聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第2章

第2話 二年目の春

「やったーっ、合格したーっ!」

「チクショウ! なんでオレが落第なんだよ! こんなのおかしいよ!」

 イステラ王都二の郭、内務省正面玄関脇の特設掲示板前では悲喜こもごもの姿が見られた。
 この日は新規官吏採用試験の合格発表であった。

 イステラの冬は長く厳しい。皆が春の訪れを待ち焦がれる。
 そうしてようやく春がきたと浮かれて、存分に春を満喫しようなどとのんびり構えていたら、あっという間に夏が来てしまう。そう、イステラの春は短いのである。


 その短い春の矢先に内務大臣シュラーヴィ侯爵の名でイステラ全土に通達がなされた。

 曰く、

「国王陛下におかれては、この度再び新たな各省職員を多数ご必要となさっておられる。
 ついては新規採用試験を下記の通りに実施するものである。

 記

 日時……」

 レイナート即位二年目の最初に行われた政策は、各省の事務官吏採用試験であった。


 当初その案がレイナートから出された時、重臣らは首を捻った。

―― もう既に目ぼしい者は粗方採用し尽くしたはず。再び試験を行う意味があるのか?


 今年は教育省が新設される予定である。それに前回の採用でも必要数の確保が出来ていない。したがって職員の不足は決定的になろう。それ故の追加採用であるが「採用に耐え得る人材がまだ残っているのか?」というのである。

 だが重臣らの心配を他所に、蓋を開けてみれば志望者は殺到したのである。

「何と志望者の多いことか。随分と予想外の結果ですな」

 部下から志望者取りまとめの結果報告を受けた内務卿シュラーヴィ侯爵は御前会議でそう言った。

「左様。しかも貴族身分の者まで志望しておる……」

 工務卿が首肯する。

「確かに。というか大半が貴族の子弟ではないか。もっともほとんど陪臣だがな……」

 式務卿も頷く。

「陪臣であっても貴族は貴族。そんなことよりも何者であっても試験に通らなければどうともならん」

 法務卿が皮肉っぽく言った。

「まあ、それを言ったら始まらんでしょう。それよりも貴族だからといって採点を甘くするようなことのないようにして欲しいですね」

 レイナートが内務卿に向かって言う。
 こういう言葉の端々に、レイナートは身分制度を重視していない、もしくは貴族だから優れているとか、優遇すべきという考えを持っていないことがわかる。

「心得ております」

 シュラーヴィ侯爵が頷いた。

「まあしかし、貴族でありながら試験に通らなかった、となるとその後生きてはゆけんでしょうな」

 レイナートの言葉を受けた法務卿の発言に一同が沈痛な面持ちになる。

「確かに不名誉極まりないことですからな。どうでしょう、それとなく貴族達に伝えておきますかな? 『採点に手心を加えることはないぞ』と……」

 外務卿が言う。

「その必要があろうかの? 試験に臨む以上はそれなりの準備をしておるはずじゃ。
 試験問題は古イシュテリア語の読解と四則演算と事前に知らされておるのじゃからな。
 逆に身分に胡座をかいて『貴族だから落とされるはずがない』などと油断しているような者を採用しても、先が思いやられるばかりじゃぞ?」

 それまで黙っていた摂政ドリアン大公が言う。

「確かに、そうですな」

「いかにも……」

 大臣らは口々にそう言って頷いた。

「とにかく厳正・公平な試験を。それは受験者の身分・出自に関わりなく、です。いいですね?」

「御意」

「畏まりました」

 レイナートの言葉に、大臣らは再び首を縦に振ったのであった。


 ところで何故、今回の採用試験に貴族身分の志望者が多かったのだろうか? 大臣らはそれについて全く理由が思いつかなかったのである。

 待遇の面でということは考えにくい。何故なら新規採用される者の待遇は前回と同じで、俸禄として月に十一万イラ。小金貨なら十一枚である。
 これは平民からすると破格だが、貴族からすれば「たったその程度か!」と言われるような額である。とすればどうしてそのような待遇に陪臣とはいえ貴族が名乗りを上げたのか?

 それは大領主、すなわち主筋の直臣貴族からの要請と当の陪臣貴族の子弟らの思惑が合致したからであった。


 前回の官吏採用はとにかく足りない人手を補うため、とりあえず読み書きと基礎的な計算が出来る者をかき集めたという感がある。必要とされた人員はおよそ五百。だが結局採用は三百余に留まった。そうしてその大半がリンデンマルス公爵家の領民であった。

 もちろん前回も各貴族家に人材採用の通達はあった。直轄民のみならず貴族家の領民からも広く人材を得んがためである。そうして事実、貴族家の領民からも志望者があり採用に至った。
 だがその時点ではまだ各家共混乱しており貴族達自身はその家中の安定のために、そのようなことには目もくれなかったのである。
 したがって前回の採用は全員が平民であった。

 ところでその結果はどうなったか?
 もちろん各省に配置され業務に就いたのである。そこでよく見られた光景は元の主家の家人との応対である。


「どうだ頑張ってるか?」

「あっ、キャニアン様」

 レイナートすなわち国王の騎士としてではなく、主家リンデンマルス公爵家の使者としてやってきたキャニアンは、建物内部の入口で見知った顔の者に声を掛けた。
 声を掛けられた青年、というにはまだ幼さが残っている若者は、キャニアンの顔を見て自然と笑顔になった。
 リンデンマルス公爵家出身で採用された若者は皆、冬期学校に参加していた。それ故双方面識があった。

「本日はどのようなご用件でしょうか?」

 若者は新人研修で叩きこまれた応対でキャニアンに尋ねた。

「今日は国王陛下の使いではなく、リンデンマルス公爵家の使いだ。この書類を提出したいのだがな」

 キャニアンは元衛士隊隊長。イステラの細かいことに関しては家臣らの中で一番明るい。それ故こういった使いに来ることも多かった。

 キャニアンの差し出した書類を一読した若者が言う。

「これでしたら、こちらでもお預かり出来ます」

「良いのか?」

「本来の担当部署は別ですが、そちらに顔見知りの者がおりますから後で渡しておきます」

「それは済まんな。では頼んだぞ」

「畏まりました」

 大方こういった類の光景である。

 傍から見れば何てことはないことであるかもしれない。
 だが他家の使いの者からすると、まるでそれはリンデンマルス公爵家を優遇しているかのように見えなくもない。
 というのはキャニアンは今は貴族身分で元は強面の衛士隊長ではあっても若者にとって見知った相手である。余計な緊張をせずに済むので自然とこういった対応が出来る。

 だがこれが他貴族家の使い相手だとこうはいかない。本人はとにかく一生懸命やっているだけだが、入省して一年目の新人では、たとえそれが勲爵士程度でも貴族相手であったなら、その対応には当然緊張する。もし無礼な態度をとったらどのような目に合わされるかと不安になるのである。それがあるから対応がぎこちなくなる。それが他から見ると明らかに対応の差となって見えるのである。

 とは言ってもそこに実害がなければ文句の言いようはない。だが貴族側からすると面白くないのは確かである。そうしてこれが各省のあらゆる部門において同様のことが見られたのである。何せ採用された官吏の大半はリンデンマルス公爵家の者であったからである。
 これは見方を変えれば、国とリンデンマルス公爵家の間に太い繋がりが出来たと言えることだろう。他家からすればこれは羨ましい限りである。


 いくら貴族が強い権力を持っているとは言っても国とは比べ物にならない。ものによっては国と折衝し許可を取らなければならないものも多々ある。もしその時自家の者がその当該省にいればその分楽に物事が進むと考えてもおかしくない。

 そこで新規官吏採用試験実施の通達があったことをいいことに直臣貴族らはその支族に向かって命じたのである。

「男女問はぬということであるから、とにかく採用試験を受けさせよ! 各省に我家の者を送り込め!」

 まさか直臣本家の子弟を、請われて大臣になるというのでもあればともかく、一官吏として職に就かせるなどということは、貴族としての矜持が許さないからである。

 さて命じられた方はいい迷惑であるには違いない。だが本家の当主からそのように言われたら支族の貴族は断ることなど出来ない。そこで己の子女にその旨を伝えた。当然反発を予想してである。ところが次男・三男達は平然と言った。

「畏まりました。早速準備いたします」

 これには言った親もビックリである。

 各省の官吏というのは別段衛士ほど蔑まれている職ではない。
 だがイステラは「剣の国」「武の国」と言われている国である。養子の口がない貴族の次男以降は、直臣・陪臣に関わらず、大抵志願して国軍に入るのが普通であって、官吏の道を自ら進むというのは親もそうである場合を除くとあまり多くはない。なので言われるままに官吏採用試験を受けると言ったことに親は驚いたのである。
 もちろん家長の言うことには逆らえないのが普通である。にしてもあまりに素直に納得したので合点がいかなかったのである。

 ところが実はこの時、志願して国軍兵士、すなわち職業軍人になるというのは彼らの目にはあまり魅力的には映らなかったのである。
 というのは大災害によって国軍自体も被害を受けてその規模が縮小してる。しかも出動は災害からの復旧工事がほとんどである。つまり工務省支配下の人足、というと言葉は悪いが、そのようなものにしか見えなかったのである。

 先々代のガラヴァリ陛下の時代にディステニアとは奇跡の停戦合意を得た。先代アレンデル陛下は、事あらばイステラに仕掛けてこようというディステニアをいなしてきて、ついに和平の合意にまで漕ぎ着けた。
 それはひとえに増大する軍事費を抑え、剰え砂漠化の進むイステラ東部を何とかするために国軍を縮小したいという思惑があったからである。
 そうは言うものの直ぐに国軍縮小に着手出来た訳ではない。それでも国軍自体のあり方が少しずつ変化していったのは事実である。その結果何が起きたか?
 それは国軍は「就職先」としての魅力を失いつつあった、ということである。

 誰も戦争を望んだりはしていない。だが戦闘がなければ武功を挙げることは出来ない。ということは出世の機会が減るということである。もちろん年齢とともに少しずつ階級は上がっていく。だがそれだけである。
 まして陪臣貴族の次男・三男では養子の口など滅多にない。嫁の来手が全くないということもないが、部屋住みのままで妻を娶ることが出来るなどありえない。本家であれ自家であれ、その内部に職を得るというのは狭き門なのであって、余程実力を評価されない限りはないことなのである。それ故志願して国軍に職を得て職業軍人となり、武功を挙げて養子の口を探そうというのである。
 なのに辛い訓練を経て兵士となってもそのまま大した出世も出来ず、養子にはなれずで一生を終えることになってしまっては、一体何のために志願したかわからなくなってしまう。
 そこへ持ってきて国軍は災害復興に派遣され瓦礫の撤去などやらされているのである。とてもではないが我慢出来るものではない。

 それに戦争がなくなって早三十年近くにもなっていた。武張ったイステラ、「武の国」とは言え、若い世代の意識は実戦を知る親の世代とは変化している。
 ところで先のビューデトニア・シェリオール連合軍との戦いでは、敵との直接戦闘ではなかったが第三軍が壊滅的な損害を受けた。いくら「武の国」の者とはいえ、命あっての物種と考えても不思議ではない。
 武功を挙げる機会に乏し過ぎるのも考えものだが、逆にその機会が十分あり過ぎて、下手をすれば生還出来ないのでは本末転倒である。

 それからすると官吏への道は物足りなさを感じないではない。だが本家当主の命令であるし、少なくとも職務上に生命の危機はない。それに、例えばクレモンド男爵のこともある。
 クレモンド男爵はレイナートと共に答礼使の旅に同行した人物だが、工務省の技官の長であり、数代前に初めて爵位を賜ったという元は平民の家柄である。すなわち、その功績が認められれば平民から貴族に取り立てられることもある、といういい事例である。
 であれば、もしかしたら自分も陪臣から直臣の貴族になれるかもしれない。そう思っても不思議ではないだろう。
 これが陪臣貴族の子弟達が官吏採用試験を受けようと思った一番の理由であった。


 ところで今回の志望者の中には女性も存在した。しかもやはり貴族家の姫であり、こちらは直臣・陪臣に関わらずである。
 もっともその数は取り立てて多いというほどの数ではない。だが貴族の娘が官吏としての職を得ようとしているという事実に変わりはない。何が彼女らをしてそのように思い至らせたのか?
 実はこの当時イステラ女性、特に若い貴族の娘らの意識に変化が見られたのである。

 元々イステラは男社会。女性には家督の相続権は与えられておらず、政治や行政に口を出すことも認められていない。自家の運営に夫の手助けをすることはあるにしても、それ以上のことはないのである。
 貴族の妻、何々家夫人として社交の場で夫の側面援護をするということはある。そのためにはある程度の教養、女としての嗜み、そういったことが重視され、学問をするということなど殆どなかったし、それでよしとされていたのである。

 それが変わったのは先王アレンデルの養女となってディステニアに輿入れした当時のアトニエッリ侯爵家息女コスタンティア姫の存在によってである。

 元々直臣貴族の娘であっても王家や五大公家に輿入れする機会などなかったのである。それが何と王の養女となっただけでなく、他国のとは言え王妃となったのである。誰もが驚き、それを羨んだ。だがコスタンティアが嫉妬や反感を受けなかったのはその美貌もさることながら、下手な男では太刀打ち出来ないほど聡明な女性であったからである。

―― もしかしたら自分にもそのような機会が来るかも……。

 夢見がちな娘ならそう思うことがあっても不思議ではないだろう。だがそのためには己を磨かなければならぬ。座して待っていても幸運が転がり込んでくる、などと甘いことを考えるほど愚かではない。
 だがはっきりと言えば「見てくれ」をいじるには限度がある。化粧程度では顔の作りの難までは誤魔化せない。体型も思いのままという訳にはいかない。
 だが知性はどうか? これは己の努力次第でどうにかなるのではないか?

 レイナートの答礼使でのエベンス訪問から両国の間は接近し、イステラからはエベンス国立高等大学院への留学生も増えていた。
「女だてらに学問などして何になる!」そう言われてきたイステラ女性だが、両国の友好のために積極的に留学生を増やしたということもあって、それ以前に比べるとイステラ女性の意識が大きく変化していたのである。

 だが国へ戻れば旧態依然の女性を軽んじる風潮が残っている。これは決して納得出来ることではない。
 特に勝ち気で負けず嫌いな女性であれば、自分が女であるというだけで不利益を被っている、という憤慨を持っている。
「男になんか負けない!」そう思っていても「女だから」という理由で己の望みが叶わないのである。これほど理不尽なことがあろうか。

 だが今まではその屈辱を晴らせる機会などなかった。もし官吏を目指すなどと口にしたらそれこそ「女の分際で戯けたことを申すな!」と父親に怒鳴られたことだろう。

 現在はエネシエルの妻になっているシュピトゥルス男爵家の長女アニエッタも相当のお転婆で、乗馬を好み剣を振り回していた。父親が国軍司令官ということもあって、多少はそれを大目に見ていたフシがある。
 だが男爵はだからといって最後までアニエッタのわがままを許すつもりはなかった。一時期は本気でレイナートの妻にと考えていたことからもわかるだろう。
 つまるところイステラにおいて女性は「良妻賢母になりさえすればいい」と考えられている、ということが多分にあった。

 だがこの時代の若い貴族の娘らはそんなことでは収まらなくなっていたのである。

―― 貴族に嫁いで子を成す。それだけが私の生まれてきた理由? 私はそのためだけに生まれてきたの……?

「冗談じゃないわ! 馬鹿にするのもいい加減にして!」ということである。


 そこへ降って湧いたような新官吏採用試験の話である。しかも「男女を問わず」である。これはすなわち己の実力を存分に発揮する機会が与えられるということであり、同時に自ら収入を得ることが出来るということでもある。
 それまでは貴族の女性としてチヤホヤされることはあっても、自分で何もかも思い通りに出来てきた訳ではない。「親や夫の金で食わせてもらっていて何を言うか!」事あるごとにそう言われるのである。
 だが自分で稼いだ金は自分のもの。他人に文句を言われる筋合いはない。それは女性の経済的自立の機会であるとも言えた。

 直臣貴族ならともかく陪臣貴族の娘では直接新国王レイナート陛下に御目文字叶う機会などはない。
 だが噂に聞くレイナート陛下は非常に先進的で開明的な考えの持ち主とのことである。それは自領の平民女子にでさえ別け隔てなく教育を施しているということからもわかる。こういうお方が王であるなら、ただ「女性である」という理由だけで差別されることはなくなっていくかもしれない。であればそれこそ千載一遇の機会ではないか?

 そうして娘達の決心にはその母親も大きく関わっている。自らも女であることを理由に、思うことがならなかったという苦い記憶を持つ母親は多かった。そうして時代も今とは違った。したがって理不尽なものを感じ、気の進まない結婚でも受け入れざるを得なかったのである。
 そういう貴族夫人が娘に期待してもおかしくないだろう。

「私の頃とは時代が違うわ。お前は好きになさい」

「はい」

「でも辛いからといって『女だから』と逃げることは許しません。
 そんな都合のいい逃げ道がありそこに甘んじていたらこそ、女性は殿方や世間の言いなりになるしかなかったのです。
 そのことは肝に銘じておきなさい。いいですね?」

「わかりました、お母様」

 確かに女性の志望者の絶対数はさして多くはない。だが覚悟の程は誰よりも強いものであった。

 こういう者達が採用試験に臨んだのであった。結果は推して知るべしであろう。


 最終的な合格者の一覧はシュルムンドからレイナートに手渡された。

「ほう、確かに貴族家の者が多いな」

 レイナートは一覧表を一瞥してそう感想を漏らした。

「はい」

 シュルムンドが静かに答える。

「まさか手心を加えたということは?」

 レイナートの問い掛けにシュルムンドは首を振る。

「決してありません」

「そうか、それならばいいが……。
 にしても思ったより全体の数は少ないな」

「はい。試験問題をいささか難しくしましたので、そのためでしょう」

「難しく?」

「はい。各省の要望がそうでしたので……」

「要望? どういうことだ?」

 そこでシュルムンドは居住まいを正して言った。

「されば、昨年の採用において配属された者達の評価が概ねもたらされましたが、想像以上に分かれました」

「分かれた?」

 レイナートが訝しむ。そういった具体的な話は各大臣からは聞かされていなかったのである。

「はい。ご当家リンデンマルス公爵家から入った者に関しては一定以上の評価を得ております。ですがそれ以外の者は『所詮は平民か』と言われている者が多いようです」

 シュルムンドの言葉は淡々としている。そこには平民を蔑むような雰囲気はない。
 シュルムンド自身元はエベンスの貴族であり身分世界の住人である。だが教育者としてリンデンマルス公爵家における経験から、教育とは結局は身分ではなく、本人の資質とやる気によるところが大きいということを実感していた。それ故あくまでも、各省からの報告ではそうなっていると告げたのである。

「どうして? そこまで違いがあるのか?」

「昨年はとにかく読み書きと計算が出来るということに重きを置きました。それによって多数の採用に至った訳です」

「それは承知している」

「ですがそれでは物足りなかったようです」

「物足りないというのは?」

「それは『論理的思考が出来る』か否かということです」

「論理的思考……」

「はい。単に読み書き出来る、計算が出来る、というだけで仕事が出来るという訳ではありません」

「それはわかるが……。その程度の者が多かったのか?」

「実際のところまではなんとも申しかねますが、概ねそのような者が多かった、というのが各省からの意見です。それが事実なら本当に一から全て教え込まねばなりません。
 ですが論理的に物が考えられる、つまり、ある仕事にはこれこれのことが必要であり、それをすればこれこれの結果が得られるということがわかる。すなわち『この結果に至った理由、原因は何か』ということが己で考えられる者であれば、仕事のやり方さえ教えてしまえばそれで済みます。
 そうして各省の官吏に求められるのは、十人なら十人が、百人なら百人が、同じ仕事をすれば同じ結果を得られるということです。
 ただ一人の、他人では絶対真似の出来ないような発想、観念や感覚などは必要ありません」

「それはわかる」

「ご領地の者達は単に言葉や計算を学んだだけではありません。教える側も何年も掛けて歴史や音楽、武術に行儀作法にと、様々なことを教えております。
 それは単なる知識としてではなく、きちんと体系づけられた学びとして私達は教えているのです。
 その差が出たということだと思います」

「そういうことか」

「はい。ですから今回の採用試験ではその点に留意して問題を作成しました。したがって数の上では予想を下回る採用となりましたが、質の面では十分満足の出来るものになっていると思います」

「そうか……。それであれば一応は安心だな。いずれにせよ彼らには頑張ってほしいものだ」

「御意」

「と同時に、ますます教育省の開設と学校の設置を急がねばならんな」

「はい。そのためにも多くの優秀な人材が必要です。可能であれば秋にもう一度、採用試験を実施したいと考えております」

 シュルムンドはそう言ってレイナートの前を辞したのであった。


 イステラの驚異的な復興と発展はこの年に始まったと言われている。それは新規に採用された人材によるものの功績が大であったのは論を俟たないだろう。

 レイナートの二年目の滑り出しはこのようなところから始まったのである。

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