早春のある日、ディステニアに向かうレイナートの隊列が王都を出発した。ディステニアの勅使が訪れてからわずか十日余りでのことである。
およそ百名の隊列であるから国王の外国訪問にしてはかなり少人数だが、随員の人数が増えればそれだけ移動に時間が掛る。よってレイナートからすればこれでも多過ぎるほどである。行って帰ってくるだけでゆうにひと月は掛かってしまうだろう。
行くなら行くで出来るだけ早く帰ってきて欲しいのは大臣達も同じである。だが仮にも国王の外国訪問である。あまりみすぼらしい隊列ではイステラが舐められてしまう。それでも五カ国連合の取り決めもあるので、あえて体裁は無視して随員は必要最小限度に抑えられた。とは言うものの必要なものどうしても必要である。近衛兵の一群や荷駄を積んだ馬車も同行せざるを得ない。
レイナートとしては速度を重視して全員を騎乗とさせたかった。だが軍務大臣シュピトゥルス男爵は呆れ顔で言ったのである。
「まさか陛下は荷を全て馬の背に括りつけよと申されるか?」
馬に大荷物を背負わせたら速度は遅くなるし直ぐに疲れるしでかえってロバより遅くなりかねない。それでもイステラ国内だけならまだ対処のしようがある。だが目的地はディステニアである。やはり準備は万全を期すに若くはない。
それに途中の宿泊は全て宿屋を利用するにしても、急な天候の変化に対応するため天幕やら何やらは必要である。しかも春先で気温が低いから雨や雪が降ったら騎乗では体調を崩しかねない。したがって使う使わないに関わらず国王陛下の箱型馬車も用意しておく必要がある。
それに宿屋泊まりにしても国王の世話を宿屋の女中に任せる訳にはいかないし、向こうも恐縮どころか畏れ多くて嫌がるだろう。万が一粗相があったら容赦なく首を刎ねられのであるから絶対に嫌に違いない。したがって最低限の侍従や女官、さらに下働きの下男・下女の同行も必要である。
「まさかご自分で肌着を洗うなどとは仰らないでしょうな?」
「いや、さすがにそれは……」
レイナートも自分でそこまではしたくないし、井戸端で洗濯する己の姿を想像したくはない。第一、何処の世界に自分の汚れ物を自ら洗う国王がいるというのか!
一応レイナートも宰相始め重臣らに気を遣い、出来るだけ早く出立しさっさと用件を済ませて帰ってくるつもりであったから、少人数で全員騎乗と指示したのであるが、無理なものはどうしても無理。それで結局馬車数台を含む百人ほどの一団となったのである。
それでもエレノアが同行しないのでこれで済んだということもある。
エレノアはこの冬の間に第二子を妊娠した。後の次女レーネである。レイナートもエレノアも、さらに家臣一同殊の外喜んだのは言うまでもない。
だが生まれるまでは安心出来ないし男か女かわからない。もしかしたら待望の男子、すなわちレイナートの後を継いで次の国王となる子という可能性もあり、したがってエレノアに長旅は危険ということでイステラに残ることになったのである。
その故もあってサイラは今回同行しない。ノニエやネイリといったリンデンマルス公爵家から入った女官 ― 正式には侍女 ― や、イェーシャも残る。
イェーシャは相変わらず丈の短い― と言っても膝下まではある ―スカートに剣を提げるという出で立ちで、今ではすっかりアニスのお気に入りである。基本的に男子禁制の北宮における貴重な武装した警護役としてエレノアの信頼も篤くなっている。
ということでレイナートの方にはフラコシアス公爵家令嬢クローデラが臨時女官長として随行する事となったのである。
「いや、それは……」
その決定を聞かされたレイナートは目が点になった。
最近益々女に磨きがかかり妖艶な色気を振り撒くクローデラが側にいるだけで男共は落ち着かなくなる。妙な間違いがあっても困るし余計な気を使わされることは勘弁して欲しかったのである。
「我が娘に何かご不満でも、陛下?」
だが宰相フラコシアス公爵にギロリと睨まれてレイナートも黙らざるを得なかった。
クローデラは結局皇太子妃にはならず些か薹が立ち始めている。すなわちいわば嫁き遅れ状態。イステラでは数少ない公爵家の姫とはいえ最早高嶺の花とは言い難くなりつつあった。そこで近衛の高級士官 ― 特に侯爵家出身の― 達は最近では何かと理由をつけては正殿内に姿を表すことが増えていた。彼女の気を惹こうというのである。
今回もクローデラが馬車の乗り降りをする度に我先を競って「お手をどうぞ」などとしている始末である。
「ありがとうございます、閣下」
気位の高い近衛の士官といえどニッコリと微笑まれたりでもしたら、それだけでもうメロメロである。
レイナートと初めて出会った時は十三歳。人形のように整った顔立ちではあったがまだ幼さが残っていた。それが今ではすっかり大人の女性、紛うことなき貴婦人である。
かつてイステラ一の美姫と言われたコスタンティアと並んでも遜色ないどころか、勝るとも劣らないだろう。
その透き通るような銀髪、抜けるように白い肌。コスタンティアが美しい金髪の「金の女神」なら、さしずめクローデラは「銀の女神」だろう。もっとも、これでもかというくらい宗教色のないイステラでは、女性の美しさを女神に例えるのは至極稀だったが……。
いずれにせよクローデラは生まれもさることながら王太后セーリアの下で女性を磨いてきたから女官達のとりまとめ役としても適任である。それもあって宰相はクローデラを臨時女官長に任命したのだった。
だが、貴族達がその決定を支持した理由は果たしてそれだけだったのか?
王妃が同行しない以上、男女組で臨むべき公式行事にはクローデラが王妃代理として列席することになることは間違いない。イステラ人が側室を持たないのは諸外国でも有名であるから、変に勘ぐられることはないとも思えるが、にしてもクローデラは美し過ぎる。しかも見た目だけの中身の無い女ではない。変に情が移りかねない。
レイナートは心の底からエレノアを愛している。そこには一点の嘘・偽りもない。
だが貴族の中でも特に保守の傾向の強い者達からするとエレノアは外国人で平民、王妃には相応しくないと実は考えていたのである。
更に過激な貴族の中にはレイナートにも難癖をつける者さえいた。
レイナートが即位を受け入れる条件としてエレノアを正妻と認めること、アニスを嫡流の娘と認めることを打ち出し、ドリアン大公はそれを受け入れた。震災直後の混乱を一刻も早く落ち着かせるために必要と考えたからである。
だが実際に復興が進み国内が安定してくると色々と文句が出てきたのである。
―― 古イシュテリアの正統後継国家たる我がイステラの王妃が外国の平民? ありえんだろう!
―― 第一、その資格もない庶子上がりで国王とは片腹痛いわ!
と言ってまさか国王に「退位しろ!」とは言えない。代わりに即位出来る人物がいないし、そんなことを言えばこちらの首が飛ぶ。だからこの際、国王の交代は出来ぬものと我慢する。
また「離婚しろ!」と迫ることも出来ない。そんなことを言えばそれこそレイナートの逆鱗に触れるのは必定。まして側室を持てとは言えない。第一それはイステラでは絶対に許されないのだから……。
だがそこそはそれ。なんといっても若い男女である。ましてクローデラの美しさは並大抵ではない。そのように仕向けたら王の気持ちが動くこともあるのではないか?
ディステニアまではどんなに急いでも片道十日は掛かる。ということは時間はタップリある。その間に一度でも、たった一度でもいいから事に至って欲しい。そうすれば今の王妃と王女は密かに亡き者にして、後釜としてフラコシアス公爵家令嬢クローデラ姫に王妃の座に座っていただく。
若い国王陛下が後添いを得ても決しておかしくはない。否、そうしない方がおかしい。
―― あいにく五大公家には妙齢の姫がいないから、ここは多少の姥桜でも構わんだろう。
レイナートや当のクローデラの父親フラコシアス公爵が耳にしたら激怒するであろう、国王の外国訪問を利用した謀が静かに進行していたのである。 |