聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第2章

第4話 イステラ暗部

「レリエル暗部について、でございますか……?」

 レイナートに問われたレックの妻・モーナは表情を険しくしてそう言った。

「うむ。だが……、いや、勘違いしないで欲しい。私は何も国家の重要機密を全て開示せよと言っているのではないのだ」

 レイナートにそう言われてもモーナの表情は変わらない。警戒心丸出しで、それを隠そうともしていなかった。
 王宮北宮の王と王妃のための居間の中は重苦しい沈黙に包まれていた。


 とある夜更け、レイナートはレックに囁いた

「済まんがモーナ殿に聞きたいことがある。ご足労願いたいのだが可能か?」

「うちのカカアに一体どのようなご用で?」

 あまりに意外なレイナートからの依頼に、レックの口調から一切取り繕うものが消えていた。

「出来れば余人を交えずに聞きたいことがあるのだ」

「……」

 レックの表情が険しくなった。
 人の女房と余人を交えずって一体何をするつもりなのかと……。

 だがレックの懸念にレイナートは直ぐに気づいた。

「おいおい、勘違いするなよ。余人を交えずと言ってもエレノアは一緒だぞ? ただ内容が他聞を憚るので場所は北宮でになるだけで……」

 そこでレックの顔が今度は不安げになった。
 北宮はイステラの後宮にも等しく、基本、男子禁制である。したがって自分が同席することが許されない。どころか己が侍従長となったとはいえその妻モーナは元々外国人である。北宮内に簡単に入ることを許される立場にはない。

「それに関しては暗部の者に協力させる……」

 レイナートの言葉にレックはますます不安になった。
 暗部を使うということ自体が表立っての行動ではないということである。まさか謀殺?

「レック、私が信じられんか?」

 レイナートにそうまで言われたらレックも首を縦に振らざるをえない。
 そこで屋敷 ― と言ってもリンデンマルス公爵家の王都屋敷フォスタニア館だが ― へ戻るとモーナに、レイナートが会いたいと言っていることを告げたのである。

「陛下が私に何の御用だというのだ?」

 子供を寝かしつけ私室でレックと二人となったモーナは訝しげに尋ねた。

「さあ、そいつはオレにもわかんねえ」

 それを聞いてモーナの眼尻が釣り上がる。

「いい加減な男だな! もし私が襲われでもしたならどうする気だ?」

「いや、それはねえと思う。レイナート様はそこまで物好きじゃあ……」

 身持ちの堅いレイナートがエレノア以外の女に食指を動かすとは思わないレックは、冗談めかしてそういうことを言った。
 だがその言葉を聞いた瞬間モーナの手には短剣が握られ、ピタリとレックの首に吸い付いていた。

「おい、お前。この世に言い残したことはないか?」

「おい、危ねえじゃねえか!」

「大丈夫だ、痛みを感じる前に終る」

「馬鹿野郎、そういう問題じゃねえ……、って、話がすり替わってるだろうが!」

「気のせいだ」

 きつい顔立ちのモーナの眼尻は上がったままでニコリともしなかった。


 そんな犬も喰わない一幕の後、モーナは女官の扮装をしたゴロッソに導かれ北宮内へと赴いたのである。

 モーナの先を歩くゴロッソは特別人目を避けるような動きはしなかったが、途中で誰の目にも止まらない、というよりも、誰にも行き合わなかったのであるからモーナも我知らず緊張した。

―― 既に手を回しているということか? レイナート様の意図は何なのか?

 太腿に括りつけた短剣を使うことがなければいいが……。そう思いながらゴロッソの背後を歩いたのである。

 そうして北宮の居間でレイナートとエレノアに迎えられたのであった。

「こんな夜更けにご苦労です」

 レイナートがモーナを労う。

「ようこそ、モーナ殿」

 エレノアも笑顔で出迎える。夜も遅いのでアニスはイェーシャによって寝室で寝付かされている。

「いいえ……。両陛下のご尊顔を拝し……」

「固いのは抜きで行こう。我々はそういう間柄でもあるまい?」

 レイナートは笑顔を見せ気さくにそう言ったのである。

「とにかく掛けて欲しい。
 ゴロッソ、茶の支度を頼む」

「畏まりました」

 ゴロッソはそう返事をして支度に取り掛かる。モーナは勧められた椅子に腰掛け、横目でそれを追った。モーナもゴロッソも共に暗部の者である。互いに目に見えない火花を散らしていた。

「ところで、今日わざわざ足を運んでもらったのは他でもない、レリエル暗部について二、三聞きたいことがあったからだ」

 レイナートにそう言われてモーナは身を固くした。

―― レイナート様に、私が暗部の者であることを告げたことがあったろうか?

 身に覚えのないモーナである。

―― そうか、アイツか……。

 そう考えながら己の亭主の顔を思い浮かべる。

―― だがそんなことより質問の意図は何だ?

 沸々と疑問が湧き上がり、レイナートに対し険しい表情を見せるようになっていたモーナであった。

 レイナートの質問の真意はレリエル暗部の秘密を暴きそれを利用しようなどというものではなかった。どころかこれほど遠く離れた二国である。利用しようにもそう簡単に出来ることではなかったのである。では何故かと言えば、レリエル暗部の者達の日頃について知りたかったからである。


 イステラの暗部の者は表向きの職務というものを持たない。暗部は暗部、決して表舞台で活動するということはない。
 そもそもイステラ暗部の使命は諜報、破壊、撹乱それと暗殺である。これは他国においてもほぼ似たようなものである。そうしてこれらを遂行するために変装や潜入の技術を磨き外国語を覚える。
 また暗部の者達は基本的には身体に通常ではないところがある。それは多数の者が両性具有者であるということである。
「人権」などという考えが微塵もない時代である。常人と違う身体をしているというだけで差別されるどころか、即殺されることもありえるのである。そういった行き場のない者が集められ暗部に入れられるというのがイステラである。これはモーナのレリエルも大差はない。

 そうしてイステラ暗部の者達は、文字通り影の仕事、汚れ仕事をさせられている。人目を偽って平素は何かの仕事をしているということはない。変装して、例えば侍女をしているとしたら、それはその家に潜入して何かを探るためである。唯一例外があるとしたら、それは北宮内部の警護に若干名が配置されるということがあるくらいである。
 そうしてレイナートはこの暗部の者達を影の仕事、汚れ仕事から解放し、表の世界で真っ当な生活をさせたいと考えたのである。


 そもそもイステラ暗部の起源は古く、国家開闢以来の伝統があるとされている。暗部を取りまとめ支配する者がおり、歴代王はこれを重用し暗部を使役したという。
 だが王の中には暗部に必要以上に頼ることなく、その使用は抑制されたものもあった。
 卑近な例で言えばレイナートの伯父、先々代国王ガラヴァリは隣国の情報収集にのみ活用していた。当時まだアレルトメイアとの関係はギクシャクし、ディステニアとは戦火を交えていた。この両国の内情を探らせるのはもちろん、時にはル・エメスタにも諜報員を派遣していた。
 北に峻険な山脈を控え、東は前人未到の砂漠が広がるイステラである。もしもル・エメスタをも敵に回すとイステラは窮地に陥るため、それを避けるのにル・エメスタの動向を探るのは不可欠であったのである。
 そうしてレイナートの父アレンデルの場合はもっと踏み込んだ使い方をしていた。
 ガラヴァリがイステラ周辺に限定した使い方であったのに対し、アレンデルはほぼ大陸全土に暗部を忍び込ませていた。
 それは取りも直さずレイナートという存在のためである。


 兄ガラヴァリの即位とともに臣下に降ったアレンデルは、自らに持ち込まれる縁談のあまりの多さに辟易しロクリアン大公家の所領に引っ込んでしまった。
 アレンデルは兄ガラヴァリに比べて勇猛ないかにも戦士という風貌であったが、実は歴史を好み自ら勉学に励む、まさに文武両道を地で行く人物であった。そうして古イシュテリアの文献を積極的に集め遠乗りと読書三昧の日々を送っていた。
 それがやがて下女に手を付けレイナートが生まれたのである。

 この時アレンデルはレイナートの誕生を喜ぶと同時に大いなる疑問を抱いたのである。

―― まさかレイナートが「それ」なのか?


 イステラは古イシュテリアの正統後継国家を自認している。それはイステラ王家が古イシュテリア王家の末裔とされているからである。
 そうして集めた文献の中にあった一句。

「『破邪の剣』は地上の支配者が持つ剣であり、その剣の主人となれるのは『最も常ならざる血と最も常なる血を併せ持つ者』のみ」

 これがアレンデルに衝撃を与えたのであった。


 世に王族・貴族は数々あれど「最も常ならざる血を持つ」となったらイステラ王家に勝るものはあるまい。何せ古イシュテリアの末裔なのだから……。
 一方レイナートの母親マリアスは平民の出。一族の誰も過去に爵位を持っていたという話はない。ということは「最も常なる血」であろう。
 ということはこの二つの血を併せ持つレイナートは、古文書の言う「地上の支配者」となれるのではないか?

 だが、その当時のアレンデルにはそれを確かめる術はなかった。何せレイナートはまだ幼児。成長した暁、どのような剣を持つかはその時点では誰にもわからない。古イシュテリアの聖剣「破邪」を持つようになるかどうかには確信めいたことは言えないのである。
 それにイステラの国法の故に、庶子であるレイナートの未来は爵士という身も蓋もないもので終わる可能性が大である。

―― これは見極めねばならんな……。

 だが当時のアレンデルはロクリアン大公という身。何をするにも動かせる金にも人員にも限りがあった。

 それが突然の兄ガラヴァリの崩御と最愛の(つま)マリアスの死。二重の衝撃にアレンデルは生きる気力をも失いかけた。
 だがいまだディステニアとは良好な関係とは言えず、どころかいつ再び戦端が開かれるかわからない状態であった。それ故重臣達は王位継承権筆頭者のアレンデルの即位を促した。結局アレンデルは重臣らの願いを聞き入れて即位し、やはり夫の死に打ちのめされていた嫂セーリアにレイナートを預けたのであった。

 この時のアレンデルはいまだイステラ暗部の存在を知らなかった。国王直属の諜報部門があるだろうということは想像が出来たが、その実態に関しては全く知らなかったのである。
 そうして兄の侍従長から伝えられ知ったイステラ暗部の存在。
 兄がそのような組織を利用していたということにも驚いたが、その規模の大きさにも驚いたのである。
 この暗部という存在は全くの影の組織。したがってその予算も何もかもがイステラの表面に現れたことはない。したがっていかなる面からも誰にも知られていない組織であったのである。

 イステラにおいては国王の死後は皇太子が跡を継ぐ。もし皇太子が若年の場合は摂政が置かれる。それが制度として確立されているため、例えば王位の継承に関する国王の遺言などがあってもそれが覆されることはない。したがって王もそういう言葉を残すことはまずない。よしんば残したとしても宗教的観念に乏しいイステラである。「死者の妄言」と無視されて終わり、というのが関の山である。

 ただし暗部に関してだけは必ず言い残す。それは自分の跡を継ぐ者にである。
 暗部については国王と当の暗部の者以外は誰もその存在を知らない。大抵は王妃にも知らせていない。したがって国王が誰にも伝えずに死んだなら、暗部は影に隠れたまま埋もれてしまう。それ故、いわば歴代のイステラ王の秘められた義務として、暗部の存在を次代に告げるのである。
 もしこれがなされないとどうなるか? その場合の暗部は相当苦労することになる。

 替わったばかりの王に暗部の方から接触しても警戒されるだけである。どころか下手をすれば敵視されたりもしかねない。影の組織であるが故に誰にも知られていないのである。そんな自分らが「こちらを信用、信頼して使ってくれ」と言って聞き入れてもらえるものか? それこそ、新王たる事をいいことに自分を油断させて害をなそうという他国の間者ではないか? そう思われる危険性の方が大きい。それ故下手をすれば己を捨てて働いている祖国によって抹殺されてしまうかもしれないのである。
 したがって暗部の方からの新国王への接触は暗部の存亡に関わることになる。それ故国王は死ぬ前に必ず暗部の引き継ぎをしておくべし、とされていたのである。

 ところでガラヴァリはこの暗部についてはアレンデルにではなく侍従長に言い残した。アレンデルは当時はまだそれほど老獪ではなく一本気なところを残していた。それ故のことである。
 そうして侍従長はガラヴァリの遺言のままに時期を見てアレンデルに組織の存在を伝えたのであった。
 アレンデルはそれを引き継ぎ、以来それを思うがままに駆使したのである。
 兄によって成し遂げられたアレルトメイアとの和平。ディステニアとの休戦。これはまだ予断を許さないというところがあった。だがそれよりも重要な事はレイナートの行く末である。

 レイナートは本当に古イシュテリアの聖剣を手にする者なのか? まずこれをはっきりさせないとならない。
 イステラには「人が剣を選ぶのではない。剣が人を選ぶのである」という言葉がある。それが真実なら、そうしてレイナートが「その者」ならば黙っていても聖剣を手に入れるだろう。だが親としてはそれを指を咥えて見ていることなど出来ない。そこでアレンデルは暗部を使い魔導師を探させたのである。まさか伝説の聖剣を何事も無く手中に収められることはないだろうと考えたからである。

 己は数々の文献から古イシュテリアの実在を信じて疑わない。だが当時、古イシュテリアの存在は既に半ば疑問視されていたのである。したがって表立って魔導師を探させるなど他に理由の説明がつかない。
 しかしながら古イシュテリアの「剣選びの儀」を行うには絶対に不可欠である。古イシュテリアの高等神官など数百年も前に皆死に絶えている。したがってその礼式を今の世に伝えているとすれば魔導師しかいない。それ故のことである。
 と同時に、元服後のレイナートを爵士なぞしたくはなかった。なんとしても貴族として取り立てたかった。だがそれは国法を違える必要のあることである。故にそれを成し遂げるためには周囲を納得させ了解させるだけの材料を揃える必要があった。
 アレンデルはここでも暗部を用いた。


 そうしてレイナートが「破邪の剣」を得た。すなわち「地上の支配者の持つ剣」をである。
 となればレイナートを「地上の支配者」たらしむべく鍛え育て上げねばならぬ。
 それまでは聖剣を手にするかどうかもわからなかった。そうでなくとも国王という己の立場、庶子というレイナートの立場の故にそれまで何もしてやれなかったのである。それがいきなり待ったなしでせねばならなくなったのである。

 そこでアレンデルは様々なことにレイナートを用いた。レイナートが継いだリンデンマルス公爵という家も非常に都合が良かった。
 五大公家に次ぐ由緒と格式を誇る、古イシュテリアまで遡るイステラ貴族の中でも名門中の名門。国使として外国に派遣することにも問題が全くなかった。

―― これが「天の配剤」というやつなのか?

 レイナートを貴族として取り立てたいとは思ってはいても、それがまさか公爵とまでは思っていなかった。アレンデル自身、精々伯爵が関の山かと考えていたくらいである。


 アレンデルはレイナートに様々な試練を与え鍛えた。それはひとえに己を超えてほしいという親心からである。
 そのためにアレンデルは暗部の投入を躊躇わなかった。どころか好都合だった。影から人知れずレイナートを支え協力する者達。暗部の者達以上の適任者が他にいるか?

 それでもアレンデルは心苦しさを感じずにはいられなかった。

―― 表立って何もしてやれなかった父を許せよ……。

 アレンデルは心の中で何度レイナートに頭を下げたかわからない。

―― だがもうこれでお前の天下だ。存分に思うように致せ……。

 レイナートがどのような形であれ玉座に就くところを見ることは叶わぬ。それは己の死後のことであるはずだからだ。
 また血を分けた兄弟で「骨肉相食む」争いが起きるのか否か。それもわからない。だがレイナートの性格、そうしてアレグザンドの気性からしてそれが起きるとは思い難かった。
 そうして、願わくばアレグザンドがイステラの次代の王となり、レイナートはさらにその上、大陸全土の王となったなら……。
 それはすなわち、レイナートがかつての古イシュテリアの大王の立場に、アレグザンドが小王の立場になったならということであり、それであればまさに思い残すことは何もない。

 アレンデルは己を飲み込み押し流すレギーネ川の濁流の中でそう考えながら、腰の金の剣を手放したのである。


 レイナートは父のそのような思いを全く知らない。
 時に己に課された無理難題に「あのタヌキ親父め!」と思いながらガムシャラに対処してきた。
 そうして今も寝る間も惜しんで祖国の復興に取り組んでいる。
 だがレイナートがかつての王と違うところは ― 否、元々相当な変わり者であらゆるところで色々と違うが ― 暗部の存在を即位前から知っていたということである。

 だが暗部を束ねていた、アレンデルから直接指示を受けていた暗部の長の存在はレイナートも知らなかった。
 イステラ暗部は全体の長の下いくつかの部門に別れ、それぞれに部門長がおり独立した動きをしていた。したがって同じ暗部とは言いつつも他が何をしているかについては知らないということも普通であった。それはかつてレイナートがクラムステンで尋ねてきたイステラ暗部の者と会った時のことからも窺い知れる。
 レイナートが「ゴロッソの手の者か?」と尋ねたところ「いえ、手前は彼の者と支配が違いまする」と答えたことに見てもわかるだろう。

 そうして現在のような状況下では暗部全体の把握が誰にも出来ていなかった。暗部の長も各部門の長も大地震以降部下達の前に姿を表していなかったのである。それ故暗部の者達からは地震で死亡したと思われていた。したがってイステラ国内に残っている者、他国へ潜入している者等、その全容を掌握している者がいないのであった。
 それ故生き残った者達はどうすればいいのかがわからないでいた。命令は常に上司からもたらされ、任務の結果も上司への報告だけであった。ゴロッソのように直接レイナートの指示を仰いでいるという者は実は少なかったのである。
 だがレイナートの施政の中で少しずつ暗部が動いていると思われることが増えていた。これは各省の職員や国民には窺い知れないことであったが、蛇の道は蛇。暗部に身を置くからこそ同業者の仕事はわかる。そこでそれを期にイステラ国内の暗部の者達は少しずつゴロッソらと連絡を取り合うようになったのである。自分を支配する上司と連絡が取れない以上、このままでは新たな命令が下される可能性はないだろう。だとすれば支配が違う等と言ってはいられない。
 己の生きる道は己が切り拓くものである。他人に任せておいていいはずがなかった。

 一方、同じ暗部とは言いながら、今まで接触すらしたこともない者達から連絡を受けたゴロッソは、当初は困惑しながらもそれを取りまとめ逐一レイナートに報告した。それによってレイナートは暗部の全容を把握出来つつあったのである。そうして国外に派遣されている者達にも何とか渡りをつけて帰国させるよう命令を出したのである。
 そうして現状で確認出来たものだけでゆうに二百を超えていた。それでもイステラ国内の全てではないようだったが、元々人知れず影の組織である故、全体の数を知る者がいない。よって全ての把握が出来るまでには今しばらく時間が掛かりそうであった。

 その間レイナートはこのイステラ暗部の存続について考えていた。
 暗部の情報収集能力はやはり目を瞠るものがある。己の打ち出した政策の実行状況など手に取るようにわかるからである。したがってその有用性にはレイナートも首肯するがそれは反面、恐怖政治を生む危険性を孕んでいることにも気づいていた。

 国王の命は絶対である。それに全ての者が従っているかどうかを把握する、ということになれば警察機構を持つ衛士隊による調査では物足りない。それは多分に表面だけでありそれを通り一遍眺めていても無理である。やはり市民の内部に入り込んだり、時には貴族領の内部にまで潜入する必要がある。まして外国となれば衛士隊ではどうにもならない。なのでその役目を果たすには暗部はうってつけなのである。

―― どうしたものか……。

 暗部の功罪をどれほど斟酌しても結論は直ぐに出なかった。


 そんなある時レイナートは北宮内で女官として働きながらレイナートを警護しているゴロッソに尋ねた。

「ゴロッソはそうしていると本当に女にしか見えないが、実のところはどうなのだ?」

 初めて会った時はくたびれた衣服はともかく、むさ苦しい無精髭、ボサボサの髪の中年男にしか見えなかった。それが今はどう見ても中年に差し掛かった女としか見えないのである。いくら変装の名人とはいえこの差はあまりに大きかったので気になったのであった。

「ふふふっ、どちらだとお思いになります?」

 だがその、ある意味でとても礼を失した質問に対しても気にした風はなく、どころか媚びたような怪しげな笑みを見せたゴロッソであった。だが直ぐに真顔になった。

「わたくしは男でも女でもあり、そのどちらでもありません」

「?」

 言われた内容の意味がわからないレイナート、一瞬呆けた表情となった。
 ゴロッソが続けて言う。

「わたくしの身体には男のものも女のものも両方ついております。ですから男として女を抱くことも出来ますし、逆に女として男のものを受け入れることも出来ます」

「何だと?」

 それはあり得べからざることだろう!

「ご覧になりますか?」

 そう言うとゴロッソは、レイナートが止める間もなく服を脱ぎだした。そうして現れた肢体。
 慎ましやかでまるで少女のようだが確実な胸の膨らみと腰のくびれ。そうして、まるで少年のもののように小さいが明らかな男のものの突起。

「もっとも両方兼ね備えているからといって女を孕ませることも、自分で孕むことも出来ないと思います。それは私だけでなく過去にもそういった者はいなかったようです」

 ゴロッソは背筋を伸ばし、手で身体のどこも隠すことなくそう言ったのである。

「畏れ多くも陛下にこのような姿を晒すのは心苦しいのですが、やはり直接ご覧頂いた方がご理解頂けたと思います」

 そうしてゴロッソは脱ぎ捨てた服を拾い上げて身体を隠しつつ悲しげな顔で言った。

「イステラの暗部にはこういう身体の者が多ございます。よって人並みの暮らしが出来ませぬ。なので暗部に引き取られそこで育てられるのです。影に生きる使い捨てのコマとして……」

 ゴロッソの言葉と身体を見たことがレイナートに与えた衝撃は凄まじいものだった。
 自らも「バケモノ」と呼ばれたことのあるレイナートだが、それは腰の剣「破邪」の故であって、レイナート自身の身体は至極普通の男である。長身、痩躯ではあるが、それ以上に特筆すべき身体的特徴はないと言っていい。
 だがゴロッソの身体は「普通」ではなかった。それもゴロッソ一人ではなく暗部の者は多かれ少なかれ、同様に身体の何処かが常人と違うという。
 それ故、影に徹し使い捨てられることを厭わない。

 それを聞いてレイナートは激しい憤りを感じた。

―― これは身分や性別による差別、なんてものとは比較にならんではないか!

 身体に常人と違うところがあるのなら、逆に手厚い保護を与えるべきではないか? それを消耗品が如く酷使するとは何事か!

 レイナートは決心した。暗部の者達を全て解放しよう、と。
 諜報活動、すなわち情報収集は必要ならそれ専用の機関を設ければ良い。公明正大であろうとするレイナートは暗殺や誘拐、人知れずの破壊活動などを好まない。したがって暗部がなくても構わないと思ったのである。


 そこでレイナートはモーナを呼んで確かめようと考えたのである。
 モーナはシャスターニスの侍女として働いていた。これはモーナだけのことなのか。それともレリエルの暗部は全員が表の仕事を何か持っているのか。だとしたら表の仕事だけで一生を終えた者はいるのか。
 レイナートがモーナに尋ねたのはそういうことである。

 もっとも例えは情報収集を行う専門機関を設置するとしても、しばらくはその要因の育成のために暗部の者達に働いてもらわなければならないだろう。
 だがそれに目処が付いたなら暗部の任を解き、「普通人」として生活させるのはどうだろうか。もちろん直轄市民として民籍登録を行い国民としての権利を全て与える。当然負うべき義務も発生するが、その方が平等ではないだろうか。
 常人と違う身体だからといって、影に生きることを強要し、剰えその生命を使い捨てとさせるなど、レイナートには許し難いことであったのである。

「ゴロッソ、今一度命じる。可能な限り暗部に所属する者の所在を確かめ私に報告せよ。
 そうでなければ暗部を解散し、お前達を自由な、普通人としての暮らしを与えることは叶わぬ」


 イステラ暗部の者にはその常識が染み付いていて、いきなり解放すると言われても、どうすればいいかわからないかもしれない。レリエル暗部が参考例になるかどうかはわからないが、自分達が強制された生き方と違う生き方があるということを、レイナートは提示したかったのであった。

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