聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第3章

第1話 ディステニアより使者至る

 イステラの冬は長く厳しい。大地は凍り雪に閉ざされる。

 とは言うもののそれは北部に限ってのことでレギーネ川流域の南部地域はそこまでではない。もちろん南部も雪は降るし当然のように積もるがそれは精々膝丈まで。北部のように人の背丈にまで達するということはなく、鋤・鍬の刃が立たぬほどの凍土となることもない。それは言葉を変えれば、南部は戸外で人の活動が全く出来ぬほどの厳しい冬ではないということである。

 したがってもしもイステラの王都がレギーネ川沿いの南部にあれば冬の間でも人の出入りが可能であり、外国からの使者が訪れることも出来るということである。
 だが実際には王都は北部の山沿いにあり、冬期には隔絶される。したがってイステラと交渉を持つ必要のある諸外国は冬になる前、もしくは春になるのを待ってからになるのである。

 ただし春になるのを待つとは言っても、春になれば直ぐに暖かくなって積もった雪が解けてしまうという訳ではない。
 冬の間、厚く低く垂れこめた雲が少しずつ薄く、明るくなってくると人々はようやく春の兆しを感じるようになる。だが中々青空が見えるようにはならない。日を経るごとに雲に切れ間が出て来て少し青空が覗くようになると、イステラの人々は今か今かとウズウズし出す。
 雲の切れ間が広がってくるにつれて気温も少しずつ上がっていく。だがこれではまだまだ積もりに積もった雪は一向に溶けはしない。


 そうしてある朝、突然、頭上に青空が広がるのである。それは前日までとは打って変わって嘘のように晴れ渡る青空である。雲は若干残ってはいても明るい陽光が地上に降り注ぐ。
 こうなって始めてイステラの人々は動き出す。
 とは言ってもそれは除雪を始めるのである。

 王都は冬の間も奴隷がこまめに除雪しているが、一旦大手門を出ればそこは一面の銀世界。何処に道があるのかさえもわからない。それは各直轄地も貴族領も同じ。したがって人々は老若男女を問わず手に円匙や鍬など、思い思いの道具を持って除雪を始めていく。
 暖かくなってきてるとはいえ、まだまだ気温は低く風は冷たい。だが汗をびっしょりとかきながら積もった雪を除いていく。
 冬になり始めの頃に降った雪は根雪となっていて固く凍っている。それを一生懸命砕きながら取り除いていくのである。

 これは毎年毎年変わることのないイステラの初春の風物詩である。

 そうやって何日も掛けて除雪が終わると、ようやく本格的に動けるようになるのであるが、例年であればそれでも人の移動もっと遅い時期からである。だが昨年から除雪終了とともに動くようになっている。それは王都の外側に橋が架かったからである。


 後世の歴史家が挙げるイステラ王時代のレイナートの業績は、紙幣発行と国債による資金調達の仕組みの確立である。これは文句なしの二大業績とされている。
 それに次いで三番目は、この王都外側の窪地に橋を架けたことを挙げる学者が多い。

 何故? たかが橋で? と考える歴史家も多いのでこれについては文句なしとは言えないとされている。
 だがこの橋の建造による物流の改革 ― 否、革命的と言ってもいいとする歴史家もいる ― がもたらした経済効果がイステラの驚異的な復興、さらなる繁栄の礎となったというのがその理由である。

 いくら除雪が終わったとはいえ雪が消えてなくなった訳ではない。街道の雪をその両側に除けるというのが除雪の実態である。それらは日差しに照らされ気温の上昇とともに溶けて流れる。したがって街道は何処も彼処もぬかるみだらけである。王都はそれがあるから各郭の大通りを広い石畳にしている。
 そうして件の窪地、水が流れ込む前は人も馬も馬車も坂道を下っては上るということを強いられた。勾配はそこそこ急だし細かい砂利を敷き詰めているということもない。したがって雪解け直後や大雨の後は斜面がぬかるんで通れなくなることが往々にしてあった。
 万が一積み荷を満載した馬車が轍に車輪を取られると大変である。荷を全て降ろして担いで上まで運ばないと馬車がぬかるみから抜け出せない。その間他の通行を妨げる事にもなる。
 したがって水が流れ込んでからの(はしけ)によって渡った方が却って物流は良かったほどである。

 それをレイナートは「艀では効率が悪過ぎる」と埋め立てさせ橋を架けたのである。それによってどれほど物流が改善され効率が上がったかわからない。後世の経済学者の中にはおよそ千五百~二千倍と試算している者もいる。それはさすがに大袈裟過ぎるとしても、夏の嵐の後、数日間窪地の通行が出来なかった時のことを考えれば、この橋の与えた影響が決して小さいものではないことを理解出来るに違いない。

 ちなみにレイナート自身、リンデンマルス公爵として領地と王都を行き来していた時、この窪地には何度も悩まされた経験を持つ。大雨の後などは坂道がぬかるんで全く通れなくなることも幾度と無くあった。目の前にトニエスティエ城が見えているのに辿り着けない。それが父王の呼び出しで城に向かっている時であれば、焦燥感に苛まれギリギリと歯噛みするしか出来なかったのである。
 とは言え一貴族では架橋を献策することなど不可能であった。この窪地は王都防衛上の必要から残されていたのである。そのように重要な国の政策に一貴族の分際で物申すなど言語道断だからである。
 そういうことがあったからレイナートは即位後、埋め立てと架橋を悩むことなく決断し推進させたのであった。


 さて、レイナートが即位して三年目の春、除雪が済んで国内通行が可能となって一番最初に王都に飛び込んできたのは隣国ディステニアからの勅使である。

「ディステニアからの勅使? 直ちに引見しよう。直ぐに謁見の間に通せ」

 クレリオルから報告を受けたレイナートは、雪解け後間もない春先にディステニアの使者がやってきたということに驚きつつも、直ぐに謁見の間に向かった。

 偶然から発見された両国の間の金鉱山の共同開発に関しては旧年中に合意が成立し、この春から本格的に掘り出すことが確認されている。投じた労働力の多寡にかかわらず双方の取り分は五分五分。なんとも虫のいい提案に対してディステニアも当初は難色を示した。だが鉱山は双方が合意する現在の国境線のイステラ側に存在する。したがって丸々イステラのものと主張されても文句は言えない。にもかかわらず、共同開発で分前を折半するということにディステニアも最終的には納得したのであった。

 それに対して難癖をつけに来たのか? レイナートの心中に不安が走る。
 スピルレアモスのことだから今になってそのような恥知らずな事を言うことはないはずだと思う。それほどディステニア王のスピルレアモスに対して信頼を寄せているレイナートである。
 では、と言って他に雪解け早々使者がやってくる理由も思いつかなかった。


「使者殿、大儀。余がイステラ王レイナートである」

 レイナートのよく通る声が謁見の間に響く。

「国王陛下のご尊顔を拝し恐悦至極に存じます。手前は……」

 使者は紋切り型の口上を述べ名を名乗った。ディステニア王国宰相グラマンシャル侯爵の側近の伯爵であるという。
 伯爵を使者として送り込んできたからにはさぞかし重大な用件であろうとレイナートも思った。されど重大とは言うもののどれほど深刻なものかについては些か思いが足りなかった。
 使者の告げた内容はレイナートの予想をあざ笑うかのごとき遥か想像を絶するものであった。

「我が君、スピルレアモス陛下が身罷れましてございます」

 使者はスピルレアモスの訃報を告げるものだったのである。

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