聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第4章

第15話 大見得

「アルゴディス!」

「兄上!」

 先頭の男は馬上、弟の名を呼びつつ迫り来た。どうやら敵ではない、どころか目指すシャナレルロア子爵その人のようで、ギャヌースもナーキアスも一応は安堵する。だがまだ油断が許される状況ではないのは明白だった。したがってギャヌースもナーキアスも、周囲に対する警戒を怠らない。

「アルゴディス、無事だったか!」

「兄上こそ!」

 だが兄弟はまさに感動の再会とも呼べそうな雰囲気で、周囲のことなど気に掛けてもいないようだった。

「援軍は? 送ってもらえそうか?」

 事実、兄は一番の気がかりを弟に尋ねた。

「はい。現在王都においてその手はずが進められております」

 弟の方は嬉しさを隠し切れない表情で報告する。

「そうか……、これでなんとかなるな。
 ところでそちらの仁達は?」

 そこで兄、すなわちシャナレルロア子爵はようやくギャヌースとナーキアスを一瞥して弟に尋ねた。

「こちらの方々はグリュタス公、いえ、イステラのレイナート陛下のご家臣です」

「なんと! レイナート陛下が!」

「はい」

 そこへレイナートらが砂塵を巻き上げ到着してきた。

「陛下!」

 シャナレルロア子爵はレイナートを認めると、馬を飛び降りた。そうして馬を止めたレイナートの前で跪く。

「御自らのお出まし、感謝に堪えぬ望外の喜びにございます」

 その言葉にレイナートは頭を振る。

「いや、余もディステニアの爵位を持つ身。他人事ではないので……」

 とは言うものの、この問題に時間をとられるのは困ったことではあるが、今はとにかく間に合ったようでひとまず安堵したレイナートである。

「ところで、先ほどのシェリオール兵は一体?」

 レイナートらは王都からやって来た。そうしてシャナレルロア子爵はシェリオールとの国境からのはずである。なのに何故その間にシェリオール兵がいて、村を襲っていたのか?
 もしも前線が崩壊していたのであればシャナレルロア子爵はもっとこちら側の手前にいるはずである。

「どうやら森の中を隠れてやってきた偵察部隊のようですね」

「偵察部隊……」

「さよう、威力偵察を兼ね我らの後方を撹乱せんとしたのでしょう」

「なるほど……。  ところで、失礼だが、シャナレルロア子爵殿。御身とは何処においてか、お目にかかってはいなかったろうか?」

 レイナートがシャナレルロア子爵に尋ねた。
 シャナレルロア子爵は弟とはあまり顔立ちが似ていない。なので弟を見た時は何も感じなかったのだが、シャナレルロア子爵本人にはどうも見覚えがあるような気がしてならない。

「これは! 覚えていて下さいましたか! 確かに以前、グリュタス公爵家のお屋敷をお訪ねしたことがあります」

 シャナレルロア子爵が満面の笑みを浮かべてそう答えた。

―― 屋敷を訪ねてきたことがある?

 そう言われてレイナートは記憶をたどる。

 レイナートがグリュタス公爵となったのは七年前である。「あれからもう七年」それとも「まだ七年」どちらにも思えるが、その間、ディステニアを訪れたの数えるほどしかない。
 そうして、グリュタス公爵として屋敷に客を迎え入れたのは、シェリオール王弔問使節の一員として今は亡きスピルレアモスに同行する際、グリュタス公爵兵団の同行を免除してもらったお礼の晩餐会と、「破邪」の術式を得るためレリエルに向かった折、ディステニアの衛兵隊と同行していたイステラ国軍との模擬戦が行われた時だけである。
 ただ晩餐会の時は招待客のみだった。となると……。

「あの時は随分と恥ずかしいことを色々と申し上げてしまい……」

 シャナレルロア子爵はバツの悪そうな顔をした。

「そうでした。いや、あの時は有意義な時間が過ごせました」

 レイナートがレリエルに向かうに当たり、反対する家臣らを納得させた一事に、随員が手薄に過ぎるというのがあった。だがそれは再独立を果たしたリューメールに駐留しているイステラ国軍の入れ替えの部隊を伴うということで解決されたという経緯がある。
 だがそれはディステニア貴族達を刺激し、結局模擬戦を行うということにつながった。結果はイステラの完勝だったが、その時、レイナートと交誼を結びたいという若い貴族が代わる代わる訪れてきたことがある。シャナレルロア子爵はその中の一人だったのである。

 こういう若い世代で先進的な思想の持ち主達は、イステラとの友好を深めることで、より豊かで平和な生活を願っていた。だがイステラとディステニアが結びつきを強めた結果、国境に近い彼らはシェリオールとの交易が下火になるとともに収入が減っていった。シェリオーツとの街道を行き来する商人の姿が減ったからである。

 そこへビューデトニアによるシェリオール侵攻があって、完全に手詰まりとなってしまったのだった。
 それでもディステニアが軍勢を揃えシェリオールとの国境で戦闘に及んだ時は、国から支援が受けられていた。だがそれも終わってしまうと本当に取り残されてしまったかのように領地全体が寂れていってしまったのである。
 そこへもってきてシェリオール軍による侵攻を受けたのである。弱り目に祟り目、もう誇張でも何でもなく後が無い切羽詰まった状態になってしまっていたのであった。

「ここで会えたのも何かのお導き。とは申せあいにく私は直ぐに戻らねば参りませぬ」

 シャナレルロア子爵はそう言って立ち上がると馬の鞍に手を掛けた。

「アルゴディス。私は国境へ戻る。お前は陛下を城までご案内せよ」

 だがシャナレルロア子爵の弟あるごディスは首を振った。

「何を仰います。家の主がお出迎えせずにと何とします! 前線へは私が参りましょう。兄上こそ、陛下のご案内を。義姉上とももう何ヶ月も会っておられぬことですし……」

「アルゴディス……」

 このままでは埒が明かないと考えたのかアロンが言った。


「シャナレルロア子爵さんとやら、陛下を城まで頼みますよ。とにかく我々だって取るものも取りあえずでやって来て状況がよくわかってないんだ。
 そこのところをよく陛下に説明してくださいよ」

 相変わらず貴族とも思えぬほど口の悪いアロンの物言いだが、シャナレルロア子爵はその言葉にそれもそうかと思ったようだ。

「わかりました、ご案内申し仕る。
 アルゴディス、後は任せたぞ」

「承知仕った」

 弟が力強く頷いた。

「彼奴ら目は、クラセルの森を渡ってきたようだ。そちらの方への警戒も怠るな」

「なんと、それは……」

 弟の顔が曇った。
 クラセルの森というのはシャナレルロア子爵の領地に連なる深い森で国境まで続いている。当然ながらその広い面積全体にまで歩哨を立てることなど、今のシャナレルロア子爵家の兵力では不可能に近かった。
 だがそれをここで口にすることは出来ぬ。さりとて再びクラセルの森に姿を隠して接近されたら城まで一気に迫られてしまう。

 そこでレイナートが静かに言った。

「近衛の長はこれへ」

 レイナートの背後から今回同行してきたイステラ近衛軍の隊長が正面へと回った。

「お前達は、弟殿と共に行くように」

「陛下、それは!」

 近衛がその本来の目的である貴人から離れるなどありえないから異を唱えた。
 だがレイナートは首を振る。

「行け!
 大丈夫だ。余にはこれがある!」

 レイナートはそう言って腰に提げた漆黒の鞘の剣を左手で軽く叩いた。

「余が佩用の剣は古イシュテリアの聖剣『破邪』である。何人たりとも余には指一本触れられぬ」

 そう、大見得を切ったレイナートであった。

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