コスタンティアはレイナートとの会話で、いつになく心地の良い物を感じていた。だがその理由を考えている余裕はなかった。 とにかく今はうまくこの場をやり過ごさなければならない。そこで、とにかく場を持たせるため自分の経歴などを話していたのである。 「そうですか、大学を2年で終えて……。本当に優秀なんですね」 その経歴を聞いてレイナートが目を瞠っている。 相変わらず、互いのことなどを話していて、とても「折り入って」とわざわざ断ってするような話にはなっていなかった。 「いいえ、もうあの時は、それこそ親の敵でも取るような勢いで……」 実際には親や一族から独立したかったからで、何とも皮肉な物言いだった。 「それにしても、名前からもしやとは思っていましたけど、あのアトニエッリ・インダストリーの関係者、いえ、経営者一族の方だったとは……」 その名はイステラにおいて決して軽くはない。そうしてコスタンティア自身、かつては随分と誇りに思ってもいたが、今は、もう全く無縁のものと思っていた。 「ウチで使っていたトラクターが、アトニエッリ社のものでした。それ以外にも結構ありましたね」 レイナートが懐かしむように言った。 「それは……、ありがとうございます」 コスタンティアがつい頭を下げた。 「どういたしまして」 レイナートもである。 そこで二人の顔に笑みがこぼれた。 「それにしても、どういう相談なんでしょうか?」 レイナートがいよいよ本題に入ってきた。だがコスタンティアはしばし逡巡した。元々相談など何もないのだから当然だろう。 だがレイナートはそれを余程深刻なものと捉えたようだった。 「もし何なら、艦長室へ行きましょうか? あそこでなら余人を交えず話は出来ますけど」 艦長には24時間、常に護衛が付く。そうして大抵の場合、警護兵は艦長の直ぐ近くにいるが艦長室の場合だけは異なり、艦長室の扉の外で歩哨に立つ。艦長室は奥が寝室、手前が執務室になっていて入り口は一つだけ。したがって入口の前にいれば不審者の侵入を防げるからである。 「そうですね……」 だがそれでもコスタンティアの言葉は歯切れが悪い。何せ本題となる話題がないのだから当然である。 だがレイナートは焦らせることなく、コスタンティアに時間の余裕を与えるかのように話を続けた。 「ところで、その艦長室ですけど……」 「はい? 何でしょうか?」 「おかしいと思いませんか?」 「何がですか?」 「執務室があることです」 「?」 コスタンティアが首を傾げた。艦長室に執務室があることはおかしいことだろうか。 「艦長の本来の執務の場は 「そうですね」 「なのに、何故、別に執務室があるんでしょう?」 「そう言えばそうですね」 言われてみれば確かにそう思えないこともない。 「勤務時間外も仕事をしろということでしょうかね?」 「さあ、それは……」 コスタンティアが苦笑した。 「それならMBにずっといればいいんだし……。あ、でもそれじゃあ、他のスタッフの気が休まらないか……」 「そんなことはないと思いますけど……」 「いえ、別に、時間外に遊び呆けるつもりはないですけど、執務室は必要ないんじゃないでしょうか。あえて寝室と分ける必要はないと思うんです。佐官用の一人部屋のように、ベッドとデスクを一部屋に入れたって問題ないと思うんですけどね」 レイナートはどこまでも真面目くさった表情である。 「でも、艦長がそれでは他への示しが付かないんじゃないでしょうか?」 艦の最高責任者である艦長は他の乗組員に比べ別格扱いが基本である。そうでなければピラミッド型の頂点に君臨しているという感覚が薄れ、それは任務にも影響を及ぼすからである。 だがレイナートは、どうもそういうことを考えないらしい。 「そうでしょうか? 艦内には余分なスペースなんてないんだし、一緒だって全然構わないと思うんですけどね」 最後の方はなんだかボヤキのようになっていた。 それしてもおかしな人だと思うコスタンティアである。普通は一人部屋がいいと誰でも思うだろうし、少しでも広い方がいいと考えるはずである。それなのにこの人は……。 そう考えていたらなんだか急に笑いがこみ上げてきた。 「なんでしょう?」 コスタンティアが笑いをかみ殺しているので、レイナートがキョトンと怪訝な顔をした。 「いえ、なんでもありませ……」 だが突然、思わず吹き出してしまったのである。淑女たるもの、さっすがに大口を開けて「ガハハ」とは笑わなかったが、どこかツボにはまってしまったようだった。 コスタンティアはハンカチを取り出し目元を拭う。そうしてしばらく体をくの字に曲げて肩を震わせていたが、どうにか笑いが収まってきたところで体を起こした。 だが、口をへの字に結んでムッとしているレイナートの顔を見て、再び笑い転げてしまったのである。 考えてみれば3階級も上の上官、しかも艦の最高責任者に対して随分と失礼な話である。それ故コスタンティアは必死の思いで笑いを抑えた。 相変わらずレイナートは憮然としていた。 「大変申し訳ありませんでした、艦長」 「いえ、いいんですけど……」 まるで拗ねたようなレイナートの物言いにコスタンティアはつい頬が緩む。 「ところで、相談とは何でしょう?」 レイナートが再び聞いてきた。さすがにもういつまでもグズグズとはしていられなくなってしまった。そこでコスタンティアは単刀直入に尋ねたのである。 「艦長、アレルトメイアのミルストラーシュ少佐とは面識がおありだったのですか?」 その言葉にレイナートの顔から一切の感情が消え去り、和やかだった雰囲気は一気によそよそしい物にと転じた。 「申し訳ありませんが、その件に関してはお答え出来ません」 レイナートはその言葉を残し第6展望室を後にしたのだった。 1人その場に残されたコスタンティアは、「マズイことを聞いた」などと後悔はしていなかった。その言葉で自分の推理がある程度裏付けされたと思ったからである。 もしもレイナートとエメネリアの間に、何もなければ「会ったことはない」とはっきり言えるはずである。過去に会ったことがないということさえ秘密にしなければならないということはないだろうと考えた。つまり「答えられない」と答えたことで暗にそれを肯定したとコスタンティアは捉えたのである。 コスタンティアは再び情報端末を手にすると戦闘レポートを開いた。そうして検索ウィンドウに文字を打ち込む。「公開年月日」と。 戦闘レポートは基本的に時系列、すなわちその戦闘が発生した日付ごとに並んでいる。だが様々なタグが付けられており、それをキーワードにソートが掛けられる。その際最もよく利用されるキーワードは「攻略戦」「防衛戦」「遭遇戦」の3つである。 「攻略戦」は侵攻作戦の展開によって発生した戦闘、「防衛戦」は敵の侵攻より発生したもの、そうして「遭遇戦」は予期せず勃発した戦闘である。 この中でコスタンティアがよく閲覧するのは「遭遇戦」である。 遭遇戦は規模としては小さいものが多い。普通は通常艦隊規模の戦闘であって、大隊や旅団規模での遭遇戦というのは滅多になかった。 ところで現在いずれの国とも戦争状態にないイステラにおいて、宇宙艦艇が最も注意すべきは海賊との遭遇である。海賊は、文字通りハイエナのように宇宙を徘徊しては民間商船を襲う。だがそれ以外にも姿を表せることがある。それは戦闘中大破され放棄された軍の艦艇から物資を奪うという目的のためである。 戦闘中に敵の攻撃によって航行不能、 まさか今まさに艦隊戦が行われている最中に自爆させるなどあり得ない。爆発によって飛び散った破片が友軍に被害を及ぼしかねないからであるし、退避中の乗組員を巻き込む可能性もある。だからと言って戦闘がいつ終了するかなど誰にも予想は出来ない。したがって自爆させるまでの時限式起爆装置の時間設定が難しいので、戦闘終了時に手っ取り早く砲撃を加えて破壊するのである。 そうして戦闘終了時、敵軍を撤退させていればいいが、もしも自軍が潰走ということになったら、悠長に放棄した艦艇に砲撃を加えている暇はない。それ故、そのまま放置される艦艇も少なからず存在した。後にその戦域に部隊を派遣し取り残された艦艇の爆破を行うということは戦時中には実施することが難しく、したがって多くの放棄された艦艇は戦後において爆破処理されたのである。だがこちらも軍事予算削減の煽りを食って多くがそのまま取り残されてしまったのである。海賊はこれら艦艇を狙ったのである。 総員が退避したとはいえ艦艇内にはまだ宇宙服や軍用銃、食料、医薬品が残されている。時には艦載機さえもである。これらを艦艇から奪い去り そうしてリンデンマルス号が補給支援行動中にこのような海賊と遭遇する可能性がないとは言い切れないのである。 もちろん海賊の方から正規軍の戦闘艦艇に仕掛けてくるということはまずない。不意をついてその場では勝てたとしても、その後はしつこく追跡され必ずや殲滅させられてしまうからである。 だが突然の予期せぬ遭遇ということになれば海賊の方も逃げるために必死になる。それ故相手が軍艦であろうと攻撃してくることがある。それに対する備えが必要なのであり、リンデンマルス号においてもワープ終了直後から主砲の発射準備をするのはそういう理由からである。 コスタンティアはリンデンマルス号の行動計画を立案する作戦部の士官。そうしてその計画内部には当然、海賊を含む不審船との遭遇も織り込まれている。だから戦闘レポートでも「遭遇戦」に分類されるものはよく目を通していたのである。 だがレポートの公開年月日を気にしたことはそれまでなかった。 「え、こんなにあるの……?」 公開年月日、しかも自分が任官して以降に限定し検索したところ、ウィンドウに表示されたのは80件以上もあった。 だがよく見てみればその半数は対ディステニア戦争当時のもので、極小さな遭遇戦ばかりであった。おそらくは重要視されずに後回しにされ続け、近年にになってようやく公開されたのではないかと思われた。その中にも無記名のものが2件あったが、別段無記名でも何ら問題がないと思えるほどの内容でしかなかった。 そうして戦後の40数件の内、無記名のものは1件のみだった。それは第七方面司令部管内、中型の辺境調査基地RX-175所属の警備艇が海賊と遭遇し、これを撃破したというものであった。 それだけなら大した内容でもない。先の戦時中の無記名の2件と同じである。ところがこのレポートはその当事者である警備艇の艇長の名前すら記載されていなかったのである。これがコスタンティアには大いに引っかかった。 そこで戦闘レポートを閉じ、今度は艦内ネットワークから軍のデータベースにアクセスした。キーワードに「RX-175」基地や警備艇の型番を指定して検索を掛けた。 すると確かに当時の基地司令の中尉の名前は出てきた。だがコスタンティアの求める答えは一切得られなかったのである。 何故なら検索結果は全て「エラーコード:990」と表示されたのみだったからである。 だが逆にそれでコスタンティアにはわかったような気がした。 7つの士官学校は各方面司令部に付属する形で設置されている。したがって第七士官学校卒業のレイナート艦長は任官後、第七方面司令部管内で配属になった可能性が高い。しかも第470期同期会の、あの中途半端な会話からでも、艦長は戦術作戦科、戦闘技術科、航法科への転籍を勧められたほど優秀であったということがわかっている。つまり一般科卒ではたとえ5~6人乗りの小型警備艇の艇長でさえも通常は任命されることはあり得ないが、艦長の場合はそうであったということも十分に想像出来るのである。 そうして第七方面司令部が境界を接するのは、すなわち中立緩衝帯の向こう側に広がるのは帝政アレルトメイア公国である。 コスタンティアには、それまでは気にはなっていても放っておいた ― 事実いつまでも気にしていても答えが出ないなら時間の無駄だと考えていた ― 様々なことが、まるでバラバラのジグソーパズルのピースがきちんとはまったかのように思えたのだった。 |