聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第4章

第4話 交錯

 コスタンティアはレイナートの父・先代イステラ王アレンデルの養女、すなわちイステラの王女としてディステニア王スピルレアモスに輿入れした。
 レイナートの伯父に当たり、後に「賢王」と称されたアレンデルの兄ガラヴァリは、自らの妹メリネスをアレルトメイアに輿入れさせて両国の関係改善に多大な効果をもたらした。アレンデルはこれに倣ったのであり、それは要するに、イステラのディステニアに対する政略の道具にされたということである。


 この当時、王女を他国に嫁がせるというのはその国に人質を差し出すのと同義とされていた。それでもあえてガラヴァリが妹をアレルトメイアに嫁がせたのは「イステラが人質を差し出した」と、アレルトメイアに優越感を与えることで逆に優位に物事を進めるためとその後宮を支配するためであり、人質を差し出して助力を請うことを目的とするという考えの故ではない。

 後宮とはその国の最高権力者、すなわち国王の私生活の場である。そこには基本的に王と元服前の王子を除いて、一切の男性は足を踏み入れることが許されない。
 したがって口うるさい重臣や、たとえ己に反感を抱く貴族がいたとしても、それらを排除出来、一切気に掛ける必要のないところ、すなわち王妃にとって夫である国王を己の意のままに操る事の出来る場所である。
 もちろん王が他に側室を持っていればそちらとの駆け引きにも勝たなければならない。正妻という立場は非常に強いものだが、もしも世継ぎを産めなければ途端に弱いものとなる。
 だが世継ぎとなる男子を産めばその地位は盤石、あとは夫の気持ちを他の女に向けさせないようにすれば良い。そうなればいくらでも掌の上で転がすことが出来る。己の意見を国政に反映させることも夢ではない。
 これこそがガラヴァリがメリネスに、アレンデルがコスタンティアに望んだ道具としての役目である。


 コスタンティアは誰もがイステラ一の美姫と褒めそやしたほどの美貌を誇る。だがそれに輪をかけて聡明なことでも有名であった。その彼女が何故政略の道具に甘んじたのか。いかに女性の地位が低く、特に貴族の女性であればなおのこと、己の望む人生を歩むことが許されないとはいえ、彼女ほど聡明な女性であればそれを逃れる術はあったのではないか? それとも他国とはいえ王妃という、女性の望みうる最高の地位に目がくらんだ故なのか?
 これは終生本人から語られることはなかったからその本当の理由は誰にもわからぬことであった。

 だが輿入れした当のコスタンティアにとって、イステラはやはり祖国に違いなかった。もちろん王妃となったからにはディステニアのために働く。それは本心である。だが同じようにイステラのためにも働く。この二つに軽重はない。
 したがってもしも再びこの両国が戦火を交えることとなったら、それは骨肉相食むが如き苦痛をコスタンティアに与えることは想像に難からない。

 だが今のコスタンティアにとってこの二つの祖国よりも重要な、最優先すべき事柄が存在する。それはスピルレアモスとの間に生まれた二人の子、長男レダニアルスと、長女マルシェリナのことである。
 特に長子であり王子であるレダニアルスはなんとしてもスピルレアモスの後を次いでディステニア王とさせねばならない。これはコスタンティアにとって絶対に成し遂げねばならない最優先事項である。
 したがって現在のコスタンティアにとって望むべき最上の策はレダニアルスを即位させ己が摂政としてこの国を牛耳ること、「牛耳る」という言葉が相応しく無いというのであれば、後見役としてレダニアルスを盛り立てていくということであった。
 しかしながらこの実現はかなり難しい、というよりも不可能に近いと彼女もわかっていた。それは己がイステラ出身であること、そうして女であることの故にであることは明白だった。


 あの大震災の後、重症を追ったスピルレアモスは自らは一線を退き、コスタンティアを摂政として国政に当たらせた。
 元々レダニアルスの元服前に自分に何かがあった時にはコスタンティアをその後に座らせようとしていたから、それはさしたる問題とは思っていなかった。どころか好都合とさえ考えているフシがあった。

 たとえ寝たきりではあってもスピルレモスの意識がはっきりとしていた頃は、コスタンティアを通して発せられるものであっても誰もがその意向に従った。だが月日が過ぎスピルレアモスの意識が朦朧とすることが増えてくると、途端に貴族達は面従腹背となったのである。
 宰相のグラマンシャル侯爵の微妙な態度もそこには影響した。

 スピルレアモスの守役だったグラマンシャル侯爵は、レイナートが答礼士として訪れた時に起きた政変で宰相に任命された。以来スピルレアモスの片腕として国政に当ってきた。他の有力貴族に比べるといささか小粒の感は否めないが、それでも己の職務を誠実に実行してきた人物である。
 コスタンティアの輿入れの際も目立った反対をすることはなく、状況をディステニアにとって優位にしようと努めたし、それは今日まで変わることなく続けられていた。

 だがコスタンティアによるスピルレアモスの干渉 ― とグラマンシャル侯爵には思えた ― が進むに連れて危険を感じ始めたのも事実である。

―― このままではイステラにいいように利用されてしまうのではないか?

 国王夫妻の夫婦仲は良好で、それは喜ばしいことである。
 だが幼い頃から見てきたスピルレアモスが結婚を期に、少しずつ変化していっていることにも気づいていた。

―― これは陛下のお考えとは違うな……。

 確かにそれは、直接的にも間接的にもディステニアに不利益となることはない。だが今までは存在しなかったイステラに対する便宜とか、協力というものが入ってきていたのである。もちろんスピルレアモス自身がイステラ寄り、というか親レイナートであるからそのようになることは不思議ではない。だがそこにイステラ人の妃ということが重なると、どうしてもイステラの作為というものを感じ取らずにはいられなかったのである。

 だがそもそも結婚とは相手と多かれ少なかれ影響を与え合うものである。であるから一概にコスタンティアを責めることは本来であればおかしい。事実コスタンティアはアレンデルの意を受けてイステラとディステニアの関係改善に陰ながら努めてきたが、それは決してイステラの有利ということだけに傾いていた訳ではない。
 だがやはりグラマンシャル侯爵も「貴族の男」だった。

 貴族は信義と名誉を重んじると言われる。だが実際には信義を通すことで己が不利になるとなれば二の足を踏む。名誉を重んじるといえば聞こえはいいが、要するに面子に拘っているだけ、ということも決して少なくない。
 そういう「男」が他国から嫁いできた「女」に素直に頭を下げるだろうか? その言うことを素直に聞くだろうか? 

 グラマンシャル侯爵は宰相という立場上、余程のことがない限り決してコスタンティアに対して異を唱えるようなことはしない。だが幼いレダニアルスを即位させ、コスタンティアがそのまま摂政に留まるということには反対だった。それでは国が立ちゆかなくなると言うのである。

 コスタンティアは外国人であるため国内に後ろ盾となる実家の貴族がない。それでは幼い国王を盛りたてるなど到底無理である。
 ではといって、いまだ六歳の少年に有力貴族の娘と婚約させるか?
 それでもしその貴族が国政にしゃしゃり出てきていいように振る舞ったら?
 グラマンシャル侯爵としても、出来るだけ早く次代の王を決定し即位してもらいたいと考えている。だがこれはと思える人物がいなかった。

 あの政変の際、スピルレアモスの弟エメルトリウスに加担した王族である公爵達は、そのほとんどが最終的に死を賜ったか国を捨てて出て行ってしまった。したがって王位継承権を持つ者が今のディステニアにはほとんどいないのである。
 もちろんかつての王族で、遡れば血統的にディステニア王家の血を引くという貴族がいない訳ではない。だがそれは逆に数が多すぎて王を選定する決定的な理由足り得ない。
 では人物で選ぶとして、誰が誰を選ぶのだ? あんな奴より自分の方が優っていると誰もが思っているのである。合議によって選ぼうとしても会議は踊るだけ。実りのある結果など望むべくもない。

―― このままではならん! しかし……。

 グラマンシャル侯爵は忸怩たる思いで日を過ごす。
 だがかつてスピルレアモスより示されたコスタンティアの即位は論外。摂政の座に留まらせるのも避けたい。というよりも異国の女であるコスタンティアを可能であれば政治の中枢から遠ざけたいのである。
 だが今それをすれば国が崩壊する。貴族達は最後の一線すなわち王族に弓を引くということは思い留まっている。だがコスタンティアが退けば直ぐにでも戦を始めてしまうかもしれない。最早国の命令を貴族達はほとんど聞かない状態である。このままでは如何とも為し難い。だがこれはという解決策が見つからない。八方塞がりの状況であった。


 イステラの驚異的な復興は国王レイナートの強力な指導力が原動力であったことは言うまでもない。レイナート自身は常に必ず合議を以って決定・執行という形をとって、その斬新な考えを実現に至らせている。
 だがこのディステニアでは、コスタンティアにも宰相グラマンシャル侯爵にも、他の貴族の誰にもそれが出来なかった。それがディステニアの復興の遅れにつながり、ひいてはいまだ次の国王が決定されていないという異常事態にもつながっているのであった。


 コスタンティアとしてはせっかくレイナートが訪れてきたこの機会に、何としても己の野望を実現させたいと考えていた。
 そうしてそれは、かつて夫であるスピルレアモスから示されたレイナートを頼るということ、すなわちレイナートをディステニア王として即位させるというものとは程遠いものだったのである。

 この、それぞれの思いが複雑に交錯する状況にあって、己が口火を切って取り返しの付かないことにはしたくないという考えから、この場は重苦しい沈黙に包まれていたのである。

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