聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第3章

第14話 不安

 王国情報室の長官執務室に現れたクレリオルの表情は決して明るいものではなかった。
 着席し机の上で腕を組み、難しい顔で何やら考えている。まるで室内にいる人間に全く気づいていないかのようであった。

「あの……」

 室員の一人がクレリオルに声を掛けた。

「うん? 何か?」

 ようやくそこでクレリオルが顔を向けた。

「お食事はどうなさいますか?」

「ああ、そうか。いやまださして空腹ではないのだが……。
 そうだな、後々の事も考えて一応腹に少し入れておくか……」

「では、直ぐに温め直してまいります」

「いや、そのままでいい」

「しかし……」

「構わん。それほどのんびりもしておれんのでな」

「はい、わかりました」

 ようやく侍女姿の室員は納得したのか、スープをよそいパンを皿に載せるなどの準備を始めた。
 それを横目で見つつイェーシャが尋ねた。

「クレリオル様、あの、状況は? 犯人はまだ見つからないんですか?」

 クレリオルの暗い雰囲気から事件が解決したようには思えずそう聞いたのである。

「ん? ああ、まだ捜査は途中だが、今のところ結果はあまり思わしくはない」

「……」

 幾分なりとも明るくなった室内の雰囲気が再び暗いものとなったのである。

 ヴェーアも尋ねた。

「何が問題なのでしょう?」

「今のところ不審な人物が見つかっておらんのだ」

 クレリオルが溜息を吐いた。
 現在までの捜査では不審者の存在が確認されなかったのであった。


 クレリオルの要請に応じ直ぐに宰相、内務大臣、法務大臣、衛士総長、近衛長官が北宮の食堂に集合した。そうして急な呼び出しに何事かと訝しむ重臣達に対しクレリオルが事の次第を説明したのである。

「何だと! それは真か!?」

 目を見開き、驚愕を隠せない大臣らは口々に叫んだ。

「一体何者が!?」

「それはまだわかりませぬ」

 クレリオルの言葉に衛士総長が怒りも顕わに怒鳴った。

「その給仕を担当した侍女は誰だ?」

 食堂には女官・侍女が数名居残っており、その剣幕に身を震わせた。

「その者は我が執務室に留め置いております」

 クレリオルが落ち着き払って言った。

「何? まずはその者を尋問すべきではないか?」

 法務大臣がクレリオルに詰め寄った。

「その点に関してはご心配なく。我が王国情報室の室員は元は暗部の者。最も効率的、効果的な尋問方法を心得ております故……」

 クレリオルは平然とそう言い、それで法務大臣は沈黙した。衛士隊や法務省での取り調べよりもはるかに厳しい尋問、という名の拷問、を想像したからである。

「まずは王宮のみならず一の郭全体の不審者の捜索しましょう。それと正午の鐘以降、一ノ門を通行した者の一覧を作成し追跡調査も必要でしょう。
 何より直ちに北宮の警戒を厳重にするとともに、一の門を閉鎖すべきではないでしょうか」

 犯人と思しき人物がいまだ拘束されていないのである。王妃や王女の警護を厳重にする必要がある。
 クレリオルの言葉に宰相が頷いた。

「確かにそうだ。
 近衛長官、直ちに近衛兵を北宮内外に配置させるとともに一斉捜索を行うように。
 衛士総長は一の門を封鎖、出入りした者全員の氏名を調べ上げ可能な限りその者を拘束せよ」

「御意」

「畏まりました」

 近衛長官と衛士総長が頷いた。

「ところで毒見役は何をしていたのだ!
 急な着任とはいえ職務を全う出来ぬとは言語道断ではないか!」

 内務大臣が声を荒らげた。

「それもあるが、とにかく使われた毒の特定、さらに他の毒の有無も調べ上げねばなるまい。侍医殿と毒見役各家からの協力も要請せねばならんな」

 宰相の言葉に皆が頷いた。

 こうした食堂内での喧々諤々の意見を戦わした大臣らは配下の者に矢継ぎ早に指示を出したのである。
 なお、エレノアは既にこの時アニスとともに寝所に籠っており、大臣らは直接エレノアに今回の不手際を詫びることが出来なかった。
 大臣らは歯噛みしつつ、互いに心中思うことは一つであった。

 すなわち、

―― 必ずや真犯人を探し出し、その罪を償わせねばならぬ……。

 そうして、

―― 事件が決着した後、出処進退を決せねばならぬ……。

 北宮内で王妃と王女が毒殺されかけたのである。たとえ真犯人を捕まえたとしても、自分達もただでは済まないのは道理である。
 その場の全員が、この失態を償うため既に己の死を覚悟して事件に臨んでいた。


 非番の者も含め王都内の近衛兵および衛士が全て動員され、王都は一時、物々しい厳戒態勢となった。大震災以降ようやく国内が安定してきた矢先の事件であったが、近衛隊にも衛士隊にも混乱は見られず捜査は粛々と行われた。

 一の門は直ちに閉鎖され内側を近衛兵が、外側を衛士隊がしっかりと固め基本的に通行不可とされた。西宮から二の郭に出られる門も同様である。
 そうして正午の鐘以降閉鎖されるまでそれらの門を通過した者達の名が衛士総長に報告された。だがこれは元々人数が少なかったので直ぐに掌握出来、現在衛士達がその行方を追っている。もしこれが二の門であれば貴族家出入りの商人が増えるからかなり難儀なこととなったろう。三の門、大手門(王都外から四の郭へ入る門)となったら推して知るべしである。

 一の郭内部の諸事は基本的に近衛隊が担当し衛士隊は管轄外である。だが厨房の料理人と北宮の女官、侍女は衛士隊が尋問に当たった。元々警察機能を併せ持っているため近衛よりは適任だろうという判断からである。
 厨房で働く料理長以下料理人六人、下働きの下女十人、毒見役、さらに北宮全体の女官、侍女が一人ずつ個別に尋問を受けた。とはいえこの段階では手荒な拷問めいた取り調べは行われなかった。

 夕刻までにひと通りの尋問が行われたが目立った成果はなかった。
 もっともそう簡単に真犯人が見つかるようなら誰も苦労はしない。第一、王宮北宮には誰もが簡単に入れる訳ではないし、北宮で働く者はもちろん、王宮全体でも身元のあやふやな人物を働かせるということはないし出入りすら許されていない。そこで事件は起きたのであるから暗部のような隠密の犯行という線もある。そうなると近衛や衛士隊の捜索だけでは真犯人の特定は難しいだろう。
 もちろん尋問を受けた者の中に真犯人もしくは他国の間者に協力した輩がいる可能性も現状では否定出来ない。したがってより厳しい尋問が再度必要となるだろう。

 そうしてこれは個人的な犯行なのか、それとも陰で糸を引く黒幕がいるのか? それもはっきりさせなければならないから、それぞれの身元引受人を含め調査する必要もある。
 だがさすがに事件後わずか半日ではそこまでは無理であるからおいおい行うことになる。

 そうして第一回目の尋問が終了したところでクレリオルは執務室に戻ってきたのであった。

「内部の犯行か。それとも間者、例えば外国の暗部による仕業なのか。これもはっきりしていない。したがって現状では虱潰しに調査するしかないのだ」

 クレリオルはヴェーアにそう説明した。

「もっとも、おっつけゴロッソが現れるだろう。
 何か少しでも掴んでくれていればいいのだが……」

 もしもこの事件が外国暗部の犯行であれば近衛隊や衛士隊では手も足も出ないだろう。「餅は餅屋」「蛇の道は蛇」というが、こういう時に頼りになるのは元の暗部、現在の王国情報室の室員達であるのは明白である。

 とはいえイステラ暗部は解体され現在は王国情報室に姿を変えている。のみならずその規模はほとんど元の十分の一と言ってもいいほど縮小されている。果たしてどれほどの成果が上げられるのか。

―― 暗部の解体はもしかしたら失敗だったのではないか……?

 不安を隠し切れないクレリオルであった。

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