聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第3章

第24話 黒幕

 その日、エレノアがフォスタニア館に移った日の午後になっても、目ぼしい情報はクレリオルのところには届いてこなかった。いくら元暗部を多数導入したからといって、直ぐに結果が出るようなら苦労はしない。それはわかっているのだが焦る気持ちを抑えることが出来なかった。

―― まだ、真犯人の特定は出来んか……。

 王国情報室長の執務室の椅子に深々と座り溜息を吐くクレリオルである。
 同じ室内にはネイリもいる。よほど疲れたのであろう、椅子にちょこんと腰掛けて静かに船を漕いでいる。その幼い姿を見るにつけ深い憤りを感じる。

―― ネイリのためにも必ずや真犯人を……。

 国王レイナート不在の間に起きた一大不祥事。その失態をなんとしても取り戻さねばなぬ。たとえ真犯人を見つけ出し処刑した所で己の失態がなくなる訳ではないが、これは喫緊の最優先事項であった。
 留守を任されたということは信頼されてということである。それを裏切った以上、おそらくは死を以って罪を償わなければならぬだろう。だが真犯人を捕えずして死ねばそれこそ犬死である。草の根かき分けてでもなんとしても探しださねばならぬ。

―― それにしても一体誰が王妃と王女の毒殺などという、天をも恐れぬ大胆不敵な悪行をなそうとしたのか……。

 クレリオルには陰で糸を引く黒幕について見当がつかないでいた。
 レイナートの即位とともにクレリオルは王室参謀長となって以来、国政に直接参加することはなくとも、必ず御前会議に同席し、また、レイナートの執務室においても重要案件についてレイナートの相談を受けていた。そうして何事をなすにもヒト・モノ・カネについて考えなければならぬ。したがって大臣達重臣だけでなく、全イステラ貴族に関しても意を用いてきた。それ故、直接の面識はなくとも全ての貴族家当主の為人に関しては大体は把握していたつもりである。それに照らし合わせても、これといった人物が思い当たらないのである。

―― やはり「人は腹の底では何を考えているかはわからぬ」ということか……。

 レイナートの即位の時も、即してからもレイナートに対する批判や反対というのは表面的にも、また噂の類であってもクレリオルには聞こえて来なかった。それでは「情報室長」の名が泣くと言われてしまいそうだが、現実の問題として王国情報室は僅かな人員で体外的な情報収集に忙殺され、国内貴族の動向を探るということは一切行っていなかった。レイナートがそれを望まないということもあった。影でコソコソと見張っては揚げ足を取るというような真似を好まないからである。
 だが国政の中心近くに身を置いてみると、歴代国王が暗部を置いていたこと、そうしてそれは決して小さくない規模を有していたことの理由がわかるような気がした。

―― 反逆の目は小さいうちに摘むべし、ということだな……。

 公明正大であることを旨とするレイナートは、君主として戴くには最良であると信じて疑わないクレリオルである。だからこそ側近である自分が権謀術数を駆使しなければならない。今になってそこに思い至った始末に、クレリオルは自嘲せざるを得ない。

―― わかっていたはずのことだったが……。

 レイナートが帰国したら、ぜひとも暗部の復活を進言してみようか、などとも考えてみる。だがあのレイナートのこと、決していい顔をするはずがない。どころか一蹴されるのがオチだろう。

―― だが、誰が後任であるにせよ、必要なことには違いあるまい。

 クレリオルのみならず、諸大臣は挙って辞任、のみならず死罪、家は改易となるのは必定。そうでなければ他への示しがつかぬ。
 ただでさえ震災直後は人がおらず、大臣の人選にも苦労したという。国は目覚ましいほど順調に復興しつつあるが人の方はそうはいかぬ。今でさえ人物に物足りなさを感じる大臣達である。これが全員入れ替えとなったらどうなることか。

―― 後悔は先に立たぬ。わかっていたはずなのに油断していた。

 臍を噛むクレリオルであった。


 気がつけば短い春の日はすでに西に傾き、日の入りの鐘が鳴ろうという刻限となっていた。
「今日は収穫なしか」そう思っていた矢先、ゴロッソが執務室に飛び込んできた。

「下手人及び黒幕が判明しました!」

「何、本当か!?」

「はい! おそらく、十中八九は間違いないかと」

「そうか。して、それは一体誰だ?」

「ラストーレル伯爵とその領民の料理人です」

「ラストーレル伯爵……」

 クレリオルがその名を呟いた。現在のイステラのみならず過去においてもほとんど話題に上ったことのない貴族である。クレリオル自身、名前を聞いたことがある、という程度の認識しかなかったことにそこで気づいた。

「それにしてもどうやって辿り着いたのだ?」

「それが、思わぬ処で瓢箪から駒が出ました」

「瓢箪から駒?」

「はい。ラストーレル伯爵の領地は毒見役の隣、さらにロッセルテで死んだ薬屋の老婆。ここにラストーレル伯爵家の者が出入りしていたのを見ていた商人がおりました」

「ロッセルテの老婆の元に……。やはり繋がっていたのか」

「御意」

 ゴロッソが頷いた。


 ラストーレル伯爵家はやはり古い家柄の貴族であるが、元々は侯爵家であった。それが数代前、当主の行状に面白からぬものがあり、その故を以って降格されたという不名誉な経歴を持つ。したがって家計は決して裕福とはいえず、また、嫁の来手も中々おらず、嫁ぎ先も良縁に恵まれないことが多かった。

―― このままでは我家は滅ぶばかり!

 それ故先々代のラストーレル伯はなんとか家運を盛り立てようと必死になり、家内の教育に重きをおいた。
 見どころのある者であれば平民であっても優遇したのである。国軍への志願兵も積極的に募ったし、事務能力があると判断すればさらに教育を施し各省に官吏として送り込んだ。そういう意味では国に大きく貢献した家といえるだろう。
 だがそれでも失地を回復し名誉を取り戻すには至らなかった。そこで我が子はより厳しく教育した。だがそれが仇となった。
 長子が男であったことが最大の不幸であった。幼少の頃から剣術、馬術を教えた。ある冬の寒い日、長男は風邪気味で熱があった。にも関わらず先々代すなわち父親は息子に馬術の稽古を強要した。したはいいが、長男は馬術の稽古中に意識が朦朧として落馬、打ち所が悪く右大腿をいわゆる複雑骨折した。
 直ぐに医者が呼ばれたが、この当時の医療技術など高が知れているから完治には程遠く、結果、左右の足の長さが極端に変わってしまい、真っ直ぐに歩くのさえも困難な程になってしまったのである。先々代は落胆し、我が身を呪った。
 これでは、当然ながら、長男は兵役に就くことが出来ないからである。

 イステラ国軍は基本的に王族貴族であっても平民であっても同じ訓練を受けさせられ、その成績によって評価される。重装備で野山を駆け抜け、重い武器を振り回すことが要求される。それを踏まえた上で配属が変わるのである。したがって徴兵されるのは心身ともに健康であることが条件で、不具者は徴兵されることはないのである。

 イステラの男子にとって兵役は義務であるのはもちろんだが、軍人として優れた成績を挙げれば出世も嫁取りも望むがまま、というところがある。何よりも兵役を終えれば一人前とさえ見做されているところがある。
 なので軍人にはなれない、衛士隊にも入れない、ではイステラの男子にとってこれほど不名誉なことはないのである。
 それ故先々代は泣く泣く長子を廃嫡し、次男に家督を継がせたのであった。廃嫡された長男はもちろん婿養子の話があるわけでもなく、要するに実家で飼い殺し状態にされたのである。
 十歳になる前から領地で隠棲し、後に家督を継いだ次男、すなわち弟の厄介になりながら息を潜めて暮らしていたのである。

 ところが先の震災で当主である弟が死亡した。そのような家であるから中々嫁が貰えず次男は晩婚だった。したがってその子はまだ二歳。とても家督を継ぐことは出来ない。そこで廃嫡された長子が家督を継ぎ現ラストーレル伯爵となったのであった。

 誰あろう、このラストーレル伯爵が一連の事件の黒幕なのであった。

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