ジリジリと照りつける日差し、大地から立ち昇るゆらぎと共に砂ぼこりが舞い上がる。 馬の背に揺られる男は幅の広いつばのハットを目深に被り、バンダナで鼻と口を覆っている。暑さを凌ぐための革のマントの下には長剣が見え隠れしている。腕にも脚にも鋼鉄を仕込んだ防具を纏い、やはり鋼鉄を仕込んだ革のベストを着込んでいる。 流れ者の剣士という出で立ちである。 やがて男は小さな街へと辿り着いた。ゴーストタウンかと見まごうほど、街は静寂に包まれている。しかし無人ではないようだ。自分を窺う視線を無数に感じている。 男は街に1軒の古びた小さな酒場の前で馬を降りた。 ―― ジャリッ。 砂を踏む足音と共に拍車が鳴る。 口元を覆うバンダナを外すと、意外にもそこにはかなり優しげな童顔が現れる。背もそれほど高くはないし、その出で立ちとはかなりチグハグな感じを与える。 ―― ジャリッ、ジャリッ。 静かな街には男の足音しか聞こえない。 男は古びた木製の階段をギシギシと音を立てて昇り、スイングドアを押して酒場の中に入った。 内部も外見通り古びていて、しかも薄暗い。 中程のテーブルには、絵に描いたような荒くれ者が3人、こちらをじろりと睨みつけている。それを無視して男は、店の奥のカウンターに向かって歩く。床板を踏み鳴らす音に、踵の拍車の音が被さる。 カウンターまで来ると男は、酒場の親父に向かってボソリと言った。野太い低い声は、更にその童顔には似つかわしくない。 「親父、一番強いのを頼む……。」 その言葉に酒場の親父は一瞬目を瞠る。 どう見ても20歳前の子供のような童顔である。しかし、その声もそうだが、雰囲気はとても子供のものではない。単なる童顔《ベィビーフェイス》か、親父はそう思った。 やがて親父はカウンターに並んでいる酒瓶の一つを掴むと、ショットグラスに注ぎ始める。微かに、色のついた液体がグラスに満たされる。 ベィビーフェイスはそれを掴むと、グイッと一気に飲み干した。 喉を焼くような強い酒に、ベィビーフェイスの顔が一瞬歪む。 しかし、その口から出た言葉は、その表情には似つかわしくないものだった。 「親父、お替りだ……。」 酒場の親父が、やれやれという表情で2杯目を注ぎ出す。 その時、ベィビーフェイスの背後から声がした。 「坊やには、ママのオッパイの方がいいんじゃねえか?」 ベィビーフェイスがチラリと振り返ると、先程の荒くれどもの一人がニヤけた顔をしながら近づいてきていた。 「そうだよ、坊や……。 早く帰って、ママのおっぱいでもしゃぶってな!」 もう一人の男がそう言いながら席を立つ。 「ああ、それがいい…。 ここはガキの来るところじゃねえんだ……。」 最後の男も立ち上がった。 カウンターに立ったベィビーフェイスは、3人の荒くれどもに取り囲まれる形となった。 荒くれどもに難癖をつけられたベィビーフェイスは、それを全く無視して2杯目の酒に手を伸ばす。そこを、荒くれの一人にグラスを弾き飛ばされた。中の酒をまき散らしながら、グラスが床に落ちて粉々に砕けた。 「おい、シカトしてんじゃねえぞ!」 ベィビーフェイスは小さく溜息を付くと、勿体ねえ、と呟く。 「野郎!」 荒くれどもは今にも腰の剣を抜きそうな程気色ばんでいる。 ベィビーフェイスは、漸く身体を荒くれどもに向けると、見上げながら言う。 「いくら誰もかまってくれないからって、そういきり立つなよ……。いい大人がみっともないぜ……。 それと、オレを怒らせるなよ。さもねえと、この世に生まれてきたことを一生後悔することになるぜ?」 「この糞ガキ! ナマ言ってんじゃねえ! 吠え面書くなよ!」 そうベィビーフェイスを怒鳴りつけると、荒くれどもは一斉に腰の剣に手を掛けた。 しかし剣が抜かれることはなかった。 カチリ、と音がした。 ベィビーフェイスの左手が、逆手で剣の柄を掴んでいる。 荒くれどもは剣の柄を右手で掴んでいた。しかし、その腕は身体に繋がっていなかった。肘の辺りで切り離され、切り口からは大量の血が流れ出ている。 「ギャ――――――――ッ!!」 荒くれどもの口から悲鳴が上がる。 ベィビーフェイスは冷たい声で荒くれどもに聞く。 「まだやるか?」 荒くれどもは、一転して恐怖に顔を歪めながら、あたふたと酒場を出て行った。 酒場の親父は再び目を瞠る。 ベィビーフェイスが左手で柄を逆手に握った刹那、一瞬で剣を抜いて荒くれどもの右手を切り落とし、素早く剣を鞘に収めたのを見たからだ。 素人なら、何が起きたかわからないほどの瞬速の剣さばきである。そして、それを見て取ったこの親父は一体……? 荒くれどもの後ろ姿を見ていたベィビーフェイスは、カウンターに向き直ると親父に改めて酒を注文した。 しかし、親父は首を振った。 「悪い事は言わん。直ぐに街を出て行った方がいい。あいつらは街を牛耳るナメーク一家の者だ。直ぐに仕返しに来るだろう。着いて早々難儀だろうがその方が身のためだ。」 「そうかい……。ナメクジだか何だか知らねえが、せっかく酒にありつけたってのによ……。 で、そのナメクジ一家ってのは、この辺りの悪党どもかい?」 「滅多な事は言わん方がいい……。 一家を束ねるのは、元王国正統騎士団の騎士崩れのナメーク伍長だ。同僚を殺して逃げる内にこの街に流れ着いてきたらしい。 この辺りは王国領とは言っても忘れ去られた辺境だ……。力のある奴が支配する。それが気に入らなきゃ、出ていく以外には生きる道なんて無いところだ……。 とにかく悪い事は言わん。直ぐに街を出ていってくれ。もう血の雨が降るのには懲り懲りなんだ……。」 酒場の親父の言葉は最後には依頼と言うよりは懇願に近かった。 ベィビーフェイスは俯いて小さく溜息を吐いた。 「そうか、じゃあ仕方ねえな。 まあ、長いものには巻かれるしかねえしな……。 あばよ。」 そう言って、ズボンのポケットから銀貨を一枚取り出して、親父の前に置いた。 「おい……。」 親父が声をかける。 「何だよ? 釣りはいらないぜ?」 ベィビーフェイスはそう言うとニヤリと笑った。 親父はベィビーフェイスの後ろ姿を見送りながら小さく呟いた。 ―― これじゃあ足りないんだがな……。 店を出たベィビーフェイスは、思案することもなく街を出る気になっていた。 できれば馬を休ませたかったがこうなっては仕方がない。ただの荒くれ、ゴロツキ共なら屁とも思わないが、王国正統騎士団出身の者がいるとなれば話は別だ。 大陸のほぼ全域を支配する王国にあって、王国正統騎士団と言えばエリート中のエリート。戦闘のプロである。そこで伍長にまでなったというのなら、かなり実戦経験は豊富なはずだ。 戦っても直ぐに負けるとは思わないが、そうおいそれと勝てるとも思えない。 ―― 全くこんな場末の辺境の街になんかいるんじゃねえよ……。 ベィビーフェイスが馬の鞍を掴み鐙に足を掛けたところで、自分が街に入ったのとは反対側から、通りをこちらに向かってくる5人の男達に気づいた。 どうやら、そのナメーク一家とやらだろう。その男達全員もう既に剣を抜いていてる。 男たちに気づいたベィビーフェイスは馬から離れ、男たちに向かって歩き始めた。 ―― 来やがったか……。しかし、その騎士崩れってのはいなさそうだな……。 通りを進むと酒場の2軒程先に葬儀屋があり、陰気そうな顔でこちらを見ている親父がいた。 ベィビーフェイスはその親父に声を掛けた。 「親父、棺桶を5つ用意しておけ……。」 ベィビーフェイスの言葉に、葬儀屋の親父の顔がパッと明るくなって、店の奥へと引っ込んだ。 忽ち金槌を叩く音が聞こえ始める。 ベィビーフェイスと男達の距離が近づいてくる。 それでもまだベィビーフェイスは腰の剣を抜いていなかった。どころか柄に手もかけていなかった。 両手をだらりと下げたまま、ゆっくりとした足取りで前へ進んでいく。 両者の間が10メートル位になったところで、ヒュンという音がする。矢を射放った音だ。 その音が聞こえるか否かのうちにベィビーフェイスはゴロゴロと地面の上を転がって矢を躱し、長靴《ちょうか》に仕込んだ短剣を引き抜き、その射手に向かって投げつける。 短剣は射手の肩に刺さり、射手は屋根伝いに通りに転がり落ちてきた。ベィビーフェイスはその射手に素早く近づくと、剣を抜き斬りかかる。 バランスを崩していた射手は、その剣戟を躱すように右手を上げる。 上げたところで、鎧もつけていない腕では剣を受けることはできない。忽《たちま》ち腕を切り落とされ、深々と胸を切り裂かれる。 そこへ男達がベィビーフェイスに殺到した。 ベィビーフェイスは最初の一撃を剣で受けるとそれを跳ね返し、振り返り様に背後から迫る男の腹に一撃を入れる。 腹を切り裂かれた男は内臓をぶちまけながら倒れていく。 ベィビーフェイスは次いで振り切った剣を返しながら、下から掬い上げるように右側から迫る男の腕と言わず体と言わず斬りつける。 ぶらりと垂れ下がった腕をもう片方の腕で支えようとするが、こちらは二の腕から切り飛ばされている。 ベィビーフェイスはさらに身体を回転させながら、今度は袈裟懸けに左側の男の身体に斬りつける。 切断された肋骨の奥に肺と思しき空洞が見える。 ベィビーフェイスはその後、腰をぐっと低く落とし、再び掬い上げるような一撃を正面に回った男、‐最初の一撃を入れてきた男‐に入れる。両脚を失った男の体が地面に落ちる。 返す刀で横殴りに剣を振るうと、首を斬られた男の頭が吹っ飛んで地面に転がる。 ただ一人残った男は、大上段に剣を振りかぶっていた。 その喉元に剣を突きつけるとベィビーフェイスは言った。 「やめときな。オメエじゃぁ、オレには勝てないと思うぜ……。」 ベィビーフェイスの言葉に男は一瞬怯む。 しかし、意を決したようにそのまま剣を振り下ろしてきた。逃げれば一家には戻れないからだろう。 ベィビーフェイスはそのまま剣を横薙ぎに払う。 ベィビーフェイスの剣は、男の両腕とともにその頭も両断した。 剣を握ったままの腕と、頭部の上半分が吹っ飛んだ。 ベィビーフェイスは矢を放ってきた男の死体に近づくと、刺さっている己の短剣を引き抜きつつ、葬儀屋の親父に言った。 「悪いな親父、棺桶は6つだった……。」 葬儀屋の親父が益々嬉しそうな、にこやかな顔で頷いている。 その時、ベィビーフェイスはハッとして振り返る。 物凄い殺気を感じたからだ。 と、同時に迫り来る火球。素早く身を躱すが、よけきれずマントの一部に火がついた。 ベィビーフェイスはゴロゴロと通りを転がりながら、立ち並ぶ店の床下に潜り込む。 しかし、立て続けに放たれる火球は店の木製デッキを難なく燃やし、ベィビーフェイスが留まることをゆるさない。 ―― ちくしょう……。魔法使いがいるなんて聞いてないぜ……。 彼方には、いかにも魔女でございというローブを纏った女が、両掌に交互に火球を作り出してはベィビーフェイスに向かって放ってくる。 ベィビーフェイスはなんとか馬まで辿り着こうとするが、立て続けに放たれる火球のためにちっとも近づけないでいる。 身を隠している店の床下も安全ではないために、己の剣のスキルを変えることもできない。 今付けているスキルは「瞬速」。 これのお陰で辛うじて身を躱すことができているが、これではどうにも埒があかない。せめて「防御」が付けられれば……。 とにかく魔女の放つ火球は途切れることがない。 「詠唱短縮」か「無詠唱」を使っているのだろう。 そうでなければ、これほど早い連続攻撃はできないはずだ。となると、かなり高位の魔術師ということになる……。 ベィビーフェイスはジリジリと追い詰められている。 ―― こいつァ、決死の覚悟で飛び出すしかねえな……。 ベィビーフェイスは床下から這い出して通りの向かい側に走る。 と同時に、指笛を吹いて馬を呼ぶ。 火球が迫り来て、マントに火を着け始める。 ベィビーフェイスは馬に水を飲ませるための大きな水槽に飛び込んで全身ずぶ濡れになりながら、駆け寄ってくる馬の背に飛び乗る。 絶え間なく迫り来る火球に、手も脚も炎に包まれている。その暑さのせいか馬が異様なスピードで走っている。 そして、最後に背中に火球の直撃を食らってしまったが、ベィビーフェイスは手綱をしっかりと握り拍車を入れて更に馬を駆る。 街からかなり離れたところで、ベィビーフェイスはとうとう耐え切れずに馬から転げ落ちた。 太陽は相も変わらずジリジリと照りつけていた。 街からかなり離れた1軒屋。 最早廃屋と呼んでもいいような家の1室のギシギシと軋むベッドの上に、ベィビーフェイスは横たわっていた。 防具は外され、服も脱がされており体中に包帯が巻かれている。 酒場の親父がその枕元に佇んでいた。親父はベィビーフェイスの顔を、同情とも哀れみとも付かないなんとも言えない表情で眺めている。 やがてベィビーフェイスが目を覚ました。 起き上がろうとするのを親父が止める。 「無理するな……。その傷じゃ起き上がれるわけがない。」 ベィビーフェイスは起き上がるのを諦めて親父に聞いた。 「あれから何日経った?」 「3日だ……。」 「なおさら寝てらんねえな……。親父、食い物あるか…?」 ベィビーフェイスは苦痛に顔をしかめながら、身体をよじるようにして起こす。 粗末なベッドがギシギシと鳴る。 親父はやれやれという表情を見せながらサイドテーブルの上に皿を置く。 パン、ポークビーンズが載っている。 粗末な金属製のカップを見てベィビーフェイスは、うげっという表情を見せる。 「コーヒーぐらいねえのかよ……。」 「その体でコーヒーなんて毒だ。牛乳を飲め」 「ガキじゃねえんだぞ、まったく……。」 そう言いながらベィビーフェイスはガツガツと食べ始める。 「ほう? 随分と若く見えるが?」 「ああ、このツラで随分と損してるぜ。 こちとら、30までもう幾つもねえっていうのによ…。」 「……! もしかしてリシュトラン族《ハーフエルフ》か? 確かにその傷で生きている方が不思議……。」 親父の言葉にベィビーフェイスの顔が一気に険しくなる。 「余計な詮索はしねえほうが身のためだぜ?」 酒場の親父は首をすくめた。しかし親父が驚いたのも無理は無い。 リシュトラン族とは、王国の北の辺境に位置するリシュトラン地方に住む者達の俗称である。 元々この近くにはエルフ族とヒト族がきっちりと境界を隔てて暮らしていた。すなわちエルフ族は森に、ヒト族は野にである。この二つの種族は交わりを持つことはほとんどなかった。 エルフ族は透き通るような白い肌に銀色の髪、深い碧色の目、尖った耳、男女の別なく彫りの深い美形で、高い魔力を持つ長命の種族であるが肉体的な強さは さほどでもない。非常に理知的・理性的で他種と関わりを持つことを好まない。飲食物による栄養よりも、大地や森の精気を栄養として取り入れることができ、 そのため深い森の中に独自のコミュニティを作って暮らしている。 一方のヒト族は、肌、髪、目は様々な色の種類があり、エルフ族に比べると随分と短命である。ただ、平均してエルフ族に比べると体力に勝るが魔力に乏し い。したがって、道具の発明によって身体能力で劣る部分を補っている。多分に感情的・情緒的で、好奇心が旺盛で、あらゆる物を食べる傾向にある。 ある時、人狼族がこの地域に入り込み、エルフ族、ヒト族に関わりなくその村々を襲った。肉体的に弱いエルフ族はその高い魔力で、魔力もなく肉体的にも人 狼族に劣るヒト族は道具を使って、襲ってくる人狼族と個別に戦った。しかし、ともに劣勢に陥り、エルフ族とヒト族は手を結び共通の敵と戦った。苦難の末、 辛うじて人狼族を撃退することに成功したエルフ族とヒト族の間にはいつしか交流が生まれ、やがて生涯の伴侶を同種族からではなく異種族に求める者達が現れ た。 すなわち、エルフ族とヒト族の混血である。これらのものは「ハーフエルフ」と呼ばれるようになった。 しかし、これらの人々は純粋なエルフ族・ヒト族から白眼視されて住むところを失い、リシュトラン地方に流れ住むようになった。死にかけた森、乾いた大 地。砂漠とも言えるような荒廃したリシュトランの土地を耕し、木を、作物を育て生き延びてきた。以来、この地方の人々は他と交わることなくひっそりと暮ら していた。 それが一躍有名になったのは、大陸北西部から大挙して押しかけてきたオーク族と、熾烈な戦いを行いこれを撃退したことによる。 リシュトラン族はヒト族の強さとエルフ族の知性と魔力を併せ持っており、腕力一辺倒のオーク族に知性的な戦いで勝利した。王国正統騎士団が駆けつけた時には戦は終わっており、そこにはまさに死屍累々とオーク族の死体が転がっていたという。 以来、王国内においてリシュトラン族はハーフエルフを代表する一族 ― 実際には皆が全て血縁ではないのだが ― と目されている……。 ベィビーフェイスはまさしくその リシュトラン族の一人である。しかし、自分からそれを進んで人に言ったことはない。ヒト族の血が濃いので、ハーフエルフと言いながら傷が治りやすく、そのくせ成長が遅いのと、多少の念波が使えることを除けば、ただのヒト族と何ら変わらないからである。 親父は首をすくめると、両手を上げて振った。勘弁してくれいうつもりであろう。 「そんなことより教えてくれ。この街はいつからナメークって奴に牛耳られてんだ?」 ベィビーフェイスの問に、親父は今にも壊れそうな椅子に腰掛けると語り出した。 「……もう5年にもなる。 ナメーク伍長が騎士団を脱走してこの街に流れ着いてから……。 街を牛耳ってた悪代官を殺してその後釜に座ったのさ。 街の者の女房や娘どもを力ずくで奪って自分のものにした。男達を奴隷のように働かせ、文句がある奴は有無をいわさず殺してしまう。 今じゃ、誰も奴に歯向かうものなんていない。」 「だが、それだけじゃやっていけねえだろう? 食い物や酒はどうしてる?」 「それは、他の町や村、商隊を襲う野盗どもが売りに来るのだ。」 「それでも、買うにしたって金が要るだろう?」 「それは、街の女達を売ってその金で買うのだ。 街の男達にしてみりゃ、女房や娘を売ってその金で食ってるようなもんだ……。」 「どうやら、とんでもねえ意気地なしどもの街だな……。」 親父が怒りに満ちた目でベィビーフェイスを睨みつける。 「そうは言うが、ナメーク自体がとてつもなく強い上に魔女がいる。 誰にもどうにもできん!」 「そうだ! あの魔女!! なんであんなのがいる!? こんな場末の街にゃふさわしくねえだろう?」 「どういう経緯《いきさつ》かは知らん……。しかし、最初から、ナメークが現れた時からずっとあの魔女も一緒にいる。」 「あの魔女は厄介だぜ……。あんなに立て続けに、何発も火球攻撃ができるんだからよ。 弱点はねえのか?」 「そんなもの知っていれば、誰も苦労はしない……。」 「そりゃそうだ……。」 ベィビーフェイスは口を閉ざすと深く考えだした。 それを見て親父がいう。 「悪い事は言わん。 仕返しなど考えずに傷が癒えたらすぐに出ていった方がいい。 どうせ、お前には縁もゆかりもない街だ……。」 「そんなこともないぜ。 傷の手当をしてもらった上に、飯まで食わせてもらってるからな……。」 親父が目を見開いて言う。 「そんなことはどうでもいい! とにかく早く出ていくことだ。 この家は先ず安全だとは思うが、それでも長くはいない方がいい……。」 「確かに、一宿一飯の恩義はあるがこっちの命をかけるまでもないか……。」 「そうだ、って、どう見てもその面構えは、ヤラレっぱなしで尻尾を巻いて逃げるような目付きじゃないな……。」 「そんなことはないぜ。命あっての物種って言うだろ? ただし、気に入らねえ野郎は一発ぶん殴ってやらねえと我慢なんねぇけどな……。」 親父は肩を落として溜息をつきながら言う。 「とにかくおとなしくしていろ。 毎日は来れんが、なんとか飯だけでも届けてやる……。」 親父はそう言うと立ち上がって出て行った。 それから3日。 ベィビーフェイスはひたすら体力の回復に務めた。 元々、普通の人間とは違う。その回復力は驚異的な速さである。 しかし、魔女の魔法攻撃はヒトの放った攻撃とは違う。万全というには程遠かった。漸く剣を握り、なんとか振るうことが出来る程度であった。 ボロスが食事を届けに来た。 母親をナメークの愛人にさせられた少年で、酒場の親父が自分の代わりの食事を運ばせている少年である。 少年の顔にはいつもとは違う焦燥感のようなものが見えた。 「どうした、ボロス? 何かあったのか?」 ボロス少年は、息せき切ったようにベィビーフェイスに訴える。 「酒場の、ノドマンさんがナメークの奴らに捕まったんです。」 ベィビーフェイスが驚く。 「何故?」 「おじさんにお酒を飲ませたから……。」 少年に「おじさん」と言われて、ベィビーフェイスは苦笑する。 その童顔のせいで「坊や」と呼ばれることはあっても「おじさん」と言われたことはない。 「そうか……。それで、捕まってどうなった?」 「今、広場で吊るされてます。 明日の朝には、処刑するって……。」 「そうか……。こうしちゃいらんねえな……。」 ベィビーフェイスは立ち上がると、包帯をすべて外し服を着る。 服を着終わったところで剣を抜いた。 抜き身を両手で逆手に持って目を瞑る。 全身全霊をかけて強く念じる。 ―― スキル変更 「防御」! ベィビーフェイスが持つ剣のスキルは4つ。 「瞬速」「防御」「電雷」「氷結」の4つで、そのうち剣に着けられるスキルは1つだけ。 「瞬速」は文字通り瞬速の剣さばきを可能とするスキルである。 通常はこれを着けておけばまず困ることはない。往々にして、速さは力を凌駕するからだ。 しかし、あの魔女相手では「瞬速」では勝てないのは実証済み。 「防御」は文字通り防御力を高める。しかし速さは並になってしまうから、どうしても攻撃向きではない。 「電雷」は文字通り剣を振るう毎に雷電を発する。いわば遠隔攻撃を可能とするスキルである。 しかし、これで魔女にどれほどのダメージを与えられるかはわからない。距離をおいての攻撃は、命中精度と持久力勝負という所がある。あの魔女と撃ち合うことに、今の段階では勝算が高いとは思えない。 「氷結」もどれ程の効果があるか。 その一振りで全てを凍らせるスキルだが、魔女の放つ魔力(火)エネルギーを封じ込める程のものかはわからない。 相打ちでも足りないのに、相手より力が下であったら確実に死ぬ。 結局、消極的な理由で「防御」を選ぶしかない。 ―― スキル変更 「防御」! 剣の剣身が輝きを失い、やがて真っ黒にと変わる。 深い闇のような黒さを放つ剣に、ボロス少年の顔がこわばっている。 「心配するな。あの親父は必ず助けてやる。」 ベィビーフェイスはそう言うとニヤリと笑った。 日の出まであと2時間というところで、ベィビーフェイスは隠れていた家を出た。 馬の首を撫でて優しげに言う。 「おまえにゃまた苦労させるが、我慢してくれ。 わかってくれるよな?」 それに答えるかのように、馬がいななく。 「そうか……。 それじゃあ、行こうか?」 ベィビーフェイスは馬に跨ると街へ向かう。 半分の月がのぼる空は、暗すぎず、明るすぎず、街へ忍び込むには必要十分な明るさだった。 街の外れに馬を繋ぎ、ゆっくりと街の通りを歩いて行く。 街の中心、井戸のある所に酒場の親父は吊るされていた。 見張り役の男達は、酒瓶を手に大声で話している。全く見張りの役目を果たしていない。 そいつらの背後から忍び寄ると、ベィビーフェイスは短剣で見張り男のの首を掻き切る。 ヒューという喉から空気が漏れる音とともに見張り役が沈んでいく。 ベィビーフェイスに気づいて大声を出そうというもう一人の見張りの男は、一気に近づいてきたベィビーフェイスに口を抑えられ、喉に鋭い突きを入れられてなすべきこともなく崩れ落ちる。 ベィビーフェイスは親父に忍び寄ると、短剣を抜いて両手を縛っているロープを切る。 ―― どうしてここに? ―― いいから隠れてろ! ベィビーフェイスは長剣に持ち替えナメーク一家の建物に向かう。 ―― 覚悟しろよ、糞ったれども……。 黒い剣身が不気味に光る。 入り口に警備というより屯《たむろ》しているだけの男達の首を、顔色一つ変えずに切り飛ばしベィビーフェイスは家の中に踏み込む。スキル「防御」を付けている上、元々ベィビーフェイスはかなりの遣い手。 並の相手なら怖い者なしである。 忽ち屋内が騒然となる。 剣を抜きつつ近づいてくる男達を、一振りで両断し死体の山を築き上げる。 ―― 出てこい、魔女野郎! 魔女に野郎もないものだが、ベィビーフェイスは激しく左右を窺いながら魔女を探す。 元騎士のナメークを相手にしながらでは、魔女に立ち向かうことなどできない。 先に魔女を叩いておきたい。 「おや、坊や。 懲りなかったと見えるね……。もう一度お仕置きが必要だね……。」 2階の廊下に魔女が現れ、ゆっくりと階段を降りてくる。 ローブを纏ってはいないが、まるで娼婦が着るような胸元が大きく開いた真っ赤なドレスを着ている。 その醜い顔付きと相俟って、とても下品で醜悪に見える。 ベィビーフェイスはニタリと笑うと魔女に向かって悪態をつく。 「ヤラレっぱなしじゃな……。 それに、オレはどちらかって言えばサドでね。特に、醜い魔女を傷めつけてヒーヒー言わせるのが大好きなのさ。」 魔女の顔がさらに醜く歪む。 「小僧! 覚悟しな!!」 階段の途中で立ち止まると、魔女は両掌を上に向ける。 すると忽ち15センチほどの火球が掌の上に現れる。それをベィビーフェイスに向かって放ってくる。 襲いかかる男達を躱しながら、その火球を剣で払う。 火球は飛散して、床に小さな焦げを作るだけである。 魔女は驚きに目を見開き、立て続けに火球を投げつけてくる。 それを、全て弾き返されて魔女の顔には怒りが現れる。 「この糞ガキ!」 魔女は悪態をつきながら、これでもかと火球を放ってくる。 しかし、やはりその全てが弾かれた。 ベィビーフェイスを取り囲む手下達は驚きに動けないでいる。 尤も、魔女の放つ火球に万が一にも当たりたくはないから、ベィビーフェイスに近づかないというのもあるが……。 「お前達、何をしてるんだい! 時間を稼ぎな!」 魔女は怒鳴りながら掌を胸の前で合わせる。 何やら呪文を唱えながら、ゆっくりと両掌を離し始める。 小さな火球が手の動きに合わせて段々大きくなっていく。 ―― 今だ! ベィビーフェイスは、魔女の言葉に襲い掛かってくる手下たちを薙ぎ倒しながら階段を駆け上がる。 魔女の作り出している火球はもう既に40センチ位になっている。 それをベィビーフェイスに放とうという刹那、ベィビーフェイスは階段を駆け上がりながら掬い上げるような一振りを魔女に向かって放つ。 魔女が後退ろうとして、階段に足を取られたところで、ベィビーフェイスの剣が火球共々魔女を斬り裂いた。 開放される瞬間、行き場を失った魔力エネルギーが魔女に逆流し、魔女が木っ端微塵に吹き飛んだ。 わずかに残っていた手下共がそれを見て、慌てて逃げ出す。 と同時に頭上から声がした。 「中々やるじゃねえか小僧。あの生意気な魔女を木っ端微塵とは恐れ入ったぜ。 最近退屈で退屈で仕方なかったんだ。相手をしてもらうぜ。 がっかりさせるなよ!」 見上げると、ベィビーフェイスよりも二回りはデカイ大男が階段の降り口に立っていた。 素肌に直接革鎧を付けている。 右手には、かなりごつい剣を提げている。左の二の腕には、かつて王国正統騎士団の一員であったことを示す正十字の刺青。 まるで熊と子供の対決のように見えるほどナメークは堂々とした体躯である。 ナメークが一気にベィビーフェイスに向かって剣を振るう。 ベィビーフェイスは階段を蹴り、一気に階下まで飛び下りた。 このまま上から押し込まれたらとてもじゃないが勝機など見出だせないからだ。 「さすがにすばしっこいな、小僧。 だが、早いだけじゃオレには勝てねえ。第一、早いだけってのは女に嫌われるぜ?」 「デカけりゃいいってものでもねえだろう?」 ベィビーフェイスはニタリと笑いながら応じる。 「デカイ方がいいってのは、身勝手な男の迷信だぜ?」 「自慢できるほどのブツも持ってねえくせに……。」 「じゃあ見てみるかい?」 「ああ、後でタップリとな!」 一連の応酬の後、ナメークが一気に横殴りの斬撃を放ってきた。 ガキッ!! ベィビーフェイスはそれをしっかりと受け止める。 ナメークが力でベィビーフェイスを弾き飛ばす。 吹っ飛ばされたベィビーフェイスは、くるりと回転して剣を構え直す。 そこへ頭上からさらに激しい斬撃が降ってくる。 ベィビーフェイスは両手でしっかり剣を握りこれも受け止める。 「防御」のスキルがついている以上、余程のことがなければ剣戟を受け損なって傷つくということはない。 グリグリと力で押しつぶそうとしながらナメークが言う。 「やるじゃねえか、小僧。その剣、タダモンじゃねえな。面白い、俺様のものにしてやるぜ。」 「できるもんならやってみな!」 ベィビーフェイスはナメークの剣を弾き返すと剣を構え直す。 簡単にスキルが変えられるなら、ここで「瞬速」をつければ戦い方にバリエーションが増える。 「電雷」でも「氷結」でもいい。 しかし、「防御」だとそうはいかない。 どうしても、相手の攻撃を凌いで隙を見て反撃、という戦法しか取れない。先手を取って戦うことができないのだ。 ベィビーフェイスはひたすらナメークの攻撃を凌ぐことに終始している。 「魔女を吹っ飛ばした勢いはどうした? 結局その程度か?」 ナメークは罵声を浴びせつつも、攻撃の手を休めることなく激しい斬撃を繰り出してくる。 しかし、そのすべてを受け流され段々怒りが表情に現れてくる。 「このガキ、さっきから……。」 ナメークが大振りの一撃を放ってきた。 その時、足元に転がる手下の流す血に一瞬足を取られた。 ベィビーフェイスはその瞬間を見逃さず、ナメークの懐に飛び込むと、鎧の隙間からその腹に己の剣を突き立てる。 「ぐふっ……。」 ナメークの口から息が漏れる。 ベィビーフェイスは急ぎ剣を引き抜くと、後ろに大きく飛び下がった。油断してナメークのような腕力のある男に捕まりでもしたら、一気に形勢が不利になる。それを避けるためだ。 ナメークは、刺された腹を抑えながら足元の手下の死体を足蹴にする。 「邪魔しやがって……。」 もう既に憤怒を通り越して悪鬼の形相と化している。 ナメークは腹を刺されたのにも関わらず、攻撃の手を休めようとしない。 しかし、傷口の痛みが、出血が、確実にナメークの攻撃から勢いを奪っている。 やがて空振りしてはバランスを崩すナメークに、ベィビーフェイスは先程と同じように、深く飛び込んでは、腕と言わず足と言わず、腹と言わず、鎧のないところを狙って剣を突き刺す。 ナメークは吠えるような声を上げながらベィビーフェイスに飛びかかってきた。その一撃を躱しながら、ベィビーフェイスは両腕でしっかり握った剣を横殴りに、ナメークの頚にぶち込む。 剣を振り切った瞬間、ベィビーフェイスが呟く。 「あばよ……。」 ナメークの頭が宙を舞った。 ナメークを倒したあと、ベィビーフェイスは暫くその場にへたり込んでいた。 とにかくあまりの体格差に、圧倒されっ放しだったのだ。 肩で息をしながらその場にしゃがみ込んでいたが、漸く腰を上げると建物の外へと出ていく。 通りでは、先に逃げ出した手下たちを街の人達が農作業用のフォークやら、鍬やらで脅して縛り上げている。 街の人々は、ベィビーフェイスの姿を認めると一斉に歓声を上げる。 皆が近づいてきて、ベィビーフェイスに礼を言ったり、労をねぎらっている。 しかし、ベィビーフェイスは一切取り合わず真っ直ぐ自分の馬へと向かって歩いていた。 酒場の親父が嬉しそうな笑顔で声をかけてきた。 「あんたはこの街の恩人だ……。どうか、もう暫くここにいてくれ。 なあに、金なんか要らない……。酒も女も、できる限り望み通りにするから……。」 それを聞いたベィビーフェイスは、親父の顔が歪むかと思うほどに殴りつけた。 「ふざけるな! テメエらのためにやったわけじゃねえ。」 そう言うと、急に口を閉ざし静かになった街人の視線を全く無視して、ベィビーフェイスは馬に乗り込み街を後にした。 したたかに顔を殴られた親父は、しばらく殴られた顎をさすっていたが、やがて服の下に隠れる正十字の刺青を右手でさする。 ―― 俺はいつからこんな意気地なしになっちまったのか……。 親父はベィビーフェイスの後ろ姿を見つめながら小さく呟いた。 昇ったばかりの太陽は、今日もギラギラと照りつけそうだった。 |