聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第4章

第10話 レイナート、立つ

 その数日後レイナートの姿を、シェリオールとの国境沿いの貴族の領地の一つに認めることが出来る。ディステニア王城で色々と揉めたが結局は軍勢を整えてやってきたのである。
 ただしイステラから伴ってきた兵士とグリュタス公爵家の兵士のみならず、ディステニア貴族から広く集められた兵およそ五千を伴ってである。

 レイナートの脅し ― 本人にはまったくその意図はなかったが ― はその場に居合わせた誰もの心胆を寒からしめた。
「イステラのバケモノ」だけでも厄介だがその背後には名にし負う「北の強国イステラ」が控えている。ということはシェリオール軍を打ち払ってもらえるだけでなく、自らの国土も蹂躙され征服されてしまいかねない。そのことに思い至ったのである。

 レイナートは答礼使としてディステニアを訪れた時もその後数度のディステニア訪問でも、古イシュテリアの聖剣「破邪の剣」の力や強大なイステラの軍事力を背景に何かをディステニアに迫ったことはない。その故か、どうもディステニア貴族はレイナートを舐めているというか甘く見ているところがあった。それがイステラの国益に反しないかぎりレイナートも一々目くじらを立てたりはしない。それ故彼らはつい忘れてしまっていたのである。
 そうして事あるごとにディステニア貴族はレイナートの持つ力の恐ろしさを思い出させられるのである。己の無知、というよりも愚かさの故を以って……。
 
 レイナートの前に跪いて何とか思い留まらせようというコスタンティアの顔は蒼白だった。このままでは本当にディステニアが滅んでしまう。その恐れからであった。
 もしもディステニアがイステラに対し正式な援軍要請を出してのレイナート自らの出兵であれば何も問題はない。同盟国からの正式な要請に対し、国王を始め重臣達の協議によってなされた正式決定であれば、そこで王の戦死があったとしてもそれに対しディステニアが全責任を負わねばならぬという法はない。もしも難癖をつけられたとしても交渉の余地はある。
 だがこのような、その場の流れだけで満足な軍勢もないまま出兵を促しそれでイステラ王が崩御したとなれば、ディステニアの責任を問う声はイステラのみならず北部五カ国の他の全てから上がるだろう。それはすなわちディステニアの孤立を意味する。

 ただでさえどの国も多くの被害を受け復興に苦慮しているところである。農地は荒れ、耕作も牧畜も思うように進んでいない所も多い。
 となれば援助を期待するどころか、これを機に一気にディステニアに攻め入りその国土を切り取ろうとすることは火を見るより明らか。特に南部のロズトリンは一気呵成に攻め込んでくるだろう。そのような事態を招いてはならない。

 もちろんレイナートに破邪の剣があることは先刻承知している。その絶大な威力も知っている。だが万が一のことがないとは絶対言えない。コスタンティアの恐怖はそこにあった。
 人間誰しも不老不死ではないのと同様に、古イシュテリアの聖剣といえど万能ではない、という思いが潜在意識の中にあった。すなわちレイナートとて不死ではない、という考えである。
 為政者たるもの、甘い見込みや賭けで政策を行うことは出来ない。ましてそれが軍事行動であればなおさらであるから、それを念頭に置いていなければならない。
 したがってこのままレイナートを出陣させるのは悪手以外の何物でもない。よしんば出兵してもらうにしても体制を整えた上ででなければならない。そのためには猶予が必要である。

 だが一方のクラーデルス侯爵らは別の意味でも恐怖していた。それはイステラによるディステニア占領である。
 レイナートが出兵しシェリオール軍を追い返すだけならいい。だがもしもシェリオールを平らげてしまったら? そうしてシェリオールを支配下に収め、その離れた「新国土」の統治の「邪魔」として、ディステニアも「ついでに」飲み込んでしまったら?
 それはレイナートの戦死と同等の、否、それ以上に厄介な問題ではないか? クラーデルス侯爵はそのことに思い至ったのであった。

 レイナートには破邪の剣がない。だがこれはわずかな側近以外余人の知るところではない。
 したがってレイナートはその絶大な力をいまだ行使出来るはずという認識がある。それ故に普通に考えれば直ぐにわかるであろうに、目が曇らされているというか、冷静な思考・判断を妨げられているというか、言わずもがなのことを言ってしまったのである。

 確かにクラーデルス侯爵は自ら「レイナートを頼れ」とシャナレルロア子爵家の者 ― 正しくは当主の弟 ― に言った。だがこれは軽率のそしりを免れ得ないものだが、必ずしもそうとばかりは言えぬだろう。大体にしてこのような状況で国王ともあろう者が「それでは」と言って立ち上がるか? その方が余程軽率ではないか? クラーデルス侯爵にしてみればそう言いたいところである。
 それはひとえにレイナートの腰の軽さ、というか行動力の故であるがこちらの方が異常なのである。
 いずれにせよ、レイナートが行くと言ったからとて「はい、そうですか」と送り出せる訳がないのである。
 まして全イステラにおいて挙兵し、それがこのディステニアに向かってきたら、何のための戦力であろうがディステニアは大混乱に陥るだろう。ましてそれが自分達を攻めるための軍勢ということであればなんとしても回避しなければならない。そのような事態は直ちに撤回させるべき最優先重要課題である。

 クラーデルス侯爵を始めとするディステニアの重臣達もコスタンティアの背後で膝を着いた。そうせざるを得なかった。

「レイナート陛下、何卒しばしのご猶予を」

 コスタンティアは声を震わせて訴えた。だがレイナートは不審げに聞いた。

「それはどういうことだろうか、コスタンティア陛下? 貴国にはそれほど余裕があるとは思えぬが。だから余の出兵を促したのではないのか?」

「いえ、それは……」

 コスタンティアが言葉に詰まる。まさか「その通りです」とは答えられない。

「そもそも先の震災が起きたるは我が剣の故。その被害に苦しむ人々を助けるのは誰あろう余の役目である」

 レイナートは言う。

「したがって余が参るというのだ。それも急を要するのであろう? なれば何故お止めになる?」

 言葉遣いは変わったもののレイナートはレイナートだった。

「そちらの御仁……」

 レイナートは闖入者、シャナレルロア子爵家の当主の弟に目を向けた。

「国境防衛の任に当たられているのであろう。そうして援軍を要請するからには苦しい戦いを強いられているのであろう。ということは家臣始め領民も苦しんでいるということであろう。ならばこれを助けるに理由などない。まして筋の通らぬ己の欲望の故の国境侵犯に抗するのであれば尚更である」

「殿下……、いえ、陛下、もったいないお言葉……」

 シャナレルロア子爵家当主の弟は感激に肩を震わせる。
 レイナートがその場の全員に向かって言った。

「土地も金も、たとえ一時的に失うことはあろうともまた取り返すことは出来よう。なれど人の命、これだけは一度失われれば二度と取り返すことは出来ぬ。
 そうして他国の民であれ、他領の民であろうとも、それに危害が加えられるのであれば傍観することは許されぬ。それが貴族として、王として君臨する者の務めである。
 己と己の支配下の者だけを気に掛けていれば良いと思う者に人の上に立つ資格などはない」

 厳然と言い放ったレイナートであった。

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