遥かなる星々の彼方で
R-15

第24話 艦内病院にて

 およそ2時間以上も経ってから、アリュスラは呼び出されて再び艦内病院に顔を出した。

「お疲れ様です」

 アリュスラの言葉にエメネリアは関心したような表情で言った。

「確かに『病院』ね。随分と本格的でびっくりしたわ」

 それにはアリュスラではなくシャスターニスが答えた。

「でしょう? 大学病院並みに最先端の検査機器が入ってるのよ。
 それでも生体検査はなくならないのよね……」

 そうしてアニスに振り返る。

「アニス、検体をラボへ持って行ってちょうだい」

「はい、先生」

 素直な返事とともにアニスは幾つかの小さな紙袋を手に診察室を出て行った。
 それを見送った後、シャスターニスはもう一度エメネリアに顔を向けた。

「ところで少佐さん……」

「はい、何でしょう?」

「軍服の下は下着だけよね?」

「そうですけど……?」

 エメネリアの顔に不審の色が浮かぶ。

「そう……、それは困ったわね」

「何か問題がありますか?」

「いえ、イステラ軍の宇宙勤務は、全員例外なくプロテクトスーツの着用が義務付けられてるの」

「プロテクトスーツ?」

「そう。少尉、見せてあげて」

 そう言われたアリュスラ、一瞬面食らったものの、スカーフをゆるめ上着の上を広げて中を見せる。首まである薄鈍色のプロテクトスーツが顕になる。

「これです」

 アリュスラは少しつまんで引っ張って見せた。

「プロテクトスーツは伸縮性バツグンで有害な宇宙線も遮ってくれるスグレモノ。しかも耐熱・耐寒・耐衝撃で医学的見地からも有用性バッチリ。
 さらにバストラインやヒップラインも美しく見せてくれるという、女性にとってはとても嬉しい機能付き!」

 語尾に「!」ではなく「♡」でも付いていそうな口ぶりのシャスターニスである。

「……それは、なんだかスゴイですね」

 いささか気圧されながらエメネリアも頷いた。

「そうなのよ、絶対のオススメなのよ。
 ただ……」

 シャスターニスの顔から笑みが消えたのでエメネリアも真剣な面持ちで聞き返す。

「ただ……?」

「プロテクトスーツは全身を包むタイツみたいなもので、個人の体型に合わせたセミオーダーメード品。だから体にぴったりフィットしてるのよ。つまり……」

「つまり?」

「スリーサイズはもちろん腕の太さや脚の太さ、それこそ体の隅々まで測る必要があるのよ」

「それはちょっと、抵抗がありますね」

 エメネリアも顔をしかめた。

「でしょう? だからどうしたものかしらね」

 シャスターニスも思案顔、しばし逡巡するエメネリア。
 そうしてエメネリアが改めて確認する。

「でも、義務なのですよね?」

「ええ、そうなのよ。だからどうしようかしらね……」

「では着ます。ネイリにも着せます」

 エメネリアがきっぱりと言った。

「そう。では確認してみるわ、ちょっと待ってね」

 そう言うとシャスターニスはデスクに体を戻し、ドックに差し込んである情報端末を操作した。
 するとすぐに穏やかな口調がスピーカから聞こえてくる。

「何でしょうか、軍医中佐殿?」

 レイナートである。情報端末の画面に映る顔も穏やかである。

「あら、艦長、シャスターニスでいいのに……」

 最初にチョットいじめ過ぎたかな、と思いながらシャスターニスは少々媚びたような口調でレイナートに言った。

「それは医者としてのご命令でしょうか?」

 レイナートはあくまでも固い態度、口調を崩さない。

「もう……。まあいいわ。
 ところで艦長、真面目な話なんですが……」

 最初は呆れ顔だったシャスターニスも口調と態度を改めた。

「アレルトメイアの2人はプロテクトスーツに類するものを着用してないんです」

「それは……、困りましたね」

 レイナートが眉をひそめる。

「でしょう? ところで艦長はご存知? 外国人が乗艦した場合の規定」

「いえ、申し訳ないですけど勉強不足で知りません。と言うか、あるんでしょうか、そんなもの?
 今回も特別な指示はありませんでしたけど……」

 レイナートは不勉強というが、実際にそのことに関する規定は存在していなかったから知らなくて当然である。
 過去にイステラ軍は一時的にはともかく、今回のような士官交換も含め、長期間他国軍の兵士を自国の艦艇や基地に迎え入れるということがなかった。その故もあって軍の規定が現実に追いついていないということである。
 もちろん戦時には敵軍の捕虜を移送するため長期に渡り乗艦させたこともあるが、その場合にはプロテクトスーツを支給などしなかったのである。

「私もなのよ。それで、どうしましょう?」

「どうするも何も、それは着用した方がいいと思いますけど、在庫なんてないでしょう、セミオーダーメードなんだから。
 次の寄港は7ヶ月後だし、事前に連絡して作っておいてもらうしか……」

「あら、艦内工場でも製造出来るはずですよ?」

「えっ、そうなんですか? そんなのリストにあったかな……」

 シャスターニスの言葉に技術部製造科の製造品リストを思い浮かべるレイナートであるがどうにも記憶が曖昧だった。まあ艦内でプロテクトスーツを作ること自体が稀 ー 乗艦する時には既に支給されている ー なので、リストでも主要品目の中には入っていないということもあった。

「ただし、特別な製造ラインになるんで、確か1週間は他の物が一切作れなくなるとか」

「それは困りますよ。艦内工場の製造スケジュールは、支援要請の内容と管理部の在庫と、さらに技術部とも摺り合わせた上で作戦部が決めています。その予定が狂うとなると支援業務そのものの予定が狂ってしまう……」

「ですよね。それでご相談なんです、どうしましょうかっていう」

 問われたレイナートは腕組みして首を捻っている。
 そうして腕組みを解くと尋ねた。

「軍医殿、医者としての見解は?」

 その真剣な問にシャスターニスの口調が一層改まった。

「それはもちろん、着用した方が良いに決まっています。突発的な重大事故の可能性も否定出来ませんし、そもそもイステラ軍の諸施設はプロテクトスーツを着用することが前提です。ですから着ていないと色々な面で不具合も発生します」

 例えば機密ランクの高い重要施設へ入室する場合、プロテクトスーツの両腕の袖口に埋め込まれたICチップをセンサーにかざすことで入室が可能となる。それ以外にも艦内食堂での食事、ジム、病院その他の利用の際、このICチップによって本人確認がなされる等、艦内での業務はもちろん生活においても不可欠なものなのである。
 ちなみに両袖に配されているのは、左右の利き腕の違いはもちろん何らかの理由で片方が作動不良を起こした場合のバックアップ的意味合いの故である。

「わかりました。それでは技術部の方へ指示を出しておきます」

 レイナートが言うとシャスターニスも頷いた。

「それではデータは私の方から回しておきます」

 そこでレイナートが驚きを見せる。

「え、もうデータを取ってあるんですか?」

「ええ。最初に乗艦した時の健康チェックで色々検査するでしょう? その時の検査データから身体各所のサイズを割り出すんです。
 知らなかったんですか? プロテクトスーツのサイズってそうやって測ってるんですよ」

 ちょっと得意げなシャスターニスである。

「いいえ、全然。どおりで改めて測定してないのに支給される訳だ」

 驚くやら感心するやらで忙しいレイナートである。

「ふふふっ、そうなんですよ。
 ところで艦長……」

 シャスターニスがいかにも悪巧みしてますという笑みを見せた。

「何ですか?」

「知りたいですか、少佐さんのサイ……」

「軍医殿、それは守秘義務違反になりませんか?」

 シャスターニスを途中で遮ったレイナート、顔つきが険しくなっていた。

「ちっ! 乗ってこないか……」

「今、舌打ちしませんでした?」

「いいえ、してませんよ?」

「そうですか……。まあいいです。
 それではプロテクトスーツの件、進めて下さい」

「了解しました」

「他に何か?」

「ありません」

「では、通話を終わります」

「了解です。ありがとうございました」

 そう言って通話を終了させたシャスターニスはエメネリアに振り返った。

「聞いての通り……」

 そこで固まった。それはエメネリアが物凄い形相でシャスターニスを睨んでいたからである。
 思わず目を瞬かせたシャスターニス、改めてエメネリアを見るといつも通りににこやかな笑顔だった。

「何ですか、軍医殿?」

「いいえ、なんでもないです……」

 背中に薄ら寒いものを感じながらシャスターニスは再びデスクに向かったのだった。


 さてアリュスラとエメネリア、ネイリの3人は病院から通路に出ると、外で待機していたエレノアとイェーシャを伴い艦尾方向に向かって今度はそのまま歩き出す。
 だがいくらも歩かないうちにエメネリアが立ち止まった。

「何か?」と声を掛けるまでもなく、アリュスラがエメネリアに聞いた。

アレルトメイア(そちら)にもあります、妊娠検査?」

 エメネリアが見ていたのは通路の壁に掲げられたモニタで「妊娠検査を受けましょう」という表示だったのである。

「ええ。嫌になってしまうわ、アレルトメイア(うち)では宇宙勤務の女性は義務なのよ」

「それは大変ですね」

「でしょう? 失礼な話だわ」

 確かに身に覚えのない女性にも義務化するのは行き過ぎのような気もするアリュスラだが、他国の軍規にイチャモンを付ける訳にはいかない。そこで微妙に話題をそらす。

「特にリンデンマルス号(うち)で義務化したら、とてもじゃないけど軍医の先生3人じゃ足りないですね」

 軍医は乗組員の健康状態のチェックが日常業務だが、それ以外にも補給に向かった基地の乗組員の健康チェックも重要な仕事である。したがって併せて年間3千数百名の健康診断をしていることになる。軍医も7日に1日休日があってこの日は診察しないから、単純に軍医一人あたり一勤務につき4~5人は診ていることになる。
 したがってこれに全女性乗組員の妊娠検査まで加わったらお手上げになるのは間違いない。

「えっ、軍医が3人も乗っているの?」

「はい。先ほどのシェルリーナ軍医中佐、私達は気さくにシャスターニス先生って呼んでますけど、彼女以外に2人、こちらは男性です。その内1人は産婦人科が専門です」

「それは、なんだか至れり尽くせりね」

 エメネリアが感心する。

「ですね。ちなみにシャスターニス先生の専門は脳神経外科です」

「わあ、スゴイ」

「ええ、先生は本当にスゴイ人で、あの若さで連邦宇宙大学医学部の脳外科手術の権威だったそうです」

「本当にスゴイのね」

「ええ。なんでも『神の手』を持つスペシャリストだったらしいですよ」

「なんでそんなスゴイ人が一戦艦の軍医なんかしてるのかしら?」

 エメネリアは首を傾げている。

「医局の権力闘争に嫌気が差したとか……」

「ふーん、どこにでもあるのね、そういうの」

「やっぱり?」

「人がいて、権力があって……、そうなるとどこにでもあるでしょう、必ず……」

 微かな不快感を顕に言う。

「そうですね。
 あ、ちなみにシャスターニス先生は絶対に怒らせない方がいいそうです」

「え?」

「時々ブツブツ呟いてるそうです。『誰のでもいいから頭蓋骨切り開いて脳みそ弄くり回したいわ』って……」

「まさか、冗談でしょうね?」

 エメネリアの顔から笑顔が消えた。ネイリもその後ろで青い顔をしている。

「私は直接聞いた事無いですけど……」

「……。ホント?」

「とりあえず犠牲者は今のところいませんけどね」

「当たり前よ! いたら大変じゃない!」

 エメネリアは真顔でアリュスラにツッコミを入れたのであった。


 その後、ぞろぞろと歩いて食堂やPX(購買部)を視察したエメネリアとネイリである。とりあえずこの2箇所は一番利用頻度が高いところだからである。

「PXはいつでも利用出来ますけど、食堂は指定利用可能時間外は食事は出来ません。中に入る事自体は不可能ではないですけど、混み合っているから時間外の人間がウロチョロしてると確実に嫌がられます」

「わかったわ、気をつけましょうね、ネイリ」

「はい、お……、少佐殿」

 いまだについつい口癖でエメネリアのことを「お嬢様」と呼びそうになるネイリだった。
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