聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第3章

第6話 温度差

 為政者としてのレイナートは、同時代人からどのように評価されていたか?

 実のところこの二年余りを経て、それは芳しいものではなくなっていた。とは言ってもそれはイステラの全国民が、ということではない。
 それはレイナートが庶子であることに対する一部貴族らの反感・反発であり、「何を今更?」と思わぬでもないだろうが、これは紛うことなき事実であった。


 震災直後、とにかく家や領地を何とかしなければ、と苦心していた貴族達。特に当主や惣領を失い急遽家督を継ぐに至った次男・三男達は肉親の死に心を痛めつつも、ありえないはずの実家の家督相続に心躍らせた。そうして己の全勢力を傾けて家の再生に勤しんだのである。そうしてそこに目鼻がつき始め余裕が出てくると、レイナートの施策に疑問を持ち始めたのである。

―― 紙を金にするなど、子供の遊びでもあるまいに!

―― 国債? そんなものは体の良い借金ではないか!

 レイナートの矢継ぎ早の、しかも人々の予想を超えた数々の政策。紙幣発行や国債による資金調達など、それによってイステラが息を吹き返したのは事実である。
 だが日常を取り戻し始めると、旧態依然の体質や考え方が頭をもたげてきた。

「庶子の分際で……」

 何よりもまずこれが気に食わないのであった。


 金貨や銀貨が貨幣として流通するのは、その元となる貴金属の希少性故に「高価なもの」と見做されているからである。
 金や銀、金剛石などは確かに高価なものとされている。だがそれはいわば「そういうもの」として共通認識されているだけであって、そこに普遍的な絶対性はない。要するに物の価値は相対的なものでありそこに絶対性はないということである。

 そういう点からすれば紙を通貨にするということも、乱暴な言い方だが「その紙片がいくらの価値を持つかという共通認識」さえ出来てしまえばいいということである。そうしてこの「共通認識」は少しずつイステラで醸成されつつあったから紙幣が浸透しつつあった。

 そうして国債の発行。その実態は初期の目的とはいささか様相が異なっていた。
 本来は国内から広く資金を調達するべく検討され施行された国債発行だったが、いざ蓋を開けてみれば当初思うような資金は集まらなかった。
 考えてみれば、国内貴族は大なり小なり被害を被っていたし、元々平民が資産を蓄えているということ自体が稀である。それでも大手商会や両替商などは内部留保している分がないではない。だがそれだけで復興に必要な資金が全て得られる訳では当然ない。
 結果、発行された国債の全てが順調に引き受けられたのではなく、大半は貴族から国に復興支援物資として供出された物品の支払いに充当されたのである。

 震災直後の物不足による物価の高騰を抑えるため、基本的には貴族領で生産された物品の大半は国が優先的に買い上げた。それを利益はおろかほとんど費用を上乗せもせずに被害が大きく困窮していた貴族や直轄地に提供したのである。したがってこの財源も必要だったし、それでなくともレイナートの即位以前の瓦礫の撤去や死者の埋葬などは予算が計上されないまま行われ、よって、レイナート即位時の国家財政は完全な歳出超過状態であった。もちろんこれを賄うための財源もなかった。したがってこれらを埋め合わせるための赤字国債も発行したのであった。

 それでも王都では物価の上昇を抑えられなかったのであるから、もしこれを商会を通したそれまでと同じ流通を認めたらどうなっていたことか。
 そうして貴族に対しては紙幣と国債によって支払いを行い、同時に王都外側の橋の建設で物流の改善を図ったことが、イステラの復興の原動力となったのであった。

 とは言うもののもちろんこの二年で震災前に完全に戻ったとは言いがたい。だが国内産業は軌道に乗り、家や職を失った人々もそれを取り戻すに至った。したがってイステラはかなりの部分で立ち直っていたのである。


 だがその一方でレイナートのこの前例のない政策は多くの波紋を国にも貴族にも及ぼした。
 国にしろ貴族家にしろそれまでの会計は単純に帳簿をつけて収入と支出を管理していたに過ぎない。要するに単式簿記で済んだのである。
 ところが国債による支払いの場合、現金化出来るまでに時間を要する。したがって単純な収入として計上出来ないのである。
 しかも国は国債を、王都や直轄地の復興国債、橋の建設国債、父王や王太后の廟の建造国債等、その目的ごとに別途発行した。
 貴族への支払い充当分はこれらの国債が組み合わせて行われていたから、その仕訳・管理も必要である。要するに複式簿記を導入せざるを得なかったのである。
 だが元々「剣の国」「武の国」と言われるほど武張ったイステラである。複式簿記が出来る人材など、財務省の役人の極一部を除いて、イステラにあってはほとんど存在しなかったのである。

 さらに言えばどの貴族家においても完全な自給自足体制はこの当時既に崩れていた。自領で生産出来ないものは他所から購入するということが当たり前だったのである。塩などまさにその好例である。
 こういうものはやはり商会を通して買わなければならない。国が多くを買い上げているからといっても国は商会でもなければ、商売でやっているのでもない。細かいところまでは対応しかねた。
 そうしてその支払いは現金不足から国債を担保に行う、ということまで起きてきていた。こうなると経済の仕組みがどんどん複雑になってきて、貴族家の商務担当でも対応が難しいということが起きたのである。そうなると当の貴族も自家の経営状態がどのようになっているのかが簡単には理解出来なくなっていた。
 貴族とは軍人であり、為政者であり、経営者である。したがって自家の状態をきちんと把握出来なければ当主失格である。にも関わらず経営状態が一目でわからない、いくら説明を受けても理解出来ないというのは由々しき問題である。

 このことは貴族達に大きな危惧を抱かせるに十分だった。家宰と商会が手を組んで家の乗っ取りを図ろうとしたアレモネル商会事件という例がある。同じことが自家でも行われてはいまいか?
 貴族の中には疑心暗鬼になった者がいても当然だろう。そういった者達がレイナートに対する反感を強めたのであった。

 だがもしこれら一連の政策がレイナートの手によらず、例えばドリアン大公あたりから出されていたらどうであったか。
 もしもレイナートではなくドリアン大公が即位して、このような政策を実施していたら? もしかすると貴族達に与えた印象は今とはもっと違ったものになっていたかもしれない。
 もっともこういったものはレイナート以外の頭脳から生み出されることはなかっただろうが……。

 いずれにせよ貴族の中には、まず領地の復興のために尽力し、それが紙幣や国債によって成し遂げられたということを素直に受け入れた者も当然いたしそれは決して少なくなかった。言い換えるならそれは、この一連の出来事をひとつの時代の変化と柔軟に受け止められたということである。そうしてそこに老若男女はなかった。


 だがレイナートに反感を持った貴族達は殊に若い貴族であった。年の頃はレイナートとほぼ同世代で、しかも次男や三男であった者達。
 そう、彼らは「もしかしたら自分がリンデンマルス公爵になれていたかもしれない」と考えた者達である。

 当然彼らは強い対抗意識をレイナートに持っていた。例えばアレモネル商会事件に加担したドリニッチ子爵家の息子達など好例だろう。

―― 庶子の分際で由緒ある名門公爵家を継いだ……。

 側室も庶子も認めぬイステラにおいてそれは許せることではない。それが今では国王となってやりたい放題。彼らの目にはそう映ったのである。

 だがあの事件があったから、その後表立ってレイナートに対抗しようという者は現れなかった。第一、当時はアレンデルがいたから、部屋住みがそんなことをすれば目をつけられて養子の口も失われるだろう。そうなれば二度と世に出る機会は失われてしまう。唇を噛み締めながら我慢するしかなかったのである。

 そうして養子の機会も得られず、悶々とした日々を送っていた部屋住み達に訪れた実家の相続という予期せぬ出来事。そうして領地立て直しに忙殺されたのである。

 だがそれが一段落して再び鬱屈した思いが込み上げてきた。

―― 貴様の身勝手な政策で我らが何故苦労せねばならぬ?

 だがそれを面と向かって詰問など出来る訳がない。

―― もっと他にやりようがあったはずだ。何故栄えある貴族たる我らが商人風情に頭を下げ、国債を担保に金を借りたりツケ払いにせねばならん?

―― 下賎な人間の考えることはやはり貴族らしからぬ。それが玉座にあるなど言語道断!

 もし彼らの心中をレイナートが知ったならこう言ったことだろう。

―― もしも他に良案があればご提示願いたい……。

―― もしも私よりも御身の方が玉座に相応しいということであれば、私はいつでも退きましょう……。

 レイナートは本気でそう答えることだろう。
 だが当然の事だが、イステラはそのようなことを王と臣下が腹蔵なく語り合える国ではない。
 レイナートはいつでも話し合いのための門戸を開いているつもりであったが、貴族側はそうではなかった。下手なことを言えば謀反と取られ、領地も財産も、どころか生命すらも失いかねない。そのようなことを誰が口に出来ようか。


 それが王妃・王女の暗殺と国王に不倫をさせようという計画に繋がったのである。

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