聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第3章

第7話 顔色

(はかりごと)は密なるを良しとす」とは古今東西を問わず言い慣わされているが、特にそれが「悪巧み」に属することであれば尚の事だろう。
 そうしてそれは、事が重大な計画であればあるほど、水も漏らさぬ入念な準備を必要とすることは論を俟たない。
 ところがレイナートにクローデラを「くっつけ」同時にエレノアを亡き者にしようという計画はお世辞にも入念な準備の上でとは言い難かった。だがそれでも実行されたのはいくつかの要因が重なり合い、それを計画した者にとって絶好の機会と目されたからであった。

 それは国王と王妃が別行動を取ること。そうして国王の帰還までにはまとまった日数を要すること。更に王妃を亡き者にするための毒薬が手に入ること。以上のことであった。


 ところでそんな計画が密かに進行しているとはつゆ知らず、レイナートの隊列は南西街道をゆっくりと進んでいた。まだ路上はぬかるみ速度は上がらない。その分、途中の休憩は出来るだけ回数を少なく、時間も短くされたのだった。
 そうして順調にロッセルテの街へと辿り着いたのである。

 ロッセルテの街はディステニアとの和平成立後に作られた完全な人工都市である。したがって王都やミベルノのように古くから栄えた街と異なり建造物は全て新しく、また比較的平坦な地形ということもあって街路は広く計画的に配されている。
 レイナートもリンデンマルス公爵として、またディステニアのグリュタス公爵として、さらにロズトリンのフィグレブを含めた交易の必要上、この街に屋敷を構えようと考えたことがあった。だがそれは用地に空きがないということで叶わなかった。
 それは、万が一再びディステニアと戦火を交えることになった場合、国軍前線基地として利用されることも視野に収められた街だからであり、貴族といえど自由に土地の売買が許されてはいなかったのである。


 そうしてロッセルテは先の大地震の際、震源となったビューデトニアに近いためイステラ最大の被害を被ったとされている。
 震災直後、火災に巻き込まれたり瓦礫に押し潰されたりした人々の遺体は収容が遅れ、街はきな臭さと腐臭に包まれ、まさに地獄の様相を呈していた。そこで当時の国軍第三軍司令官シュピトゥルス男爵はディステニアからの帰国途上、配下の一部をこの街に残し復興に当たらせた。
 だが少ない人員、食料、資材。甚大な被害に復興は遅々として進まなかった。街の人々は「自分達は見捨てられた」と思ったほどである。

 やがてレイナートが即位して本格的に復興作業が始まると様相は一変した。食料や資材を満載した国軍の部隊が次々現れ、瓦礫をドンドンと撤去しては馬車に積んで去っていく。
 街は少しずつ活気を取り戻した。そうして始まったディステニアとを結ぶ橋の再建。丸太橋が再建され、途中放棄されていた石橋の建設も再開された。ディステニアとの間を行き来する商人の馬車も再び増え始め、この二年の間にすっかりと往時の勢いを取り戻しつつあったのである。


 そこでロッセルテを預かる代官は街を隅々まで案内してレイナートの点数を稼ごうと目論んでいた。
 街を守る衛士隊の長との確執は相変わらずだったが、それを一々国王に訴えるなどもってのほかとされ、事前に厳重な通達が出されていた。そこでそんなことに時間をかけるより、何はともあれ自分の功績 ― 街の復興に自分が如何に貢献したか ― を国王陛下にお見せする、ということに重きを置いたのである。

 だが隊列の到着は日没間際、翌朝は日の出とともに出立するという先触れがあって代官は意気消沈した。
 確かにレイナートとしても街の人々と触れ合う時間は十分取りたかった。だが春先の忙しい時の外国訪問である。とにかく早く帰ってきてくれというのが重臣らの願いであり、それを無碍にすることも出来ない。それ故に定められた日程であった。

 そうして短い春の日が傾きかけた頃、ロッセルテの街に入ったところでレイナートは妙なことに気づいた。自分を出迎える人々の顔色が随分と悪かったからである。

 レイナートは馬を止め、自分に向かって手を振る沿道の男に声を掛けた。

「そこの者、随分と顔色が悪いようだが大事はないのか?」

 尋ねられた男は平民で、唖然として目を瞠った。国王陛下直々にお声を掛けていただくなど予想外だったからである。

「あの、いえ、その……」

 男は畏れ多くてしどろもどろとなった。だがレイナートは重ねて尋ねた。

「大丈夫か? どこか具合でも悪いのか?」

 イステラ人は白色人種であるため基本的に肌の色は白い。だが男の顔はいくらか青黒いというかどす黒いというか。それに輪をかけて痩身というよりは「やつれている」と言えるほど頬はこけ、体も針金のように細かった。どう見ても大病を患っているかのようであった。

「いいえ、滅相もありません。あっしはいたって健康で毎日元気に働いておりやす」

「ええ。うちの宿六はピンピンして働いてますです」

 その妻なのだろう、中年の女も言葉を添えた。

「……けど、やっぱり顔色はおかしいでしょう?」

 女は随分と物怖じせずにそう言った。が、さすがにこれは街の衛士に咎められた。

「おい、貴様達、不敬であるぞ!」

 そう言われて二人は肩を震わせて怯え、頭を深々と下げた。

「いや、構わぬ……」

 レイナートは二人を咎めた衛士を制し、再び二人に話し掛けた。

「普段は何をしている? 何か特別な職業の者か? それとも特別な物を食しているのか?」

 鉱山で使役される奴隷はその食生活の悪さと相まって顔色が悪いのは有名である。だが男は普通の平民である。そこでレイナートは疑問に思ってそう尋ねたのである。

「あっしは革細工の職人です。主に馬車用の物を作っておりやす。それに、別に特別なものなんて食べてやいやせん」

「そうか……」

 レイナートが首を捻る。

 隊列は止まったままである。道案内役の代官が顔色を変えている。

「何か不都合でも……」

 こちらも真っ青な顔である。だがコチラは要するにまさに青くなっているだけである。

「いや、なんでもない……」

 レイナートはそう言って首を振る。そうして改めて周囲を眺めてみると、男女問わず似たような顔色の者が少なからずいることに気づいた。

「いや、これはなんでもないことはないな……。
 代官!」

「はっ、はひ」

 呼ばれた代官の声がひっくり返った。

「随分と街の者達の顔色が悪く見えるがどうしたことか? 直ちに原因を究明せよ」

 万が一、得体のしれぬ病が蔓延していたら大事となる。それを恐れてのことである。

「余が床につく迄に詳細を報告せよ。厳命である。
 皆の者も代官の質問には包み隠さず答えよ」

 レイナートはそう言い残して隊列を進めさせたのだった。


 街での宿泊は代官所である。代官所とはいえ軍事要塞としての機能も併せ持つから、国王の滞在先としてはこれほど安全な場所もない。だが、ただでさえ質実剛健が売りのイステラであるから良く言えば機能的、悪く言えば味も素っ気もない建物である。
 数年前、各国の思惑を探るという目的でディステニアへ向かった際、レイナート主従はこの代官所で取り調べを受けたことがある。その時はそれでもまだ多少はマシな建物だった。
 だが今は震災後の再建で、無駄を省く意味から装飾の類は一切施されておらず「無味乾燥」の一語に尽きた。

 その代官所の割当てられた部屋に入ったレイナートに、代官は歓迎の口上を述べようとする。だがレイナートは市民への調査を最優先するよう再度命じて代官を下がらせた。冷えた体で益体もないことを長々と聞かされるのウンザリだったのである。
 イステラの男は馬に乗るのが信条。王家の紋章付き箱型馬車も同行しているが、レイナートは一度も乗り込んでいない。とは言え春先はまだ風が冷たい。厚手の毛皮の外套を着込んでいても長く馬上にいれば体が芯から冷えてくる。そこでまず風呂を命じたのであった。
 部屋に浴槽が持ち込まれ、下男達によって次々と湯が満たされていく。室内には警護の近衛兵の他、臨時女官長のクローデラ始め他の女官達も詰めている。だがレイナートは意に介した風もなくテキパキと服を脱ぎ、さっさと裸になって湯船に身を横たえた。

 リンデンマルス公爵になって直ぐは、侍女の前で着替えをすることですら、気恥ずかしさを覚えていたレイナートである。だが今ではそういうこともない。サイラに散々叩きこまれたからである。

―― よろしいですか、殿下! 侍女の前で恥ずかしがるなど貴族にあるまじきことです! まして恥ずかしいからと遠ざけるなど、その者に死ねと命じているのも同じこと! 決してあってはなりません!!

 鉄壁の無表情の目を吊り上げて、厳しい口調でレイナートにそう言ったのである。

 確かに貴人の身支度の世話をするのは侍女の務め。執事にやらせる家は少ない。
 そうしてサイラの言う通り、裸を見られるのが恥ずかしいからと侍女を下げさせたら、それは役立たずと言っているのと同義である。執事や侍女などの使用人は、貴人にとってはある意味で「人間」ではないし、まして「性」を感じさせてはならない職種だからである。


「ふう……」

 レイナートが思わず溜息を漏らした。冷えきった体に熱い湯が殊の外心地よかったからである。

―― それにしても市民達の、あの顔色の悪さはどうも気になる……。

 風呂の心地良さも忘れ、直ぐに険しい表情となったレイナートである。

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