遥かなる星々の彼方で
R-15

第7話 一体全体……

 リンデンマルス号の MB(主艦橋)は艦の最も高い所にあるフロアである。実際にはその頭上に各種望遠鏡やレーダーなど、観測や索敵のための装置を格納している空間があるが、それでも点検などを除くと、通常業務のために人が入る所としては最上階である。
 そうしてMBには艦長席、作戦部長席、船務部長席、戦術部長席、技術部長席の他、航法士、通信士、観測士、操舵士などの席もある。

 そうしてMBを取り囲むように数段低くなっているフロア(MBとの間に壁はなく手すりがあるのみ)の艦首側にCIC(戦闘指揮所)、右舷側にOC3(作戦室)、左舷側にIAC(情報解析室)がある。したがってここは一つの大きな空間で、まさに艦の頭脳である。

 出航時は第3種配備が敷かれるので総員が「任務中」になるが、通常航行、すなわち第1種配備になると3交代なのでフロア内の人数は1/3になる。したがってかなり閑散とする。

 艦内の体制は次の4種に分かれる。
 第1種配備(通常体制・8時間3交代勤務)
 第2種配備(凖警戒体制・12時間2交代勤務。福利厚生・娯楽施設の使用を禁ず)
 第3種配備(警戒体制・総員24時間体制。宇宙服の着用を義務付ける。福利厚生・娯楽施設の使用を禁ず。但し戦闘配備を伴わない)
 第4種配備(臨戦体制。交戦中も含まれる・総員24時間戦闘配備体制。宇宙服の着用を義務付ける。福利厚生・娯楽施設の使用を禁ず)

 イステラ連邦宇宙軍の規定では、宇宙における人工建造物の場合、内部で兵士が任務を遂行するものの内、自走能力を有するものを艦艇、自走出来ないものを基地と定めている。
 もっとも自走能力がないとは言っても全く動かない訳ではなく、姿勢制御や方向転換用の推進装置は備えている。いずれにせよ、実際にはこれ以外にも細かい要件があるのだが大雑把に言うとそのようになっている。
 そうしてそれらの内部では共通の暦・時間が用いられている。それはイステラ連邦の中心、イステラ星系第3惑星トニエスティエの自転周期と公転周期に合わせたもので、1日を24時間とするCST(Cosmic Standard Time:宇宙標準時)と、イステラ暦という1年を366日、12ヶ月とするものを使用している。
 だがトニエスティエ以外の惑星の場合、必ずしも自転周期が24時間ではないし、一年も400日以上だったり逆に300日以下だったりする。そうして社会生活上はその星の自転周期を1日とするDST(Domestic Standard Time:地域標準時)を利用する方が何かと便利だが、特に軍の場合はCSTをメインとし必要に応じてDSTを併用する形をとっている。リンデンマルス号の場合、中央総司令部直属ということでDSTがCSTと同じになるので、CST一本。時間を使い分けるということは一切ない。

 艦内は通常時は第1種配備が敷かれている。すなわち3交代制勤務で7日に1日の割合で休日があるが曜日はまちまちである。
 ということは当然ながら艦内においても勤務時間外が存在する。この場合、勤務時間外は地上とほぼ同じ、すなわち個人の自由時間として過ごすことが可能である。
 但し3交代制とはいえ日勤とか夜勤とかいう感覚は艦内にはない。艦内時計によって時間を知ることは出来ても、それはあくまで時刻であって艦内には昼夜の別はない。
 ただAシフトはトニエスティエの昼、正確には CSTの〇八〇〇(マルハチマルマル)から一六〇〇(ヒトロクマルマル)(8時から16時)の時間に合わせているので、これを日勤と見做すことも可能ではある。だからと言ってBシフト(一六〇〇から〇〇〇〇(マルマルマルマル) :零時)やCシフト(〇〇〇〇から〇八〇〇)に夜勤手当なるものが付くことはない。時間外勤務手当、いわゆる残業手当というのも、残業をするという発想そのものがないので付くことはない。
 これはいずれのシフトでも同様である。

 そうして艦内各部門すなわち作戦部、船務部、戦術部、技術部、管理部、医監部、保安部の長の内、作戦部長、戦術部長、船務部長は基本的に第1種配備の時にはAシフトに入らない。これは艦長が基本的に常にAシフトに入っていること、またこれら部門長は艦長が指揮を執れない状況に陥った場合に指揮代行の優先順位が他に比べて高いことなどが理由にある。その代わりに各部長の次席士官は逆にAシフトに入ることが当然多くなる。
 例えば作戦部の場合、作戦部長のクレリオル・ラステリア中佐は艦の副長も兼ねるため基本がBまたはCシフトである。これはすなわち艦長代理の当直士官となるからである。その代わりに2人の次席、クレフトン・ファビュル大尉かコスタンティアのどちらかがAに入る。そうして残った1人が、2人と重ならないシフトに入り作戦部に空白状態を作らないようにするのである。そうしてこれは医監部を除く全部門共通である。

 医監部は艦内医療部門である。
 医監部長エーレネ・エオリアン少佐は医者ではなく、医監部の予算や軍医・看護師の労務管理、また乗組員の健康診断のスケジュール調整、またその個人データの管理に責任を持つ事務担当武官である。また医監部の事務スタッフもやはり医師や看護師ではない。そうしてこれら事務スタッフは、誰が3交代のどのシフトに入っても特に違いはない。
 医療スタッフは3人の軍医と20名の看護師がおり、これらが3交代で医療にあたるという、ある種の二重構造となっているのである。

 また医療とは言うが基本は乗組員の健康診断が主業務である。
 年1回、地上に降りての総合検査とは別に艦内においても検査が行われている。血液検査、尿検査、各種検査機器による体内状態の可視化検査などが行われるのである。そうして3000人の乗組員の検査がひと通り終わる頃には1年が過ぎ、次のドック入りとなる、ということである。

 また艦内病院には入院設備はない。これはワープの際、エネルギーの殆どをワープエンジンに回すため、例えば生命維持装置などが作動しなくなるためである。したがって艦内で入院を必要とする重病人や重度の怪我人が発生した場合、近くの駐留艦隊基地まで移送することになっている。
 これはリンデンマルス号の行動計画を大きく阻害することになるので、乗組員は日頃から定期検査を真面目に受け、自分がそうならないように努めている。


 さて、レイナートはシュピトゥルス少将との通信を終えた後、突如自己紹介を始めた。

「まだ全員が揃っていないので、総員に対する私の着任の挨拶はその時するとして、一応自己紹介させてもらいます。
 私がこの度、本艦艦長を拝命したレイナート・フォージュです。えっと、階級は一応大佐です。なったばかりですけど……。
 それで……、以後、よろしくお願いします」

 確かにスタッフは出航準備をしているし、新任の艦長が一言もなく当たり前のようにそこにいるというのもおかしな話ではある。だが何とも締りのないレイナートの言葉に、それでもMB、OC3、IAC、CICのの各スタッフもは慌てて立ち上がり敬礼した。
 だが穏やかな笑みを浮かべつつ敬礼を返したレイナートに、スタッフ達はどのような顔をすればいいのか全くわからない、困惑した表情を向けたのだった。

 その時、艦長席の艦内通話機から険しい女性の声が響いた。

「艦長! 乗艦されたのなら直ぐに診察室までお越し下さい。艦長はこの(ふね)は初めてなんですから、規定のチェックを受けていただかなければ困ります!」

 艦内に3人いる軍医の1人、シャスターニス・シェルリーナ軍医中佐である。彼女は普段は軍服の上に白衣、柔和で優しげな女医さん、という雰囲気だが、元は連邦宇宙大学医学部付属病院脳神経外科の第一人者だったことで知られている。「神の手」とも称されるほどのメスの腕前を持ちながら、学内の派閥抗争、権力争いに嫌気をさして大学を辞め軍医となったという変わり種である。
 このシャスターニスが着任間もない、と言うか乗艦して直ぐのレイナートに噛み付いたのだった。

「申し訳ありません」

 艦内通話機の画面にペコペコと頭を下げるレイナートである。その仕草はとても艦内最高位の大佐には見えないものだった。
 艦内通話で怒鳴られたレイナートは慌てて診察室まで向かった。そうしてそれを見送るMBのスタッフ達は、さらにどういう顔をすればいいのか途方に暮れた。


 地上病院のデータは艦内では閲覧出来ないが逆は可能である。
 これは艦内のローカルサーバーからは軍司令部のサーバーには特別な手順を踏まなければアクセス出来ないからで、その時も司令部のサーバーへ情報を送ることは出来ても(これは報告という点から頻繁に行われている)、逆に軍司令部の情報を簡単にはダウロード出来ないようになっているのであり、機密保持という観点からである。ただ全く出来ない訳ではないがその内容は著しく制限があり、医療に関するデータはダウンロード不可項目のひとつである。
 したがって初めてリンデンマルス号に乗ったレイナートのパーソナル医療データは艦内には存在しないのである。これは後の検査の数字と比較するものさしがないということになる。乗組員全ての健康状態を正しく把握していることは医監部の最優先事項である。したがって最初に乗艦した時に精密な検査を受けることは総員の義務となっており例外はない。それで呼び出されたのである。

「では検査をします。はい、軍服を脱いで下さい。プロテクトスーツもです」

 慌てて艦内病院の診察室に姿を表したレイナートに、極めて事務的にシャスターニスは言った。だが言われたレイナートは目を丸くした。

「えっ? プロテクトスーツも?」

「そうです」

「それじゃあ本当に裸に……」

「全裸になって下さい。プロテクトスーツを着ていると一部の機械で検査が出来ませんから」

「あの……」

 レイナートがおずおずと口を開く。

「何ですか?」

 まだ何かあるのかと言いたげなシャスターニスである。

「検査着は?」

「必要ですか?」

「それはあった方が……」

「ちっ」

 シャスターニスは何故か残念そうな顔をしている。

「今、舌打ちしませんでした?」

「してませんよ?」

「そうですか。とにかく検査着を下さい」

 全くどちらが上官だかわからないような光景である。
 だが軍医の立場というのは特別である。事実、医監部長のエーレネの階級は少佐、シャスターニスは軍医中佐という特殊な階級で、もちろんエーレネの方が上官になるしレイナートは更にその上。だが、医療という観点からすれば誰も医者には逆らえないのは一般と同様である。

「わかりました。アニス、出してあげて」

「はい」

 憮然とした表情のシャスターニスに、レイナートと同じシャトルで乗艦した看護師のアニスは笑顔で答えると、キャビネットから検査着を取り出した。

「どうぞ」

「ありがとう」

 礼を言って受け取ったレイナート。だがまだ軍服を脱ごうとはしなかった。

「何ですか?」

 今度はアニスがニコニコしながら尋ねた。

「ここで着替えるんですか?」

 困惑気味のレイナートが再び尋ねる。

「はい」

「更衣室とか……」

「ありません」

 アニスはきっぱりと言う。

「まさかジムまで行って着替えるとか言いませんよね?」

 診察室内にも姿を隠せるところが一切ない。つまり女性の目の前で素っ裸になることを求められているということである。

 プロテクトスーツは宇宙艦艇及び人工天体勤務の者全員が士卒を問わず着用を義務付けられているものである。
 ただ完全に体にフィットしているものなので脱ぎ着には少々時間がかかる。もちろん排泄時には用足しに手間取らないように、股間部分を簡単に開けられる工夫はなされている。
 またこれはその目的の故にこの中にさらに下着を着けることを前提としていないし、下着を着けると今度は、女性の場合、特に用足しに不便である。別段着たからといってそれ以外に何も問題はなく本来の機能を阻害するものでもないが、別にわざわざ下着を着ける意味は全く無い。あるとすれば気分的なものだけである。
 その代わりと言ってはなんだが、女性用はバストラインやヒップラインを美しく見せ、男性用はたるんだウェストラインを引き締まって見せるという、ありがたい工夫まで施されている中々の優れものでもある。
 いずれにせよ、検査に必要と言われれば仕方がない。それでシャスターニスとアニスの絡みつくような視線に耐えながら、コソコソと上半身裸になってから検査着をまとい、プロテクトスーツを脱いだレイナートである。
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