遥かなる星々の彼方で
R-15

第38話 とんだ1日

 話は少し相前後する。

 わずか1日という、駆け足で戦術部の視察を終えたエメネリアは、次の日は丸1日、24時間の休みが与えられるという配慮がなされた。

 リンデンマルス号は通常、24時間に3回のワープを行う。地上勤務しか経験していない者にはこれだけでかなりの負担となる。しかもそれが毎日続くのである。
 ワープを行わないのは目的である辺境基地に到着、補給と保守作業が行われている間のみで、それはおよそ36~48時間、2~3週間に一度程度である。
 したがって初日から飛ばすと後が大変だろうとレイナートが指示を出したのである。

 だが、その決定に対して「甘すぎる」と陰で言っている者もいた。
 これがイステラ軍の兵士なら地上勤務しか経験がない者でも宇宙勤務、特に艦艇勤務になれば同じ状況になる。だがその者達にはそのような温情は与えられないのだから、これは当然のことかもしれない。ただし目に余るほどひどい状況になれば話は別で、そういう時は所属長の判断で休みが与えられないでもない。但し『役立たず』の烙印を押され、直ぐに下艦させらてしまう可能性も高くなるが。
 それは「エメネリアが女性だから」「アレルトメイア軍人だから」ひいては「貴族のお姫様だから」と様々な憶測が飛び交ったが、艦長の決定には誰も逆らえない。結局黙って従うしかないのだった。

 そうしてそれは、1日に3度のワープが想像以上にきついものと感じられるエメネリアにとってはありがたい決定ではあったが、その一方でどうも特別扱いされているようでもあって何とも複雑な気分であったのも事実である。

 もっとも乗組員達も当のエメネリアも気づいていない、それ以外にも隠された理由があった。それは陸戦隊員を打ち負かしたというあの件である。
 この事実は当然、全乗組員の耳目を引いている。そうしてそれは負けた陸戦兵の不甲斐なさに対する侮蔑と、「ならば、一丁オレが……」という敵愾心を ― 一部にだが ― 巻き起こしていたのである。
 だが当然艦内において私闘は厳禁である。
 それにエメネリアは本来参謀本部付き将校であって、その立場で派遣されてきているのである。したがってこれ以上白兵戦主体の歩兵部隊と関わりをもたせるのは好ましくない。レイナートはそう判断したのであった。
 それはつまりほとぼりが冷めるまでとはいかないまでも、その翌日くらいは私室でおとなしくしていて欲しい、というレイナートの希望だったのである。


 ところでリンデンマルス号の全乗組員も7日に一度、休日がある。もっとも休日であっても定時ワープが行われる際は宇宙服を着込んで配置に付かなければならない。そういう意味では何とも中途半端な休日だが、それでもないよりはマシである。
 そうして他のイステラ軍の宇宙艦艇に比べ、リンデンマルス号は福利厚生・娯楽施設が格段に充実している。これは補給先の辺境基地の駐在兵に休暇を与えリフレッシュさせるという目的も兼ね備えているという理由が大きい。
 そうでなければリンデンマルス号の乗組員は味気ない退屈な休日を過ごすことになるだろう。

 そうしてこの休日にうまくジムの予約が重なれば万々歳である。ジムでたっぷりと汗を流した後、熱い温水シャワーで身も心もリフレッシュ出来るからである。
 ちなみにジムの予約が勤務シフトと重なってしまった場合は、管理部に申し出れば他の兵士の予約と入れ替えるなど、不公平にならないようにうまく調整してくれる。したがって予約自体は何も気にせずに入れておくことが出来る。但し常に2ヶ月待ちは普通である。

 その点ライブラリは予約なしでも利用出来ることが多い。ライブラリは小さく区切られたパーソナルスペースで音楽、映像、書籍のデジタルコンテンツを楽しめるようになっているのだが、それは情報端末でも可能なので、あえてそこまで足を運ばないという者もいるからである。

 また、シアターならまず予約は要らない。
 シアターは文字通りの劇場である。ステージがあって音楽や演劇など、艦内有志のグループの発表の場としても利用されているが、基本は巨大な三次元立体動画視聴のための施設である。
 上映プログラムはアクション、ラブロマンス、ドキュメンタリーが毎日3本立てで、2週間毎に更新される。最新のヒット作から往年の名作まで多くの作品が上映されるので利用者も多いが、客席自体も多く設置されているので満席となることはまず滅多にない。
 とにかく大空間 ― 2次元の映像ではないので投影するためには広い空間が必要なのである ― で迫力ある映像を楽しむことが出来るという施設である。

 そこでこの予定外の休日に、エメネリアはネイリを伴ってシアターへと向かったのである。まあ、誰にも個人の行動を規制することは出来ないから致し方ないが、それを聞いてレイナートは頭を抱えたものである。


「よろしいのでしょうか、少佐殿。こんな時間から映画三昧など……」

 一方、ネイリが心苦しそうにエメネリアに聞いた。従卒の役目は仕える将校の生活の便宜を図ること。なのにエメネリアは一緒に映画を見ようとネイリに言ったからである。

「構わないわ。これも重要な任務よ」

「任務……ですか? とても私にはそのようには思えませんが」

「いいえ。とても大切な事よ。映画で描かれる世界を通してイステラ人の考え方を知る、という……」

「考え方?」

「そう。私達は元は同じ惑星を起源とする『ニンゲン』だけど、長い時間、交流を持たずに来てしまっているわ。それによって私達とイステラ人との間に考え方、行動に違いはあるのかないのか。それが国防意識、ひいては国家戦略に与える影響は?
 そういうことを学び本国に持ち帰ることもこの交換プログラムの趣旨の一つよ」

「そうなのですか……」

「ええ。それでなくても私達は、こんな時代にもなっていまだに貴族制という身分制度を持っているのよ? これだけだって相当な違いがあるし、彼らには理解が難しいことのはずだもの」

「……。確かにそうですね。了解いたしました」

 そう答えた何とも律儀なネイリである。

「では早速シアターに行ってみましょう」

 そこで2人は艦首近くのシアターへと向かったのである。

 シアターの入り口には別に係員がいるということもなく、プロテクトスーツの袖の部分に埋め込まれたICチップによる本人確認の要もない。とにかく入り口で上映スケジュールを確認して勝手に中に入り、好きな席に座ればいいだけである。


 ところで2人はいきなり失敗した。最初は動物もののドキュメンタリーで、それは仔犬や仔猫など色々な動物の子供を特集したものだった。ところがその可愛い姿のせいでつい作品に引き込まれ、食堂利用可能時間を逃してしまったのである。
 動画を見終わり情報端末を確認して2人は少なからずショックだった。

「少佐殿、食堂の利用時間が……」

「これは失敗したわね……」


 食堂の利用可能時間は完全に管理部の指定スケジュールに沿うことが原則で、一切の変更が出来ない仕組みになっている。
 ただでさえ第1、第2併せて食堂には320席しかなく、それを3千人に及ぶ乗組員が1日に3度ずつ利用するのである。しかも当然ワープ時には食堂は利用出来ないから、実質食堂の稼働時間は日に21時間しかないのである。そのためスケジュールを作成する管理部総務科は毎度かなり頭を悩ませているのである。
 ちなみに各部の勤務シフトはそれぞれの部門部署ごとによって作成され(これは当然のことである。現場を無視して総務科が決定したらその方が大問題である)総務科に提出される事になっており、それを総務科が取りまとめて情報端末で閲覧出来るように艦内サーバーにアップしているのである。
 したがって乗組員達のプライベートな時間ですらこの指定食堂利用可能時間に左右されていると言っても過言ではない。そのような状況で利用時間の変更を望めば「どれだけわがままなんだ!」と非難されること請け合いである。
 次の食堂利用可能時間は4時間半後で、当然それまで何も食べないではいられないから、そこで2人はPX(艦内購買部)でレトルトパックを購入することにしたのである。

 PXに並ぶレトルトパックは、メニューはそこそこ豊富だが、パッケージ自体は原材料と内容物が文字で表記されているだけというなんとも味気ないもので、写真などという気の利いたものはついていない。それでその表記だけを頼りに選んでみたのだがこれが何とも口に合わず、顔をしかめつつ食べたのであった。
 まあ、貴族のお嬢様でありアレルトメイア軍にあっても少佐という高級将校のエメネリアとその従卒であれば当然のことだろう。

「次は、見てる途中でも絶対に食堂へ行きましょう!」

「はい!」

 とにかくきちんと食事を摂らないことには始まらない。食堂の利用時間を逃せばあとはレトルトパックしか選択肢がないのである。
 断固たる決意を胸に秘めシアターへ再度入っていった2人である。

 そうしてその次に見たアクション映画は、捕われのヒロインを救い出す軍の特殊部隊の活躍を描くという、いかにもありがちなもの。その後のラブロマンスはといえば、戦争によって引き裂かれた男女が艱難辛苦を乗り越えて結ばれるというもので、これもまあありがちなものであった。

「こういうところはあまり変わらないのね……」

 エメネリアがそう感想を漏らした。

「はい……」

 ネイリは顔を真赤にして俯きつつ返事をした。

「にしても、成人向けならそうと表示すべきではないかしら?」

 そう、そのラブロマンスには結構激しい濡れ場があって、些かネイリには刺激が強すぎたのだった。

 リンデンマルス号、というよりもイステラの宇宙勤務には基本的に未成年が配属されることがない。徴兵制度が停止されている現在、軍に入隊するには最低でもハイスクールを出ている、または同等の資格を有していなければならない。あまり基礎学力や一般常識に乏しいと宇宙はおろか、地上でも役に立たないと見做されているからである。
 かてて加えて、地上での訓練所で3ヶ月、さらに地上勤務を最低1年は経験してから宇宙に出るので、イステラの宇宙勤務者には未成年がいないのである。
 したがって娯楽作品であれ何であれ上映されるものは全て年齢上は無制限のものばかりである。もちろんあまりグロテスクなものや、性的に過ぎるいわゆるポルノのような作品が上映されることはない。
 いずれにせよ「大人向けラブロマンス」は13歳のネイリには不向きだったということである。


 そうやって休日を過ごし、第3食も終えて部屋で寛いでいた2人のところへ急に管理部から依頼があった。

「お二人の紹介動画を艦内ネットワークに流したいんですが……」

「はい?」

 部屋を訪ねてきた管理部総務科の下士官の説明にエメネリアが目を丸くした。

「お二人は本艦に乗艦されたばかりなので、本艦の乗組員はほとんど誰もお二人のことを知りません。そこで少佐殿と従卒の自己紹介動画を撮らせていただきたいんです」

「それはちょっと……」

 それは勘弁して欲しい類の依頼であるからエメネリアの顔が曇った。

「あ、いえ、そんな長い時間のものでなくていいんです。ただお名前と所属を言っていただく程度で……」

「それなら、写真にテロップでもいいのではないかしら?」

「いえ、それはやはり、動画の方が……」

 エメネリアの言葉に管理部の下士官が食い下がる。

「本艦の乗務員名簿はそれこそ、顔写真に簡単な経歴しか乗ってないんですが、これが物凄く味気なくて……」

 何も乗務員の名簿が凝った作りになっている必要は全くないから下士官の言うことももっともではある。

「とにかくお二人を紹介するものが何かないと、行く先々で質問攻めにされてしまうのではないかと艦長が懸念されてまして……」

「艦長が?」

「はい」

 艦内に一斉放送を行うことは出来るがそれは音声のみである。緊急時に一々顔を映している暇、それを見ている暇があるかという理由から音声のみとされているのである。一応モニタに顔を映す通話システムは別個にあって、必要とされる部署に極小型モニタが1つ2つ設置されている。だがそれだけでは、とても前乗組員が一度に見ることは不可能である。
 したがって顔を見て話す必要がある場合は情報端末間で通話が行われるのが普通であり、エメネリアが乗艦して直ぐの健康状態の検査を受けた際、軍医中佐のシャスターニスとレイナートの会話もそうであった。
 それ故時間を定めてエメネリアの乗艦を映像付き通話システムで流すというのは、現実問題として無理というより無駄に近いのである。
 だが情報端末で何時でも閲覧可能にしておけばそういう問題も起きない。それもあってのレイナートの指示であった。

 この情報端末は佐官以上は軍から個人に支給されているが、尉官以下はその任地もしくは艦艇の備品を貸与されている形である。
 そうして日常の業務を遂行する上で必要なことは全てこの情報端末を使って行う。
 また、人事異動があった場合、例えば艦艇内だと大きく顔ぶれは変わらないが、地上基地などでは全く見ず知らずの人物が配属されてくることがある。そういった場合、情報端末からデータベースにアクセスすればその人物の略歴などが確認出来るので、双方事あるごとにあれこれ質問するという煩わしさから解放されているという事実がある。

 ところがエメネリアにしろネイリにしろアレルトメイア軍に所属しているから、情報端末で確認出来るイステラ軍のデータベースには当然の事ながら載っていない。
 いずれにせよリンデンマルス号にとってもイステラ軍そのものにとってもあまり例のない士官交換派遣プログラムである。乗艦してきたアレルトメイア軍の士官を何らかの形で全乗組員にきちんと紹介する必要はある。
 だが艦内システムの故に一度で済ませられないから情報端末を利用するということである。

「そうですか……」

 自己紹介することはやぶさかではない、と言うか当然のことであるからその点に関してはエメネリアにも否やはない。だが動画に撮られ配信されるというのはどうも気の進まないことではあった。だが下士官の説明にも一応の納得は出来たのでその依頼を受けることにしたのだった。

「それで何時、撮るのですか?」

 エメネリアが問うと下士官はパッと笑顔をみせて言った。

「よろしければ今直ぐにでも!」

「え? 今直ぐですか? それはさすがに……」

 どうせ撮られるなら化粧も髪もきちん直してからの方がいい。そう思って躊躇していたエメネリアに下士官がニッコリと微笑んだ。

「ご心配なく。ちゃんと理美容スタッフを連れて来てますから」

 エメネリアの懸念を先読みしている下士官である。

「理美容スタッフ?」

「ええ。何せ本艦は年に一度しか寄港しませんから、その間に髪を切りたくなっても自分でやるか誰かにやってもらうか、それしかないとなると大変でしょう? それでもし変な髪型になっちゃったら任務なんて出来ませんもの」

 確かに女性心理としてはそうかもしれないが、軍隊という組織は普通それでは通らないのではないか、と思うエメネリアである。

「だから艦内には理美容室があって専属のスタッフがいるんです。最新の髪型とか、今流行の化粧法とか色々情報を取っていて、アドバイスなんかもしてくれるんです」

「本当に至れり尽くせりなんですね」

 アレルトメイア軍では考えられない事実に、エメネリアは半ば感心するやら呆れるやらでそう言ったのである。

「ええ。それしか取り柄のない艦ですから」

 いけしゃあしゃあとそういうことをこともなげに言った管理部の下士官であった。


 エメネリアは実家であるミルストラーシュ公爵家令嬢として、幼少の頃から人前に出ることに慣れていた。そもそも社交的な性格でもある。それ故いくらでも外向けの笑顔をまとうことが出来る。
 そうして「今日はとんだ1日だった」と思いながらも、その美貌に柔らかな笑みを湛えたエメネリアと、ガチガチに緊張したネイリの自己紹介動画が艦内ネットワークで公開されたのだった。
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