聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第3章

第5話 ディステニアへ……

 早春のイステラ、南西街道をレイナートらの一行が進む。道の両側にはまだ雪が残っており、北の山々も真っ白な雪化粧のままである。日差しは柔らかくいくらか暖かくなってきているものの、時折強く吹く風はまだまだ冷たい。
 解け出した雪によって地面はかなりぬかるんでいる。レイナートは厚手の毛皮の外套に身を包み慎重に手綱を捌いている。

 レイナートの周囲を固めるのはギャヌース、アロン、エネシエル、ナーキアス、レックの五人。その後ろには侍従・女官その他使用人の乗る馬車が続き、これらを中心としてその前後には近衛の兵士が隊列を作っている。
 総勢百名となったディステニア弔問団だが、今のところその内二十名ほどの国軍兵站部隊は別行動で先行しており、国境で合流の予定である。


 そのアロンが馬上、外套の襟を立て首をすくめ、鼻をすすりつつ言った。

「春とはいえまだまだ寒いな……。
 ディステニアの方が暖かいんだろう? あっちはどんな感じだい、旦那?」

 風は冷たく旅をするにはまだ厳しい陽気だが、心なしかアロンの言葉に明るいものが感じられる。「水入らず」というと変な言い方だが、行幸の時以上にこの旅がかつてを思い出させるからかも知れない。
 だが問われたギャヌースが意外そうな顔をした。

「どんな感じと聞かれてもな……。
 そうか! アロンはディステニアへは行ったことがなかったのだったな」

「ないね。答礼使の時はアレルトメイア止まりだったし、レリエルの時は領地で留守番だったからな」

「そうか……。そういえばエネシエルもそうだったな」

「そうだな……。オレの場合はル・エメスタまでは行ったが……」

 エネシエルも頷くがどうも言葉の歯切れが悪い。答礼使の時はエネシエルの継母による襲撃事件があった。それによって実父と異母弟は服毒による自死。継母は貴族身分を奪われて斬首。エネシエル自身は国外追放処分と色々とあったからだろう。

「答礼使か……。あれから八年、いや九年になるか……。ついこの間のような気もするし、もう随分と昔のことのような気もするな……」

 レイナートも感慨深げである。

 レイナートが元服しリンデンマルス公爵家を継いで最初の大きな務めとして父王から命じられた皇太子立太子式答礼使節団長。右も左もわからぬまま諸外国を訪れ、様々な出来事に遭遇したし多くの人々と出会った。中には再会を果たすことなくそれきりとなった相手もいる。まあ、いまだ昔を懐かしむ歳ではないが、その時のことを思い出せばやはり感無量である。

「にしてもスピルレアモスが死んじまうとはね……。一度会ってみたかったが……」

 アロンの呟きにエネシエルも頷いている。

 今回の随員の主だった顔ぶれの中ではギャヌースとレックのみがスピルレアモスと面識がある。
 イステラにとっては決して油断の出来なかった隣国ディステニア。そこにスピルレアモスが現れたことでイステラは長年の緊張からようやく解放されるに至ったのである。
 そういうことからするとアロンやエネシエルでなくとも、スピルレアモスとは一度は会ってみたかったと思うのは当然であろう。


 ところで今回のディステニア行きにはクレリオルは同行しないこととなった。キャニアンとヴェーアもである。

 クレリオルはレイナートの参謀。片時も傍を離れてはならぬ人物である。そのクレリオルはかつてのレリエル行きでアガスタからクラムステンに向かう途中、特命を受けてレイナートと行動を別にした。その時にレイナートの転落・行方不明事件が起きたのである。その時クレリオルはどれほど「自分が同行しておれば!」と臍を噛んだかわからない。だから当初その決定には頑として首を縦に振らなかった。二度と同じことがあっては困るが、再び起こらないとは言えないとしてである。

 ドリアン大公は相談役ではあるが実質的には引退しており、現下のイステラには摂政は置かれていない。したがってレイナート不在中の国権の最高責任者は宰相フラコシアス公爵である。そのフラコシアス公爵がクレリオルの随行に強く反対した。
 クエリオルの正式な肩書は王室参謀長。確かにその名のごとく王の参謀であって、国政に直接意見を出したり、各大臣に指示を出せる立場ではない。だがレイナートの考えを最も理解しているのは王妃エレノアを除けば誰あろうクレリオルである。したがってレイナート不在の間の政策決定にクレリオルの意見は不可欠と言うのが理由であり、これにはレイナートも頷くしかなかったのである。


 ただクレリオルとレイナートが全く同じ思考の持ち主ということはない。レイナートはどちらかと言えば汎世界的というか広く人々のためにという発想が第一にある。良くも悪くも総論的なのである。
 一方のクレリオルはより具体的である。かつてはリンデンマルス公爵家が先ずありきであり、今ではイステラありき、である。したがってたとえレイナートの意向であっても、それが自家のために、もしくはイステラのためにならないと思われれば明確に異を唱えた。もちろんただ闇雲に反対するだけではないが、レイナートの個人的希望は尊重してもそれを闇雲に最優先はしない。そういう意味ではレイナートの暴走を止められる唯一の人物とも言えるだろう。そういう点が宰相始め諸大臣から高く評価されているのであった。

 とにかくレイナートの常識に囚われない発想にはついていけないことが多い大臣達である。だからといってそれを放置するとレイナートが独善に走ってしまいかねない。逆に理解出来ないからと無闇に反対していても結果は同じであろう。その意味でクレリオルは是々非々をレイナートに説き、翻意を促したり、逆により大臣らが賛成し易く修正することが出来る人物である。
 したがってクレリオルがいれば、レイナートの不在中も国政の方向が大きく逸れることはないというのが大臣達に一致した意見であり、それがクレリオルの随行反対の根拠だったのである。
 それになんといっても庶子とはいえ名門エテンセル公爵家一門。レイナートの信が篤く、また五大公家に人のいない今、その発言力の大きさは格別である。それは言葉を変えれば、伯爵や子爵といった本来であれば大臣を拝命することなどない貴族にとっては責任をかぶせやすい相手でもあったのである。

 キャニアンはイステラ生まれのイステラ育ち。しかも元・衛士隊長であって、取りも直さずイステラの諸事に明るいから何かにつけて重宝である。それにレイナートの信の篤い家臣を全員連れて行ってしまってはクレリオルもやりにくかろうという理由から残した。だが、これには本人が猛反発した。

「今回は何があっても同行させていただきます!」

 レイナートはリンデンマルス公爵時代に何度か諸外国へ出掛けている。その際、キャニアンは必ずと言っていいほど留守番組でそれが大層不満であった。それがレイナートのクラムステンでの行方不明後の復帰には周囲が諌めるのを無視してアロンらに同行し、対ビューデトニア戦で奮闘した。「夢よもう一度」ではないが、おとなしく留守番する気はサラサラなかったのであるが、流石にレイナートは決して首を立てには振らなかったのである。

 他方のヴェーアはその巨体の故に黙っていても睨みが利く。本人にその気がなくとも見上げるような大男を前に威圧感を感じない者などいないだろう。
それに南国育ちということもあってこの時期の長旅はつらいだろうとレイナートは考えた。とにかく体が大きい故に普段着を一着仕立てるだけで大枚が飛んで行く。それが防寒用の外套やら厚手の下着やら用意するとなるとかなりの物入りとなる。扶持を増やせればそういう心配はなくなるが、国内は安定を取り戻したところでようやく緊縮財政から抜けだしたばかり。
それにヴェーア一人身分を上げたり扶持を上げるのでは不公平感がつきまとう。なのでもう少し経済が活発になって国庫が潤沢にならないと直臣貴族全体の扶持を増やすのは無理であるし、逆にそれだけの資金があれば扶持を増やさずに別の国家事業に着手したいレイナートである。
そういうこともあってヴェーアは留守中のフォスタニア館の警護役として残したのであった。


「なんにせよ、これでエレノアが……、おっといけねえ、王妃様だな今じゃ……」

アロンがつい昔の口癖でそう言ったのだが、レイナートは苦笑しつつも咎めなかった。

「別に我々だけの中でなら名前で呼んでも構わんだろう。彼女もそれで目くじらを立てるような女ではないし……。
他に人目のあるところではマズイが……。」

「はあ、まあ気をつけますよ。
とにかく彼女がいれば、あの答礼使の時と同じだなと思ってね。
もっともあん時にはコスタンティア嬢にアニエッタ嬢もいたがね」

そう言うとアロンは背後を振り返り、レイナートのための王家の紋章入り馬車の後ろに続く、フラコシアス公爵家の紋章入り馬車を見遣り、顔を戻して続けた。

「今じゃあ二人共人妻だが、こっちの姫様は未だに独身だからな。
襲われないように気をつけて下さいよ、陛下?」

なんとも人の悪い、にやけた顔で片目をつぶってみせるアロンである。

「おいおい、冗談にもそんなことを言うもんじゃない。側室を認めぬイステラでそういう間違いが起きると悲劇しか産まぬという。誰にとってもそれは決して望まぬ不幸でしかないのだからな」

年かさのギャヌースが諫めるように言う。


だがこの時、その間違いが起きるようあえて画策する輩がいるということを知る者はいなかったのである。

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