聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第4章

第8話 イステラの王

「そんな大昔の国境問題などを持ち出して、果たしてシェリオールは真面目なんだろうか?」

 レイナートがポツリと呟いた。
 古イシュテリア崩壊後の国境問題など、少なく見積もっても四百年以上も前の話である。それはどう考えても筋の通らない、全く話にならないことにしか思えなかったのである。

「だから、我らにすればバカバカしいの一語に尽きるのです」

 ガンドゥリゥスが言う。

 だがシェリオール側にすれば他国に攻め入るには大義名分がいる。しかしながらそもそも自分達の腹を満たすためだけの出兵であるから、大義名分などどこにもありはしないのである。そこでそのような愚にもつかない理由を持ち出してきたのであり、したがってディステニアこそいい面の皮である。


 元々ディステニアに限らず、大陸の内陸部に位置する国は国家を安定的に運営するには多大な知恵と労力を要する。それは水と塩という、人が生きていく上で絶対に不可欠の二大要素が大陸のどこでも等しく手に入るとは限らないからで、特に内陸部では塩の確保に頭を悩ませることが多かった。
 またいくら水と塩が豊富であるとしても、それだけでは人は生きてはいけない。ロズトリンなどは地下水の汲み上げ過ぎで、ある意味で塩には困らないが、逆に国土全体で塩害が発生し農耕に適さない土地になってしまっている。

 ディステニアの場合、国土が比較的平坦でしかも肥沃であるため農耕には大きな問題はない。ところがその一方で地下資源に乏しい。それでも北部のレギーネ川周辺には優良な炭田や鉄鉱石の鉱山が点在し、これを手中に収められれば怖いものなし、というところがある。
 ところがこれは憎きイステラが押さえているため必要量の確保が出来ないできた。したがってそれはいずれかの国に頼らなければならないのである。

 その場合、ディステニアが頼れる国はシェリオールしかなかった。
 北のイステラとはレギーネ川周辺の帰属問題で直接やり合う仲。東のル・エメスタはイステラの友好国。決して味方とは成り得ない。ロズトリンは不毛な土地で問題外。ビューデトニアも長らく鎖国を敷いていて没交渉。ネスティーバも頼むには足らぬ。そう言う状況だったのである。

 したがって古イシュテリア崩壊後、ディステニアが国家として成立した際、国土の防衛上有力貴族を南北と東側に配した。強権を以って領地替えをさせたのである。
 一方、西のシェリオールを刺激するとたちまち資源の供給が滞りかねない。したがってこちらには男爵や子爵といった小規模で低位の貴族を配したのである。

 これがこの時、完全に仇になっていた。

 大体百年以上の長きに亘って戦火を交えたイステラと和平が成立すると想像し得た人間がいるだろうか?
 ル・エメスタやエベンスとの関係も、それと同時に今のようになると予測し得た人間がいたか?

 結果、イステラやル・エメスタとの国境沿いに領地を構える貴族は、両国との交易が始まったことでどんどん懐が豊かになっていった。
 交易をするということは、その交通の要衝の街に人と物が集まってくるということである。そこが自分の領地であれば、これはもう笑いが止まらなくなる。
 人が集まれば街に金を落とす。街に落ちた金は税となって領主の懐に入る。領主はその金で領地の経営に余裕が出来る。思い切った施策も実行出来る。それが新たな金を生む。そういう連鎖の中で己も領民も豊かさを享受していける。

 ではシェリオールとの国境沿いの貴族はどうか?
 ディステニアが五カ国連合に入ったことで陰に陽にシェリオールとの関係は変わっていった。そうしてそれは決していい方向にではない。特にレイナートが各国の動向を探る隠密旅出シェリオール入りした時毒殺されかかったことがある。それがいわばロル・エオリア侯爵の所業が白日の下に晒されるきっかけでもあったが、これはレイナートに反感を抱くディステニア貴族をも刺激した。
 それはその後国王スピルレアモスが直接シェリオール王の国葬に参列したことで表面上は沈静化したが、ディステニアがイステラ寄りに政策を方向転換させたことで完全には復旧されなかった。
 シェリオールに近い領地の貴族達はこの煽りを食ったのである。

 交易が盛んだった頃はいざしらず、今では商人の行き来もない。当然領地には金が落ちない。税収が得られない。ただでさえ小さな身代の家である。十分な兵を持っている訳でもない。近隣貴族らは皆同じ状況だから助けを求めることも出来ない。
 なのに恥じることなく国境を侵してくるシェリオール軍。これをなんとしても追い返そうとするディステニアの西部貴族達。

 もしこの時のシェリオール軍が一枚板であったら、今頃はディステニアの西部はシェリオール領となっていたかもしれない。
 だがシェリオールの貴族も国境を目指して相争っていたから、そこまでの大軍にはならなかったのである。
 だがたとえ小規模であっても尽きることのない侵略にディステニア西部の貴族達は疲弊しきっていたのである。

 もちろん国としても当初は援軍を送っていた。
 グラマンシャル侯爵やガンドゥリウスなどは率先して兵を提供した。だがそれも長くは続かなかったのである。
 やがて援軍を送っていた貴族達も色々と理由をつけては兵を引き始めたのだった。

 摂政であり王妃の名を以ってしても、最早国の命令に従う貴族はいなくなってしまっていた。

 だが西部貴族達はどこにも行くところがない。
 繰り返し寄せる波のようにやってくる敵と戦い、兵を、領民を失い、もう後がなかった。

「国は我らを見捨てたのか!」

 もう戦うのは国のためではない。
 自分達の土地を、生活を、生命を守るためである。だがその限界が訪れているのだった。


「国としてもなんとかしたいとは思っているのだ! だが送れる援軍が本当に無いのだ!」

 クラーデルス侯爵は再び繰り返す。
 闖入者、シャナレルロア子爵家の者は再び叫んだ。

「そうか、ならばもう言わん! もう頼まん! 兄上とともに潔く戦って果てようぞ! その後はどうなっても知らん! こんな国など滅ぶなら滅んでしまえ!」

「貴様!」

 クラーデルス侯爵が激昂した。

「言うに事欠いて、滅べとは何事だ!」

「言ったが何が悪い! 国だ何だと偉そうに言うのなら援軍を寄越せ!」

 両者再び激しく激突した。

「ならば、この男に頼め!」

 クラーデルス侯爵がレイナートを指差す。

「この男はイステラの国王で、古イシュテリアの聖剣を持っているのだ! この男ならすぐに望み通り敵を蹴散らしてくれようぞ!」

「馬鹿な! ふざけるな!」

 今度はアロンが叫ぶ。

「てめえらのことはてめえらで始末しろ!」

 最早御前も糞もない。互いを口汚く罵り合うだけになりかけた。

 その時レイナートのよく通る声が響いた。

「わかりました。私が行きましょう」

「陛下?」

「レイナート様?」

 家臣らも、コスタンティアも唖然とする。
 レイナートが静かに続けた。

「皆の者、直ちに戦の支度をせよ」

 家臣らにそう言った一方でレックに言う。

「レック、お前は直ちに国へ戻れ」

「レイナート様……?」

「そうしてクレリオルに伝えよ。全イステラにて挙兵させよ、と」

 レイナートの声は冷たく乾いている。

「国軍の現役に予備役はもちろん、近衛に衛士隊、さらに各貴族にも兵を出させよ。そうすれば楽に三万以上は集まるだろう」

 イステラとて無傷ではなかった。そうして復興著しいが失われた命は取り返せない。兵の数は確実に減っている。それでも総力を上げれば確かにそこまで集められるだろう。
 それを聞いてディステニアに貴族達の顔に驚きと、そうして安堵の色が見えた。

―― それだけの軍勢があれば!

 だがレイナートの次の言葉は、彼らの心胆を寒からしめた。

「そうして余に万が一のことがあった場合、全軍を以ってディステニアに攻め込めと伝えよ」

 レイナートには最早破邪の剣がない。したがって少人数の軍勢で国境へ向い戦えば生還期し難いだろう。だが今それをここで言う必要はない。

「レイナート様!」

 コスタンティアの顔が青ざめる。

「余がディステニアのために戦って討ち死にしたとなれば、イステラ人は誰ひとりとしてディステニアを許さぬであろう。それこそひとり残らず皆殺しにしても……」

 否、つい先日もレイナートに反感を持つ貴族が王妃エレノアと王女アニスの暗殺を図ったばかりである。そういう意味ではイステラも一枚板ではない。だがそれも今ここで言うことではない。
 そうしてレイナートはクラーデルス侯爵に静かに言った。

「余に自ら兵を率いてディステニアのために戦えというのはそういうことだ。おわかりであろうな?」

「グリュタス公爵として戦え」と言われたならレイナートもそこまで言う必要はなかった。だがクラーデルス侯爵は「イステラ王レイナート」を頼れと言ったのである。ならばレイナートもイステラ王として対処せねばならぬ。

「いや、それは……」

 クラーデルス侯爵も絶句している。
 クラーデルス侯爵の領地はまさにレギーネ川を挟んでイステラに面している。すなわちイステラと戦になれば最前線になるということである。かつてはそれが当たり前で常に有事に備えていた。だがこの数年の和平と交易による繁栄が、クラーデルス侯爵をして臆病ならしめていた。

「レイナート陛下……」

 クラーデルス侯爵が唇を震わせて何かを言おうとした。
 だがレイナートはそれを遮った。

「よもや貴族たるもの、今更、前言を翻すなどという真似はなさるまいな?」

「……!」

 レイナートは、顔を青くして震えているクラーデルス侯爵を尻目に、ゆっくりと立ち上がった。

「余はイステラの王である。そうまで言われれば知らぬ顔は出来ぬ。
 皆の者、直ちに支度に掛かるぞ。参れ!」

 そう言うと扉へ向かって歩き出したのである。


 もしもこの時、ドリアン大公やシュラーヴィ侯爵、シュピトゥルス男爵がこの様子を見ていたなら、必ずや口を揃えてこう言ったであろう。

「陛下は段々、父王アレンデル陛下に似てこられたな」と。


 それは血のなせる技なのか、それともイステラ人気質なのか。
 いずれにせよレイナートは、紛うことなきイステラ王の風格を見せたのであった。

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