聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第3章

第10話 世襲職

 レイナートからの書状を受け取ったクレリオルは早速宰相フラコシアス公爵と内務卿シュラーヴィ侯爵と協議した。
 ロッセルテで薬屋を営む老婆の身元調査は内務省系統管理局の職掌範囲内であるし、侍医も毒見役も同じく内務省の管轄である。したがって内務大臣との打ち合わせはもちろんだが、本来王宮内でのみ職務を遂行する者達をロッセルテまで派遣するのであるから、やはり宰相の了解を得ておく必要があるという判断である。


「陛下に対する天をも畏れぬ振る舞い、ということではないのですな?」

 クレリオルから報告を受けたシュラーヴィ侯爵が再確認した。

「ええ。陛下を狙ったものではないとのことです。ただ、市民の状況に不審な点があり、それを問い質そうとしたら自殺したということのようです。
 しかしながら多くの薬品を所蔵しているようで、これの処置に専門家が必要であり急ぎ派遣せよ、というのが陛下からのご命令です」

「そうか……。しかし何者なのだ、その老婆は?」

 宰相も首を捻っている。

「我らがリンデンマルス公爵領出身とのことですから急ぎ領地の家宰に調査を命じましたが、本当に当家出身の者かどうか……」

 クレリオルも半信半疑といった風である。

「貴家は色々とあったからな……。
 ところで古い記録などはきちんと残っておられるのか?」

 シュラーヴィ侯爵の問にクレリオルが苦笑いをした。

「さすがに借金取りも領民の記録などには興味はなかったようです」

 先代の放漫経営のお陰で、家財道具を始め金目の物のほとんどを押さえられたリンデンマルス公爵家であるが、そういった記録の類は散逸することなく大方残っていたのである。

「本省系統管理局でも急ぎ調査を命じておりますからおっつけ何かわかるでしょう」

 シュラーヴィ侯爵も言葉を添えた。

「そうであって欲しいものだ。いずれにせよ侍医殿にも毒見役殿にもご苦労な話だが陛下のご命令とあらば否やはあるまい。
 委細滞り無く準備を頼むぞ」

 宰相はシュラーヴィ侯爵にそう告げ、シュラーヴィ侯爵も力強く頷いたのである。


 イステラの王城トニエスティエ城。王都イステラと一体化しているこの城の一の郭には大小様々な建物がある。その中でも最大級のものが「王宮」と呼ばれる建物である。
 謁見の間や公式行事のための大広間、国王執務室、合議の間、各大臣の控室などがある南殿は言い換えれば政庁でありその大半を占める。そうして国王とその家族の私生活の場である北宮、皇太子のための東宮、王太后が存在する時はそのための、存在しない時は迎賓館として用いられる西宮によって王宮は構成され、それぞれ独自の厨房を持ち、料理長と料理人が存在し、毒見役が配されている。
 もっとも現在では皇太子が廃太子されたため東宮は無人であり、西宮もクローデラが一室賜っているがそこでは完全に寝るだけで食事を摂ることはない。したがって東西宮の厨房は事実上閉鎖され、そこで働いていた者達は他の宮へ配置転換されている。
 一方侍医は国王、王妃、王女のためにそれぞれ複数人が配されており、南殿と北宮の間に部屋を賜り、昼夜を分かたず交代で詰めている。

 ところで実力主義を標榜するイステラであるから、親が大臣や国軍司令官だからといってその子供は、その任に堪えるだけの見識、実力等があればその限りではないが、無条件に親と同じように大臣や司令官になれるということはない。要するに公職は基本的に世襲ではないのである。
 ただし何時の世も何処においても例外が存在するのは当然である。そうしてイステラにおけるその代表ともいうべきは侍医、毒見役などである。

 侍医は国王や王妃のための医者であり、したがって国内において最も「医学的知識」に富んだ医者とされており、町医などとは比べることの出来ない存在とされていることは論を俟たない。
 もちろん町医の中にも時には天才的な医療技術・知識を持つ者が現れることもある。だがこの時代、医学は誰もが学べるものではなく、医学書なるものも存在するがそれは広く世に出回っている、などということはない。それは医家において秘蔵され門外不出とされているのである。したがってそれを学べるのは医家に生まれた者だけであり、当然ながら町医と侍医の家では持っているものが違い、そこに歴然とした差が生まれてしまうのである。
 結果、町医の子は町医に、侍医の子は親の跡を継いで侍医となるということが多いのである。

 一方の毒見役も代々の毒見役の家に生まれた子しかなれない。それは医術以上に余人では身に付けることの出来ない特殊技能だからである。
 毒見役の家では生まれてきた子供に幼少の頃から毒を与える。それは致死量には及ばない薄めた毒を定期的に与え体を慣れさせるのである。そうして成長するに従い毒の量、濃度を上げていく。そうすることで毒見役として働ける体を作るのである。
 だが体質や体格などは千差万別であるから、場合によっては与えられた毒によって生命を落としたり、重度の障害を体に残したりすることもある。文字通り命がけの訓練であり、職務なのである。したがって毒見役の家は総じて多産であり、一方で成人する者が少ないのである。
 現在イステラにおいて毒見役を命ぜられる家は三家のみ。その中から優秀な者が王宮各宮に配されるのである。そうして歴代イステラ王家は高給と栄誉を以ってその職にある者を遇してきたのだった。
 これはレイナートが即位してからも変わってはいない。破邪の剣が「生きて」いたなら毒見役を廃することをしたかもしれないが……。
 現実に国王を毒殺しようという者の有無はともかく、王の身に万が一があれば国が混乱する。その憂いをなくすための措置であり、第一毒見役は一朝一夕では育たたない。毒物に対する知識もその対処方法も一度失われたらそれを再び得るには膨大な時間と人命を要する。したがって後世に正しく伝えられるべき知識・技能として保護されているのである。

 そうして先の行幸の際も、今回のディステニア行きに関しても侍医も毒見役もレイナートに同行している。だがそれでも王都から新たに呼び寄せるのはレイナートが先を急ぐ身であり、まさか侍医や毒見役を残して先行することは出来ないからである。

 一貴族としてでもそうだが、国王の外国訪問である。当然のこととして事前にディステニアに対して既に通達が行われている。どれくらいの規模の一行が何時頃国境を越えるか。どれくらいの期間滞在するか。これらを事前に通告することなく出掛けるというのはありえない。
 レイナートとすればこの老婆に関する捜査の結果を待ってから出立したいところだが、それでは予定が大きく変更されてしまう。そうなっては受け入れ側の準備に大きな影響を及ぼす。
 そこでロッセルテ滞在は予定通りとし、日程に変更なく出立しようと考えたのであった。実際のところ彼らの到着を待ったところでその間に出来ることなどほとんどないに等しいから時間の無駄なのである。


 宰相と内務卿の人選によるロッセルテ派遣の侍医と毒見役の一行はその日の昼過ぎには王都を出立した。
 侍医も毒見役も貴族ではあるが馬には乗れない。また多くの薬品や治療道具の類も携行するから馬車での移動である。それでも翌日夕刻までにはロッセルテに到着するだろう。

 本来であればこのようなことが貴族達の耳に入るということはあまりないはずだったろう。
 ところが春先、雪解け直後ということもあって多くの貴族がまだ王都に残っていた。彼らは領地からの迎えの者が到着してから領地へ発つのが普通である。そうして迎えの者は領地での冬期の領民の出生・死亡の届けを携えて来てそれを内務省に報告する。
 ところが今回この出来事の故に、内務省系統管理局では各貴族や直轄地からの出生届、死亡届の受理を一時凍結した。老婆の記録の調査を優先させたのである。
 それによってこの事件は貴族達の広く知るところとなったのであった。


 そうしてこのことはある貴族に多大な衝撃を与えることとなったのである。
 その貴族こそレイナートの退位とエレノア、アニス母娘の暗殺を目論んでいた人物なのであった。

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