遥かなる星々の彼方で
R-15

第5話 ファースト・コンタクト



イステラ連邦宇宙軍階級章:大佐

 シャトルに乗り込んだ女性士官達は自分達だけだと思っていたので先客がいたことに驚いた。最後尾に若い男性がすでに腰掛けていたのである。
 男性は赤みがかった金髪、灰色の瞳、端正な顔立ちに穏やかな表情の好青年、といった雰囲気の人物であった。

 シャトル内は固定シートが設置されている完全な兵員輸送用のものだった。中央の通路を挟んでその両側に2席ずつ。シートは5列だから20人乗りということになる。
 だがこれはかなり贅沢な配列だった。シートは詰めれば8列は設置出来る。したがってシートの前後には十分に広いスペースが有り、かさばる宇宙服を着て座っても窮屈な感じはしないと思えるほどだったのである。

 男性はすでに宇宙服は着ていたがヘルメットはまだ装着していなかった。おそらく膝の上で抱えてでもいるのだろうとコスタンティアは思った。
 この汎用型宇宙服は特定の人物が着ることを想定していないため、イステラ連邦宇宙軍を示すエンブレム以外には階級章や部隊章はつけられていない。したがってその人物の所属や階級も不明だった。否、ここにいるということはリンデンマルス号の乗組員であることに間違いはないだろう。

 だがコスタンティアはその男性の顔に見覚えはなかった。

―― 若い女性兵士の話題になりそうな人だけど……。

 コスタンティア自身まだ27歳、十分に若い年齢のはずだがそんなことを考えていた。
 今は仕事がとにかく面白く、それでなくとも浮ついた色恋沙汰には全く興味はない。だがそれでも女性兵士達の噂話は自然と耳に入ってくるものである。そうして話題の人物ともなれば食堂などで見かけた時には、やはりついその顔を確認してしまうものである。
 だが、今シャトル内に入る人物には見覚えが全く無かったのである。もっとも、おそらくはやはり尉官なのだろうと思った。同乗者の顔ぶれがそうだったからである。これでもし二等兵あたりだったら恐縮して落ち着かないに違いない。そんなことを考えながら、シートの上に置かれている宇宙服に袖を通し始めた。
 宇宙服は過不足なく人数分あった。したがって初めからこのシャトルに乗る人数は決められていたということであり、当然その人選にも人為的なものが働いているということを明らかに示していた。
 但しそれが誰の、どういう目的かはわからなかったが。


 リンデンマルス号の全乗組員の内、佐官は艦長と各部門長に軍医のみで計20名ほどであり、さすがにその顔を知らないという者は艦内にはいない。
 尉官はおよそ80名だが、その全てを互いに見知っている訳ではない。
 例えば作戦部のコスタンティアは主に主艦橋(MB:Main Bridge)か作戦室(OC3:Operational Command Control Center)、まれに戦闘指揮所(CIC:Combat Information Center)で任務に就く。船務部の情報分析士官であるクローデラは主に情報解析室(IAC:Information Analysis Center)かCICにいることが多い。この2人は例えば格納庫や機関室、艦内工場に出向くことはまず無い。
 一方のアニエッタやミュリュニエラといった艦載機のパイロットは、勤務時間中は緊急発進(スクランブル)に備え格納庫のパイロット待機所に詰めており、MBやCICに上がってくることは滅多に無い。これは技術部や医監部の士官も同様である。したがって尉官だからというだけで付き合いがある訳でも顔見知りというのでもないのである。
 これが保安部への出向という形で艦内の巡回警らや重要施設での歩哨を行う陸戦隊のエレノアやイェーシャ、全乗組員が利用する艦内病院の看護師であるアニスなら多くの乗組員と顔見知りである。だが彼女達も全員の顔と名前を知っている訳ではない。
 だから馴染みのない顔の人物がいても不思議ではないし、本人確認の上で搭乗手続きが済んでいる以上、不審な人物ということもないだろうと考えたのである。

 だがもしこの男性が宇宙服を着ておらず、軍服が見えていたら話は違っていたことだろう。

 イステラ連邦宇宙軍の軍服は基本は地上勤務、宇宙勤務の別なく同一のものである。上着は前あきのジャケットともジャンパーともつかない一風変わったデザインのもの。ボトムは地上勤務の女性はタイトスカートにパンプスも選べる ― 事実コスタンティアも広報部時代はそうだった ― が、宇宙勤務の場合は男女問わずスラックスにショートブーツである。色は上下共濃い(にび)色ではっきり言って地味である。
 だが地上勤務と宇宙勤務の服装の一番大きな違いは、宇宙勤務の者はプロテクトスーツの着用が義務付けられていることである。

 このプロテクトスーツは首から手首・足首までを包む、軽量・強靭な特殊素材で出来た一体型のいわばアンダーウェアである。保温・保湿はもちろん伸縮性や耐衝撃性にも富み、鋭い刃物や至近距離で放たれた実弾銃の弾丸をも弾き返すほどの防御性能を持ち、有害な宇宙線をも通しにくい。また難燃性で燃え盛る火の中でも内部に熱を伝えにくいという優れた性能を有する。
 とは言えこれを着ていれば全く無傷で済むかというとそうでもなく、場合によってはもちろん打撲や骨折、酷い時には内臓破裂もありうるので万能という訳ではない。
 また着用する個人の体型にきちんと合っていなければ意味が無いから、着用対象者は毎年身体各所のサイズ測定が厳密に行われ、その数値を元に作られるセミオーダーメード品である。したがって、当然のことながらまさに身体にフィットする以上、体のラインを正確に見せることになる。そういう意味では女性にとってはあまり嬉しくない代物という一面も確かにあるし、着脱は普通の衣服のようには簡単ではなくそれなりに時間を要するのである。
 それでもこれを着用しているとしていないとでは、戦闘や事故での生存率が桁違いに異なる。そこで軍としては貴重な人的資源の損失を軽減するため着用を義務化しているのである。

 このプロテクトスーツは薄鈍色だから、したがってこれだけではイステラ軍の軍服には華やかさの欠片もないが、各員は首に所属部門を示すカラフルなスカーフを巻くので必ずしもそうとも言えない。ちなみにコスタンティアの所属する作戦部は赤色 ― これは本来は作戦参謀もしくは幕僚の色 ― である。以下、戦術部は青色、船務部は緑色、技術部は黄色、管理部は (だいだい)色、医監部は桃色、保安部は紫色で、艦長は白色。これは全軍・全艦艇共通である。
 このスカーフはその所属を表すという目的以外にもう一つ別の役割がある。それはスカーフの有無で勤務時間中と時間外を表すというものである。
 宇宙艦艇や宇宙基地内では勤務時間外でも制服の着用が義務付けられており私服は認められていない。だがそれでは勤務時間中と時間外の違いが服装からは判別出来ず、下級兵士は勤務時間外にもかかわらずあれこれと命令されかねない。そうなると時間外勤務手当の発生といった余計な問題まで起きてくる。
 そこで勤務時間外は所属部門を示すスカーフを巻かないこととされている。これであれば余計なトラブルが避けられるからである。

 イステラ連邦宇宙軍の階級章は下士官以下は上着の両腕の上腕部、尉官以上は両肩の肩章に付けるものとされている。
 ところがこの男性はすでに宇宙服を着ていたので階級章は全く見えず、直ぐ目の前の真上から見下さないかぎりスカーフの色も確認出来ないのだった。したがって男性は所属部門も階級も全く不明な人物だったのである。


 宙空ドックは太い鋼管を組んだやぐらのような建造物で、牽引索で艦体を固定し作業を行う。人員輸送用のシャトルや資材運搬用の輸送機が接舷するためのエアロックも数カ所設けられている。このエアロックと艦体は伸縮式のチューブで結ばれており、その内部は宇宙服無しでも問題なく行き来出来る。ただしチューブには艦体内部から発せられる人工重力の影響は途中までしか及ばないし、そもそもドック入りしている間はメインシステムが稼働していないので人工重力自体が発生していない。それ故チューブ内は歩くのではなく手すりに捉まって泳いで進むというのが近い表現になる。

 コスタンティア達を載せたシャトルがそのエアロックの一つに接舷した。直ちに機内とエアロック内の大気圧が同調される。機内の出入り口ハッチの上のランプは赤色が点灯中、まだエアロック内の空気圧が規定値に達していないことを示す。それが緑に変わったところでヘルメット内の音声装置から声が聞こえた。

『お疲れ様です。到着です。もう宇宙服を脱いでも構いません』

 コスタンティア達女性士官らは慣れた手つきでシートベルトのバックルを外しヘルメットを取る。もうすでに無重力状態なので下手に体を動かすと機内を派手に遊泳することになる。したがってその動きは静かにゆっくりとである。
 そうしてゆっくりと立ち上がると、手に持っていたヘルメットを空いたシートの上に置く。それからファスナーを下ろし宇宙服を脱ぎ始める。下に軍服を着ているから余り抵抗を感じないが、それでも異性の前で服を脱ぐ動作をするというのは余り気持ちのいいものではない。
 ところが最後尾の見慣れぬ男性は、ベルトのバックルをガチャガチャと不器用に動かすだけで一向に外せないでいる。

 見かねた看護師のアニスが近づいてそれを手伝った。日頃、看護師として乗組員と関わっているアニスは、人に手を貸すことを厭わない。

「これは結構コツが要るんですよ」

 コツも何も、ただバックルを引き起こしてベルトを抜くだけである。ただバックルを引き起こすだけではベルトは勝手に抜けてはくれない。それを知らないと戸惑うのは確かである。

 ヘルメットの中の端正な顔が笑顔を見せた。「ありがとう」と唇は動くが、外部拡声に切り替えていないので音声は外には全く聞こえない。

 それを見てコスタンティアは半ば呆れた。

―― 何よ、全然知らない訳? どこの「おのぼりさん」かしら。

 かつて地方から都会へ出た人間のことをそう言って揶揄した。それが言葉として残っているのだが、今では地上の者が宇宙空間まで文字通り昇ってきて、何も知らずに慌てるという意味で使われている。

 そうして件の男、今度はヘルメットを外すので苦労している。アニスはそれも手伝った。

「重ね重ねも申し訳ないですね。ありがとう」

 男性は穏やかな口調で幾分照れながら言った。アニスもそれで少し顔を赤らめた。

「いいえ、なんでもありません! それより宇宙服の方も手伝いましょうか?」

「そうしてくれると助かります。このタイプの宇宙服は余り着たことがなくて……」

 そう言うと男性は体の向きをアニスの方へ向けた。
 男性の言葉に微笑みつつアニスはファスナーを下げていった。そうして宇宙服の胸元を左右に開いたところで固まった。

「えっ!?」

 その大声に他の者達が一斉に振り返った。

「何だ? 何かされたのか!?」

 陸戦隊のイェーシャが眉を吊り上げて聞いた。
 そうして機内を浮かびながらシートに捉まってアニスに近づく。アニスは宇宙服の胸元を掴んだまま目を白黒させていた。

「何やってんだよ!」

 言葉遣いの荒いイェーシャはそう言ってアニスの顔を覗き込み、それから男性の方へゆっくりと顔を向けた。そうしてこちらも目を見開き口をあんぐりと開けて押し黙った。

「おい、イェーシャ、何やってる? 降りるぞ?」

 イェーシャの上官であるエレノアが声を掛けた。その声にイェーシャは振り返ったものの口を金魚のようにパクパクさせるだけで言葉が少しも出てこない。
 さすがにこうなると女性士官達も何かおかしいと感づいた。そこで全員が3人に近づこうとした。
 その時輸送機の天井埋め込みの拡声器から声が聞こえた。

『フォージュ大佐、中央総司令部から緊急通信が入っているとのことです。直ちに主艦橋まで昇って下さい』

「え? それはマズイな。君、ありがとう」

 男はアニスにそう言うと空中に浮き上がり、もぞもぞと体を動かしながら宇宙服を脱ぐ。宙を浮かびながら服を脱ぐというのは慣れていないとかなり難しい。特にシートが多数並んでいるところでは体をぶつけてしまって予想もしない方へ流されてしまうことがある。
 だが男は最初こそ戸惑っていたが自分の座っていた席の上で直ぐにスルリと脱いだ。その身のこなしは明らかに過去に宇宙艦艇勤務の経験がある者とわかるものだった。

 そうして近くのシートに捉まってハッチへ向かう。ハッチの縁に手を掛け体を止めると振り返った。

「済まない。艦橋への行き方がわからない。誰か道案内してもらえないだろうか?」

 いかにも困ったという顔をしてそう言ったのである。
 だが女性士官達は呆然としていて直ぐに反応出来なかった。

 リンデンマルス号において大佐は最高位、艦長のみでそのスカーフは白色である。
 そうして青年の首には確かに艦長を示す純白のスカーフが巻かれ、左右の肩章には大佐を示す階級章、3つの金色の日輪が輝いていた。

 これがリンデンマルス号乗組員 ― と言ってもごく一部だが ― と、新任のリンデンマルス号艦長レイナート・フォージュ大佐との出会いであった。
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