聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第4章

第5話 不毛な時間

 コスタンティアにとって最良の策。それはレダニアルスを即位させ自分がその摂政に収まること。だがこれは実現の可能性が皆無に等しい。
 ならば次善の策として彼女が考えているのは、レダニアルスを即位させその後見人にレイナートを、というものである。

 レイナートもかつてのレイナートではない。イステラ有数とはいえ一貴族だった頃と違い今は国王である。一国の王が後見人となってくれればいくら幼い王であってもその地位は安泰だろう。これであればディステニア貴族達にこれ以上勝手な真似を許さずに済むだろう。
 しかもレイナート自身はイステラの国政を見なければならないからディステニアに留まり続けることは不可能であろう。であれば自分がその名代として後見役に付くことも不可能ではあるまい。それはつまり実質的な最高権力者として君臨することを視野に入れてのことである。


 そもそもディステニアの新王にレイナートを、というのは実はスピルレアモスの発案である。
 スピルレアモスはレイナートの人物を高く評価していた上に深い恩義も感じていた。さらに伝説の古イシュテリアの聖剣の持ち主でもある。こういう人物であれば、自分亡き後、必ずやディステニアを上手くまとめ上げてくれるに違いない。そう考えたのである。
 その時はスピルレアモスの考えを受け入れイステラに使者を送ったコスタンティアだったが、その後で疑心暗鬼に駆られた。

―― スピルレアモス陛下の仰る通り、レダニアルスの元服までレイナート殿に玉座を預かってもらうとしても、その後もしもレイナート殿がその座に居座ったら?

 スピルレアモスも、何もレイナートに全て明け渡すというつもりはなかった。ただ幼い息子が無事に元服を迎えるまで一時的に国政を見てもらいたい、というなんとも虫のいいことを考えていたのであった。  この時のスピルレアモスはやはり普通ではなくなっていた。
 途切れることのない激痛、己の意思に反して全く動かない身体。後継者は幼く周囲には頼るべき人物もいない。もしも己に万が一の時にはコスタンティアをその後釜にという、謀の準備が首尾よく整っていたらレイナートを頼ることはなかったかもしれない。
 だが運命はスピルレアモスには冷たかった。
 そこでスピルレアモスは藁をもすがる思いでレイナートを頼ることに決め、それをコスタンティアに半ば強要したのである。

―― レイナート殿なら絶対に大丈夫だ。その時になれば必ずレダニアルスに王位を返してくれるはずだ……。

 苦しみながらも国を、我が子の行く末を案じる夫の姿を見て、コスタンティアも一度はその案に同意したのだった。
 だが時の経つに連れ貴族らが自分をないがしろにする姿を見て、もしかしたらレイナートも、という思いに駆られてしまったのであった。

―― 本当に陛下の仰る通りだろうか? 確かにレイナート殿は信の置ける方だけれども……。

 最後の最後になってレイナートを信じきる自信を失ったコスタンティアである。そうして
 それ故レイナートに玉座を「一時預かってもらう」というこの考えを既にレイナートい伝えてあることを後悔もしていた。拙速に過ぎたと考えたのである。
 だがこの、レイナートを後見人にレダニアルスを即位させるというのも果たしてうまくいくかどうか、当初コスタンティアには自信がなかった。とにかく貴族達は国政を顧みず己の領地のことばかり考えている。それでなくともいまだにイステラ嫌い、レイナート嫌いの貴族が多いのである。レイナートの名を出すだけで拒否反応を見せてもおかしくない。

 一方、当のレイナートは独裁者には程遠い。有無をいわさず他を圧倒して己の我意を通すという人物では決してない。そうであればあるいは逆に簡単であるかもしれない。それこそ色仕掛けだろうがなんだろうが、あらゆる手段を講じて籠絡して意のままに操る。そうしてこちらの狙い通りの結果を得る、ということも可能であるかもしれない。
 だがどう考えてもそれはレイナートではありえないだろう。

 ところがレイナート本人が訪ねてくるとなって俄然可能性が見えてきたのだった。
 弱者に同情的なレイナートである。幼いレダニアルスを見れば心動かされるに違いない。
 理想からするとレイナートが自分から後見役を買って出てくれれば言うことはないのである。文句を言う貴族達はその絶大な力を誇る「破邪の剣」で黙らせてもらい、ついでに自分もその意向には逆らえないという被害者の立場に立つことが出来て反発を抑えられるだろう。しかも実務は自分に任せてもらう。そうして我が子が即位したらさっさと国を立て直し、その地位の安泰を図ることに邁進する。
 何とも虫のいい話であるが、それがコスタンティアの望む最良の筋書きなのであった。


 もちろんそんなこととはつゆ知らず、レイナートは黙ったままお茶を口にするだけだった。
 口にこそ出さないがコスタンティアのことは相当気には掛けていた。

 スピルレアモス亡き後、彼女はまさに孤立無援、孤軍奮闘といった立場にあることは想像に難からない。レイナートとは厚誼の深い首席摂政補佐官のガンドゥリゥスであっても、否、コスタンティアが未亡人となった今だからこそ、逆に不用意に近づくようなことは慎まなければならないだろう。

 夫を失ったつらさに加え、母として幼い子供達を育てる責任はいかばかりのものであろうか。それを思えばレイナートも出来る限りの協力は惜しまないつもりである。
 但しディステニアの王位継承だけは別問題。これだけは決して首を縦に振ることは出来ぬ。それ以外のことなら何でもと思うが、いかんせん今のレイナートの立場はイステラの国王。本人としてはそこには如何程の価値も認めていないが、その立ち居振る舞いは多くの者に少なくない影響を与える。私人としては出来ることでも公人として許されないことがある。
 したがって自分からは簡単に口を開けない。
 差し障りの無い事柄のつもりでも、下手な言質を取られてイステラの不利になれば、そのために泣くのは国民である。それ故、世間話ですら避けねばならないような気持ちになっていたのである。

―― 全くもって「王になどなるものではない」な……。

 かつてスピルレアモスが述懐していた言葉が頭をよぎる。

―― とにかくこのままでは埒が明かないが、さりとてこちらから切り出すことではないな。もしも国内貴族の意見がまとまっていないのなら、徒にコスタンティア殿の立場を悪くするだけだ……。

 さりげない風を装い茶をすすりながらレイナートは考える。

―― 一応弔問は済ませた訳だし、グリュタス公爵家の現状確認もしなければならない。いつまでも国を空ける訳にもいかないし、来て早々だが帰るとするか……。

 コスタンティアには申し訳ないと思うし同情もする。だが、とにかくまともに話が出来そうにないし、今後もその機会があるかどうかもわからないのだから致し方無い。一筆認めてガンドゥリゥスにでも託すしかないかと考える。

―― まさか人払い、という訳にはいかんしな……。

 レイナートとコスタンティアは形の上では兄妹である。だがそこに血の繋がりが全く無いのは周知の事実。この当時、血の繋がった実の兄弟姉妹であっても、成人後は、異性の兄弟姉妹とは二人きりで会うのを避ける、という傾向がある。
 したがってそんな二人が、余人を交えずの密談などしようものなら何を言われるかわかったものではない。どころか、これ幸いと不義密通で処断でもされたらたまったものではない。

 部屋の中の重苦しい雰囲気は相変わらず。徒に不毛な時間だけが過ぎていく。

―― これは本当にさっさと帰国するに如くはないな。

 そう腹に決めたレイナートである。

 それならば何もわざわざ自分で赴いてきたりなどせず、重臣らの言う通り使者で済ませてしまえばいいようなものを、そこがやはりレイナートであった。


 そろそろ潮時か、そう思ったところで室外が何やら騒がしくなった。どうやら部屋に入れろ入れないで揉めているかのようだった。

「何だ、うるさい。おい、誰か様子を見て参れ!」

 その場のディステニアの重臣の一人が側近にそう声を掛けた。言われて小者が一人扉を開けた瞬間、若い男が飛び込んできたのだった。

「一体いつまで待たせるおつもりか! 我らをお見捨てになるのか! 国境を破られたくないのであれば直ちに援軍を送っていただきたい!」

 その男は無礼を詫びることもなく、いきなりそう怒鳴るように言ったのである。

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