聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第2章

第12話 官僚化

 イステラの王都と一体の王城トニエスティエ城は各郭ごとに高い城壁を有する。それはもちろん防衛のためである。この高い城壁のお陰で冬の猛吹雪も幾分抑えられるが、逆に夏の風通しの悪さの原因ともなっている。
 しかも王都内は通行の便を図るため、大通りと名付けられた幅広い道は切り出した大石を敷き詰めている。これが夏の強い日差しを浴びて蓄熱し余計に王都内の気温を上昇させる。したがって夏のイステラ王都内は酷暑となる。貴族が夏の間領地に逗まるのはもちろん領地経営のためであるが、この王都の暑さから逃げ出すためというのがそれ以上の原因だとされている。


 そのうだるような暑さのトニエスティエ城の一の郭、王宮となっている建物の合議の間で新宰相のフラコシアス公爵が声を荒らげた。

「陛下の行幸があるなど聞いておらんぞ!」

 透き通るような銀髪、色白の肌、整った顔立ち。さすがイステラ三代美姫の一人、クローデラの父親だけあって頗る美男であるフラコシアス公爵は険しい顔であった。

「そのような重大事をいきなり聞かされてその準備をせよなど、無理を言うにも程がある!」

 フラコシアス公爵はすっかりお冠である。

 もっとも国内の政策を一々貴族に諮って行うなどということはあり得ない。通常は様々な案件は大臣達の会議によって検討され、それを宰相が取りまとめ国王の裁可を仰ぎ執行する。
 もちろんその案件が国論を二分し、場合によっては内戦とまではいかなくとも、国内に重大な不安要素を生む可能性がある場合はこの限りではない。だがそうでなければこれが通常のイステラにおける手続きである。
 したがって行幸に関しても貴族の意見を聞くということはなく、またそれを外部に漏らすこともないからフラコシアス公爵が知らなかったのも無理はない。

 国王が国内各所を訪れ実際に見分する、というのは確かに重大事である。しかもこの行幸というもの、長いイステラの歴史においても片手で数えられるほどしか行われていないのも事実である。そういう意味からすれば近年稀に見る重大事であるということが出来るだろう。

「確かに理由は承った。それに対しては色々と疑問もあるがそれも良しとしよう。
 だが陛下のご不在の間、その代理として国政を見よというのは、正直言って、一臣下の分を超えるものではあるまいか」

 フラコシアス公爵が異議を唱えたのは行幸そのものではなく、レイナートが不在の間の留守番、しかも重要事項の決済を含めて責任をもって対処すべし、その準備を滞り無く進めよということにであった。

「大体にして、古い記録によれば前回の行幸はおよそ百二十年前。それこそディステニアと戦火を交えて直ぐの時、国内貴族を鼓舞し、挙国一致の機運を高めるためのことであったとか。さらにその前となると二百年近くも前のこと。今とは到底時代が違うのだぞ?
 まして現在は未曾有の国難の時、だからこその行幸ということは理解出来るが、王都に陛下がおわさぬというのはあまりに危険に過ぎるのではないか?」

 フラコシアス公爵は御前会議において大臣らに向かって言った。だがそれはすなわちレイナートに言っているのであった。
 イステラ有数の貴族・公爵であるということ、そうして諸大臣を統括する宰相という立場。当然その責任は重く、国王を補佐する立場としては最も上位に位置する。それは宰相職を引き受けた時からわかっていることだから納得もするが、国王が不在となるからその代わりを努めよというのは話が違う、というか聞いてないぞ! と言いたいのである。
 そうしてそれを新任とはいえ、否、新任だからこそ臆することなく自らの意見を述べたのである。いきなり無茶なことを言ってくれるな、と……。


 この物おじしないというか、気後れすることなく言うべきは言うという、いわば自信に溢れているとも言えるフラコシアス公爵が政府内に加わったことで、それまでとは少しずつ様変わりするようになっていった。

 レイナートは自ら考えて行動する君主である。何事も「良きに計らえ」では済まさない。どころか自らあれこれと新機軸の政策を打ち出し実行させる。そのせいもあって御前会議はレイナートが意見を述べる場、それに対する大臣らの質問の場になってしまっており、大臣達から新規の意見がほとんど出なくなってしまっていた。
 それ故レイナートの日常業務は書類の山との格闘になってしまったのである。何分、各大臣や各省の官吏では思いもつかない政策を打ち出すから、実務担当者もついていけず質問やら確認やらが目白押し。それではいつまでたっても会議が終わらないので文書で提出、ということになったからである。
 だがこれは一面において仕方のないことかもしれない。官僚化が進むということは保守化が進むということでもある。したがって新しい発想が出難くなるということである。そこへ突拍子もない事を言い出すのだから並の官吏ではどうにもならない。事あるごとにお伺いを立ててくるし、大臣は大臣で結局レイナートに聞くしかなくなっているのであった。
 だがそれでもどうにか進んでいるのは各省に新しい血が入ったからである。それはレイナートの即位後新規採用された官吏らである。だがこれも、それまでの職員に比べれば多少はマシという程度でしかないのも事実だった。


 彼らは要するに平民、貴族、そうして暗部出身者で、この三者は全く相容れない存在である。平民の考えは貴族にはわからぬしわかろうと考えもしない。逆に平民にすれば貴族は話の通じない、身勝手で鼻持ちならない傲慢な存在である。
 他方、暗部出身者はといえば、やたら何事にも詳しいし目覚ましい実力を発揮する。だが服装を除くと見た目からでは男か女かわからない者が多く、とにかく不気味で近寄りがたい。
 この三者が三通りのやり方で鎬を削っているのが今のイステラ各省である。

 平民はいくら読み書きが出来るとはいえ、幼い頃から教師に着いて学んだ貴族に比べれば見劣りがするのは否めない。それはリンデンマルス公爵家の領民であってもである。
 レイナートの指示による冬期学校は決して無駄とはなっていない。だが如何せん教師の絶対数が足りない。したがってきめ細やかな指導に欠けるのである。
 これは余程裕福な商人の家でも同様で教師を複数雇うことは少ない。大抵は一人の教師から複数科目を学ぶのであるから大差はない。
 その点、お雇いの専門教師から学ぶ貴族の子弟に軍配が上がるのは致し方無いだろう。
 だが、だからといって僻んだり拗ねたり諦めたりでは未来はない。実力主義を謳うイステラである。それは身分に関わらず正当にその業績を評価するということである。これは逆を言えば本領を発揮出来なければ負け犬の人生が待っているということである。したがって歯を食いしばり石に噛じりついてでも努力するしかない。

 一方の貴族の子弟らはどうしても自分は貴族であるという自尊心から抜け切れない。したがって中々素直に人の話が聞けないのである。だがそれも貴族身分でない上司の言葉も、ということになると致命的である。
「アイツは使えない」と目されたら体よく職場で阻害されてしまう。そこで怒りに任せ身分を傘に物を言えばお仕舞いである。そのことは廻り回って必ず主家や実家に伝わる。そうなれば「一族の面汚し」の烙印を押され最悪の場合勘当されてしまう。そうなると下手な平民どころか、それこそ爵士よりも悲惨な人生が待ち受けている。したがって堪忍袋の緒を常に締め直し、我慢することを余儀なくされるのである。

 また暗部出身者らはいまだ「表の生活」に慣れていない。したがって日常において「普通人」としてどうすればいいのかがわからないことが多い。そこで彼ら、いや、彼女ら……、とにかく潜入技術を持ち出さざるを得ない。すなわち「イステラの省内に潜入して官吏を装い」ということである。そうであれば昔とった杵柄、いくらでも「普通」に振る舞える。
 だが別段それで機密情報の収集をする訳ではない。誰かの暗殺の機会を伺うのでもない。ただひたすら与えられた「日常業務」をこなすのみである。

―― 私はここで一体何をしているのだ? 私の使命は一体何なのか?

 そのような日常で段々自分が何者かわからなくなってくる。
 潜入任務は己の正体を気取られないように常に緊張を強いられる。完璧に他人になることを求められる。それを実行するのは「裏」の使命遂行のためである。だがここでは「裏」の目的も使命もない。情報収集も、破壊工作も、まして暗殺を行うこともない。そのことに己の精神が悲鳴を上げ始める。

―― 誰でもいい、私に命令を! 「本当」の命令を下してくれ!

 今現在「各省の正規職員」としての暗部出身者に与えられている命令は「表の仕事」を「普通に遂行」することである。それが「本来」の命令であるということに彼らはいつまでも馴染めないでいるのである。

 このように三者三様の悩みを抱えながら、それでも新官吏達は業務に当っている。
 そうして旧態依然の各省の仕組みではいくら彼らが多少は柔軟な発想が出来たとしても、中々レイナートの新しい施策を滞り無く進めるということには至らない。どうしても疑問やら不明点が出てきてしまう。それについて上司の指示を仰ごうとすると、結局発案者のレイナートに確認すべし、ということになってしまう。そこで「お伺い書」「確認書」「経過報告書」「指示依頼書」等、毎日多数の書類が作られることになり、それがレイナートの元に届けられる事になるのである。

 宰相就任後、その状況を見たフラコシアス公爵は呆れてものが言えなくなってしまった。

―― なんという無駄なことを! 時間も羊皮紙も無限ではないというのに……。

 そこへ持ってきて行幸の一件である。フラコシアス公爵からすればそんな余裕のある状況ではなかろう! としか思えなかったのである。


 従来のイステラにおける政治・行政の形態は、まず各省で立案・計画、それを宰相と大臣らで検討、その合意をもって国王に報告、決済を受けて施行というボトムアップ型である。ところが現状ではこの順序が全く逆となり完全なトップダウン型となっている。それが余計に混乱の原因となっていたのである。

―― 何とかせねばならんな。だがどうやって?

 新宰相も悩むばかりである。元々銀髪のフラコシアス公爵であるが、もしそうでなかったら忽ち髪の色が白くなっていたことだろう。

 そのような状況下で従来型の意思決定をするきっかけとなる出来事があった。それは全くの偶然から起きたことである。

 現在レギーネ川に架ける二つの橋の工事が進められている。一つはアレルトメイアとの間、今一つはディステニアとの間にである。
 アレルトメイアの方は元々のメリネス橋が幅が狭く交通量が増やせないことを受けての幅の広い新橋の建設である。ところで旧メリネス橋も石造りであり、先の震災にも被害を受けず実用に支障はない。また震災後交通量自体が減っているのでこちらはさほど切迫した感はない。
 ところがディステニア側は木造の橋が流され、石造の橋はいまだ完成途上。したがって両国間の行き来は直接川に入って渡らなければならない。特に商会の荷馬車は積み荷を全て降ろし川越人足に担がせての渡河となるから、時間も費用も馬鹿にならない。したがって橋の建造としてはこちらの方が優先とされていた。そこで石橋の建造を進めつつ木造の橋も突貫工事で進められているのであった。


 夏の盛りを迎えたある日、そのディステニアへ至る木造橋の建設現場でのことである。
 土木人足の一人が川の中でキラキラと光る小石、というよりも少し大粒の砂のようなものを見つけた。
 その場の数人で手を止めてその粒を見ているのを、工務省から派遣され現場監督の補助をしていた下級官吏に見咎められた。

「何をしている! 作業に戻れ!」

 そこで人足は下級官吏にその粒を見せたのである。見せられた下級官吏はその粒を見て驚いた。

―― もしかして、金?

 それはまさかの砂金であった。


 人足をしていたのは現地近くの直轄地で集められた平民であった。
 この当時、イステラの平民の収入は平均するとおおよそ月に十万イラ程度。大金貨なら一枚、小金貨で十枚である。だが平民が給金や手間賃を金貨で受け取ることなどない。そんな高額通貨を手にしても日常生活で使い勝手が悪過ぎて困るのである。
 それ故金貨の存在を知らない訳ではないが現物を見たことはほとんどない。金そのものも見たことがないのである。そこで自分が見つけたものが砂金であることに気づかなかったのである。
 だが見咎めた方の下級官吏は、実は新人の貴族であった。そこで金であることに気づいたのである。

 その下級官吏は人足からその金の粒を取り上げ直ぐに上司に報告した。「少しでも変わったことがあれば直ぐに報告せよ」という工務大臣からの通達が出されていたからで、やはり過去に色々とあったディステニアとの国境だからである。そうしてその官吏は新人らしく杓子定規に命令を守ろうとしたのである。
 新人から砂金を見せられた上司は驚いた。今までレギーネ川で砂金が見つかったことはない。流域には石炭や鉄鉱石の鉱山は点在しているが金や銀といった貴金属の鉱山は存在しないからである。

―― まさかあの地震で?

 イステラにも大きな被害を与えたビューデトニアを震源とする大地震。それによって地下深くの金が表面に出てきたのでは? そう考えたのである。

―― どうするか?

 自分の上司に素直に報告してもこちらの懐には何ら影響はない。報奨金すら出ないだろう。

―― だけどもし砂金を人足に集めさせて自分のものにすれば……。

 そう考えてこの上司は首をブルブルと横に振った。職務中に見つけたものを私すればそれは横領である。
 以前、奴隷の待遇改善命令が出た時それに従わず、どころか支給された物品を着服して私腹を肥やした内務省の官吏がいる。その者は公金横領罪を適用され自らが奴隷に落とされてしまったということがあった。もしこの砂金を着服すれば自分も同じ目に会うかもしれない。いや、確実にそうなるだろう。

―― 人の口に戸は立てられないと言うし、全員に口止めなんか無理だろう。大体この若造は貴族だし……。

 貴族は体面と名誉を重んじる。「分前をやるから黙ってろ」と言ったところで通用しないに違いない。

―― 大体、もし金で転ぶ奴なら初めから自分には報告してこないでさっさと懐に入れてしまうだろうし……。全くこんなもんを持ってきやがって!

 そう考えて諦めるしかなかったのである。

 それは官僚特有の保身または事なかれ主義によるもの、と言えなくもないことであったが、結果的にはイステラに大きな利益を生む事の発端なのであった。

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