遥かなる星々の彼方で
R-15

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イステラ連邦宇宙軍章

第1話 コスタンティア・アトニエッリ大尉は怒っていた

 無限に広がる大宇宙。数多の天体・生命が生まれ、死滅し、留まることなき変化を繰り返す世界である。

 その広大な宇宙の一角、とある棒渦巻き銀河の「腕」のひとつにイステラ星系が存在する。これこそが広大な版図を誇る一大勢力、イステラ連邦の中心である。

 イステラ連邦の支配区域は広大であり、連邦政府はそれを7つの行政区分「管区」に分けて統治している。そこにはおよそ350の有人星系が存在し、9千億人以上が暮らしている。
 そうしてそこに住む人々の生命・財産・生活を守るためにイステラ連邦宇宙軍がある。
 イステラ連邦宇宙軍は全体を統括する中央総司令部と、7つの管区それぞれに存在する方面司令部によって構成されている。

 そうしてリンデンマルス号はこのイステラ連邦宇宙軍・中央総司令部直属の特務戦艦である。


 そのリンデンマルス号の艦内ジム、ズラリと並んで設置されたランニングマシンの上を、「はぁ、はぁ」と荒げた息を整えつつ歩く若い女性士官の姿があった。同艦作戦部所属、コスタンティア・アトニエッリ大尉である。
 コスタンティアはプロテクトスーツというアンダーウェアの上にタンクトップとショートパンツ、スニーカーを履いた足でゆっくりと、しかし確かな足取りで歩いている。20分ほど本格的に走って、今はクールダウンをしているところである。
 長く美しい金髪を無造作に結い上げ、首にタオルを掛け、ほとばしる汗を拭うことなく歩き続けている。

―― 何よ、アイツは一体!

 心の中で悪態をついているが、それは決して声に出しても、まして誰かに聞かれてもならないことである。
 常に周囲から注目されていると言っても過言ではないコスタンティアは、その美貌に穏やかな笑顔という仮面をかぶり続けている。そんな彼女が悪態を吐いているところなどを誰かに聞かれでもしたら、それこそ忽ち艦内中に噂が駆け巡ることだろう。
 だがそうは言うものの、人前に思いつめたような表情を晒しているのだから、やはりコスタンティアはいつもの彼女ではなかったと言えるだろう。

 コスタンティアはランニングマシンを下りて汗を拭き拭きシャワールームに向かった。
 3千人からの乗組員を擁するリンデンマルス号の艦内ジムは1度に最大50人が利用出来る程度のものである。したがって利用は完全予約制で、しかも1人1回あたり1時間以内と決められている。だが超豪華客船ならいざしらず、艦内にこれほど本格的なジムを持つ戦闘艦艇などイステラ中どこを探しても他にはない。したがって当然ながらその人気は高く、よって常に予約は一杯、順番待ちは当然という状態である。
 その貴重な利用時間の終了までにはまだいくらかあったが、コスタンティアはどうにも気分が乗らずシャワールームに向かったのだった。


 コスタンティアはその姓からも分かる通り、政界、財界、官界、中でも特に軍部に強い影響力を持つ一大コングロマリット、アトニエッリ・インダストリー社の経営者一族の娘である。幼い頃から利発で愛くるしい少女だったコスタンティアは一族のアイドルだった。そうして長じるに従いその聡明さと美貌に拍車がかかった。
 誰もが息を呑むほどの美貌、舌を巻く聡明さ、そうしてイステラ有数の大企業の令嬢という立場にあってもそれを誇ることなく、驕ることなく、ハイ・スクールまでは一般生徒と同じ学生生活を過ごした。安易な優越感に浸り傲慢に振る舞う愚を知っていたのである。
 彼女は常に周囲の注目を浴びる存在であったがそれを意識することなく、勉学、スポーツ、芸術・文化活動に社会奉仕のどれにも真面目に取り組んだ。その一方で友人達とはオシャレ、食べ物や気になる異性の話などで盛り上がるごく普通のティーンエージャーの1人だったのである。

 そうして高校卒業後は周囲の予想通り、最難関と言われる連邦宇宙大学に進学、卒業後はアトニエッリ・インダストリー社に貢献すべく経営学を学び始めた。
 一族は大学生となった彼女に新製品の発表記者会見への出席を命じた。
 ともすれば殺伐となる新兵器のお披露目の場に姿を現す若い美貌の女性は直ぐに話題となった。マスコミは彼女の姿を追い、特集記事を組むほどとなったのである。周囲の動きに困惑しながらも一族に命じられるままに仕事をこなし、ついには社交の場にも引っぱり出されるようになった。
 だがそこで彼女は思い知らされることになった。自分は要するにただのマネキン、見た目を活かし、愛想よく笑顔を振りまくことだけを望まれているのだと。
 これは聡明な彼女のプライドを大きく傷つけた。

―― 女は愛想を振りまいてさえいればいいっていうの!?

―― 外側だけ良ければ中身はどうでもいいっていうの!?

 一体何時の時代の話だというのだ。人類は宇宙に飛び出し多くの星系まで脚を伸ばし、その版図を広げているというのに、旧態依然の男尊女卑的思考からまったく離れていない一族に幻滅したのだった。

―― どうしよう。このまま言いなりなんてゴメンだわ!

 彼女は自分の将来設計の変更を余儀なくされた。このまま大学を卒業し一族のグループ企業に入社しても、やらされることは変わらないとしか思えなかった。では別の道を選ぶ? でも何を選んだらいい?  確かに「制度」や「常識」では男女間に差はないことになっている。だが改めて世間を見回してみると、男女の性差による差別というものは形を変えてそこかしこに残っていた。ではそれを解消し、女性本来の地位を取り戻すために政治家を目指す? だが政治の世界で自分が発言権を得るまでに一体何年掛かるだろう。では官僚? こちらも同じようなものだろう。もちろん連邦宇宙大学卒ならエリートコースに乗って出世は出来るだろう。だがそこには少しも魅力を感じなかった。それでは社会活動家? だがこちらも過去の運動家達の姿には同性としても首を傾げるものが多く、とても選択肢たり得なかった。
 そこで彼女が選んだのはイステラ連邦宇宙軍であった。

 当時のイステラ連邦は仇敵ディステニア民主人民共和連合との停戦に合意して20年以上が経っていた。他の周辺国家とも戦闘状態にはない。そういう意味では武功を立てる機会には乏しいかもしれないが戦死の危険性も少ないだろう。
 だがそんなことよりも、他のどこよりも実力主義を標榜する組織である。自分の実力を正しく評価してくれるに違いない。コスタンティアはそう考え、軍は非常に魅力的な「就職先」に思えたのだった。
 そこで彼女はまず連邦宇宙軍士官学校を目指すことにした。

 士官学校の入学資格は大学卒業以上の学歴、またはそれに準ずる経歴を有すること。そこでコスタンティアは入る以上に卒業するのが難しいと言われる連邦宇宙大学全4年の課程を飛び級で2年で終了させて卒業したのである。それは大学創立以来初めての快挙でもあった。
 そうしてコスタンティアは連邦宇宙軍第四士官学校に入学したのだった。

 イステラ連邦宇宙軍の各方面司令部にはそれぞれ付属の士官学校がある。特に惑星ミベルノに置かれた第四方面司令部はイステラ連邦の主星トニエスティエに置かれる第一方面司令部と並ぶ重要な戦略上の位置づけとされていた。したがって第一士官学校と第四士官学校は強力なライバル関係にあってしのぎを削っており、この当時の第四士官学校は第一を上回るとされていてコスタンティアにとってチャレンジしがいのあるものであった。

 コスタンティアは士官学校の数ある本科専修科育成課程の中で戦術作戦科を選択した。その戦術作戦科は将来の幕僚、作戦参謀を育成するためのもの。すなわち連邦宇宙軍の内部組織にあって最も花形であり強い力を誇る中央総司令部統合作戦本部への近道であると同時に、最も難しい学科でもあった。
 その士官学校時代の3年間、コスタンティアはここでもその才を遺憾なく発揮し入学以来常に首席をキープし続け、第470期全士官候補生4千余人中最優秀の成績で課程を終了したのであった。

 通常、士官学校を卒業した新任の少尉はその士官学校のある方面司令部に配属となる。だがコスタンティアは中央総司令部に配属となった。やはりその優秀さが認められてであるが配属先は意外にも広報部であった。
 任官当時は戦時特別体制から平常の国家体制に戻っており、もちろん徴兵制度も停止されていた。そのため軍部としては有能な人材の確保を図るべく広報活動に力を入れていた。戦時下、停滞していた経済活動が戦争の終結によって勢いを盛り返し、民間でも積極的な雇用が続いていたからである。

 広報部配属となったコスタンティアは大学時代に学んだことも総動員して職務に精励した。営利企業のマーケティングも軍の人材確保のための活動も大筋では変わらない。如何に訴求力のある広報を行うかが基本だからである。
 コスタンティアは広報部での職務に大きなやりがいを感じていた。

 ところが配属から半年経ってから雲行きが怪しくなった。志願兵を募るコマーシャル製作の撮る側から撮られる側、すなわち、コマーシャルに出演させられるようになったのである。
 重装備で泥だらけになって野山を走る歩兵、かと思えば、モニターの前でキーボードを操作するオペレーター、油まみれになって作業する整備スタッフ、果ては戦闘機のコックピットに乗り込む姿や、重装機動歩兵用強化外装甲を纏うところなど、様々なシーンが撮られあらゆるメディアに流されたのである。
 だがそれはあくまでも虚像。本来の自分とはまったく関係のない姿であり、そうしてコマーシャルの最後には必ず朗らかに笑うコスタンティアの顔のアップで締めくられていた。
 かと思うと服装や装備を変えての広報用写真撮影も随時行われ、益々一般への露出が高まっていった。彼女の写真や動画が載った電子雑誌は売上が2割アップするとまで言われ、軍の新兵募集情報を見れば必ずコスタンティアの姿が見られるほどになったのだった。

 何かが違う。コスタンティアはそう感じ始めるようになっていた。

―― 私は女優やモデルなんかじゃないわ!

 これでは学生時代、一族に強要されたことと同じではないか。だが任官してまだ半年。転属を願い出るなど出来ることではなかった。
 人間誰しも得手不得手、好き嫌いがある。それを押し通せばただの我侭だが、自分はそうではないつもりだった。己の能力を遺憾なく発揮出来る。そう思って軍に志願したのである。今さらマネキンに甘んじるつもりはなかった。

 一年が経ったところでついにコスタンティアは転属を願い出た。どうしても現職に我慢出来なかったのである。
 元々自分は作戦参謀・幕僚志望である。そのために苦労して戦術作戦科を卒業したのである。それが現在は少しも生かせていない。そのように主張したのである。
 中央総司令部統合作戦本部では彼女の願望をもっともなことと捉えた。何よりも同期の全士官候補生中最優秀成績だった彼女である。当然ながら同じ中央総司令部の中でも統合作戦本部はもちろん、各方面司令部本部においても喉から手の出るほど欲しい逸材であった。だが新規人材確保を最優先とする軍務省と軍首脳部には逆らえず広報部への配属を指を咥えて見ているしかなかったのである。

 確かに彼女を中心にしたコマーシャル戦略によって志願者の数は増えた。だが質の面でどうだったかというと大きな疑問が残るのも確かだった。
 大体、美人のコマーシャルに釣られて軍を志願するような者が厳しい訓練に耐えられるのか? 使い物になるのか? この点に関して言えば、訓練を通過して入隊する者と脱落する者との比率は以前と大きく変わってはいなかった。そういう意味では志願者数を増やしたという効果が彼女の起用にはあったが、優秀な人材確保という点に関しては疑問が残ったのである。
 であればこれ以上彼女の類まれな能力を広報部で燻らせ、最悪の場合、軍に幻滅、愛想を尽かして退役、などという事態にならないように彼女の希望を聞き入れた方が得策ではないか。最終的にはそういう結論に達し、コスタンティアの願い通り転属が認められたのであった。

 その転属先が中央総司令部直属の特務戦艦リンデンマルス号の作戦部だったのである。
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