聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第4章

第13話 疑問

 ディステニア王都からシェリオールへの国境まではおよそ四~五日程度である。これは脚の遅い馬車を基準にしての話であるから、騎馬だけであればもっと早くに到着出来る。実際この一団は速度重視のために馬車を一切伴っていない。とは言うものの馬も常に全力では走らせられない。それでも三日半で目的のシャナレルロア子爵領には余裕で到着出来そうな勢いだった。

「何とも、面目次第もなく……」

 ガンドゥリゥスが冷や汗を拭いつつ言った。何せ足を引っ張っているのは自分達ディステニア貴族としか思えないほどイステラ人達の行動は素早かったのである。

「まあ、気にすることはない」

 と、レイナートも一応は気を使って言った。
 だが、近衛兵らは半ば白眼視していたのだから、言い訳のしようもなかったのは確かだった。

―― 誰のせいだと思っているのだ!

 その目は暗にそう言っていたのである。

 とは言うもののレイナートが伴ってきたディステニア弔問の一行は総勢百名。この内近衛兵は五十名、国軍兵站部隊二十名、執事・侍女が三十名である。
 執事と侍女はグリュタス公爵家の屋敷に残してきたし、兵站部隊は馬車なので後続部隊。グリュタス公爵兵団も全員馬に乗れないから馬車で移動中。つまりレイナートはギャヌース、アロン、エネシエル、ナーキアスの家臣四名と五十名の近衛兵だけでシェリオールとの国境に向かっているのである。
 ちなみにガンドゥリゥスのユディーレン子爵家の兵が同じく五十名。したがって高々百名の軍勢、とも呼べない一団である。
 それでも零よりマシ、ということでシャナレルロア子爵の弟は感激しているのだから、余程増援を渇望していたのであろう。

 今のところディステニア王都ではクラーデルス侯爵が各貴族に放った文書によって、貴族軍が形成されつつあるから、おっつけそれも国境へ向かうことになっている。だが果たしてそれが間に合うのか? もしシャナレルロア子爵の弟が危惧する通り、国境を維持する貴族軍が潰走することになったらどうするつもりなのか。
 レイナートにはどうにもディステニア貴族達の考えが理解出来なかった。

 否、理解出来ないということであれば、その国境侵犯をしてくるシェリオール軍にもである。

 ロル・エオリア侯爵に支配されたビューデトニア軍の侵攻を受け、コゥジストスへ亡命したシェリオール王が祖国に帰還出来たのは誰のお陰か?
 ディステニアを主体とするイステラ、ル・エメスタ、エベンス四カ国からなる連合軍が、ビューデトニアとロル・エオリア侯爵派のシェリオール貴族を叩いたからではなかったか? 
 しかもディステニア王だった故スピルレアモスはわざわざ反ロル・エオリア侯爵派貴族に密書まで送っている。すなわち「ディステニアはシェリオールに対し領土的野心は抱いていない」と。それがあったればこそ反ロル・エオリア侯爵派貴族は重い腰を上げ、その故にシェリオール国王は玉座に返り咲くことが出来たのではないか?  であればシェリオール王はディステニアに対して感謝こそすれ、国内貴族の暴挙を許さず、きちんと統制して抑えるべきではないのか?

―― これではまるで恩を仇で返しているだけではないか!

 レイナートの心中怒りが込み上げてくる。
 なまじレイナートはディステニアの爵位を持っているが故に、スピルレアモスの崩御の報に際し、重臣らの反対を押しのけて雪解け直ぐの多忙な時期に出立して来たのである。そうでなければとりあえずは使者だけ送って、時節を待って弔問に訪れていたかもしれない。
 なのにこうも貴族の身勝手な姿を見せつけられると、何のために自分はやって来たのか、と思わざるをえない。
 困難な局面に直面しているからこそ、挙国一致で皆が協力し合う姿が見たいのである。

―― なのに何故、人は協力し合えんのか? 己の権益だけを主張し、他を顧みないのか?

 我ながら「青臭い」と思わぬでもないが、そうでなければ誰もが苦しむ時勢なのである。ならば少しくらいの我慢をどうして出来ないのだろうか? しようとしないのだろうか?

―― 貴族というものは全く以って度し難き存在だな。

 貴族に躍らされる平民こそいい面の皮ではないか

 国境へ向かう馬上、レイナートはずっとそのようなことを考えていた。それは馬上だけではなく宿営の間もそうである。それ故どうしても口数が少なく不機嫌にならざるをえない。

―― 貴族は人々の上に立つからこそ、率先して範を垂れるべきなのに……。

―― 本当に身分制度など無用の長物だな……。

 などととんでもない危険思想が、レイナートの頭の中を渦巻いていたのである。


 それがガンドゥリゥスあたりからすると不気味に見えてならない。

―― 一体何をお考えなのであろうか……。まさか我が国に対する何か無理難題のようなものでも……。

 ガンドゥリゥスの知るレイナートからすれば、それはないと思えるのだが、権力というものは人を変えるものである。
 レイナートがイステラ王に即位してからのことはよく知らぬガンドゥリゥスである。それこそ即位後は一度、父王アレンデルと養母である王太后セーリアの弔問に訪れた時に会った以来である。

―― だからもしかしたらレイナート殿、いや、レイナート陛下も……。

 などと穿ったことを考えてしまう。

 それはレイナートにすれば大いに失礼な話だが、所詮人の考える事など自由。誰にもそれを縛ることなど出来ないのも事実。自分がどう思われているのかは、この際どうでもいいことだとも思っていた。

 レイナートの伯父である先々代イステラ王のガラヴァリは臣民から敬愛されていたと聞く。そうして我が父である先代アレンデルは人々から畏怖されていたという。王としてどちらがあるべき姿かという議論はこの際脇に置いておくとしても、そこには我欲の追求も、逆に人気取りなどという下賤な目的もなかったはずである。二人共、己の信念に従って行動していたということだけはレイナートもよく理解している。
 彼らが偉大な王と崇められているのは、その思考と行動が、決して人々の幸福と乖離していなかったということではないか。

―― 王というものは、その双肩に全臣民の生命と生活、財産がかかっている。王が王たる所以はそれらを守れるからだ……。

 父の言葉は片時も忘れたことはない。

 そうして「王」を「貴族」に置き換えても、そこに何ら破綻を来すことはない。

 レイナートは即位以来、様々な政策を打ち出し実行に移してきた。それは全て、父の言葉を己も実践しようという思いからである。
 人々の生活、暮らしの安寧。それを守るために必要とあれば、王都の防衛上不可欠とされた水上に橋も架けた。新規貨幣の鋳造が追いつかないから紙幣を発行した。予算不足を補うために国債を発行した。
 それは王族や貴族の生活を潤すためではない。人々が生活しやすいように、震災の被害からの脱却のためにである。
 もっともそれが必ずしも人々に受け入れられているかというと疑問がないとはいえない。それでも、では他にいい代替案があったか? と考える。
 一振りで希望を叶えてくれる打出の小槌も、望むものはなんでも与えられる玉手箱などというものも存在しないのである。呪文一つで願いが叶う魔法などこの世に存在しないのだ。ならばこそ、知恵を絞り、最善を尽くし、努力するしかないではないか。違うだろうか。

―― 私の考えることはそれほどおかしいことなのか?

 己自身に疑問すら感じてしまうほど、この周辺事態はレイナートには理解出来ないことなのであった。

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