フォスタニア館に到着したエレノアを王都屋敷留守居役のコリトモスを始め、家臣らの妻子が丁重に出迎えた。すなわちクレリオル夫人のアメンデ、ギャヌース夫人のリーデリア、アロン夫人のネーリア、エネシエル夫人のアニエッタ、キャニアン夫人のシェスナと彼女らの子供達である。
「お帰りなさいませ、王妃陛下」
皆、深々と腰を折り頭を下げた。だがこれはエレノアにとってはあまり嬉しくない出迎えであったようだ。
「皆さん頭を上げてほしい。以前のような、ただのエレノアとして接してほしいんだが……」
困惑した顔でそう言うエレノアであった。
夫人達は顔を見合わせていたがアニエッタがすぐに応じた。
「お帰りなさい、エレノア様」
満面の笑みでそう言ったアニエッタに、エレノアも相好を崩す。
「ただいま」
家臣夫人達の中で最も早くからエレノアと接していたのはアニエッタとシェスナであるが、やはり身分の違いからだろう、アニエッタとシェスナでは元々の接し方が違っていた。したがってその差が態度の違いになって現れたのであった。
「ところで今回は大変なことでございましたね、エレノア様」
「ああ、まったく。飛んでもないことをしでかしてくれたもんだ」
侍女の一人に眠っているアニスを託し、エレノアは腕組みしてそう言った。男装ということもあって昔の雰囲気そのままである。
「ですが、エレノア様もアニス様もご無事で何よりでした」
今度はネーリアである。貴族社会の裏側というか汚い部分を多少なりとも知っているからだろう、心から安堵した表情を見せる。
「それはそうだが、クレリオルを始め重臣殿たちに大きな迷惑をかけてしまった」
「そんな! それはエレノア様のせいではございませんわ。悪いのはそのように大それた真似を目論んだ輩にございます」
エレノアの言葉に今度はシェスナが答えた。元衛士隊長の妻、犯罪を憎む気持ちも人一倍なのかもしれない。
そこへ恐る恐るコリトモスを声を掛けた。
「皆様。まずは食堂の方へお移り願えませんでしょうか」
「ああ、これは失敬。話は食べながらでも出来るし……。
では早速、皆と共に朝飯をいただこうか」
腕組みを解いてエレノアがポンと手を打つ。
この辺りの仕草や表情はレイナートそっくりである。似た者夫婦というか、自然に似てきたのかもしれない。
だがそう言われた夫人らは顔を見合わせた。いくら直臣の妻とはいえ、貴族屋敷で王妃陛下と同席しての食事という訳にはいかないからであった。
確かに王妃が直臣の夫人達を王宮に招いて茶会や食事会を催すということが全くないではない。だがそれは厳重な警戒の王宮内部であるからこそ許されることであって、王や王妃が個人的に貴族家に招かれて飲食する、というのはイステラでは許されていない。その場合はどれほど近場であっても公式の「御幸」という体裁を取るのである。
したがって今回のように、王妃であるエレノアがリンデンマルス公爵家の王都屋敷へ密かに渡りそこで食事をする、ということは特殊な事情の故であって、本来がありえないことなのである。
しかもサイラやノニエ、ネイリは王宮から下って来ていない。どれほどクレリオルが彼女ら ― 特にネイリ ― の無実を信じていても、重臣らからすれば彼女らは容疑者の一人もしくは共犯者なのであって、エレノアと共にフォスタニア館へ寄越すということは絶対に認められないことだったのである。
かと言ってフォスタニア館の侍女達では王妃陛下の給仕は荷が勝ち過ぎる。万が一粗相があってはそれこそ一大事ということで、夫人らは自分達が女官となってエレノアに給仕するつもりでいたのであるから、エレノアの言葉に驚いたのは当然のことだろう。
「エレノア様、さすがにそれは出来かねることにございます」
アニエッタですらそう言う始末である。
「何故だ? 何か問題でも?」
エレノアが訝しむ。
「ありがたくも畏くも、確かに『ただのエレノアとして』と、王妃陛下は仰いました。ですがやはり通すべき筋というものがございます。今回は止むに止まれぬ事情の故でのことにございます。したがいまして……」
その言葉にエレノアは悲しそうな表情を見せた。
「そういう寂しいことを言ってほしくはないな。確かにわがままなのはわかっている。だがこの屋敷、いや、リンデンマルス公爵家においては……」
その場が重苦しい沈黙に包まれた。
確かにエレノアの気持ちもわからぬではない。だがやはり定められた決まりがある以上それに従わなければならないのは当然のことである。
だがそこでリーデリアとネーリアが口々に言った。
「まあ、アニエッタ殿、よろしいのではないかしら? この屋敷においては何も問題が起こるはずがありませんもの」
「そうです。それに王宮からお目付け役も来ていないのですから……」
元々が外国人だからなのであろう、別にイステラの国法を軽んじているのではないだろうが、こういうところは生粋のイステラ人達よりも柔軟に考えられるようだ。
だがそれを聞いて青くなったのはアメンデとシェスナである。今は貴族の夫人とはいえ元々は平民である。国法を違えるなど畏れ多すぎて平静ではいられないからであった。
「まさか! そんな」
「ありえません!!」
こうなるとアニエッタもどうすればいいかわからなくなってしまった。
この中ではエレノアとは最も親しい存在のアニエッタだが生粋のイステラ貴族の娘であったから、やはり国法の遵守は譲れないことだと思ってしまう。
「どうしてかしら? それがエレノア様のご希望ならば叶えてさし上げるのがわたくし達の役目ではなくて?」
リーデリアが重ねて言う。
「ですが!」
一転してその場が収集つかなくなりそうな勢いになってしまった。
コリトモスもオロオロするばかりである。
エレノアは自分の何気ない発言で屋敷内が騒然としたことに後悔し始めていた。
そうして静かに口を開いた。
「済まない、もういい。私のために言い争うのはやめてほしい……」
その言葉に一瞬にしてその場が静かになった。
言い争っていると言えなくもない雰囲気になりかけたが、そこは皆節度あるご婦人方である。直ぐに己の主張に対するこだわりを捨てたのであった。
改めてリーデリアが言った。
「どうかしら、ここは立食でということにしては?」
その言葉に皆がキョトンとする。本来立食は昼であれば屋外での園遊会、夜であれば夜会というのが相場である。誰一人として朝っぱらから立食でというのは聞いたことがなかった。
だがそこでアニエッタが表情をゆるめた。
「それは妙案ですわね。わたくしも賛成いたしますわ」
アニエッタがそう言うと一同も頷いた。客人をもてなす側が当人を不快にさせては本末転倒だからである。
全員の顔を見回してから再びアニエッタが言った。
「いかがでございますか、エレノア様。堅苦しい席はやめて立食で歓談しながらというのは?」
その言葉にエレノアの表情からも厳しさが消えた。
「皆、済まない。気を使わせてしまったな」
「いいえ! さあ、皆様、食堂に参りましょう」
リーデリアがそう促したのであった。
ところで侍女の装いをした王国情報室の職員達と応援に駆けつけた元暗部の者達はフォスタニア館内部に、それこそ猫の子一匹這い出ることも出来ないほどの厳重な警戒態勢を敷いたのである。とは言え見知らぬ顔が邸内をウロウロしているとリンデンマルス公爵家の使用人に警戒されてしまう。さりとて一人ひとり紹介して回るというのは問題外。したがって全員が邸内各所に潜み隠密での警護をしたのであった。
これは事件が解決するまでの三日間を通してのことであった。
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