聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第4章

第3話 会見

 ディステニアの王城へと入ったレイナートは直ちに謁見の間へ通された。

「グリュタス公爵レイナート殿下!」

 入り口で声高に名を呼ばれる。

 レイナートはゆっくりとした足取りで謁見の間を玉座に向かって進む。
 本来であれば腰を落として進み、途中、一旦立ち止まり跪いて頭を垂れるという所作を入れなければならない。そこで謁見の間の主人 ― 大抵の場合は国王である ― の側近が「近くへ」と声を掛ける。それに従い再び前へ進み跪くということをする。それを何度も繰り返して目的の貴人の前へ出るというのが大陸諸国で共通する儀礼である。

 ところがレイナートは途中で止まることもしなければ、跪きもしない。スタスタというほどではないが少なくとも貴人の前でしていい所作ではない。

「無礼者!!」

 居並ぶディステニアの貴族達が、まさにそう声を掛けようというところでレイナートが立ち止まり口を開いた。よく通るレイナートの声が謁見の間に響く。

「余、イステラ国王レイナートは……」

 その名乗りに、喪服を纏い玉座にあったコスタンティアはハッとした。そうしてレイナートの腰の物に眼を向ける。
 白塗りの鞘に金の装飾。それはかつてイステラの王宮で先代アレンデル王の腰に提げられていたものと同じ。まさしくイステラ王の証たる金の剣である。
 コスタンティアは内心焦る気持ちがあるものの表面上は慌てず騒がず優雅に立ち上がり、そうして隣に腰掛けている我が子、やはり喪服のレダニアルスを促した。

「さあ王子殿、お立ちなされませ」

 母親に言われた王子は不思議そうな顔をしながらも立ち上がった。そうしてコスタンティアはレダニアルスとともに玉座のある壇上から床へと降りたった。

 コスタンティア母子が立ち止まると、レイナートが再び声を発した。

「余、イステラの王たる金の剣を持つ者レイナートは、先ごろ身罷られたスピルレアモス殿に謹んで哀悼の意を表すると共に、王妃陛下、王子殿下と全ディステニア臣民に対し、全イステラを代表して心よりお悔やみ申し上げる」

 レイナートはようやくそこで軽く頭を下げた。コスタンティアも喪服のスカートの中ほどをつまんで腰をかがめる。
 レダニアルスはその母を見てしばしポカンとしていたが、コスタンティアにやはり促され頭を下げた。どうやら今まで頭を下げられることしかなかったから、自分が誰かに頭を下げるということが不思議なのだろう。

 色めき立ち憤怒の形相とも呼べる顔つきだったディステニアの貴族達は、これを見て歯噛みしつつも一斉に頭を下げた。
 王妃と王子が頭を下げているからということもあるが、レイナートがイステラ国王を名乗った以上それに対して礼を尽くさねばならぬ。もっとも一貴族の分際で一国の王に喧嘩を売るつもりならその限りではないが。
 いずれにせよ、明らかに謁見の間は、己は歓迎されていないという雰囲気に包まれていた。

「レイナート陛下、遠路はるばるわが夫のために痛み入ります」

 コスタンティアが礼を返す。だが発せられた言葉はそれだけでコスタンティアは頭を上げた。そこで王子が口を開く。

「イステラの使者、父上への弔問、大儀である」

 精一杯背伸びした感のあるレダニアルスの言葉に、微笑ましいものを感じたレイナートの頬が微かに緩む。だが一方のコスタンティアの顔は蒼白となった。
 そうしてディステニア貴族達の顔に笑みが浮かびかけたところでレイナートの顔が引き締まった。

「殿下、確かに余はイステラから参ったが、あいにく使者ではない。そこを取り違えると(いくさ)になる。気をつけられよ」

 怒っているというよりも教え諭すような言い方である。

「申し訳ございませぬ」

 我が子の無知ゆえの愚かな振る舞いにコスタンティアが深々と頭を下げた。
 弔問に訪れた他国の王を単なる使者と間違えるなど言語道断。レイナートの言う通りそれが理由で戦端が開かれても不思議ではない。
 そうしてディステニア貴族の表情はさらに険しい、悔しげなものへと変化していた。


 どうもディステニア貴族の中には相変わらずレイナートを軽んじる気風が残っているようだった。
 確かにグリュタス公爵はディステニアでも名門、有数の公爵家だが所詮は貴族である。だがレイナートはイステラ王とし乗り込んできた。まずそこで出鼻をくじかれた形である。
 それでレダニアルスの言葉に便乗して溜飲を下げようと思ったのだがそれも咎められてしまった。全員が苦虫を噛み潰したような表情でレイナート睨んでいる。

 それを意に介さずレイナートが言う。

「いえ、年端もいかぬ子供のこと。こちらも少し大人気なかった……」

 だが腹の中では馬鹿馬鹿しいと思うことしきりだった。


 レイナートの出立に際し、宰相フラコシアス公爵始め重臣達はひたすらレイナートに懇願した。

「陛下、何卒ディステニアに不必要な譲歩や、ましてへりくだることなどなきよう……」

「譲歩やへりくだる? 何のことだ? 少しは私を信用してほしいのだがな」

「信用はしておりますが……」

 レイナートは基本、心根の優しい青年である。同時にどうも弱者に対し同情的である。しかもそれが時に行き過ぎに見えてならない。
 それ故重臣らは言うのである。
 イステラのために尊大に振る舞え、と。
 決して安易に頭を下げてくれるな、と。
 だから如何にも「王らしく」見えるように振る舞ったのであるが、本心からすればうんざりするようなことだった。

 レイナートにすれば相手が老若男女、それこそ身分に関わらず自分の方から頭を下げるべき時には下げるべきだと考えるし、共に手を携えるべきと考える。
 それを特別おかしいことだとは考えない。どころか身分制度の方が余程間違っているとしか思えない。身分の違い、それを決定するのは何か? 何の故を以って上下の差を決めるのか? 血筋? 家柄? 笑止ではないか? そう思うのである。

 だがレイナートは自分の意見が少数派であることもわかっている。だから文字通り腹蔵なく言い合える間柄でなければ自分の意見を開陳することはない。
 スピルレアモスとはそこまでには至らなかった。その時間が足りなかった。もしもスピルレアモスが存命であったらあるいはそうなっていたかもしれない。
 リューメールのイーデルシアは一時期レイナートのリンデンマルス公爵家へ身を寄せていたから、言葉ではともかく、肌でそれを感じているというところはあっただろう。

 そうしてレイナートは自分がそうしたいからと、己の考えを押し通すことで不利益を被る者がいるのであれば、それは避けるべきだとも考える。それを無視して行えば独裁者であり己の望む姿ではない。だから家臣らの意見を取り入れ、そのような態度でこの場に臨んでいるのである。

 そうして改めて謁見の間を見回してみると、宰相のグラマンシャル侯爵や摂政首席補佐官のガンドゥリウスなど旧知の貴族を除けば、自分に対する表情は決して柔らかいものではない。どころかまるで憎い敵でも見るかのようである。

―― 相変わらず歓迎はされないか……。

 両国の長い歴史を考えればそれはそれで仕方ないとも思うが、そうなると今後の己の行動をどうするかが難しい。

―― 私を王位にという話はどこまでのことなのだろうか?

 少なくともこの謁見の間の様子からすると、それはそもそもないのではないかとすら思えるほどである。だが逆にその話が進んでいるから貴族達の反感を買っているのか。今のところどうにも判断がつかないでいた。

―― まあ、ないならないで好都合。さっさと帰国して、イステラの王位を返上する算段をするまでのこと。

 ある意味開き直っているレイナートであるから、謁見の間での己に対する冷たい視線も少しも気にはならなかったのである。


 その後、謁見はすぐに終了し舞台はレイナートをもてなす饗応の間へと移った。
 客を迎える瀟洒な作りの部屋にはコスタンティア、グラマンシャル侯爵、ガンドゥリウス他、重臣と思しき貴族が数名、こちら側からはギャヌース、アロン、エネシエル、ナーキアスが同席している。王子レダニアルスはまた年若いということで出席そのものが許されなかった。

 集まりは一応茶会の体裁をとってはいるがとてもそのような和やかな雰囲気ではない。どころか重苦しい空気に包まれ、談論風発といった様相は微塵もない。誰もが押し黙りただ睨み合っている、と言っても過言ではなかった。

 コスタンティアはその美しい顔をしかめ、やるせない気持ちを我知らず表していた。

―― どうにかして話を上手くまとめ上げなければならないのだけれど……。

 レイナート本人がわざわざディステニアくんだりまで足を運んでくれたのである。この絶好の機会を決して無駄にしてはならない。心からそう思うコスタンティアである。


 だがその場の雰囲気は、謁見の間での会見に引き続き、とてもそれを許すような状況ではなかったのである。

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