イステラの近衛軍。
それは基本的には貴族で構成されている。付き従う従卒は必ずしも貴族身分ではないが、それでもやはりそこらにいる平民とは違うようにガンドゥリゥスには見えた。
だがその近衛兵達を間近で見ると単に優雅な貴族という雰囲気は全く感じられない。その醸しだすものはとても貴族とは思えないほど荒々しさを感じさせるほどであった。
だがそれはその成り立ちを知っていれば不思議でもなんでもない。
イステラの全男子には兵役義務がある。すなわち二十歳までに二年、三十歳までに三年の計五年である。現在は震災からの復興のためこの兵役制度は一時的に凍結されているが、そろそろ重臣達の間では再び復活させようという意見も出始めているほどで、国家としてのイステラの根幹をなしている制度の一つである。
そうして通常、最初の兵役には十五歳前後で就く者が多い。二十歳ぎりぎりというのは少なくこれは貴族も平民も同様である。
特に平民だとこの年齢に達する頃にはある程度己の職業の仕事を覚え始めているので、雇う側 ― それは親であっても親方であっても一緒 ― は、そんな中途半端なところで抜けられるとその後が大変なのである。
といってあまり幼いと今度は体が出来ていないから、鍛えてもただ潰れてしまうだけであるので軍としても甲斐がない、ということになってしまう。
そういった諸般の事情を鑑みてのいわば常識のようなものである。
ただしそれでも貴族の場合、特に武門の家で職業軍人を目指すのであれば些か事情が異なり、当人は元服直後の十三~四歳位で兵役に就き、兵役後もそのまま軍務に留まるのである。というのは貴族の子弟はそのくらいの年齢でも乗馬や剣技の修練を積んでいるからである。
また、貴族であれ平民であれ、その家の長子は職業軍人になることは少ない。まず滅多にないと言ってもいいかもしれない。それは家を継ぐという役目があるからである。
したがって職業軍人になるのは次男以降がほとんどである。そうして貴族の場合は国軍を目指し、平民の場合は衛士隊を目指すことが多いのである。
そうして目指す先が国軍であろうが、近衛軍であろうが、衛士隊であろうが、兵役における訓練過程は同一で兵役終了後に振り分けられるのである。したがって、いずれにせよ貴族も平民も兵役では同じ訓練を受けているということである。
ところが近衛軍を志願する者は、男爵家や准男爵家の当主、稀に一代貴族の勲爵士が多いのである。それは下級貴族の場合、領地が狭く十分な収入を得られないということが多いので、職業軍人として俸給を得、それを家計の足しにするという涙ぐましい事実があるのであった。
近衛軍の任務は国王を中心とした王族と王宮の警護である。したがって任地は基本的に王都であるということもそこに関係している。
いずれの貴族であっても王都に屋敷を持つ。故に王都屋敷から勤務地まで歩いて ― 実際には馬に乗るが ― 行けるのである。これであれば近衛軍に所属し軍務をこなしながら、同時に領地経営に携わるということも不可能ではないのである。
これが国軍だとそうはいかない。
国軍はまさに国家の主力軍であり、その目的は国土防衛を第一義とする。当然ながらその要を認めれば他国へも進軍する。すなわち国土防衛上必要だから隣国を侵略する、ということもある訳である。
実際には歴代イステラ王の尽力により隣国との関係は良好なものになっているから他国へ攻め込むということはなくなっている。だが、だからといって国境を無人のままにしておくということは出来ない。したがって国軍は永きに亘って国境付近に展開し防衛に努めてきたという経緯がある。であるから貴族の当主が国軍兵 ― 実際には士官であることが多いが ― としてその地へ赴いてしまうと、領内経営に関しては全く手を付けられなくなってしまうことが多い。いくらなんでも領地と任地の間をひっきりなしに使いを送るなど不可能だし、たとえ使いが来たとしても、軍務に付きながら領地のことを考え指示を出すなど不可能だからである。
そういう意味ではクレリオルの父のエテンセル公爵は元々三男だったし、アニエッタの父・現イステラ王国軍務大臣のシュピトゥルス男爵の方が変わり種に類されるかもしれない。
いずれにせよ国軍へ志願するのは貴族家当主ではなく次男以降が多いのである。
さて、そのイステラ近衛兵達は野営になってもテキパキと自分で準備をする。馬から鞍を外すのはもちろん、毛布を地面に敷いて一夜の床とする。火を熾すのは小者がするが、そこで乾しパンを炙って夜食とするのも自分でする。
小さな鉄鍋に水を張り、そこに干し肉、乾燥野菜、豆、小麦などを入れて一晩置く。朝になると焚き火の周りに置いておいた拳大の石をその鍋に放り込んで一気に煮立てて朝食とするのまでやるのである。
やっていることはとても貴族がすることとは思えない。ところが近衛兵達はそれをさも当然のこととばかりに行うのであるから、同行のシャナレルロア子爵の弟もガンドゥリゥスも唖然とするばかりである。
「レイナート様、イステラの近衛軍は貴族による軍隊ですよね?」
思わずレイナートにガンドゥリゥスが尋ねた。
「いかにも。なにか不審な点でも?」
レイナートが聞き返す。
「いえ、皆さん、あまりにも手慣れておられるので……」
「それはそうでしょう。少なからず兵役はこなしていますから」
「なるほど。名にし負う強国イステラの有名な『兵役制度』ということですか」
茶化すでなく、本心から感心するガンドゥリゥスである。
「まあ、私自身、兵役に行ったことはないので聞きかじりになるが、最初の兵役で基礎的なことは全て叩き込まれるのだから、このくらいは逆に出来てくれないとこちらが困る」
半ば苦笑しつつレイナートはそう言ったのである。
イステラの兵役、特に二十代のは、徹底して基礎体力作りと剣の扱い方が習得させられる。そこには身分の差はない。
重い兵装を身にまとって野山を駆け巡らされ、腕が上がらなくなるほど険を振るわされる。こういった直接戦闘に関わることの他に、野営の仕方も教え込まれるのである。
殊に食べられる草や木の実の見分け方、動物の足跡の見分け方、方位の知り方などは、万が一部隊が負け潰走した上に味方とはぐれた時のことを想定して徹底的に覚えさせられる。
特に貴族には厳しく教えられるのである。何故なら生き延びるには貴族も平民もない。逆に貴族の場合、敵の捕虜となって交渉の材料に使われたりなどしたら末代までの恥を晒すことになる。
―― 貴様の○○家のせいでイステラは負けた!
そんなことを言われて生きていける者があるだろうか? だから皆真剣に学ぶのである。
それは同時に、貴族と平民の間にある種の連帯感をも生む。
身分差のある者が一緒にいれば、どうしてもそこに面白くない感情を湧起させる。だがそれでは戦闘時の一致協力した行動を阻害しかねず、それは敗戦につながりかねない。だから指導する教官は、一方で身分差による負の感情を向上心に仕向けるようにし、また一方で身分差を超えて協力し合うことも教え込む。
もちろんそれは本人の気質によるところ大だが、例えばクレリオルの父、元の国軍第一軍司令官・先のエテンセル公爵などは、その高い身分にもかかわらず平民の戦友とも交誼を持ったし、平民の部下もかわいがった。それが第一軍をイステラ国軍中最強にせしめたと言っても過言ではない。
実力主義を標榜するイステラでは、ほんの僅かでも身分からくる不公平感を兵士が感じてしまったら軍が瓦解しかねない。それ故、司令官以下、指導教官は意を用い、工夫をこらして新兵たちを育成する。
そうしてそれが、国軍、近衛軍、衛士隊の別なく、兵士一人一人の骨髄にまで染み込んでいるのである。
そうやってイステラの近衛兵達は自分の支度は自分でさっさとしてしまう。ところがシャナレルロア子爵の弟にしろガンドゥリゥスにしろ、食事から身支度から何もかも従者任せ。したがってイステラ兵達が出立準備が整ってもまだ食事が終わっていなかったりする。これは相当バツの悪い思いをする。
ところでレイナートはと見れば、これは専属の者が手早く全てをそつなくこなしているから、やはり準備は終わっている。
結局、当のディステニア貴族の故に出立が遅れるという体たらくだったのであった。
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