聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第3章

第3話 不徹底

 後の世の人々にとってレイナート・フォージュ ― 帝位を退いた後に一民間人としてレイナートが己の正式名として使用した名前 ― なる人物は謎が多いとされている。

 レイナートが歴史の表舞台に登場するのは元服してリンデンマルス公爵家を継いだ時からである。それ以前のことについては不明な点が多い。だがこれは他の貴族であっても同様で、いくら官僚化が進み多くの事柄について記録が残されているイステラとはいえ、元服する前の子供に関して公式記録に残っている方が不思議だろう。その家や関係者の記録 ― 多くの場合は日記等 ― に記載がない限りはよくわからないのは当然なことである。
 そうしてレイナートはその生涯において、当時としては革新的な政策を次々と打ち出し、それによって大きな繁栄を大陸全土にもたらした。だがその政策決定へ至るまでの過程、理由はよくわからない事が多い。多くの記録が残されているイステラにおいても、いわゆる議事録が作成された形跡はなく結論 ― すなわちそれは国民や諸省に出された通達 ― が残っているだけである。それ故ある日突然、誰もが思いつかない突飛とも言える政策が忽然と施行されたに等しいのである。
 それは後の世から見れば突飛でも何でもない先見の明に満ちた画期的なものであるものの、やはりその現れ方が唐突に過ぎて見えるのである。それ故レイナートは謎多き人物と目され、それが学者たちの好奇心を刺激するのだろう。レイナートを研究する学者が多いのも宜なるかなである。
 だが当時の人間はどれほど驚かされたことか。これは後世の人間には想像は出来ても実感は出来ないことである。
 だがレイナートはいわゆる「天才」というのとは違うと言えるだろう。確かに聡明な人物ではあった。だが特筆すべきは「頭の良さ」よりも「頭の柔軟さ」ではなかったか。それは当時の王侯貴族では決して思いつかないような発想が次から次へと出てきたということからも窺い知ることが出来る。


 そうしてレイナートは庶子として生まれ少なからず差別を受けたことがあった。それもあって力ある者が力なき者、弱者を虐げ差別するということには深い憤りを感じる人間である。
 力なき庶民であれば「長いものには巻かれろ」式に、仕方なく差別を受け入れるということもあるだろう。だがレイナートの場合それを変え得るだけの権力を持っていた。したがって様々な事柄における差別をなくすべく努力をしている。それがその画期的な政策の土台ともなっている。

 だが差別問題というのは上から力ずくで命令したからといって改善されるものではない。

 例えば「庶子は家督を継ぐこと能わず」というイステラの国法。即位演説の際にはっきりと明言した通り、この法律を変えるべく内務省や法務省に法改正の作業を実際に行わせている。だがこの法改正は中々実現しなかった。
 やはり貴族身分を有する者の反対が多く、それもあって内務省も法務省も本腰を入れていなかったということがある。また国土復興が最優先とされ、この問題はある意味で後回しということがあったのも事実である。
 だがそれ以上に自分の立場には別の意味で納得していないというか折り合いが付けられていなかったという理由が大きいのである。

 庶子は家督を継いではならないというのは確かに差別である。だがそのように定められた法律でもある。これに対する疑問を持ち改善を命じていた。だがそれならば平民はどうか? 
 生まれによって差別する。これはイステラにおいては庶子のみならず平民も含まれている。だがさすがのレイナートもそこまでは手を付けられない。それがあるから庶子の方だけ改善するということに後ろめたさを感じたのである。もっともそれは生まれによる差別の撤廃の第一歩ではあったのだが、どうしても自分を優遇するように思えてならなかったのである。
 それ故にレイナートもこのことに関しては迅速に対応をすることを求めないということがあった。それはおそらく、レイナートの知る限り自分と同じような庶子が当時のイステラには少なかったということも大きく影響していたかもしれない。
 ただひとつ、レイナートが見落としていることがあった。それは庶子が忌み嫌われ疎まれるイステラにおいて、婚外子が正しく成人するということがどれほどあったかという点である。それは言い換えるなら、この世に生を享けて直ぐにその生命を絶たれた者はいなかったのか、ということに他ならない。

 レイナートは基本的に人の善意を信じる人間である。したがって、自分もクレリオルも成人を迎えていたから、生まれた子供を庶子であるからという理由で殺すということが現実にあることを想像出来なかったのである。
 もしもそこに思い至っていたならばまた結果は違ったろうが、結局この問題は復興の陰に隠れて後回しにされてしまったのである。
 そうして「悪法もまた法なり」ということなのか、庶子の家督相続を認めないという国法があるため、レイナートは自分の立場にどうしても疑問を抱かずにはいられなかったのである。

―― 庶子である自分は本当に今のこの立場にいてもいいのだろうか?

 クレリオルは爵士であったが、レイナートに仕えるべく一旦は奴隷身分となりながらも己の意志を貫徹している。この「己の道は己で切り開く」という強い志をレイナートは大層尊いものと見ていたフシがある。
 一方のレイナート自身はリンデンマルス公爵となったのも国王となったのも己の意志でそれを実現させたというには程遠い。それでも特に王位に関しては望まれてその座に着いたということであるから、却って正々堂々としていればいいはずである。だがレイナートは常に自分の立場に疑問を抱いていたのである。
 こういうところにも後世の人間からするとレイナートの言動に一貫しない不徹底なものを感じさせ、それが謎に結びついてしまうのであった。


 そうして即位を受け入れた理由が「自分が起こした災害による被害のため」ということなので、常に後ろめたさを拭えずにいた。

 レイナートも、何も望んでライトネル王子と戦った訳ではない。ただ、シェリーオールを併合しコゥジストスで暴虐の限りを尽くしたビューデトニアを止めるためにはその元凶、ロル・エオリア侯爵を討たねばならない。彼の国を目指した理由はそれに過ぎなかった。否、ビューデトニアにも古イシュテリアの聖剣が収められているはず。それがどうなっているかを確かめるという理由もあった。
 いずれにせよライトネル王子との決戦は意図したものではなく、しかしながらライトネル王子を止め、それによって「魔」を討ち倒さなければあの戦争の終結はなかったのは事実である。しかしながらそれに伴う被害が大き過ぎた。
 だからレイナートは即位の要請を受け入れたのである。しかしながら何時迄もそれを理由に玉座にしがみつく気持ちもなかった。

 レイナートは確かに即位後画期的な政策を打ち出し復興を最優先させた。それは何よりも苦しむ人々を少しでも早く楽にしてあげたいという願いからであり、人々を苦しめた原因が自分にあったという思いからである。
 とにかく一日も早く国を立て直して人々を苦しみから開放し、その責任を果たしたならば庶子である自分は玉座から直ちに降りるべしと考えていたのである。

「……今回の事態、御身にも責任がある。そう自分で申したであろう? ならば責任を取れ。
 不服があるなら、王となって法を変えよ。さすれば皆がお前の言うことを聞くじゃろう、というか聞かざるを得ん。それからなら玉座を降りるでも何でも好きにせい……」

 即位を渋るレイナートに当時の摂政ドリアン大公はそう言った。レイナートはそこで思ったのである。

―― そうか、そうすればいいのか。

 それがなければレイナートは、いかに王位継承権を持つ者が他にいないからといって即位を認めたかどうか。
 そうして国が元に戻ったら玉座を退こうと密かに考えていたのである。

 とは言うもののいくら国が元に戻っても簡単に王位を放り出す訳にはいかないのは当然である。後継者を考えなければならない。
 だがこれが難しい問題だった。

 王位は継承権を持つ者に譲られるべきもの。この原則は絶対に揺るがすことが出来ない。レイナートも末席とはいえ王位継承権があったから即位出来たのである。もしあの時点で王位継承権を持たず、即位のために急遽継承権を与えたら貴族らが猛反発しただろう。それからすればアレンデルがレイナートに王位継承権をなし崩し的に持たせたのが功を奏した。否、もしかしたらこのことがあるのを予期していたのかもしれない。
 いずれにせよ、レイナートが庶子であることはともかく、この点ではイステラの国法を違えてはいない。

 それはそれとして自分が玉座を退くとなると誰に跡を継がせるかというのが問題だった。
 廃太子されたアレグザンドを再び引っ張り出すことは出来ないし、それは肉親として忍びない。塔に移り住んでからは随分と落ち着いているようだがさすがに即位は無理だろう。そこまで回復しているとは思えなかった。

 では摂政を退いたドリアン大公?
 初めから自分では即位出来ないからとレイナートに押しつけたのである。今更即位の要請を受け入れるとは思えなかった。

 ならば他の五大公家当主は?
 この時最も年かさなのはリディアン大公家のエネオアシスで十三歳。故に即位しても全くのお飾りだろう。実力主義を標榜するイステラにおいてこれはあり得ない。したがって数年は待つ必要がある。


 ところで国の復興が済んだら譲位もしくは退位、と思っているレイナートではあったが、実はもう一つの懸案事項があった。それは全国民を就学させる学校構想である。
 領地での冬期学校に確かな手応えを感じたレイナートは、全国民を対象とした学校教育制度を検討しその実施に着手した。だがこれが中々進まずこの夏はおろかどうやら早くても来春、すなわち更に一年は開始まで時間が掛かりそうであった。校舎の建設、教師・教材の手配。これらが思いの外、難航したのである。
 それに実際に稼働しても最初の数年は様子を見る必要がある。事前に考えうる対策を打っておいてもどのような予期せぬ問題、不具合が起きるかわからないからである。
 だがこれは逆に好都合でもある。この間にリディアン大公エネオアシスは王位に相応しい年齢に達するだろうからである。

 したがってレイナートとすれば今ここでディステニアの王位を継ぐなどあり得ない。一旦王位を継いだら簡単にそこから降りることは叶わない。スピルレアモスの子はまだ七歳である。この子が成人し即位するまでとなったらゆうに十年は掛かってしまうかもしれない。その間玉座にあり続けるなどレイナートには耐えられない。
 それにディステニア王となってからイステラの王位を返上したら、まるでディステニアの乗っ取りを図ったようにしか見えないだろう。となれば今まで以上にディステニアの対イステラ感情は悪化するに違いない。
 それを考えるとレイナートはディステニアの王位を継ぐことは出来ないのである。

 したがってなんとしてもコスタンティアに会い、自分をディステニア王にという考えを改めさせなければならない、と考えるレイナートである。


 そこでレイナートは目の前の重臣達を見回し、静かな、しかし揺るぎない口調で言った。

「直ちに余のディステニア行きの準備を整えよ。これは勅命である」

 大臣らは唇を噛み締め頷くより他はなかった。


 だが、このディステニア行きが逆にレイナートの即位を決定づけたのであるから皮肉な話である。

inserted by FC2 system