遥かなる星々の彼方で
R-15

第34話 地上に降りる男

 リンデンマルス号の作戦部は、部長であるクレリオル・ラステリア中佐以下26名からなる組織である。リンデンマルス号の行動計画全般を立案する部門で、艦隊であれば「幕僚チーム」と呼ばれるものが部署として独立したものである。
 通常の幕僚チームはこのような大所帯ではない。精々数名である。これはその司令官のまさしく参謀ということで、かなり乱暴に言い換えるなら、いわゆる戦術アドバイザーである。したがって幕僚の立案した計画を採用するもしないも司令官の腹づもり次第である。
 だがリンデンマルス号の場合はいささか様相が異なる。
 それは艦の航行のみならず、補給物資の製造、基地設備のメンテナンス、補給支援先駐在兵の艦内病院での健康検査及び娯楽施設の利用スケジュールに至るまで立案し各部門に「通達」するのである。それは決してアドバイスなどというものではなく、まさしく「任務の遂行命令」である。
 それ故、リンデンマルス号内で最大の権限を有する組織と見做されているのである。

 その作戦部の士官の1人、クレフトン・ファビュル大尉が2週間後に定年退艦を迎える。すなわち45歳に達するのである。

 イステラ連邦宇宙軍においては軍規により、宇宙勤務の者は45才を以って地上勤務に配置転換されることとなっている。この規則は艦隊司令官などの高位の将官を除き厳格に適用される。
 したがってファビュル大尉もリンデンマルス号を降りることが中央総司令部人事部より通達されたのだった。
 ただし大尉1人を下艦させるために艦の行動計画を変更出来ない。それ故1週間ほど早いが次の補給予定に併せ、第六方面司令部管内の最寄りの駐留艦隊基地より巡航艦1隻を派遣してもらうことになっている。
 この事は本来普通のことではない、異例ともいうべきことである。通常は下艦する者のいる艦艇の方が出向くものなのである。
 だがリンデンマルス号の補給支援活動は辺境基地にとって死活問題に関わることである。ましてそれが緊急性の高い第1級支援であれば尚更であるから、リンデンマルス号は可能な限り辺境区域からは離れない。いつでも緊急事態に備えているからである。
 そうしてファビュル大尉はその巡航艦に乗って駐留艦隊基地へ向かい、そこから輸送艦を乗り継いで次の任地に向かうことになっている。


 そうして、そのファビュル大尉のそれまでの労をねぎらうべく艦長レイナートが食事会を催した。出席者は艦長と作戦部の尉官以上の士官6名である。下艦の予定日まで日にちに余裕はあったが、艦内の予定が折り合わずこの日になったのである。

「ファビュル大尉、今までご苦労様でした」

 レイナートの労いの言葉にファビュル大尉は頭を下げた。

「ありがとうございます、艦長。私のためにこのような席を設けていただき……」

「いいえ、当然のことです。長期間苦労されたんですから……」

 艦長専用食堂の食事は2つある艦内食堂のとは比べ物いならないほど豪華である。
 ファビュル大尉のみならず、クレリオルやコスタンティアもここで食事をするのは初めてで目を瞠っている。但しアルコール飲料の摂取制限は艦長専用食堂であっても適用される。

「ところで大尉はずっと補給畑を歩んでこられたとか」

 レイナートが尋ねるとファビュル大尉は頷いた。

「はい。自分が入隊した時はまだ徴兵制が残ってました。自分は、まあ、若気の至りで、ディステニアとの戦争に早く参加したいとハイスクールを中退して軍を志願したんです」

 ファビュル大尉は落ち着いた口調でそう話した。

「訓練所での訓練が終わると前線からは遠く離れた補給基地勤務となりました。あの時は随分とがっかりしたものです」

 昔を懐かしむように言う。

「その時の上官がいい人でして、自分に通信講座でハイスクールの講座を受講するように勧めてくれたんです。お陰で、任務をこなしながらハイスクールの卒業資格をもらえました」

「それは良かったですね」

 レイナートが言うとファビュル大尉も頷いた。

「ええ。ただ、中々宇宙勤務にしてもらえなくて、それをいつも不満に思ってはいましたね」

 イステラ軍の新兵は最低1年間は地上勤務を命じられる。これは訓練所での3ヶ月の新兵訓練には宇宙での実習がないからである。
 これが士官学校卒の士官の場合、士官候補生時代に宇宙での演習や訓練の経験があるので任官後直ぐに宇宙勤務となる者が多く、地上勤務となる者の方が逆に少ない。これは新規任官で地上勤務ということは各司令部に配属ということで、成績優秀者に限られているということである。

「地上勤務が3年になって、ようやく補給艦隊に配属になりました。やっと宇宙に出られる。そう思うと、あの時は飛び上がらんばかりに嬉しかったのを覚えています」

「そうでしたか」

「はい。でもその後すぐに停戦合意が成立し、軍の再編が行われました」

「そうでしたね」

「それで自分は別の補給基地へ転属となってしまったんです」

「それは残念でしたね」

「はい。その後も軍の再編は続き、補給基地も補給艦隊も統廃合が進み転属を繰り返しました。時には補給艦隊勤務になったこともありましたが、大半は地上の補給基地勤務でした」

「そうでしたか」

「最後の補給基地勤務の時にこの艦の前の艦長と出会いまして……。艦長は自分をかわいがってくれまして、それで艦長が本艦に転属となった時に自分も呼んでくれたんです」

「なるほど……」

「本艦の任務は辺境基地への補給が基本業務。ならば自分のような補給に詳しい者が役に立つだろうと言って下さったんです。
 おかげさまで大尉にまでしていただきましたし、本当に感謝に堪えないですね」

 ファビュル大尉の表情は至極柔らかいものであった。
 訓練所からの叩き上げでも尉官にまで成れる者がいない訳ではないが大尉までとなるとそう多くはない。そういう意味ではファビュル大尉は十分出世した口だろう。但しこの先、佐官にまで成れるかというと、軍功を上げにくい現在の状況では難しいかもしれない。
 その点士官学校出のエリートにとって大尉など通過点でしかない。

「そうでしたか。それにしても前艦長は、任期途中で下艦されて残念でしたね」

「そうですね。でも近々復帰出来そうなところまで回復されているということですから……」

「それは朗報ですね」

「ええ。再会出来るのが楽しみです」

 その場の最高位であり、最も新任であるということでレイナートがファビュル大尉と主に話しているが、同席する士官たちにとって初耳であることもあって、皆真剣に耳を傾けていた。
 特にコスタンティアはファビュル大尉と同じ作戦部長次席というポジションにあり、しかもファビュル大尉は先任ということもあって随分と世話になってきたという思いがある。したがってファビュル大尉の定年退艦は至極残念に思えてならなかった。
 それでなくとも大学時代、家族どころか一族とも喧嘩別れのように家を飛び出して軍に入ったコスタンティアにとって、歳の離れたファビュル大尉はまるで父親のように思えるようなことが何度もあったのだった。

「大尉、お世話になりました。地上に降りられてもご健勝で」

 コスタンティアがそう言うとファビュル大尉は笑顔を見せた。

「いえいえ、世話をしたなどとんでもない。こちらの方がお世話になりましたよ。貴女のような優秀な人と共に働けたということは人に自慢が出来ます」

「そんな……」

 コスタンティアが照れた。
 だが本当に世話になったと思うコスタンティアである。中央総司令部広報部からリンデンマルス号に異動となって当初は随分と落ち込みもした。だがファビュル大尉が作戦部の仕事を一から教えたのである。そこにやりがいを見出し、努力して仕事を覚えた。気がつけばファビュル大尉と肩書では並んでいた。だがそれはファビュル大尉がいたからこそだと考えている。もし先任士官が別の人物だったらこうなっていたかどうか。コスタンティアは大いに疑問に思っている。
 それを正直に言うとファビュル大尉は大いに照れくさそうにしている。

「いやはや、そこまで言っていただくと何とも面映ゆいですね」

 中年男の照れた姿というのは、人によっては可愛いと思うだろうが、気持ち悪いと思う者もいるだろう。だがそれを正直に言う者などこの場にはいないが。

「ところでファビュル大尉、地上に降りたら最初にしたいことは何ですか?」

 クレリオルが聞いた。年に一度艦体の点検と休暇を兼ねて全乗組員は地上に降りるが、それは一時的なものである。この先何十年かの軍隊生活を地上でするというのは、全く別のものとなろう。

「そうですね……、まずは花嫁でも探しましょうか。このまま独身で過ごすには先は少し長すぎますから……」

 この時代、人類の平均寿命は百歳を越えている。したがって45歳でも未だ人生の半ば。確かに先は長いに違いない。

「結婚ですか!? どなたか意中の方が?」

 もう一人の女性士官が驚いたように尋ねた。ファビュル大尉はそういう話題にはとんと縁のなかった人物だからである。

「ハハハ、まさか。まずは結婚相談所へ行かないと……」

 そう言ってファビュル大尉は笑った。


 イステラ軍の宇宙勤務者は独身が多い。それは夫婦が同一の職場に勤務することは好ましくないと上層部が考えていることが影響している。まして相手が民間人であれば軍用施設内での生活などあり得ない。したがって宇宙勤務の既婚者は夫婦離れ離れの生活を余儀なくされる。
 それでも何に1回、地上に降りて休暇を取るように配慮はなされている。だが相手も軍人で、しかもやはり宇宙勤務、すなわち艦艇や基地勤務だと休暇を合わせて取ることが非常に難しくなる。そうなると何年も離れ離れということになりかねない。そういうこともあって宇宙勤務者は結婚に踏み切らないことが多いのである。
 その点このファビュル大尉は地上勤務が長かったにもかかわらず結婚しなかったのは、宇宙勤務を希望していたからに他ならない。

 イステラ軍の中央総司令部、各方面司令部はもとより、ある程度の規模の駐留艦隊基地司令部の人事部には結婚相談所が設けられている。ここに登録すると可能な限り希望に合う相手を紹介してくれるのである。ただし相手ももちろん軍人。もし民間人がよければ民間の結婚相談所へ登録するしかない。だが民間人にとって軍人は結婚相手としては魅力がないとされている。それはその宇宙勤務の故である。
 したがって宇宙勤務はただでさえ既婚者が少ないのに、民間人と結婚しているとなると、これは稀有と言ってもいいほど少なくなる。
 ちなみにリンデンマルス号の場合、これに当てはまるのは僅かに一人、空戦科長のアロン・シャーキン少佐のみである。ただしアロンの場合、確かに細君のネーリア自身は軍籍になく民間人ではある。だが祖父も父親も、兄 ― 砲雷科長のエネシエル ― に姉も軍人という軍人一家の生まれで、軍人にならなかった方が不思議とされるような家庭である。したがって軍人と結婚することに抵抗がなかったという、かなり特殊な状況であり、それほど珍しいことなのである。
 だが逆にともに軍人であれば、互いの状況がよくわかっているから、よく聞かれる「こんなはずじゃなかった」という理由での離婚は少ないとされている。

 そうして軍の結婚相談所に登録しているのは定年で地上勤務となった者、すなわち45歳以上がほとんどである。したがってもっと若い相手がいいと思えばそれこそ民間のを利用するしかないが、これはさらに相手を見つけるのが難しくなる。誰しも相手は若くて「ピチピチ」している方がいいと思うのは特別なことではないだろう。
 それにいくら平均寿命が百歳を超えたからといって、人体の生理機能がそれにつれて長くなったとか変化したという訳ではない。女性の場合、初潮が訪れるのはやはり十代前半。閉経は四十代後半過ぎ。つまりその年令では子供をもうけることが難しいのである。
 だから子供が欲しいと願うなら、早くに地上勤務を願い出るか、それが叶わない場合除隊するしかない。

 このことは人権擁護団体から常に槍玉に挙げられている事柄である。
 宇宙勤務は職業か結婚かの二者択一で、それ以外の選択肢がないのは基本的人権に外れている、というのである。
 だが軍隊内部、兵士からはそういった声はあまり聞かれない。どころか同一の職場に夫婦で勤務しない方が良いと考えている者の方が多い。
 というのは夫婦が仲睦まじいのは微笑ましいが、目の前でイチャイチャ、ラブラブされたら叶わない。逆に喧嘩でもしてようものなら、任務の遂行にまで差し障りが出かねない。そう考えるのである。
 だから宇宙勤務の間は独身を通し、初婚年齢が高くなっても仕方ないとも考えるのである。
 いずれにせよファビュル大尉のように定年で地上勤務になってから初婚というのは、実は軍内部にあっては決して珍しことではないのであった。


「いい人が見つかるといいですね」

 クレリオルの言葉にファビュル大尉は頷いた。

「そうですね」

「参考までに、どういった女性が好みなのか聞かせてもらえますか」

 クレリオルが重ねて聞いた。

「そうですね。さすがにこの歳になると見た目よりは中身重視といいますか、気立ての良い方がいいですね。もちろん外見もいいに越したことはありませんが」

「でしょうね」

 その後場の流れは理想の結婚相手というふうに流れていった。当然のことかもしれない。
 ただコスタンティアやもう一人の作戦部の女性士官にとっては、あまり面白くない話題ではあった。
 それは男の考える理想の女性像、といった内容で、「勝手なことを言わないでよ!」といった内容だったからである。

 だがその間、レイナートは穏やかな表情で聞き役に徹し、一切口を開くことがなかったのがコスタンティアにはいささか気になったのである。
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