聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第2章

第16話 役人

 行幸の隊列はミベルノの街に差し掛かった。ここは王都に次いで第二位の規模を誇る、イステラ有数の商業都市でもある。
 このミベルノから街道は三つに別れる。すなわち国内を東西に横断する街道、アレルトメイアに至る街道、そうしてル・エメスタへと至る街道である。したがって国内貴族の領地で生産されたものはこの街を通って王都に向かい、また外国へ輸出される商品、また外国から輸入される商品もこの街を通る。したがって大手商会の支店も設置されている。そうして国の委託で外国に販売される食料品などは王都まで運ばれず、この街から直接外国に向けて輸送されることも多い。そのようにして街は発展したのである。

 ミベルノの街は町外れにこの街を支配する代官所とそれに隣接した衛士隊の詰め所となる砦がある。元々これは街の中心にあった。と言うよりもその頃は街とも呼べぬ小さな集落であったのだが、商業が活発化するに連れて街区が拡張され、今では町外れとなってしまったのである。そうして現在の街の中心は商会の支店や宿屋が軒を連ねる地区である。
 そうして砦とは言うもののそれは石を積み上げた高い塀を持ち、幾つもの物見塔を有している。また千人を収容する兵舎、武器庫また犯罪者を留置する施設も備えており、小城と言うことも出来るほどのものである。


 イステラの衛士隊はその名前と、警察機能を併せ持つということから誤解され易いが歴とした軍隊である。
 元々王宮と王族を守る近衛軍と、実戦部隊としての国軍とに分かれていたイステラ軍であったが、対ディステニア戦役の間に治安の悪化を招き、これに対処するために国軍の一部が分離・独立させられて衛士隊となったのである。この時に監督省が軍務省から内務省に変更されており、さらに警察権を強化するために衛士はその任にある間は準貴族扱いとされるに至った。
 ちなみにこれは貴族には頗る不評であった。

「平民の分際で貴族扱いとは笑止!」

 国の決定であるにもかかわらずそういうことを言うのである。しかもそれは犯罪捜査の必要ということであるから、それ故に「犬」と蔑んで呼ばれるようになったのである。
 いずれにせよその経緯はどうであれ衛士隊は他二軍と装備を同じくし、隊士は厳しい訓練の後に配属される。したがって他二軍との違いは制服と警察機能の有無だけである。

 その鈍色に灰白色の模様の入った制服に身を包んだ衛士が街の大通りに整列し剣を捧げ、砦に向かうレイナートを迎えた。
 レイナートは馬上胸を張りそれに応える。
 予定では一行はミベルノで半刻ほど過ごし、その後先へ進む予定である。したがって近衛兵の一部と国軍兵站部隊はそのまま先行し、今夜のための宿営の準備を進めることになっている。


 やがて隊列の中心が代官所の前で停まり、レイナートが馬を降りて立つと、出迎えの代官が膝をついて口上を述べた。

「国王陛下のご尊顔を拝し恐悦至極に存じます。手前は当地の代官を仰せつかる……」

 中年の代官はかなり緊張していると見えて幾分ぎこちなさを感じさせるものの、言い淀んだり言葉につかえたりすることはなかった。もっともミベルノほどの街の代官ともなれば派遣元の内務省内部にあっては少なくとも中の上くらいの地位にある。したがってこれぐらいのことが出来ないようなら代官にはなっていなかったろう。
 その代官の隣ではこの街に駐留する衛士隊の隊長も跪いている。こちらは代官よりも年上でその分場馴れしているのか、そつなくレイナートに挨拶の口上を述べた。

 レイナートの家臣キャニアン・ギャムレットもかつては衛士隊の隊長であった。そういう意味ではこのミベルノに駐留する衛士隊の隊長とはかつて同格であったということになる。だが実は、王都と直轄地では同じ隊長であっても同格とは見做されない。
 王都にあって衛士隊各隊は担当する範囲が限定されており決して広いものではない。単位面積当たりの人口が多いからである。代わりに隊の数は頗る多く、それによって広い王都を担当している。そうして各隊当りの人数もせいぜい多くて二十人足らずである。したがって王都の衛士隊長は正規軍の軍制でいくと小隊長程度である。
 これが直轄地なら衛士隊長は数百人の部下を持つということも珍しくはない。よってゆうに中隊長級である。だが実際には逆で、王都任務の衛士隊長の方が格上とされている。
 それは王都には貴族屋敷があり、犯罪捜査に必要であればこの貴族屋敷に立ち入ることが認められているからで、したがって王都勤務の衛士は衛士隊の中でも最優秀者が集められているのである。そのことからすると、若くして隊長となったキャニアンがいかに優秀であったかということがわかるだろう。


 さて、代官所の内部に入ったレイナートは直ぐに代官の執務室に案内された。一方、エレノアは代官夫人と衛士隊長夫人、それと街の有力者夫人らに応接の間で接待を受けることになっている。本来であれば二人共先ずは案内されつつ代官所の視察を行うところだが、レイナートもエレノアもリンデンマルス公爵家領地と王都の行き来の時に何度か訪れている。したがって今更案内を受ける必要はなく、そこで直ぐにそれぞれの役目を果たすべく別行動となったのである。

 ちなみに二人の娘・アニスはイェーシャが子守をして別室で待機、というか遊んでもらっている。最近つかまり立ちから伝い歩きが出来るようになり、お陰で片時も目が離せなくなっていた。

 ところでエレノアの方は接待というものにはあまり興味がなく、したがって気も進まないでいる。元々政治的な話には女性は参加しないというのがイステラの流儀である。とは言っても街の権力者・有力者夫人との会合となれば、そこはかとなく生臭い話になるのは仕方がない。したがってそういうのが得意ではないエレノアにとっては心躍る時間ではないが、これも王妃の務めの一つと割り切って臨んでいる。


「さて、まずは両君に謝意を伝えたいと思う。
 国の対応が遅れ色々と難儀したと思うが許して欲しい」

 レイナートにいきなりそう言われ代官も衛士隊長も面食らった。

「また平素から詳細な報告が提出されていると聞く。重ね重ねも諸君らの精励ぶりには満足している」

 国王陛下にそう言われて舞い上がる二人。日頃険悪な間柄である二人は、互いに勝ち誇ったようにすっかりとご満悦で、そこにタップリと皮肉が含まれているとは思いもよらなかったのであった。

 直轄地代官を務める官吏も衛士隊も共に内務省に所属している。当然ながら省内の序列はともかく街の最高責任者である代官の方が位は上である。ところがミベルノくらい大きな街になると配属されている衛士隊の規模も大きく人員も多い。したがってその隊長ともなればその武力を背景に発言力も強くなる。そこでどうしても代官との軋轢が生まれてくる。
 殊に代官はその地の者達と癒着する事のないようにと二年程度を目処に配置換えが行われる。要するに転勤させられるのである。
 一方の衛士隊は個人的に実力を認められての栄転、もしくは余程の失態による左遷を除くと配置転換が行われることは少ない。特に直轄市民で衛士隊に入隊した者は訓練後、生まれ故郷の街の衛士隊に配属されることが多く、そのまま退職までそこで暮らすというのが珍しくない。したがって街の人間からすれば、馴染んだと思ったらいなくなる代官よりは衛士隊の方に親近感を覚えるのは致し方ない。

 これが代官からすれば頗る不愉快なのである。ただでさえ武力を持っている上に街の人間と親密の衛士隊。自分の方が上で権力もあるはずなのに、実際には街の人間も衛士隊の方を頼りにしている。こんな馬鹿げた話はあるか! というのである。
 したがって地方代官はどうしても中央との結びつきを強めようと画策する。そこで何かにつけて報告書を本省に送る。一方の衛士隊長も負けじとばかりに衛士総長に報告書を送る。時にそれは報告書の名を借りた讒言にも似たものとなっていることもある。
 また他国との戦争もない昨今、軍隊の役割そのものが希薄になりつつあった。まして衛士隊は警察機能を持たされているが、重犯罪者の捜査・検挙などそう何時も何時もある訳ではない。したがって報告書を提出することそのものが本来であればほとんど必要なくなってきていた。
 にも関わらずせっせと報告書、というのもおこがましい単なる悪口を連ねたようなもの、を書いて本省に送っていたのである。

 そうとは言いながら、本省からは呆れられることはあっても厳しく叱責されるということはなかった。詳細な情報、報告書は常に中央側から求められており、それが後押しをしているということがあったのである。
 日常における現場での出来事やそれに付随する情報をそこでふるいに掛けられたら、切り捨てられた情報は一切上には上がってこない。そうなると最悪、監督省の誰の耳目にも触れないで情報が失われる、すなわちそういった事実があったということすら忘れ去られてしまうということになりかねない。その危険を避けるために現場へ出される報告義務は「詳細であるべし」とされるのである。
 彼らはこれを逆手にとってやりたい放題なのであった。


 これはほぼ例外なくどの直轄地においても行われているから、本来であれば報告書が届く本省の方では堪ったものではないはずである。
 毎日国内各所から山のように報告書が届く訳だが、それが有益な情報に満ちたものであればいいが、その内容はといえば、いかにも益体もないことばかりである。当人達は大真面目なのだろうが、それを読まされる本省の職員は辟易している。かと言って中には重要な事が記載されている可能性もあるから疎かにはすることも出来ない。したがって呆れつつも黙々と報告書の山と格闘することになる。

 だからと言って「つまらんことで一々報告してくるな!」などとは決して言わない。そんなことをすれば自分らの仕事が減ってしまうからである。
 一度手にした権益は守ってしかるべきもの。それはどんな些細な仕事でも同じこと。役人らはその意識が頗る強い。そうしてその作業に必要だからと職員の数も増やす。だから仕事が減るのは困るので、改善させようなどとはしないのである。
 結果、日がな一日地方からの報告書を読んでまとめるだけの役人が何人も生まれるのである。

 そうしてそれだけふるいに掛けてもまだ山のような報告書が残っており、中には同じような内容だが担当部門が違う故に出されているものもあったのである。
 そうしてその内容を要約して上司に報告し、それが最終的に大臣から国王に報告されるのである。これは現場からの情報の取捨選択が行われているということになる。だがこれは官僚的な組織であれば当然のこと。そうでなければ、すなわち現場からの報告書を全て国王に提出していたら、それこそ国王の身体は冗談ではなく報告書の山に埋もれてしまうことだろう。
 要するにイステラでは官僚化の、言い換えれば縦割り行政の悪弊がこの時からあったということである。
 そうしてこのことは当初レイナートは全く知らなかった。それはそうだろう。「臭いものには蓋」ではないが、絶対に国王の耳に入れていいことではない。

 ところがひょんなことからレイナートはその無駄に気づいたのである。
 行幸へ出る前、レイナートは来る日も来る日も一向に減ることのない書類の山に、さすがにうんざりしてついこぼした。

「まったく……、この報告書の山はどうにかならないものなのか?」

 それを聞いて侍従の一人がつい口にしたのである。

「ですが、陛下各省ではこの数十倍もの現場からの報告書を処理しているようでございますよ?」

 その侍従は身内に官吏がいてそこから聞いた話を漏らしたに過ぎなかった。だがこれが結果的にはイステラを大きく変えるきっかけとなった。

「それはそうかもしれないが……って、いくらなんでも数十倍というのは多過ぎないか? 何をそんなに報告することがあるのだ?」

「はて、しかとは存じませんが、そのような話でございます」

 そこで不審に思ったレイナートは試しに内務省のある日一日分の報告書を全て持ってこさせた。そうして最初の報告書に目を通した瞬間に呆れてものも言えなくなった。

「なんだ、これは!」

 それはとある街の代官からのもので、同じ街の衛士隊長に対する遠回しながらの誹謗中傷・罵詈雑言に溢れたものだったのである。

「これのどこが報告書なんだ!
 内務大臣を呼べ!」

 レイナートの剣幕に侍従が恐れをなして走り、泡を食った内務卿シュラーヴィ侯爵もすっ飛んできた。
 そうしてレイナートに件の報告書を見せられた上、詰め寄られて目を白黒させたのである。

 国王に報告する前に必ずまず大臣に報告がなされる。だがそれはもちろん現場からの報告書そのままではなく必ず何人かの手を経たもの、すなわちそのような愚にもつかない内容のものはひとつもない。したがって実はシュラーヴィ侯爵も現場からの報告がこれほどひどいものだとは知らなかったのである。

「人手も予算も不足しているというのに、このようなものに関わって無駄にするなど言語道断。行幸の折には是非この点を改善させるべく、直接代官らに申し伝える所存である」

 レイナートはそう言って、内務大臣の背後に居並び恐縮している高級官吏らを震撼しからしめた。
 だがそれでも官吏達は愚かなことを考えていたのである。

―― これでは今までに得たものを失ってしまうではないか! させてはなるまいぞ!

 レイナートを前にして、役人根性丸出しでそう考えていたのである。

 だがレイナートは「おかしい」と考えたことは、可能な限り改めることを是とする人物である。レイナートは出立の直前に宰相フラコシアス公爵に新しい組織の発足準備を命じたのである。

 この問題についてクレリオルを始め家臣らと協議したが結論は芳しくなかった。それはたとえ上から命じても各省内でそれが改善されるということは考えにくかったのである。
 確かに国王の命令には誰も逆らえない。だが面従腹背はいつの世にも何処にでも存在する。  もちろんこの当時は労働者の権利などという考え方は存在しないから、例えば現代で言うストライキはあり得ない。ましてサボタージュもしかりである。そんなことをすれば良くて家族もろとも奴隷にされるか、最悪はあっさりと首を斬られる。それは文字通り斬首刑 ― 死刑になるということである。
 だから役人達は表面上は従うだろう。だが本当に改善されるかどうかは細かく検証しなければならない。だがそれを誰がするか? 同じ省内では自浄作用などまず働かない。となれば別個の外部組織が必要となろう。
 そこで考えだされたのが国王直属の「王国監査室」である。

 これは各省における人員と予算が正しく配分され、そこに無駄がないかを検証する組織である。これにレイナートは元暗部出身で現在は一官吏として働いている者達を充てた。どうやら調査に最も適任だと考えたようである。
 それにこの監査室もそれなりの人員、しかも能力を有している者を必要とする。となると新規公募で賄える筈はないし、貴族にやらせれば国の弱みを見せることにもつながる。その故のことであった。


 レイナートはミベルノの代官執務室で、代官と衛士隊長が口汚く相手を罵り一方で自分の手柄自慢をしているのを眺めながら内心では呆れかえっていた。

―― よくもまあ、国王の前でこれだけ言えるものだな……。

 それは国王非難ではないということからなのだろうが、それにしても見苦しいことこの上なかった。

―― それとも私が若いからか? でなければ正嫡の子ではないからだからか?

 それはいずれにせよレイナートのことを舐めているとしか思えなかった。
 だがそれはレイナートの方から最初に頭を下げたことで、奇しくも相手に予期せぬ油断が生じた結果なのであった。

―― とにかく、宰相には私が戻るまでに「王国監査室」を無事に立ち上げてほしいものだ……。

 それが出来ればイステラの官僚組織は随分と改善されることだろう。レイナートはそう考えていた。
 そうして事実、王国監査室が機能したこともイステラの復興に大きく貢献したのであった。

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