聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第3章

第25話 決定

 ゴロッソの報告を受けたクレリオルは判断に悩んだ。
 提示されたあらゆる情報は黒幕がラストーレル伯爵であることを示唆している。ところが何も物的な証拠がない。
 それはそうであろう。
 黒幕とは陰で糸を引く人物。それが前面に出てくることはない。したがって直接手を下すなどありえないし、命令してやらせたとしてもそれを立証する術がない。

「ラストーレル伯爵が身元引受人の料理人が北宮厨房にいて、毒見役の領地はラストーレル伯爵家の隣。しかも薬をロッセルテの老婆から入手したという形跡もある。これだけ揃っていながら真犯人として糾弾することは叶うまい」

 クレリオルは頭を抱えた。

 料理人は平民であるから、極端な話、拷問に掛けて口を割らせるということも可能である。だが毒見役もラストーレル伯爵も貴族である。まさか貴族を拷問に掛けたりなどすれば、たちまち他の貴族達の反発を招くのは必定。どころか一気に内戦となりかねない。
 ラストーレル伯爵家の家人がロッセルテのオババの元で薬を購入したという証拠も実のところない。ただ使用人がオババの家から出るところを見掛けた商人がいるというだけである。それもラストーレル伯爵のための薬を購入しただけだと言われれば論破出来るだけの物証が何もないのであるから、これも決め手とは成り得ない

「結局は、限りなく黒に近い灰色である、としか言えんな」

 クレリオルの言葉にゴロッソも落胆の表情を隠せない。

「追い詰めたと思いましたが……」

「いや、お前が気に病むことはない。短時日でよくぞここまで調べ上げてくれたと感心しているほどだ。礼を言うぞ」

 クレリオルがゴロッソを労う。

―― どうするか……。

 今のところのこの情報をゴロッソは自分にしか報告してきていない。ということは他の重臣達は何も知らないということである。少なくとも捜査に当っている衛士隊も、いまだこの情報を掴んではいないだろう。だがいずれは同じ結論に辿り着くことは疑いない。イステラの衛士隊はお飾りではない。実働部隊であり、その能力は高く評価されているのである。

 この事件の決着をどう始末するか。
 幾つかの方法が考えられた。
 まず第一には、宰相や内務卿、法務卿、衛士総長の連名でラストーレル伯爵を王都に召喚し、公式の場で尋問するというもの。要するに公開裁判ということである。
 だがこれは物証がないために成功しないだろう。まして料理人や商人の証言といった、平民の言葉などでは貴族を追い詰めることは不可能である。

「貴族たる私の言葉と、そこな下賤の者の言葉と、どちらを信用されるのだ?」

 そう開き直られればおしまいである。

 確かに身元を引き受けた相手が犯罪を起こしたり加担した場合、身元引受人にも累が及ぶことになっている。
 そうして拷問による自白は確かに法定で有効とされているが、殊、それが貴族に関する、すなわち糾弾することとなるとあまり重要視されなくなる。これまた身分制度の故である。
 結局、拷問された者だけが馬鹿を見た、ということで落ち着いてしまうのである。

 それに公開裁判となれば罪状は王妃・王女の暗殺を謀った不敬罪での訴追である。当然本人だけでなく一族郎党、親族に姻族といった縁戚関係にある者からその領民に至るまで全てが処断されることになる。その数はざっと数えても数万に昇るであろう。それはレイナートが嫌う「連座制」の故である。
 これに対しては現在イステラの国法は改正作業が行われていない。したがって旧来の法を適用することになるので避けがたいことなのである。
 ようやく復興してきた今のイステラで、貴族家を幾つも潰し、領民の多くを奴隷とするとどうなるか。自分達も処断され家は取り潰されるだろう。となるとイステラの貴族家が、下手をすれば、三分の一はなくなるという事態になりかねない。
 いくらレイナートが優秀でも、人がいなければ国家の経営など覚束ないのは当然である。

「公の場で追い詰めることは出来んな」

 クレリオルが呟く。

 衛士隊の捜査によってラストーレル伯爵に辿り着いたならば、所定の手続きに従って公開裁判に持ち込まれるのは火を見るよりも明らかであった。
 だがこれは絶対に避けるべきだとクレリオルは考えた。であるならば新たに別の手段を考える必要がある。

「お命じ下されば我らがこの手で始末しますが……」

 ゴロッソが言う。

 要するに元暗部を使って暗殺せよ。というのである。
 これであれば、当主を殺害されても急死の届けを出して実子、養子の誰かに家督を継がせれば家の存続は可能であるし、親類縁者にも累は及ばず、本人の罪は本人だけが背負う、というレイナートの基本的な考え方にも合致する。だが、レイナートは暗殺という手段も好まない。どころかこれを固く戒めている。
「人は常に公明正大であるべきだ。影に隠れ、人の目を誤魔化して何事かをなすなど言語道断だ」と言うのである。
 それからするとこれも取り得る手とは成り得ない。
 しかも、もし万が一 ― 絶対に有り得ないと思っているが ― ラストーレル伯爵が真犯人でなかったとしたら? 冤罪で殺害することになる。したがって、どういう形であれラストーレル伯爵を尋問し、罪を認めさせてからでなければ処断出来ない。

「となると、私がラストーレル伯爵の屋敷に乗り込み、尋問を行った上で手を下すしかあるまいな」

 クレリオルはそう言った。

「何もクレリオル様が直接手を下されなくとも!」

「いや。仮にも相手は貴族。官吏風情では手に負えん。それに内務卿であれ法務卿であれ、大臣が出張ってとなるとどうしても公式記録に残さざるをえんし、不敬罪を適用しなかったということが後々厄介な問題となろう。
 だが私の場合、リンデンマルス公爵家の家臣という立場でも動ける。というよりも私を王室参謀長、王国情報室長と認識していない貴族の方が多いであろうから、公式記録には残さずに済む」

 王室参謀長は国王の私的な相談役の色彩が強く、また新設の王国情報室など実態どころか存在ですら知る者はほとんどいない。御前会議には出席するが、そこでの決定に自分の意見は参考意見として取り上げられるだけであって、正式な法令の発布は国王の名か、関係大臣の名で行われるのみである。要するにクレリオルも影に隠れた存在、と言えなくもないのである。

「やはり、この手しかあるまいな」

 クレリオルは意を決したようにそう言ったのであった。


 とは言うものの、もちろん宰相始め諸大臣らに何ら相談なく独断で実行する訳にはいかぬ。
 公式記録には残したくないが、さりとて誰にも何も伝えないのでは混乱を招くのは当然だろう。
 そこでクレリオルは夜遅くなってから、急遽重臣達を非常召集して自分の決意を語った。

「なんですと、自ら屋敷に出向き、罪状を認めさせた上で処断するですと!」

「そんな無茶な!」

 クレリオルの話を聞いた宰相以下、内務卿、法務卿、衛士総長は挙って猛反対した。

「陛下のご不在中に法を逸脱し過ぎる!」

「そうだ!」

 それは百も承知のクレリオル、慌てず騒がず説得を続けた。

「確かに皆様の仰せの通り、このようなやり方は本来あってはならぬことです。ですが今ここで不敬罪と騒ぎ立てても、いいように躱され証拠不十分で無罪放免ということにはなりますまいか。そうであればこのような手段も止むを得ないかと。
 それとも皆様方は彼の人物に公開法廷の場で罪状を認めさせることがお出来になりますか?」

「それは……」

 誰もが口籠る。
 貴族に罪を認めさせるには誰をも納得させ得る証拠を突き付けるしかない。そうしないで済むのは犯罪の現場を取り押さえた時のみである。
 確かに元暗部の調べ上げた結果で情況証拠は揃った。それは誰もが納得出来るものである。だが今回の事件、物証が何もない。

 給仕されたスープは毒見役が再度毒味をした結果、毒の混入を認めた。だが毒見役は自分の毒味は完璧で、最初の毒味の時には毒は絶対に入っていなかったと主張したのである。
 となると料理を運んだ女官か侍女が混ぜたということになる。だが彼女らには一再動機がない。ましてネイリもノニエもレイナートに忠誠を誓っているしエレノアに対してもそうである。
 こうなると水掛け論になって、結局、平民であるネイリが犯人扱いされて処刑されることになってしまうだろう。
 ところでネイリの身元引受人はリンデンマルス公爵家当主のレイナートである。ということは連座制でレイナートも処罰を受けることになるが、まさかそれはありえない。
 また別に穿った見方をする者が出てきて、国王が自分の不在中に使用人を使い妻である王妃に毒を盛らせた、などという風評が立ったら今度はレイナートが非難の対象になる。
 だがレイナートとエレノアの熱愛ぶりは周知の如くで、そのようなことは可能性としてもありえないと誰からも思われている。それこそ家中のみならず大臣らもそれを実際に己の目で見て実感しているのだ。となるとリンデンマルス公爵家から誰かを身代わりとして差し出さなければならないという事態にもなりかねない。
 クレリオルにしてみればそれこそ言語道断。レイナートの不在中にそのような真似を許すことなど死んでも出来ぬことである。


 ラストーレル伯爵が真犯人であるというのは間違いない。だが証拠はない。だから本人の自白が必要なのである。
 本人に罪を認めさせた上で、その場で罪を償わせる。それが最善最良の策だとクレリオルは確信していた。

「また公開法廷の場で裁くとなれば、今度はイステラの社会に与える影響が大き過ぎるとは思いませんか?」

「それは確かにそうだが……」

 宰相らはまだ納得しきれていなかった。

「これしか国に混乱をもたらさずに決着を得る方法はありません。そう確信しております」

 クレリオルはそこで一旦言葉を切り、改めて力強く言った。

「これは既に我が意の中で決したことです。これで決着をつけます」

 クレリオルは頑としてそう言い切り、結局は諸大臣らを納得させたのである。

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