聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第3章

第26話 ラストーレル伯爵

 イステラの王都はその広大な国土のかなり北西寄りに存在する。そうしてその南部地域には比較的面積の小さな領地を有する貴族が多い。だが面積が小さいからといって一概に家格が低いとはいえず、五大公家や有力貴族などもそこには存在する。
 その王都から南に一刻ほど馬を走らせたところにラストーレル伯爵の所領がある。

 ある夜、すなわちエレノアがリンデンマルス公爵家の王都屋敷フォスタニア館へ移って二日目に、ラストーレル伯爵の居城を訪ねる者があった。

「こんな夜更けに一体誰だというのだ?」

 ラストーレル伯爵は不快感も顕に家臣に聞いた。

「リンデンマルス公爵家家臣、クレリオル・ラステリア侯爵と名乗っております」

 家臣は事務的に答えた。
 ラストーレル伯爵は一度廃嫡され、三年前、中年と呼べる歳になってから、前当主である弟の死によって当主の座に座った。それまでは鬱屈とした日々を送り、気鬱の病を患い、相当気難しい人物であった。したがって家臣らは己達の君主をとにかく刺激しないように細心の注意を払っていた。

「リンデンマルス公爵家の家臣?」

 ラストーレル伯爵は呟くように言った。よもや計画が露見したか?
 だが毒を入れるように指示した料理人は自分への忠誠に篤い上、たっぷりと報酬も与えてある。どれほど厳しい取り調べを受けても口を割るとは思えなかった。よしんば口を割ったとしても所詮は「平民の戯言」で押し切る自信もあった。
 他方の毒見役は自分の親友とも呼べる人物。こちらも己の罪状を白状する恐れなどないはずである。

「お会いになられますか?」

 家臣が淡々と聞いてきた。

「一人か?」

「いえ、若い騎士を一人連れております」

 ラストーレル伯爵は理解に苦しんだ。もし自分を糾弾に来たのなら反撃を警戒して多勢を伴うはずである。騎士一人連れて来て何をしようと言うのか。
 それにリンデンマルス公爵家のクレリオル・ラステリア侯爵といえば、名門エテンセル公爵家家に血の連なる者とはいえ所詮は庶子。如何程のものがあろうか。
 ラストーレル伯爵は血統や家柄、出自に重きをおく、貴族至上主義者であった。

「よし会ってやる。通せ」

 ラストーレル伯爵は尊大に言い放った。
 寝台から降り夜着の上にガウンを引っ掛けただけという、初対面の人間に会うには随分と礼を失した格好で客間へと向かうラストーレル伯爵。杖を突き、長さが違う左右の脚で廊下を歩いている。

―― バレたのか否か……?

 傲慢に振る舞いながらも一抹の不安を感じざるを得ない。

 ラストーレル伯爵が客間へ姿を現すと、若い男が二人立っていた。クレリオルと騎士に扮したゴロッソである。


 結局重臣らを無理やり納得させたクレリオルは単身ラストーレル伯爵家へ乗り込むつもりであった。だがゴロッソが異を唱えた。

「まさか貴族の方がお一人で他家を訪れるなど、ご身分に触りましょう」

「だが、結局は死にに行くのだ。わざわざ巻き添えを食う必要はあるまい?」

「かまいませぬ。どうせ一度は死んだ身。何の障りがありましょうや」

「そうか、そういえばお前もそうだったな」

 多くを語らずとも互いに何を言っているかわかる二人である。
 レリエル訪問後アガスタからくらむステンへ向かう途中でレイナートは谷底に転落し、しばしの間行方不明であった。その時のことである。

「ならば共に参るとするか」

「お供いたします」

 王宮北宮での王妃と王女の暗殺未遂事件。これだけで自分は死罪になってもおかしくはない。ましてラストーレル伯爵家へ乗り込んだ上で当主を暗殺しようというのである。いくらレイナートが連座制を快く思っていないとは言っても、正当な裁判を踏まぬ以上、レイナートの逆鱗に触れるのは目に見えている。


 開口一番、ラストーレル伯爵が言った。

「こんな夜更けに訪ねてくるとは、主も主だが家臣も家臣だ。所詮、下賤な血を持つ者は礼儀を知らぬ」

 だが言っている本人自身、夜着の上にガウンだけという、客と対面するに相応しいとはとても言えない格好である。どちらが礼儀を知らぬのだ、と言いたくなるくらいである。
 だが、覚悟を据えて乗り込んできた二人であるから、滅多なことでは動じなかった。

「これはいきなりご挨拶ですな。我らとて何も好き好んでこのような時刻に参った訳ではありません。ただ、火急速やかに……」

「一体どんな火急速やかな要件だ!」

 ラストーレル伯爵はいきなり喧嘩腰である。さすがにクレリオルもいささか呆れてきた。

「まあ、落ち着いて話そうではありませんか。夜はまだ長いのですから……」

 だがこの言葉はラストーレル伯爵の神経を逆撫でした。

「貴様、言うに事欠いて!」


 ラストーレル伯爵は、落馬による骨折が原因で廃嫡されたという苦い経験を持つ。「たったあれしきのことで」そう思うと、子供ながらに夜も眠れず、悶々として朝を迎えたものである。世を呪い、我が身を嘆きつつ、城の片隅で生きてきたのである。
 それが理由なのだろう、正当性ということに異様にこだわるようになった。それ故レイナートがリンデンマルス公爵家を継いだと、家督を継いだばかりの弟から聞いた時は激昂した。

「あ奴は薄汚い庶子ではないか! 何故私を推挙せなんだ!」

「しかし兄上、あの家は莫大な借金を抱え、潰れる寸前。余計な苦労を背負うだけです」

 弟は穏やかな口調でそう言ったのだった。
 あの場では、あまりに鮮やかにレイナートがリンデンマルス公爵家を継ぐように話が進んだ。これは絶対に裏がある、そう睨んだのである。何も勘のいい男はシュピトゥルス男爵ばかりではなかったということである。
 第一、兄は不具者。それ故家督を継げなかったのである。そういう者が名乗りを上げたところで叶うはずがないのは一目瞭然だった。

 だがこの時よりラストーレル伯爵がレイナートを悪しく思うようになったことに間違いはない。したがってアレモネル商会事件の時には「それ見たことか。庶子の分際で貴族になどなるからだ」と鼻で笑ったという。
 だがその事件もレイナートには何の咎めもなく、どころか「古イシュテリアの聖剣を持つ者」と広く認知されるに至った。ここでラストーレル伯爵 ― 当時はもちろん伯爵ではなく部屋住みだったが ― 必ずやレイナートに一泡吹かせてやろうと考え始めていたのである。

 とはいえ、部屋住みの身に何が出来る? 片や古イシュテリアにまで連なる名門大貴族家当主である。のこのこと会いに行っても相手にされないであろう。
 実際にはレイナートは相手が誰であろうと、自分を訪ねてきた者をぞんざいに扱うことはない。ないが、多忙故にはたして会う時間が取れたかどうかは疑問である。
 いずれにせよ、ラストーレル伯爵は一方的にレイナートを憎み、呪って生きてきたのであった。

 もし、たとえばラストーレル伯爵が好色で嗜虐趣味の持ち主なら、下女や侍女などを性奴隷にして苛み、憂さを晴らすようなことがあったかもしれない。だがラストーレル伯爵は身分や血統の正当性にこだわる人物だったが故に、「薄汚い平民の女など相手に出来るか!」と近づけようとさえしなかったのである。
 だからもしコスタンティアやクローデラと知り合う機会を得ていたならどうなっていたであろうか? おそらくは山のような恋文を相手の迷惑などお構いなく送り付けたかもしれない。

 であるから、レイナートの即位は決して許せるものではなかった。

―― 薄汚い庶子の分際で許せん! 何が紙幣だ! 何が国債だ!

 ラストーレル伯爵はレイナートを何としても退位させたかった。

 そこで一計を案じた。
 幸いレッセニアという妹が長く王宮で女官として仕えている。先祖が降格処分を受け伯爵となったいうことが今でも枷になって縁談に恵まれず、ずっと王宮勤めをしているのであった。この年の離れた妹に働いてもらおうと考えたのである。

「しかし、兄上、クローデラ様を陛下に、というのは人の道に外れることではありませんか」

「何を言う。我らがイステラは、古イシュテリアの正当後継国家。その王家は古イシュテリア大王家の末裔。
 それが薄汚い平民の血の混ざった者が王になり、外国の平民を后にするなど断じて許されることではない。五大公家たらずともフラコシアス公爵家の姫であれば王妃に相応しくないということはない」

「ですが兄上、今さら……」

「いや、まだどうにかなる。誤りは正されるべきなのだ」

「しかし……」

 気の進まぬ、というよりも不義をさせようという兄の考えには賛成しかねるレッセニアであった。

 だが兄であるラストーレル伯爵は根気よく説いた。
 外国人の王妃はイステラには相応しくない。必要ない。一度レイナートとクローデラが関係さえ持ってしまいさえすれば、必ずやクローデラを王妃にという声が貴族の中にも巻き起こるはず。そうなれば国王としても無視することは出来ず、エレノアと離縁せざるを得なくなる、というのである。
 そんなにうまくいくものか、とレッセニアは半信半疑であった。だが、そこはやはりイステラ人、レリエル人のエレノアよりも生粋のイステラ貴族の娘クローデラの方が王妃に相応しいと考えるのは自然なことであった。


 元々イステラ人はその伝承、すなわち古イシュテリアの正当後継国家であり末裔という考えから、多分に選民思想的なものが人々の根底にあった。
 であるから他国の者を一段低く見るというところがある。ただ大河レギーネ川によって他国とは遮られているので、いわゆる外国からの難民とか浮浪民とかが流入することがなかった。したがって人々の普段の生活の中では差別意識というものは身分間でしか存在しなかった。
 ところが先の武術大会やリンデンマルス公爵家のリューメール難民受け入れ以降、外国人、特に南部人がイステラ国内に住むようになったし、五カ国連合の成立から交易目的の商人も随分と遠方からやってくるようになった。これによっていわゆる人種差別的なものが意識の中に芽生え始めたのである。

 もっともリンデンマルス公爵家領内の場合、リューメール難民に対しては同情という名で見下すということが多分にあったから、いわゆる差別問題には発展はしなかったということもある。だがエレノアやヴェーアは父王アレンデルから爵位を賜ったということもあって、羨望と反感の眼差しで密かに見られていたのである。
 であるから、かつてレイナートはエレノアとの結婚に慎重になっていた。庶子とはいえイステラ王家の血を引き、大貴族リンデンマルス公爵家当主である自分の妻にエレノアをというのは反対が強かろうと思ったのである。自分一人で何物にも関わりを待たずに生きているのではない以上、不必要な周囲との軋轢は避けるべきだと考えたからであった。
 だから即位の条件に「エレノアを我が妻と認めよ」と持ち出したのである。そうして震災直後の混乱、アレンデルの死、アレグザンドの不予があったればこそ、それが認められたのであった。
 そうしてその時は誰もがそれを認めざるをえないと考えていた。だが国が落ち着いてきてから貴族達の一部は納得しかね始めたのである。

 もちろんラストーレル伯爵もその一人なのであった。

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