聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第3章

第27話 対決

 忌々しげな顔を隠そうともせずラストーレル伯爵は客間の長椅子に腰掛けた。クレリオルにもゴロッソにも席を勧めない。自分だけが座ったのである。

―― 平民が貴族の前で椅子に座るなどありえん! どうしても座りたくば床に膝を付け!

 ラストーレル伯爵の言い分はそういうことである。

 クレリオルとすれば別段、椅子に座りたいとか茶菓を勧めて欲しいとかという訳ではない。どころか剣を抜き打ちざまに振るうなら立っている方がよほどいい。
 だが一応、相手が何か言うのを待っていたが、相手が黙って座ったので口を開いた。

「さて、今日お訪ねした理由ですが、先日王宮北宮にて不祥事がありまして、その真犯人を探しております」

「それが儂と何の関係がある?」

 内心どきりとしたラストーレル伯爵である。

 ラストーレル伯爵はエレノアやアニスの毒殺を自家から料理人となった者に命じた。ところが国からはまだ王妃の死も、王女の死も公式発表がない。ということは企ては失敗した可能性が否めない。または成功したものの、国がそれを隠しているという可能性も否定出来ない。
 そうしてクレリオルが直接訪ねてきたことで、自分が陰で糸を引いていることが露見したのか、という不安もムクムクと頭をもたげてきた。となると、いずれにせよここで言質を取られのはまずいと強く思った。

「それが大ありでして、下手人はご当家出身の者、協力者はご貴殿の親友とも目される人物……」

「それだけのことでこの儂を疑うか!? 無礼にもほどがあろう!」

「まあ、そうでしょうな。
 ところで随分とお怒りのようですが、その『不祥事』の内容は気にならないのですか? それとも内容をご存知だから、そのようにお怒りになっておられるのですか?」

「貴様!」

「まあ、夜も更けてきたこと故、勿体つけるのはやめましょう。
 過日、王宮北宮にて王妃陛下と王女殿下を毒殺せんとする企みが発覚しました。しかし王妃陛下も王女殿下も事なきを得ました」

 それを聞いて、内心落胆したラストーレル伯爵である。

「そうして毒を盛った下手人は当家より料理人となった者。そうしてそれを助けたのが、急遽毒見役に抜擢された、ご当家の隣に領地を構えるシャスマン名誉侯爵家のご次男。そうして……」

 クレリオルは一旦言葉を切り、そうして徐ろに口を開いた。

「この事件を影で仕組んだのがラストーレル伯爵、貴方だ」

 クレリオルはラストーレル伯爵の顔をしっかりと見据えてそう言った。

「ふざけるな!」

 ラストーレル伯爵がクレリオルを怒鳴りつけた。

「どこに証拠がある!?」

「ありませんね」

 クレリオルはあっさりそう言った。

「物的証拠は何もありません」

「貴様、よくも抜け抜けと! 憶測だけで儂を真犯人だと決めつけるか!?」

「憶測ではありません。情況証拠からですね」

「同じことだ! 無礼千万にも程がある」

 ラストーレル伯爵はぎりぎりと歯を噛みしめてクレリオルを睨みつける。

「まあ、そう思われても仕方ありませんな。ただ、その料理人は押さえておりますから、拷問にかけて自白させることも出来ますが……」

「そんな吹けば飛ぶような平民の虚言を信用するか!」

 クレリオルの言葉に焦ったラストーレル伯爵は舌鋒鋭く訴えた。だがクレリオルは淡々と応対していた。

「信用するもしないも、それしかありえない。他の者では不可能なのです」

「戯言をほざくな!」

「戯言ではありません」

 どちらもまったく譲らなかった。だがクリリオルの方に分があった。

「王宮内部では、それが北宮であれ正殿であれ、料理人だけでも、毒見役だけでも、または給仕の者だけでも料理に毒を入れての毒殺は不可能なのです。ただ料理人と毒見役が結託した時だけそれが可能となる。そうして今回その二人共がご当家とは関係が深い。
 これを単なる偶然で済ませる愚か者などこの世に存在しないでしょう」

「貴様、言うに事欠いて!」

 知らぬ存ぜぬで突っぱねるラストーレル伯爵だが、追い詰められているという気もしていた。それ故、余計にここで引くことは出来ぬ。

「だが残念ながら物証がない。したがって貴方を不敬罪で裁くことは出来ない。精々、監督不行届で貴方を爵位降格の上、領地の一部を没収するのが落ちですね」

「ふざけるな! 何が爵位降格だ! 領地の没収だ!」

 クレリオルのその言葉を聞いた時、ラストーレル伯爵は己を見失ったと言える。


 そもそもイステラの刑罰法はかなり細部に渡って犯した罪とその刑罰を規定している。とは言え、ありとあらゆる状況を想定して細く定められている訳でもない。というよりもそれは不可能である。
 まず第一に犯罪を犯した者、それが貴族か平民か、はたまた奴隷か、それによって状況はまったく異なる。そうして平民や奴隷の場合、それが直轄地に籍を置く者かそれとも貴族領の者なのか。さらに犯罪を犯した場所はどこか。これらが絡み合うと、あっという間に問題は複雑化する。しかも貴族領は基本的には治外法権。そこで起きた犯罪まで国が関与することは憚られた。かてて加えて連座制という、連帯責任を負わせる制度まである。その全ての状況を想定し成文化するなど、どう考えても出来ることではない。
 したがって刑罰法は、よく言えば柔軟性に富み、悪く言えば大筋は定められているものの、その運用はその時次第でいくらでも重くも軽くもなるというものであった。
 そうして法の立案と運用は法務省が担っている。それは言い換えれば、立法府と裁判所を兼任しているのである。したがって法務省の大臣は絶大な権力を有している、と言うことが出来るのである。
 その一方で王という存在がいる以上、その意向も決して無視できない。したがって起きた事件、犯罪が瑣末なものであればまだいい ―― この言い方自体が正しくはないが ―― が、より重大事件、そうして容疑者が高位の身分になればなるほど、法の運用、すなわち刑罰の適用が、王や大臣のさじ加減によって変わるということが実際にあったのである。
 とは言っても、起きた犯罪に対し軽すぎる刑罰も重すぎるそれも他を納得させ得ない。したがって過去の実績、判例から量刑を決定するということになるのが従来のイステラでのやり方であった。


 そこで今回の場合、事件は王妃と王女の暗殺未遂である。これは未遂であっても不敬罪がその実行犯やそれを教唆した者に適用されることとなっている。
 そうして不敬罪に対する刑罰は、一言で言えば、一族郎党皆殺しである。本人のみならず、その家族、親族、血族に姻族までもが巻き込まれるのである。
 したがって一人が不敬罪を犯すと、あっという間に数十人どころか、普通に三桁に昇る人間が死罪になるのである。そういう意味では凄まじい刑罰だと言えるだろう。

 さらに平民が罪を犯した場合、その身元を引き受ける者、すなわち管理・監督する貴族であっても同罪となるのが本来の連座制の特徴である。
 ところが、平民が罪を犯してもその身元を引き受ける領主が全く関与していない場合、往々にして貴族に対する処分は甘いもの、すなわち手ぬるいものになるのはこの当時の社会の常識であった。
 一平民が全くの己の事由から王族に不敬を働いたとする。その場合、その咎をその領主とその親族全てにまで等しく負わせるのは行き過ぎであろうということである。とは言うものの他への示しもあるから全くの無罪とも出来ない。そこで国へ何がしかの賠償金や領地経営に差し支えない程度の強制労働などの課刑が行われるのが普通である。
 その課刑の最も重いのが領地の没収や爵位の降格である。すなわちそれは、死罪の一歩手前と言い換えることが出来るのであり、限りなく黒に近いが決め手がないので死罪としない、と言っているのと同義である。

 したがってラストーレル伯爵がクレリオルの言葉にいきりたったのは、そういう理由からであった。

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