聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第4章

第6話 闖入者

「何故援軍を直ぐに送って下さらんのか! 国境が破られても良いと仰られるのか!」

 その若い男は部屋に入るなり怒気をはらんだ大声でそう言った。

「ひかえよ、無礼者。ここをどこだと思っている!」

 コスタンティアが何か言おうとするのを遮り、重臣の一人がそう言って闖入者(ちんにゅうしゃ)をたしなめた。

「無礼なのは先刻承知。そんなことより援軍だ! 直ぐに援軍を!」

 男はそれを物ともせず繰り返した。

 レイナートはその男をしげしげと眺めた。歳の頃は三十そこそこか。一見して貴族とわかる出で立ちであるが、長距離を馬の背に預けていたのか、かなり服装は薄汚れていた。

―― もちろんディステニアの貴族なのだろうが、何者だろうか?

 レイナートは訝しむ。

 そもそも自分のディステニア入り、城での謁見に際し、総登城は命ぜられていなかったようで、謁見の間にいた貴族の数は少なかった。別段「全員で出迎えろ!」などと怒るつもりはないからさして気にもしていなかった。もっとも何年かぶりのディステニア入りで、しかも全ディステニア貴族の顔を覚えている訳でもないからあれが全部と言われれば、疑問に思っても納得するしかなかったろう。

「貴様は部屋住みの身。本来ならここへ足を踏み入れることさえ許されんのは知っておろう」

 重臣が闖入者に言う。口調が大分強いものに変わっていた。

「だからそんなことは百も承知している。それより私が聞きたいのは……」

「援軍、援軍というがどこに兵がいる? そんなものはどこにもおらんのがわからんのか!」

 ディステニアにはイステラのような常設の国軍制度がない。したがって国として軍を構成する必要の出た場合、貴族軍による軍隊をその都度招集している。したがって何らかの状況で軍勢が必要になれば、それはやはり貴族軍から提供されることになる。
 このイステラのような常設の国軍制度を、かつてスピルレアモスの肝煎りで発足させようと画策していた時期もあったが、それにまつわる費用が膨大で結局実行に移されず、スピルレアモスの崩御と共に立ち消えとなっていた。

「いない? いるではないか! 自分達は安全なところに隠れ兵も出さん! 我ら国境を守る貴族に死ねというのか!」

「そうではない」

「ならばなんだ! 我らが崩れれば大挙してシェリオール軍はここへ向かってくるぞ!」

「そうはさせんのがその方らの役目であろう。何を(たわ)けておる?」

 嘲けるかのような笑みが口元に浮かぶ。

「戯けていると? 私がふざけていると言うのか? ならば聞こう、貴方は、貴方がた腰抜けのジジイどもはここで一体何をしているのだ!」

「貴様、我らを腰抜けと言うか! 無礼者め! ただではおかんぞ!」

 重臣らが青筋を立て憤怒の形相で若者を睨みつけた。

「ああ、言うとも! 腰抜けでなかればただの卑怯者だ! 違うか!!」

 両者舌鋒鋭く非難し合う。既に自分達が王妃の前にいることも忘れていることは間違いなく今にも腰のものを抜く勢いだった。

「小癪な若造め! この者を引っ捕らえよ!」

 重臣が青筋立てて部屋の隅に控える兵士に命じた。
 そこでレイナートが口を開いた。

「待たれよ。どういうことか説明していただけるとありがたいのだが」

 だが重臣は忌々しげに言ったのである。

「よそ者には関係ない話だ。下がっていてもらおう」

 そのぞんざいな言葉遣い、態度、そうしてその内容にコスタンティアが目を見開いた。

「なんと不敬な……」

 その時、まさによそ者として黙って成り行きを見ていたアロンが凄みのある声で言った。

「おい、口の利き方に気をつけろ、ジジイ」

「何だと! 貴様、よそ者の分際で!」

「よそ者だろうが何だろうが、自国の王に対する暴言を許すことなんざ出来ねえよ。お前、イステラに喧嘩を売ってるのか? 総力を上げてイステラ軍と戦争をおっ始めようとでも言うのか?」

 アロンの言葉にその場の誰もが顔色を変えた。
 どうもディステニアの貴族達はレイナートをイステラの一貴族として認識、否、そのように見做すことで見下したいという願望があるようだった。それでついレイナートがイステラの国王であることを忘れるようだった。
 エネシエルが宰相グラマンシャル侯爵に尋ねた。

「おい、宰相のおっさん、この無礼なジジイは何者(なにもん)だ?」

 そう言う当人の方が余程無礼千万極まりない。
 聞かれたグラマンシャル侯爵が憮然として答えた。

「この仁は軍務大臣のクラーデルス侯爵殿だ」

「ほう? このディステニアじゃあ公爵よりも侯爵の方が位が上なのかね? それとアロンの言う通りだ。外国のとは言えそれが国王に対する態度か? ディステニアの貴族というのは礼儀も知らんのか?」

「貴様!」

「ふざけおって!」

 火に油を注ぐような発言にその場の重臣達が色めき立った。
 だがレイナートが諌める。

「アロンもエネシエルもひかえよ。礼儀というのは自分が尽くすもの、他人に強要するものではないぞ?」

 レイナートが静かに言う。だがこれは相当皮肉が効いていた。

「貴様~!」

 まさに剣を抜かんとする勢いでクラーデルス侯爵がレイナートを()めつけた。最早、戦も辞さず、といった雰囲気である。
 長きに渡る両国の不幸な歴史の故に、ディステニア貴族のイステラに対するわだかまりは、この数年の友好関係にもかかわらず一向に払拭されておらず、それが爆発した形である。

 その時部屋に強い声が響き渡った。

「お控えなさい。亡き陛下のためにわざわざご足労下されたお客様、しかもイステラの国王陛下ともあろうお方が御自らおいで下されたというのに何という物言い。それでは亡き陛下も草葉の陰で泣かれておりましょう。
 陛下の顔に泥を塗るおつもりですか?」

 コスタンティアはその美しい顔に激しい怒りを湛えていた。自分は女ゆえ侮られても仕方がない。そういう諦めの日々が続いていたがさすがに我慢が出来なくなっていたのだった。
 いくら他国出身の女とはいえ、王妃の立場にいる人間の発言に重臣達も黙らざるを得なかった。

「貴方はシャナレルロア子爵家の方ですね」

 コスタンティアは闖入者に顔を向け、一転して穏やかな口調を取り戻していた。

「左様にございます、王妃陛下」

「国境防衛へのご尽力、痛み入ります。わたくしに力がないため、皆様にご苦労ばかりお掛けして心苦しく思っております」

 そう言ってコスタンティアは会釈した。

「そんな、王妃陛下、勿体無い……」

 若者はそこでようやく膝をつき深々と頭を下げたのである。

「宰相殿、何とか援軍を送って差しあげることは出来ぬのですか?」

 コスタンティアがグラマンシャル侯爵に問う。

「はい。一応、各貴族家に通達は出しておりますが、一向に応じる者がなく……」

 宰相はそう言ってその場の重臣たちの顔を睥睨したが、ふてぶてしいまでに憮然とした表情の重臣らはそっぽを向いている。

「グラマンシャル侯、差し支えなければご説明いただけないだろうか。私もディステニアの爵位を持つ身。知らぬ存ぜぬで済ませていいとは思えないような気がするのだが……」

 そこでレイナートが改めて尋ねた。

「されば、先の震災以降、シャリオールの貴族、否、野盗とも言うべき者共が国境付近を荒らしております。我ら国境に領地を持つ貴族は力を合わせこれを押し返しておりますが、尽きることのない侵略に我らは皆疲弊しております」

 シャナレルロア子爵家の者と呼ばれた青年が説明した。

「なるほど、そんなことが……。
 それで何故援軍を送らないのでしょう?」

 レイナートはふと疑問を口にしたのだった。


 だがこの一言、多分にそれは「余計な」といえるもので、レイナートのその後を大きく変えることとなったのだが、この時はまだそれには気づいていなかった。

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