聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第3章

第2話 意固地の理由

「何だと!? スピルレアモス殿が!!」

 ディステニア勅使の告げた訃報はレイナートにとってまさに青天の霹靂(へきれき)だった。
 それはレイナートの周囲に控えるイステラの重臣達にとっても同様であったに違いない。

―― これは時代が動くやもしれん……。

 レイナートの弟、アレグザンド王子の立太子式への参列に対する答礼の使者として、レイナートがディステニアへ訪れた時に初めて知己を得たスピルレアモス。その父王はイステラに対する怨念ともいうべき感情からレイナートに危害を加えようとした。それを食い止めるため自ら父をその手に掛け、それによって勃発し掛けた内戦をすばやく平定し国内を掌握した。これによって再びイステラとディステニアが戦火を交えることを避けるのに成功したのである。
 のみならずイステラやレイナートに対し友好的な態度を示し、それが奇跡ともいうべきイステラとディステニアの和平協定締結、さらにそれを受けての北部五カ国連合の成立と、現在の大陸北部の安定と平和は彼なくしては実現しなかったことだろう。それほどまでにこの時代、ディステニアにスピルレアモスがいたということは歴史上大きな意義があったとされており、もしもスピルレアモスが夭折することがなければ後の歴史は大きく変わっていたことだろう。
 したがってそのスピルレアモスの死は、確実に両国を含む周辺国に対して大きな影響を与えるであろうことは誰にも容易に想像出来たのである。

 スピルレアモスはあの大地震の際、後宮にいた王妃コスタンティアと幼い王子レダニアルスを助け出そうとして崩れてきた天井に背中を強打した。典医の見立てでは、背骨が折れているとのことで長くはないと目されていた。だがそれからおよそ二年余りの間、襲いかかる激痛に耐えつつ生き永らえ、寝たきりの状態ながら王妃を摂政に任命して国政に睨みを効かせていた。
 だが日を経るごとに食は細り、排泄物は垂れ流しで誰の目にも時間の問題と映った。最後には執念だけで生きている、とさえ言えるような状態であった。だがついに生命の灯火は尽き果て、冬を迎え、年が改まって直ぐに不帰の人となったのである。
 ディステニア国王スピルレアモス・ト・レンデステル・ディステニア。在位わずかに八年、享年二十九歳であった。


 さて、勅使の来訪を受けてイステラでは直ちに対応を協議した。スピルレアモスの死は年が改まって直ぐ、すなわち真冬のことであったが積雪のためにイステラに訃報が届いたのはこの時期になってしまったのであった。
 レイナートは宰相に諸大臣を直ちに招集し弔問に出掛けるための準備を指示した。
 だが彼らは一様に顔をしかめたのである。

「そうは仰いますが陛下、我が国は雪融けしてようやく動き出したばかり。今直ぐ、しかも陛下ご自身が弔問に赴くというのはいかにも無理です」

 宰相はそう言ってレイナートに反対した。

「こう申してはなんですが、どうせもう亡くなって三ヶ月以上も過ぎているのです。今さら少し遅れたところで問題はないと存じます」

 宰相の言葉にレイナートは頷きつつも自説を曲げなかった。

「それは確かにそうかもしれん。だがスピルレアモス殿への恩義を考えれば、今直ぐ出掛けるに若くはないと思う」

「それは確かにそうでしょう。ですがやはり陛下御自らというのは……」

 元々イステラ人は宗教を持たず死者の霊を慰めるなどという感覚は一切ない。したがって弔問はまさに遺族に対しお悔やみを告げるためだけのもの。確かに早いに越したことはないだろうとは考える。だが、そのために自国の諸事に不具合を出してまでという考えはない。故にレイナート自身が出掛けるのならもう少し落ち着いてから、どうしても今直ぐというのであれば誰かを代理で派遣すればいいのではないかと考えているのである。

「いや。スピルレアモス殿には大恩がある。代理で済ませることなど出来ない。
 まして私はディステニアの爵位をも有しているのだ。臣下という立場を考慮すれば、後回しにしていいはずがない」

「そうは申されても……」

 大臣らは皆、困り顔である。

 準備とは言っても式務大臣は過去の有職故実の事例から弔文を作成するだけであるからまだいい。それこそ直ぐにでも祐筆に書かせれば事足りる。
 だが他省の場合、雪のために滞っていた諸案件に関して国王の決済を受ける必要がある。したがってようやく政務が動き出したというのにレイナートに出掛けられたのではその間行政が滞ってしまう。
 先の行幸でも、事前に考えうる準備は全てしておいたにも関わらず、結局レイナートの判断を仰がねばならないことが多々あり、王都と行幸の隊列との間を使者が行ったり来たりするはめになった。
 それでもまだこれは国内の事であったからいい。時間を要したが全て無事に済んだ。だが外国へ出掛けるとなるとそう簡単にいくはずがない。レイナートに使者を送るということだけで大事になる。
 その故に大臣達は反対しているのである。


 双方の遣り取りを見ているクレリオルも、これは陛下の方に無理があるな、と考えていた。
 イステラは雪のために一年の四分の一近く一切が動かなくなるのである。したがって他国が一年掛けて行うことを春から秋までに全て終わらせなければならないのである。イステラ人がせっかちだと言われる所以はそこにあるし、またそうでなければ国が立ち行かなくなりかねない。

―― それにしても、いつもの陛下からは考えられないほどだ……。

 レイナートは他人の言葉に耳を傾けない暴君ではない。どころか他人の言葉をよく聞き、自説よりも相手の方が理に適っているとなれば自説を引っ込めることにもやぶさかではない。それがあるから普段から御前会議においても大臣らに自由に発言を許しているし、何事も合議の上決定している。
 だが今のレイナートは何故か意固地になってしまっていて自説を曲げようとしない。このままでは伝家の宝刀「勅命」を振りかざしかねない勢いである。

―― どうしてここまで陛下は固執されるのだろうか?

 クレリオルにも理由が全くわからなかった。

 それは何故かといえば、父王アレンデルと養母セーリア王太后への弔問使節としてイステラを訪れたディステニアの首席摂政補佐官ガンドゥリゥスが携えてきた王妃コスタンティアの手紙が原因であった。
 すなわち『もし我が子レダニアルスの元服前に陛下がお隠れになった場合、レイナート様にディステニアの王位を継いでいただきたい』という、あの手紙である。
 レイナートはこの内容をクレリオルにも告げていない。己の胸中に収め、誰にも明かさなかった。もし万が一この事が外に漏れれば大問題になる。その思いからである。


 レイナートはそもそもディステニアの王位継承権を持っていない。そうして将来においても持つ可能性は皆無だった。ただレイナートがディステニア貴族の姫を娶り男子が生まれた場合にのみ、その子に王位継承権が与えられることになっていた。
 にも関わらずレイナートを即位させようというのであればそれを白紙撤回し、全ディステニア貴族を納得させた上ででなければならないだろう。それはとても考え難い事であったが、非常事態と言うのは時に人々に思考停止を強いる。目の前のどう対処していいかわからない問題に対し、それを誰かに押し付けて頬被りしてしまうということである。
 レイナートが即位したのもそういう一面があったからであり、ディステニアの場合も同じことが起こらないという保証はない。
 だがもしもそれが現実となるとレイナートはその話を断れなくなる。

 ディステニアがグリュタス公爵レイナートの即位を「決定」したら、国家の威信を掛けてレイナートに首を縦に振らせるだろう。
 レイナートがそれを拒むにしても「お断りします」「わかりました」では済まない。極端な話、双方武力に訴えてでも己の言い条を通すということも有り得る話である。
 そうしてそれはディステニア側からすれば自国の貴族に対する国内問題であるが、イステラからすれば自国の王に対する外国の敵対行為であり当然看過出来るものではない。したがって最悪の場合、否、直ぐにも両国は開戦することが考えられる。
 そうしてそれは百年続いた先の戦争に輪をかけて血みどろのものになるだろう。何故ならそれは双方国家の威信とメンツを懸けた戦いになるからである。

 したがってレイナートは直ぐにもコスタンティアの真意を確かめ、もしそれが本心であれば翻意を促さなければならない。正式決定が下されてからでは遅いのであって、だからレイナートは焦っていたのである。


 何故なら、実はこの時レイナートは、イステラの王位返上を考えていたからであった。

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