聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第2章

第10話 暗部解散

 立て続けに国の重要人物の訪問を受けたレイナートは、その後再び日常に戻った。すなわち目の前に堆く積まれる書類の山との格闘である。

 だが時々ふと手を止め物思いに耽る。

―― あの地震がなければ皆も今のようにはなっていなかったろうな……。

 片足を失ったドリアン大公、軍人でありながら政治家として業務に携わるシュラーヴィ侯爵。退任を願う彼らの気持ちもわからぬではないし、他の大臣達も重責を負わされることもなく済んだことだろうとは思う。
 それも何とかしなければならないが、何よりもレイナートの心を締め付けるのは王太后エーレネとアレグザンド母子である。


 レイナートの許可を得たエーレネは翌日早々と塔に移り住んだ。
 イステラの王城トニエスティエ城も大小様々な塔を持つ。トニエスティエ城は背後に峻険な山々を控えるため、後背からの敵の侵攻ということを基本的には想定していない。
 だからと言って全く警戒しないということはないので、城の奥、山側にも塔をいくつも備える。その一つ、東宮の近く最も北側の、すなわち日頃歩哨の警備兵以外人がほとんど訪れることのない塔にである。

 二人が移り住んでからまだ幾日も経っていないが極力人を排しての生活である。ただしエーレネは料理も洗濯も出来ないから、必要最小限度の身の回りの世話をする侍女は配している。
 その侍女の話では二人の仲は大層睦まじく、とても親子には見えないとのことである。

―― 変な間違いがなければいいが……。

 あらぬ心配をするレイナートだが、アレグザンドは母親との水入らずの生活で至極落ち着いた様子を見せているという。

―― あの地震がなければ今頃は……。

 アレグザンドが即位していたかもしれない。否、アレンデルが行方不明となることもなかったろうから父王も皇太子も健在、レイナート自身はリンデンマルス公爵として領地経営に勤しんでいる、ということになっていただろう。

―― 思えばレリエルへ向かって以来、領地には戻ってさえいない。懐かしいな……。

 主だった家臣は皆、王都に呼び寄せたが、家宰や郡長、村長らとはもう何年も会っていない。
 望郷の念、というとおかしな話だが、レイナートにとってリンデンマルス公爵領が故郷のように思えてならなかった。レイナート自身はロクリアン大公領生まれの王都育ちであるにも関わらず、である。

 王都よりもはるかに山が迫っている、どころか山の麓といったリンデンマルス公爵領は全体が緩やかな丘陵地で、そこに牛や羊を放し、耕しては穀物や野菜を作っている。ブドウやモモ、リンゴなどの果樹も多い。他方、東地区は地平線まで砂漠が広がり壮大な景色である。

―― 領地はどうなっているだろうか?

 定期的にリンデンマルス公爵家王都屋敷留守居役のコリトモスが報告に来ているから、その様子が全くわからないということはない。だがやはり直接自分の目で見たいと思うのは無理からぬ事だろう。

―― 何とか一度は領地にも足を運びたいものだ……。

 これが、レイナートがリンデンマルス公爵の身分を失っていたならまだ諦めもつくだろうが現実はそうではない。いまだリンデンマルス公爵でもある以上、国政と同じ程ではないにせよ、領地が気になるのも致し方のないことである。

 だが現状国内の復興はまだ完全とは言いがたく、王都も主要都市もそうして貴族領も復旧のまっただ中である。したがって各省、特に工務省は多忙を極め、レイナートの決済を求める書類の数もまた多いのである。したがって王宮を長期間離れるというのは不可能である。

―― だが、だからこそ貴族領も含め、現地視察は必要かもしれない……。

 そう思えてきたレイナートである。


 そこでレイナートはクレリオルに相談を持ちかけた。だがクレリオルはけんもほろろであった。

「無理なことを仰らないで下さい。今、陛下が王都を離れるなど不可能です」

「それはそうだろうが、各地の様子を視察する必要もあるのではないか?」

「それは否定しません。ですが陛下御自ら出向く必要はございません。人を派遣すればよろしいでしょう」

「それはそうだが……」

「より詳しい調査を、ということであれば暗部をお遣わしになれば……」

「いや、それは駄目だ! 暗部は解散すると決めたはずだ!」

「とは申せ、暗部の者達が普通の暮らしを出来るかどうか……」

「出来るかどうかを決めるのは彼ら自身だ! 我々ではない!」

 レイナートの口調は鋭かった。


 レイナートはイステラ暗部の解体を決定し諸大臣に通達した。もっとも大臣らにすればそういう組織があることを薄々は知っていても、自らが関わっていた訳ではないからレイナートの決定に否やはなかった。

 レイナートとしても暗部の機能、特に諜報部門に関してはその有用性を認めていた。目的地に潜入して人知れず情報を集める。それによってレイナート自身助けられたことも一度や二度ではない。
 だが暗部を構成する者達は身体に何らかの欠陥があり、その故に常人として生きられないから暗部に半ば強制的に入れられ、任務遂行のために身命を賭す事を強いられている、ということに大いに憤りを感じたのである。

―― 自ら望んでではなく無理矢理やらせ、しかも実態は使い捨てのコマ。そんなことがあっていいものか!

 イステラにおける国軍は半数の志願兵と半数の兵役による徴兵とで構成される。そうしてやはり志願兵の方が徴兵よりも士気が高い者が多いという。
 だが暗部の者は士気が高い低いなど言ってはいられない。過酷な状況に放り込まれ任務に成功すれば良し、失敗すれば死。逃げ出しても死である。レイナートに言わせれば「そんな無茶な話があるか!」ということである。
 それ故レイナートは暗部の解散を決断したのである。

 ただし全くの解体ではなく一部は別の形で残すことにした。それは対暗部組織である。
 こちらが暗部を解体したからといって周辺国を含め他国もそうするとは限らない。したがって他国の間諜がイステラの中に入り込んで活動するということは否定出来ない。まさかそれを知らん顔をして好きにさせるということも出来ない。したがって他国の暗部から国を守るための組織は残さなければならない。それにはやはり暗部出身の者で構成された組織が最適であろう。俗にも蛇の道は蛇というくらいであるから……。
 ただそれを影のものではなく、表向きの公式組織として機能させようというのがレイナートの考えであった。

 例えば王宮と王族の警護は近衛軍が、王都や直轄地の警備は衛士隊が、そうして国土全般は国軍が、さらに各貴族領は各貴族の私兵が守っている。だがそれらはいわゆる正規軍であり暗部のような影の組織を基本的には持たない。したがって他国から間者が潜入してきても対処出来ないどころか、全く気づかないでいるということすらあり得る。これを野放しにすることは国策としてありえない。

 だが対暗部組織をどこに設置するかでは色々と難しい問題があった。
 王室を守るということであれば近衛軍内部だが、それでは国境周辺にまで活動範囲を広げるには無理がある。それは国軍や衛士隊の領分、要するに縄張りを侵すということである。かと言って逆に国軍か衛士隊の内部に設けると王宮内で近衛軍との軋轢を生む。と言ってまさかそれぞれに設けるなど愚の骨頂である。
 ただでさえある程度隠密性、独立性の高い組織とならざるを得ないのである。それが複数あったら掌握するのにも苦労するし、そこまで予算を確保するのも難しい。ましてそういう組織が暴走などしたら誰の手にも負えなくなるから、それを抑えるため暗部同士で監視し合い、それが昂じて対立という構造すら出来かねない。
 そこで諜報部門を一元管理するための組織として新設されたのが王国情報室である。

 かつてのレイナートや今のクレリオルが拝命した王室参謀長。これはいわば令外の官である。したがって同時に複数存在しないし、元々は自由に国王に会えるというだけの地位である。レイナートはこれを発展させたのであった。

 王国情報室は国王の直属機関とし、その長官には王室参謀長を充てる。その支配下組織として諜報と対暗部対策・国土防衛に務めるというものである。
 ただしそれを国王が私し己の権力維持のために使用して独裁・暴走することがないよう、恐怖政治に陥らないようにするため、そこで得た情報は常に御前会議で諸大臣に開示されるべし、とされたのである。もちろんその予算と組織についてもである。
 それは諜報機関としては片手落ちの感がないでもないが、レイナート自身が隠密の有用性を認めつつもこの点を譲らなかった。それ故政府内の公的機関としてその存在を確立されることとなったのである。
 このことは、今までは表立って姿を表したことすらない組織であったのだから、これだけでもかなりの変化であったと言えるだろう。


 そうしてレイナートは元暗部全員の民籍登録を命じ、平民としての身分を授けるということに決定した。と同時に、この組織の構成員は全て志願者として一切強制での服務を禁止したのである。それは換言すれば、志願しなかった者は別に職業選択が許されたということである。

 だが暗部の者達は当初一様に困惑した。いきなり自由に生きろと言われてもどうすればいいかわからなかったのである。そこでレイナートが勧めたのは各省の職員として「就職」することである。

 暗部の者達の元の職務は諜報、破壊、撹乱それと暗殺である。それを遂行するために変装や潜入といった技術を身につける。したがって時には商人、職人、村人から執事や侍女など、あらゆる職業や身分の者に化ける事が出来る。だが当然ながら単に見た目を取り繕えるというのではなく、それは外国語に堪能、読み書きはもちろん計算にも強く、知り得た情報の分析も出来るという、高い情報処理能力を有しているということである。
 レイナートにしてみれば、こういう人材を無駄にしてなるものか、ということである。

 もちろん民籍登録すればその出自の公開に収入に税金と、様々な点でそれまでとは違う生き方をすることになる。それは影に生きる存在ではなく、日の当たる所に住する一般人としての人生を送ることが出来る、というものである。
 それでも暗部の者達は悩んだ。影の存在が日向で生きていいものなのか? 今まではそれが許されなかったのに、今度は掌を返したように変わるのであるから当然の戸惑いであろう。

 だがレイナートは暗部の幹部達を集めて言った。

「国のために働くということについて言えば何も変わらないのだ。
 どころか己の素性を隠し、時によっては使い捨てにされるという、そういう生き方はあってはならないと思う。それを強いてきた今までの国のあり方が間違っていたのだ。
 私はそれを改めたいと考えているのだ」

 レイナートはそう暗部の者達に新たな人生の出発を促したのであり、これによって結果的に、王国情報室には希望者から選抜されたおよそ五十名が配属され、残り二百数十名は各省にその職を得たのである。


 ところで彼らは新たな民籍を得た訳だが、その全員がリンデンマルス公爵家の領民ということになった。全員がそれを望んだのである。

 イステラにおいて民籍登録される場合、必ず直轄市民か貴族領民かに分けられる。そのどちらにも属さないのは王族と奴隷だけである。
 そうしてその一番の違いは何かというと、当然ながら戴く君主である。国王か貴族か。まずこれが最大のものである。
 市民の場合「国王の民」となり、王都や直轄地を出生地として民籍簿に登録される。領民の場合は「貴族の民」となり各領地である。したがって市民の方が、より国王に「近い」と言えなくもない。故に平民にとって「国王の民」の方が「貴族の民」ということより自尊心や自負心に作用することもないではない。だが実際はどちらも雲の上の存在であって直接関わりを持つことなどない。したがって現実の生活においては特別な差がある訳ではない。
 しかも現状では国王もリンデンマルス公爵家当主も同じレイナートである。したがってそういう意味からもさして違いがないとも言えるだろう。

 だがそれ以外では見過ごせない相違もある。それは税金に関する問題である。
 市民と領民とに課せられている人頭税、これは国税であるからその税額が違うということはない。これを大雑把に説明するなら、国であれ貴族であれ、支配下の平民には何らかの税を課している。それには金納、物納、労役と納税方法は色々とあるが基本的には収入に応じたものである。そうして市民なら徴税した代官、領民ならその貴族家の徴税官がその中から人頭税を国庫に納め、残りを直轄地やその貴族家の収入とするのである。

 これが市民の場合だと、税額の算出方法が国法で細かく定められているので収入以外の点による納税額の違いというものはない。
 一方貴族領の場合、それぞれの領主ごとに様々な課役を領民に課しているが、各家はそれぞれ事情が異なっているので一律ではないのである。それでもそこにはそう極端な違いがある訳ではない。だがそれでもやはり、市民と各領民では同じ収入であっても課されているものが違う、ということが現実に存在するのである。

 ところで彼らが何故リンデンマルス公爵家の領民たらんと欲したかというと、それはイステラの貴族家の中で最も公平、公正、公明だと判断したからである。この点に関してはゴロッソら直接レイナートのために働いた者達の意見が大きかった。
 それと市民であれば実際に民を支配するのは担当する役人や代官などである。これはある年限で交代するのが基本で、土地の者との癒着を避けるためである。したがって担当者が細かいことにこだわる口うるさい人間だと、変わる度に一々呼び出される可能性がある。何せ前身が前身だからである。これは煩わしいこと甚だしい。そういう判断もあったのであった。


 だが彼らの希望を聞かされた時レイナートも驚いた。

「全員が全員か?」

「はい」

 問われたキャニアンが答えた。この点の実務担当はイステラの内情に詳しいキャニアンが行っていたのである。

「なんと言うか、嬉しいといえば嬉しい事だが、大変といえば大変だな……」

「はい。いきなり三百名近くも領民が増えるのですから……」

 今度はクレリオルである。

 結局残っていたイステラ暗部の総数は三百名近くであった。そこには外国での潜入任務から戻った者も含まれている。

「これだけ一度に増えると納税が大変なことになります」

「それはそうだな……」

 クレリオルの懸念にレイナートも頷いた。
 人頭税は領主または代官が徴収して国に納付することとされている。したがって領民が増えた分納税額も増える。故に新領民が領主に税を納めるまでの人頭税は領主が立替るなどしなければならないのである。
 もっとも立替えなくとも貴族が咎められることはなく当人が奴隷とされるだけである。それがかつてのリンデンマルス公爵家で起きたことである。
 だがレイナートは領民をそのような目に合わせることをよしとしない男である。

 さらにキャニアンが言う。

「それと住まわせる所もです」

「そうかその問題があったな……って、彼らは今どこで生活しているのだ?」

 レイナートが改めて気付いた。国に戻っていたゴロッソやレイナートの即位後に帰国した者達。当然彼らにも住む所が必要なはずだが、思えばレイナートはゴロッソ達が普段どこで何をしているのか全く把握していなかったのであった。

「さあ、それは……」

 問われた方もわからないことである。
 もっとも暗部は日頃の生活を他人に明かすことなどない。ただ暗部のみで通ずる暗号を用い連絡を取り合っているので、当人同士も相手の生活のことは知らないに等しい。したがってそれぞれが独自に生活の拠点を持っているのだろうが、それを公にすることなどないだろう。
 それに領民となれば、その生活は領主が責任を持たなければならない。

「表の生活をさせる以上、その生活の場も与えなければならないのは自明のことであったのに、何たる不覚。
 直ぐに住居の手配をさせよ」

 レイナートが命じた。

「と仰られても……」

 キャニアンが返答に困った。
 震災後王都でも多くの家屋が被害を受け住宅難が続いているのである。新たに三百人分の住居を手配しろと言われても直ぐには対応しかねるのが実情である。

「さしあたって各省職員用の官舎を急ぎ建設させよ。彼らは皆独身。単身者用の集合住宅を四の郭に建てさせればいいだろう。
 そこへ家賃を徴収して住まわせよ」

 要するに国営官舎を建てろと言ったのである。
 実際リンデンマルス公爵家の王都屋敷フォスタニア館も巨大な建物だがそれだけの空き部屋はないし、その敷地にも新たに三百人分の住宅を建てられる余裕はない。
 教務省も新設されたし職員の数は今後も増えることが予想される。それらが全て元々王都で暮らす者なら新規に住宅を用意する必要はないが、国内各地から集まってくるとなると王都の人口が増え、深刻な住宅不足になるのは火を見るより明らかである。
 そこで各省職員用の官舎を建てることを思いついたレイナートである。

 この点レイナートも為政者として板についてきた感がある。命令を下したら後はお前達で考えろ、ということである。もっとも全て投げっ放し、任せっ放しにしないで、あとから口を出すのもレイナートだが……。


 とは言うものの、命令された工務省は困惑を通り越して憤慨していた。
 今でさえ四の郭は中断されていた各国駐在館の建設再開、教務省庁舎と学校施設の建設が進められている。お陰で何もなくガランとしていた四の郭は、資材を搬入する馬車や建設に駆り出されている国軍兵士でごった返している。
 さらにディステニアとの間のレギーネ川に橋を架ける工事、アレルトメイアとの間の新メリネス橋の工事再開と、工務省の人材不足・資材不足は深刻化している。「やれ」と言われても直ぐに出来る状況にはないはずだった。

 ところがこれを改善させたのは、何とその元暗部の者達であったのである。
彼らはすぐに頭角を現し、業務を滞り無く遂行するのみならず、資材不足などの懸案事項の解決にも暗部で得た知識と経験を活かしたのである。


 その工務省を始め各省にはそれぞれ三十名ほどずつ配属となった。一応は新人扱いで簡単な仕事から始めさせられた訳だが、元々高い能力を有する者達である。その仕事ぶりにどの省のどの上司らも目を瞠った。

「何だ、ここまで出来るのならもっとやらせても良かったな」

「と仰られますと?」

「いや、こんな簡単な計算だけでなくてな……」

「それはこういうことでしょうか?」

そう言って上司の望むものを見えるのである。

 入省したばかりで右も左も分からない者は専門用語から説明してもらわなければならない。だが元暗部は潜入に必要な予備知識として様々なことを知っている。だから余程の専門職でなければ知らないようなことでもない限り業務でつまずくことはない。しかも潜入や、時には戦闘もこなすのだから身体能力も高い。したがって即戦力として次々と仕事が任されるに至ったのである。

 だがそうなると面白く無いのは先に採用試験を経て入省した貴族の子弟達である。
 ただでさえ貴族ということで自尊心が高いのに任される仕事は初歩的なことだけ。知識と経験がないのだから仕方がないのだが、一方で自分達の後輩がより責任のある仕事を任されているということが癪に障るのである。
 殊に元暗部は両性具有を始め身体に障害を持つ者が多い。また両性具有者はその見た目が女にしては厳つく男にしてはなよなよした感じである。それが余計に気に入らないのである。「半人前のくせに!」と。
 それが昂じて一部の者が色々と嫌がらせをするようになったのである。

 だが元暗部は己の正体が露見しないよう、また任務遂行を最優先するため、いかなる状況下においても常に冷静な言動を心掛けることが身についている。つまらないことで一々腹を立てたりなど感情に身を任せることをしないのである。したがってどれほど嫌味を言われても、嫌がらせを受けても泰然自若としているように見える。これがますます新人貴族達を怒らせた。
 ついには彼らは身分を傘に難癖をつけだしたのである。やれ「平民のくせに」とか「平民の分際で」とかである。こうなると身分社会の国であるから話が難しくなる。

 彼らも採用試験で合格したくらいだから決して無能ではない。だが任される日頃の仕事と自己評価が噛み合っていないから鬱屈した日を送り勝ちとなっていた。
 これが女性新人は元々差別される側だったから、それをはね除け己を認めさせるために努力を惜しまない。なので男どもの稚拙な振る舞いを苦々しく思うことはあってもそれに加担したりはしない。
 ところが男の方で、なまじ自分を優秀だなどと考えている者の嫉妬は女のよりも醜く質が悪い。それも影に隠れてならともかく、皆が執務を行っている所でだから余計に始末が悪い。上司といえども平民だと抑えることが出来ない。そのため業務に支障まで出てきたのである。


 それをクレリオルからの報告で聞いたレイナートは呆れたように言った。

「彼らは元は国の特務機関で身命を賭して働いていた者ばかりだから修羅場をいくらでも経験しているぞ。
 その気になれば、三人程度でも国軍一軍を無力化することも不可能ではない。まして貴族の家一つなど、気がついたら途絶えて滅びている、ということにも出来るのだぞ?
 彼らを怒らせる前にそういう下らん真似は直ぐに止めよ。
 その者達にそう言ってやれ」

 レイナートの言うことは決して大袈裟ではない。

 もちろん暗部だからといって国軍と正面切っての戦闘で勝てるということはない。だが相手陣内に潜入して司令官や指揮官の暗殺、さらには食料や飲料水への毒の混入などという、暗部本来のやり方で遂行すれば、どれほどの兵力であっても無力化することはいくらでも可能なのである。それは貴族家に対しても同様である。


 レイナートの言葉はそのまま各省に伝えられた。
 初めは「そんなことが出来るはずがない」と鼻で笑っていた貴族の子弟らもレイナートの次の言葉を聞いて押し黙った。

「己の未熟を棚に上げて身分を傘に他を苛むなど、それが貴族のすることか。全く度し難き連中だな。
 ならば私がその者達に同じことをしたらどうするつもりなのだろうな? じっと我慢して耐えるのだろうか? それとも我慢出来ないからと反旗を翻すか? 国王である私に対して?
 逆らえない者を逆らえない力でどうこうしようなど、卑怯者の極みである。恥を知るべし」

 権力を恃む者は権力に泣かされることになるぞ。そう言ったのである。


 その後レイナートは各省における実力重視をより徹底させることを命じた。
 文句があるならまずは人よりもいい仕事をしろ。それが出来てから言いたいことを言え、ということであり、それは当然のこととして各省内で受け止められたのである。

 したがって彼ら新人貴族達に残された道は、努力して己を認めさせ周囲を見返すか、さもなくば恥を忍んで職を辞すしかなかったのである。

inserted by FC2 system