聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第2章

第17話 成果

 今回の行幸の終点はリンデンマルス公爵領である。そうして直轄の街の視察や貴族との会見は往路にて済ませ、復路は真っ直ぐ王都に帰ってくる、というのが当初の予定であった。
 国王夫妻に同行する随員らはこれを実現するためヤキモキし通しだった。直轄地でも沿道での貴族との会見でも、結局何処においても予定時間を大幅に超過し、随員らの並々ならぬ苦労・努力も虚しく一部の予定は変更せざるを得ない状況となったのである。
 だがこれは、予定を変更された貴族にすれば面白かろうはずがない。事前にしておいた準備は無駄になるし、別途新たに準備し直さなければならないからである。
 だが一方で逆にその理由に納得もいく。
 国王と膝を交えて話が出来るなどという機会は滅多にないことである。どうしても予定時間では収まらないのは仕方のないことだろうということも理解は出来る。
だがそのために自分達が不利益を被るのは論外である。


 そもそもこの行幸はレイナートのたっての希望で行われたのであるが、その目的は国土復興に当たり多大な協力をしてきた東部地区の貴族に対し、国王レイナートが国を代表して感謝の意を表す、というものである。
 確かに国王から感謝されるというのは貴族にとって大変名誉なことであり、一族の歴史の中でもそう何度もあることではない。だが貴族らにとって今回の行幸は単にそれだけのものではなかった。
 それは貴族にとって家族、特に惣領息子を王に売り込む絶好の機会だからである。
 したがって予定変更、すなわち往路での会見が事実上中止となった貴族らは復路での会見開催を強く要望した。そうして本来謝意を表するための行幸だからレイナートも随員らもそれを受け入れざるを得ず、結果、リンデンマルス公爵領での予定を短縮し復路に会見の日程を組み込んだのである。
 それはレイナートとすれば至極残念なことだが致し方のないことであった。

 イステラの夏は高温で乾燥する。したがって夏に長距離を移動するだけで体力の消耗が甚だしい。よって乳幼児や老人など体力のない者の場合、余程気をつけないと衰弱死しかねないということが現実としてある。また冬の間は雪に閉ざされて行幸どころか、すぐ隣町へ普通に出掛けて行くことすら不可能である。
 したがって王妃、王女を伴い多くの随員を擁する行幸を行おうとすれば春か秋しか適期がないのだがイステラの春も秋もとにかく短い。故にこの時期に長期日程の行幸というのが本来は計画しにくいものである。どころかそもそも行幸を行うということ自体に無理があるとも言える。そうしてそれが過去において行幸が行われてこなかった大きな理由の一つでもあった。

 だが実際行幸が行われる事になったのであるから、出来るかぎり短い日程で、しかも最悪でも冬が来る前には帰城するという日程が組まれていた。
 もたもたしているとあっという間に冬が来てしまう。となると最悪、国王が帰城しないで冬を迎えるということになりかねない。だがそれはあり得ないことである。したがって予定の延長は決して認められず、どこかで日程を調整するしかなかったのである。
 あとはとにかく貴族らを満足させるべく予定の会見をこなし、さっさと帰還するしかないのであった。


 貴族らは行幸の計画が発表されると大いに歓迎した。というのは貴族とはいえ何時でも気軽に王に会える訳ではない。それを可としたなら多忙な王の手がその度に止まるのであるから、国政に与える影響が大き過ぎる。
 またイステラにおいて総登城による謁見というのは年間を通しても実はそれほど多くある訳ではない。しかもその時謁見に臨めるのは当主のみ。妻子は同席することが許されない。
 妻子を伴って国王に会える機会となればそれは公式の夜会等であるが、これが総登城に輪をかけて開催されることが少ない。したがって貴族夫人や惣領息子とはいえ、国王に直接御目文字叶う機会など年に二~三度あるかないかという程度なのである。
 まして現在は大震災の後の復興途上。単なる社交儀礼的行事の開催は見送られがちである。したがって常にもまして貴族達は国王に家族を紹介する機会が失われていた。

 元々イステラの大臣職は基本的に五大公家が占め空きはごくわずか。その他の要職も近衛軍の長官、国軍司令官、衛士総長、侍従長ぐらいなもので絶対数が少ない。しかも死ぬまでその任を解かれることが少ないから、数少ない地位に抜擢されるには実力はもちろん、その丁度の機会に巡り合わせるという強運、それになんといっても王の覚えがめでたいという事に勝るものはない。
 だが王は名前しか知らない、数回顔を合わせた程度の貴族を抜擢しようなどとは思わないだろうから、どうせ自分には大臣や要職に就くという幸運は訪れないだろう。大半の貴族はそう考え半ば諦めている。

 だがそこで終わらないのが貴族という生き物である。

 ならば次のことを考え、我が子にその機会が訪れるように出来るだけの準備はしておいてやりたい。そう考えているのである。
 現状、急場凌ぎ的に大臣に就任した貴族らは本来ならば大臣就任があったかどうか甚だ疑問な人物が多かった。だが一度その任に着けば簡単に首をすげ替えられるということも考え難かった。官僚化が進んでいるから各省は大臣が変わったくらいではさして業務に影響は出ないにしてもである。
 だが何時その機会が訪れるかは誰にもわからない。準備を怠っていればその時になって(ほぞ)を噛むことになる。そこで子供のために優秀な教師を雇い、また領内で十分な経験を積ませるということもしているのである。
 だが部屋住みの我が子に王に実力が認められるほどの業績を挙げろというのも無理な話である。となればせめて顔繋ぎだけでもしておかなくてはならない。だが普段その機会がないのである。だから我が子を王の記憶に残るようにするというのは通常はかなり難しい。
 それ故今回の行幸を絶好の機会と捉え、貴族らは大いに歓迎したのであるし、王との会見の機会を決して失うまいと必死なのであった。


 王と貴族の会見は本来の目的からすると若干様相が異なっていた。
 本来国王が貴族に謝意を表するというのだから、それは一にも二にも「公式行事」である。よってレイナートは貴族に対しきちんと謝意を表明した際は至極堅苦しい雰囲気であった。
 ところがその後の会談は、会場が街道沿いに張られた天幕の中であったからそれだけで王宮謁見の間でとは異なり、気分的にも開放的であまり堅苦しい雰囲気にならなかった。
 さらに本来、女性が公的な場に顔を出すことを避けるイステラであるのにもかかわらず貴族らが妻子を伴ったということもあって王妃エレノアも同席した。したがって直後からは政治的な硬い話にはならなかったのである。
 そういう柔らかい雰囲気の中で貴族らは領地の特産品で饗し、妻子をレイナートに紹介した。

 さらに今回の行幸はその目的の故に貴族は王に対して本来の立場よりも優位であるということが言えた。したがって貴族らは遠慮がちに振る舞いながらも妻子を同席させ、たっぷりと時間を掛けてレイナートとの会談を持ったのである。そうしてそれが予定を超過する長時間の会見へとつながったのである。
 さらに言えば、もしもレイナートが独身であったなら、それこそ娘の売り込みも激化しただろうがそれはさすがになかった。
 確かにレイナートはリンデンマルス公爵としては独身である。だが国王としてはエレノアという正妻がおり、これは動かしがたい事実である。そうしてその故をもって、レイナートの新たな妻帯は罷りならんということになっており、貴族達は諦めるしかなくなっていたのである。
 したがって娘はどうにもならないから惣領息子をとにかく印象付けようという魂胆なのであった。

 いずれにせよ貴族らの思惑に振り回された感があるレイナートだったが、それでもまだ会見が街道沿いの特設の天幕であったからよかった。もしこれが貴族の居城であったならとうの昔に時間切れを起こし、結果、ほとんどの予定は中止とされ収拾がつかなくなっていたことだろう。


 イステラの主要街道上に貴族の城下はなく、したがって貴族と会うためには枝道を入って城を訪ねるか、もしくは街道まで貴族に出てきてもらうしかない。そうして今回の行幸では、貴族らとは街道上の特設された天幕での会見ということになった。
 貴族側からすれば自領に国王を迎えるとなるとその準備が大変で大層な物入りとなることは目に見えている。だが国王陛下が我が城までやって来て下さるという、その栄誉は計り知れない。
 だが街道から居城まで数刻程度の移動で済めばいいが、二~三日掛かるとなると行幸の日程が大幅に長くなる。行幸は冬が来る前に絶対に終了しなければならないから日程を長くするというのは不可能で、もしそれを強く要望すれば、貴族との会見そのものが行われないという本末転倒な話になりかねない。それがあるから貴族らも街道上に設けられた天幕での会見に同意したのである。

 ただし枝道の多く集まる辻などには貴族の天幕がいくつも並び、レイナートはこれを順繰り訪れることになるからご苦労な話である。
 だがまさか一度に複数貴族と会うということは貴族側からは不評であることこの上ないし、国側とすれば貴族に対する謝意の表し方も均一ではないから、その差が貴族の神経を逆なですると後々面倒なことになる。
 したがってこれは絶対に崩せないことであった。


 レイナートは慇懃に過ぎぬように留意しながらもきちんと協力に感謝し貴族らを恐縮させた。そうして各貴族領の様子なども具に聴いた。

 レイナートとライトネル王子との戦いで起きた大地震。その被害はイステラの東へ行くほど小さかった。とは言え全く被害がなかった訳ではない。地盤が弱いところでは根張の悪い樹木が倒れたり崖が崩れたりというのも少なくない。中には突然の揺れに肝をつぶし、心の臓が麻痺して命を落とした者もいるという、笑うに笑えない話もあった。

 いずれにせよ被害が大きくなかったからこそ東部貴族は国に多くの供出が出来たというのは事実であり、国に協力出来るくらいだから国からの援助を切実に欲しているということはないはずだが現状はどうなのか。逆にこの協力が取り返しの付かない負担となってはいないか。
 これらの点についても話し合いをした訳だから、会見が長くなったのは貴族らだけに責任があった訳でもなかったのである。

 そうしてその供出された物品の代金は紙幣での支払い、もしくは国債で充当ということがなされたのであった。
 当初この決定に困惑していた貴族らも、実際に紙幣が問題なく流通するとなって胸をなでおろした。どころかその施策に積極的に協力したのである。
 東部貴族はどこも多かれ少なかれ国に貸しがある。これが回収出来ないと自分の身が危うくなる。したがって紙幣についてどうのこうの言っている余裕などなかった。
 それに国の決定である。逆らうことなど論外。言う通りにせざるを得ない。だがそれが結果的には上手くいき、どの貴族も安堵して、なおのことレイナートの施策に対し信頼の度を増したのである。


 だが、地震による被害は小さくとも東部貴族には共通する悩みがあった。それは耕地の砂漠化の問題である。

 これを解決するための切り札として導入されたル・エメスタの揚水風車。ところがこの揚水風車は地下深い所から、しかも弱い風でも水を汲み上げられるようにと、大層大掛かりな機械であるのにその内部機構は精密・複雑である。したがって地震による部品のわずかなズレや破損も致命的な結果となる。
 そうしてその精密なるが故にル・エメスタの門外不出の技術なのであり、現状では日常の保守点検業務ならともかく、本格的な補修作業となるとイステラの技術者ではお手上げ、ル・エメスタから技術者を招聘せざるを得ないし、それはもちろん無償ではあり得ない。
 だがこれを各貴族家で個別に行うのは負担が大き過ぎて事実上不可能である。そこでその費用は国債発行によって国民から広く集められている。それを低利で貴族らに融通するという形である。
 国が全額負担するのはそもそも無理であるし、よしんばそう出来たとしても他の貴族の不公平感を呼ぶからである。国はこの資金を元にル・エメスタと交渉して技術者の派遣を依頼しているのであった。
 と同時にレイナートは外務大臣に指示してこの用水風車の完全な技術供与を交渉させていた。

 とにかく水は生命線である。それが急場、己の意志でどうにもならないというのは致命的である。したがって揚水風車を自ら点検整備するだけでなく、修理も新規設置も自分達の手で行いたい。それがイステラの願いである。
 だがそれはル・エメスタにとっては簡単に首肯出来ることではない。その開発に多大な時間と費用を費やしたのだから当然であろう。

 だがイステラとてもこれは譲れないことである。それに揚水風車は食料生産の鍵である。これが上手く機能しないとル・エメスタ向けの食糧の輸出が出来なくなる。それはル・エメスタにとっても望むことではなく、かと言って簡単に技術供与にも応じかね、両国はぎりぎりの折衝を行っているところであった。

 レイナートはそれを貴族達に説明し理解を求めることも忘れなかった。
 イステラの東へ行くほど砂漠化の問題が切実になる。それはイステラの東端のリンデンマルス公爵家においては尚の事である。だがレイナートは、国王という立場を利用してリンデンマルス公爵家を優先させる、ということはしなかった。
 それがまた貴族達の心証を大いに良くしたのは事実である。


 この行幸はレイナートが全く意図したもの通り、というのとは些か様相が異なっていた。、それは予想以上に貴族らの理解と協力が得られ、期待以上の成果となって現れたということに見ても明らかだった。

inserted by FC2 system