自分の周囲に人が居ないことを確認すると畳まれた羊皮紙を拡げた。しばし無言のまま食い入るようにその内容を読んでいたが、やがて羊皮紙を燭台の火にかざした。誰もが唖然としつつもそれを黙って見ている。
 羊皮紙に火が着き燃え始めた。レイナートは勢い良く炎を上げる羊皮紙を大理石の床に置き、きっちりと最後まで燃え尽きたところでその燃えカスを足で踏みつぶした。
 最後まで皆、無言であった。

 レイナートは立ち上がると静かな、しかし揺るぎない口調で言った。

「ディステニアよりの使者、大儀であった」

 その言葉にガンドゥリゥスは再びレイナートの前に跪き、(こうべ)を垂れ、腰を落としたまま後退り、その場を辞したのであった。


「何でございましたのでしょう? 陛下」

 侍従の一人がレイナートに尋ねた。会談において何があり何が話されたか、それは全て記録されることになっている。それ故、ガンドゥリゥスより渡されたものに何が書かれていたかを確かめようというのであった。

 だがレイナートは ― この時のことを記した記録によれば ― 冷たく突き放すように言った。

「余人の知るべからざることである」


 ガンドゥリゥスから渡されたコスタンティアからの手紙には以下のよう記されていた。

『もし我が子レダニアルスの元服前に陛下がお隠れになった場合、レイナート様にディステニアの王位を継いでいただきたい』

 それはまさに、他の誰も知るべきではない、知られてはならない途轍もない申し出であった。

 この手紙をコスタンティアから託された時、ガンドゥリゥスは思案した。
 その内容はレイナート以外には決して知られてはならない。もし万が一レイナートに渡す前に取り上げられたり奪われたりしてしまったら、それがイステラにであろうとディステニアにであろうと致命的である。
 イステラにであれば攻め込むきっかけを与え、ディステニアにであれば王妃に売国奴の烙印を押させることになるからである。

 そうして手紙を渡せるかどうかはまさに賭。会談の最中にその機会があるかどうか。
 だが、だからと言ってまさかレイナートの耳元で囁いて伝えるなどということも出来ない。周囲に声は聞こえずとも唇を読まれる可能性はあるからである。

―― 結局は出たとこ勝負か……。

 だがレイナートが気づいてくれたお陰でうまくいき、控えの間に戻ったガンドゥリゥスは安堵の溜息を盛大に漏らしたのである。


 一方のレイナートは頭を抱えてしまった。

―― これはミュリュニエラどころの騒ぎじゃないぞ!

 コスタンティアがこのようなことを言ってくるということは、その統治が決してうまくいってないからに違いない。そうでなければ考えられない申し出である。
 今はスピルレアモスが存命だからいいが、死んでしまったら? その時はディステニアが瓦解する可能性があるということに違いない。

 そうしてこれはおそらくコスタンティア一人の考えであろうことも想像出来た。
 そうでなければこのような危険極まりない手段を使ってまでレイナートに願う必要はなく、スピルレアモス崩御後はコスタンティア自身が即位してしまえばいいのであるし、そのようにスピルレアモスも事前に手を打っているはずである。

―― これは暗部ですら使うことを躊躇ったのだろう……。

 確かにそれほどまでに匿されるべき秘密である。


 ガンドゥリゥス・ユディーレン子爵という人物はコスタンティアにとって信を置くに足る人物であることは疑いの余地はない。なればこそ首席摂政補佐官という職に着くことになったのだろう。
 そうしてガンドゥリゥスはレイナートにとっても信頼出来る人物である。もし別の人物が使者としてイステラに来て同じことをしても、レイナートはそれを受け取ったかどうか。
 そういう意味でガンドゥリゥスは王妃の期待に応え役目を遂行したのである。

―― 陛下がご快癒されればよいのだけれどその可能性は低いでしょう。ならば「我が子のために」打てる手を打っておかなければならないわ……。

 コスタンティアはそう思う。

―― でも今直ぐ、レイナート様から確約をいただく必要はないわ。一度(ひとたび)レイナート様にこちらの考えが伝われば必ず働いて下さるはず。そうでなければ苦しむ民の姿を見ることになるから……。

 コスタンティアは端正な顔立ちの青年を思い出す。

―― レイナート様は律儀なお方。一端は国王の地位をお預けしても、必ずやレダニアルスにお返し下さるはずだわ……。

 それはレイナートを利用することだとコスタンティアも気づいている。

―― でもその代わり「わたくしに出来ること」であれば何でもさせていただくわ……。

 我が子のためには鬼にでも悪魔にでもなろう。どんな屈辱を受けても構わない。それがコスタンティアの偽らざる本心である。

「女は弱し。されど母は強し」とはよく言ったものである。


 コスタンティアの思惑をこの時のレイナートはどこまで気づいていたのか。

―― 私に依頼するということの背景には、単に私がディステニアのグリュタス公爵であるというだけでなく、古イシュテリアの聖剣を持つ者であるということと無縁ではあるまい……。


 確かにレイナートはディステニアの名門貴族グリュタス公爵でもある。
 だがグリュタス公爵としてのレイナートには王位継承権は与えられておらず、レイナートがディステニア貴族の娘と結婚し男子が生まれて初めて「その子」に王位継承権が与えられることになっている。故にスピルレアモスに何があろうと現状ではレイナートに何も変化が起きることはない。
 したがって「スピルレアモスに万が一の時は王位を継いでくれ」というのは、下手をすれば政変を引き起こすことになりかねないということである。にも関わらずレイナートにそのように依頼してきたのである。
 そこには当然「破邪」の剣の力が計算に入っているはずである。

―― これは余程切羽詰まっていると見なければなるまいな……。

 そうでなければあの聡明なコスタンティアのことである。絶対にありえないことだろう。

―― 暗部を動かしてみるか……。

 ディステニアからの使者はレイナートにとって、そうしてイステラにとってもディステニアにとっても、大きくのしかかるであろう未来を伝えるものであった。

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